生克五霊獣 90話
思い当たること。
ただ一つ。
かつて、富子と泰親に監禁、拷問された時の話だ。
勿論、食事等は与えられる筈もなく、新月達が来るまで毎日休む間もなく痛めつけられていた。その時、一度だけ。何かを口にねじ込まれた事があった。酷く飢えていた上、意識もほぼ無かったので無意識に食べてしまった。何かふんわりとした空気の様でいて、それとなく温かく腹の足しにはなった気がする。今更思い出したが、あれが何だったのかは当時はさっぱり検討も付かず、ましてやその後思い出すこともなかった。
ぼんやりとした意識の中、恍惚と微笑む2人の鬼の姿を見たような気がした。ただ、気がしただけかもしれないと思っていた。
恐らく、食べさせられたのは鬼の魂であろう。全身に悪寒が走った。それを抑えるように小さくなった。
かつて、葛葉が一度だけ旬介に語った事があった。
葛葉と晴明の父である、かつての恵慈家の当主の話である。
富子を恵慈家に招き入れる際に、とある鬼を封印したと。そして葛葉と晴明が初めてその土地を訪れた際に、そこに封じられているのが番の鬼の子供だと言うことを。
その番の鬼が富子と泰親であり、その子供の魂を旬介の中に植え付けたのだとしたら。全ての合点がいく。
(どうすべきか)
兄上、蜃に相談すべきか。それしかないであろう、葛葉であれば確実に取り乱す。そして、自分がもし鬼の子に呑まれてしまえば、もはや止められるのは蜃だけだろう。
その前に、倅の現麒麟に言いつけるべきだ。何があれば、自分を拘束して蜃を呼ぶようにと。
直ぐにでもと鷹を飛ばそうとはしたが、既に血による霊力は酷く弱まっていた。
旬介は、嫌になるほどの溜め息を吐くと、麒麟を呼び付けた。
久しぶりに部屋に呼ばれたと、麒麟は思った。
最後に呼ばれたのは、跡を継いだ時。何か嫌な予感がしていた。
「はいるよ」
「ああ」
旬介の元気の無い声が返ってきたので、麒麟は部屋に入った。最近は体調も回復したように見えたので、身なりを整えていることも多くなった。前のような日常が戻ることを期待していた麒麟ではあったが、なんとなくではあるがそんな日はもう来ないように感じた。
旬介は麒麟を見ると、苦笑いをしながら自分の前に座るよう促した。
「そう、不安そうな顔をするな」
「不安そうな顔をしているのは、父上だろう」
「……そうかもな」
珍しく否定はしなかった。
「否定しろよ」
麒麟の子供の頃から変わらない物言いに、何も言わなかった。麒麟は敢えて、そのような言い方をしたのだ。何か反論が欲しかったから。
けれど、当の本人は構わず、話を続けようとした。
「お前に、伝えなきゃならんことがあるんだ。それで今日は呼んだ。けど、その前に言霊で兄上だけここに来るように鷹を飛ばしてくれ」
「は? なんで自分でそのくらいやらないの?」
薄々感じてはいたが、やはり否定して欲しくて聞いてみた。
「逐一聞くな。お前も分かってるのだろう。もう霊力が殆ど無いんだ」
旬介は頭を掻きながら、仕方ないだろうと告げた。
そこから話が進まないので、麒麟はとりあえず言われた通りする事にした。
蜃への鷹を飛ばし終わるのを見届けると、旬介は「立派になったなあ」と感心するようにボヤいた。
(なんだよ、自分の方がもっと立派なもの飛ばせたくせに)
他より成長が遅かった気がする。体術等は自信があったが、法力に関しては人よりずっと苦手だった。だから、あまり稽古が好きになれなかった。それでも母は誰よりも沢山教えてくれたし、父もいつも付き合ってくれた。厳しい母との稽古より、正直父との稽古の方が楽しかったと記憶する。気持ちは素直だ。誰より立派な鷹を飛ばせるようにしてくれたのも、センスがないとハッキリ言いながらも最後まで付き合ってくれたのも父だった。
そんな事をふと思い出しながら思って胸が痛んだ。
「さてと、本当はしたくもない話でもするかな」
旬介は、嫌々話を始めた。麒麟も黙ってそれを聞いた。
「お前も記憶にあるだろう、俺が泰親とと富子に監禁されていたときのこと」
「ああ、忘れたくても忘れられる話でもないから」
「あの時だ、恐らく。あの時しかないんだ……」
そこから旬介は、話をなかなか続けようとしなかった。
もう子供でもない。だから、麒麟は黙ってただ聞いた。続きを聞くまで四半時は要したと思う。
旬介の唇が少し震えていた。
「鬼の子を、俺の中に植え付けていった」
「は?」
麒麟の顔が青ざめた。
「は、母上は知ってるの?」
「知らん、絶対に言うな!」
「けど」
「わかるだろ、新月に言えばどうなるか」
麒麟は顔を逸らして唇を噛みしめる事しか出来なかった。泣きたくとも泣けはしない。何も考えれない頭で、なんとか言葉を絞り出した。
「それで、俺にどうしろと?」
「話が早いな、大人になった証拠だ。俺も安心した」
ふと視線を旬介にやると、泣きそうな顔で笑っているように見えた。
「この鬼を、どのくらい抑えておけるかわからん。もしなにか俺に異変があれば、直ぐに俺を拘束しろ。躊躇うな。どんな手段を使っても構わん。そして、兄上に任せろ。お前じゃ無理だ、鬼は」
そこには、かつての自分をも重ねていた。旬介に最後まで晴明はやれなかった。
「俺にやれるかな」
麒麟はぽつんとこぼした。はっとして思わず口を抑えたが、旬介にしっかりと聴こえていた。
「やるんだ、麒麟として」
子供の頃のように、旬介は麒麟の頭に手を置いた。
「頼む。お前にしか頼めんのだ」
「わかった。けど、蜃様と他の方法も考えてみるよ」
「ああ」
それ以上、二人は何も話せず。麒麟は部屋を出た。正直、思い足取りだった。やっぱり、泣きたくても泣けやしない。
(子供のままの方が、楽でよかったな)
当たり前のことを、当たり前のように思った。
旬介は一人、部屋に残ると自分で自分の顔を挟むようにして軽く叩いた。
「よし!」
こういう、重苦しい空気は嫌いだ。それでも、一つは済んだことに若干気が楽になった。ちゃんと言えたので、兄上にもちゃんと言えるはずだ。そっちの方が、重苦しいのだが。今回は予行練習みたいなものだったので、それでもちゃんと言えた自分を褒めてやりたいと思った。
「よし!」
もう一度気分を変えようとした。
※※※※※※※
蜃の元に、鷹が舞い降りた。麒麟の鷹だった。その鷹は、投げやり気味に言霊を告げた。
『父上が、蜃様だけ来て欲しいって言ってます。早急に、お願いします』
「全く、あの親子は」
どちらも子供だなと、笑いながら蜃は鷹を帰した。
それに気付いた葛葉が、縁側でお茶を啜りながら蜃に問うた。
「旬……ではなかったな、今は麒麟か。珍しいな。何かあったのか?」
蜃はしれっと答えた。
「ああ、何か俺に用があるようだ。近いうちに行ってくるよ」
「そうか、なら久しぶりに新月とひ孫の話でもしようかな」
葛葉がふふふと笑ったので、少しばかり気まずそうに蜃は言うた。
「すまん、母上。今回は俺だけみたいだ。なんだ、旬介が用があるらしい」
「ならば、なぜ麒麟の言霊を寄越す? てっきりひ孫が産まれたのかと思ったではないか」
「大方、面倒だったんだろう」
葛葉は、ムスッと口を尖らせた。
「そう拗ねんでください。なにかあったらすぐ鷹を飛ばすから。あいつにはあいつのなんか用があるんだろう。知らんけど」
「考えてもみたら、お主だけ呼ばれるのも珍しいことだな。お主だけ呼ばれないことはあったが」
「それを言わんでください」
旬介に幼少ぶりの血を与えてから、新月より体調が回復したと聞いていたので、葛葉は安心しきっていた。
そして、孫に当たる今の麒麟に子供が出来たと聞いて最近はどこか幸せに思っていた。
「じゃあ、今回は大人しく留守番しているよ。孫が産まれたら直ぐに知らせてくれ。飛んでくから」
「はいはい」
翌朝、蜃はのんびりと屋敷を出た。