生克五霊獣 86話
麒麟と黄龍。久しぶりに二人で楽しんだ収穫祭の後、麒麟は帰るとバタリと眠ってしまった。長らく伏せっていたせいで、まだ体力は回復し切れていない。
収穫祭はまだ数日続く。外では夜通し、お囃子の音が響いていた。
「麒麟は眠ったのか?」
葛葉が黄龍の部屋を訪ねた。
「ええ。まだ体力が戻っていないようで、帰ったら直ぐに眠ってしまいました。でも、あれ以来まともに会話が出来ました。芋汁も餅も食べました。楽しかった、本当に」
黄龍の顔がニヤケていた。
「よかった。本当に。明日は、蜃が一緒に行くと張り切っておるぞ」
黄龍は笑った。
「ははは。こんな日が来るとは思いませんでしたよ」
「なんじゃ、知っておったのか」
「ええ、麒麟が言っていましたから。兄上と約束したって」
「雪でも降るかな」
黄龍は笑って見せた。
同じ頃、蜃は麒麟の部屋を訪ねていた。すやすや眠る麒麟の顔をひと目見ると、安心した息を吐いて障子を閉めた。
(麒麟。あの時、俺の声は黄龍に届かなかったよ。黄龍は、お前しか見てなかったんだ。当たり前だか……なんだろうな。俺が同じようになったら、黄龍のように想ってくれる人がいるんだろうか)
蜃自身が選んできた道だった。誰も愛さず、残さず、独りで生きていくと。けれど、それは想像していたより、ずっとずっと苦しかった。
ふと、お蝶の顔が頭に浮かんだ。
翌日になり、かつての麒麟のように、今度は蜃が麒麟の部屋を訪ねた。
「さて、祭りに行くぞ!」
黄龍に着替えさせられていながらも、まだムニャムニャとした顔で麒麟は部屋にいた。恐らく、昨日の疲れが思った以上に抜けていないのだろう。それを蜃は察した。
「まだ明日もあるし、今日はやめとくか」
部屋の障子を閉めようとして、麒麟が言った。
「いや、行こう」
「大丈夫なのか?」
「うん」
「無理するなよ」
麒麟は立ち上がった。
「兄上、行こう」
二人で里を歩いた。囃子の中で、笛を吹く旬介を見かけた。その傍ら、不慣れた様子で新月が鈴を振っている。二人共麒麟達には気付いていないようで、里の子達と楽しそうに演奏している。
「元気だな」
蜃が言うた。
「元気だ」
麒麟が答えた。
蜃は敢えて麒麟の少し後ろを歩き、麒麟に着いてまわった。暫くは祭りを見て歩いていたが、途中から逸れて人の少ない場所に向かっていく。それでも蜃は、何も言わずに麒麟の後を着いて行った。
とある神社の石段で、麒麟が腰を下ろした。
「少し休むか」
何も言わない麒麟の代わりに、蜃が言った。
「……兄上と、少し話がしたくて」
麒麟の隣に、蜃も座った。
秋の風が吹き抜ける。切ないような香ばしい匂いが、二人の髪を撫でた。
「兄上に謝りたい」
「何を?」
「役立たずで、ごめん。俺は、兄上みたいになれない」
「何を言い出すのだ」
「父上を止めたのは兄上だ。泰親を追い払ったのも兄上だ。俺を助けたのも兄上じゃないか。それなのに、俺は兄上を嫌ってばかりだ。けど、本当は嫌ってなんかなかったのに」
「助けたのは、黄龍だろ」
「兄上に、一度も勝てないから」
蜃の胸が傷んだ。
「そんなの、お前が思ってるだけだ。俺の方が勝てたことない」
「なんだよそれ」
麒麟が苦痛に歪んだ顔を、蜃に向けた。
「お前には、わからん。俺は、ずっとお前に負けてるんだ。謝る必要なんてないさ」
さてと、と蜃は腰を上げた。
「そろそろ帰ろうか。黄龍が待ってるぞ」
※※※※※
蜃と麒麟が帰ると、葛葉は蜃と二人だけで話をした。
「蜃よ。あれから、富子と泰親の動きが無いのは奇妙だと思わぬか? 奇襲を掛けるなら今だと思うのだ。だからこそ、私等がこのまま麒麟邸に残っておるのだが」
蜃は首を傾げた。
「母上は、泰親達がもう諦めたとお考えで?」
葛葉は少しだけ声を荒らげた。
「そんなはずない! 奴等との長き戦いが、そう簡単におさまるものか。狙われとるのは、他のものではないのだろうか」
蜃は、少し考える素振りを見せた。
「仮にそうだったとしましょう。けれども、他の者達は万全の体勢です。言霊が来たら、直ぐに応戦すればよい。しかし、今ここを襲われでもしたら、今の麒麟ではどうしようもないでしょう」
「あ、ああ」
「それに、あれから俺の胸騒ぎがおさまらんのです」
「お主もか、蜃。麒麟に生克五霊獣の法は、まだ使わせたくないのだが」
「母上。あの術自体、俺は使いたくは無い」
「なあ、あの術の事なのじゃが」
葛葉は、ずっと胸に溜めていた事を蜃に伝える決心をした。
「私は、龍神からあの術を教えられた。お前が産まれる時の話じゃ。陣痛の中、朦朧とする意識の中じゃった。そのせいか、あの術の真意がわからんでおった。わからんまま、使って、使わせた。けど、今更思うのだ。あの術は」
葛葉が言い終わる前に、蜃が遮るように続けた。
「使い方が間違っているのでしょう」
と。
葛葉は、はっとした。罪悪感いっぱいの顔を、蜃に向けた。
「流石の俺も、薄々勘づいていましたよ。術者が封じられることで滅するからこそ、生涯一度しか使えない術なのでしょうと」
葛葉は畳を叩きつけた。罪悪感で言葉を出せない葛葉の代わりに、蜃が続けた。
「だが、封じの力も弱い。それが真実なら何度も使えそうだ。他に対価があるのではないだろうか」
「……お前は、それに気付かず、晴明やお蝶を死なせた私を恨んではおるだろう。今度は麒麟を同じ目に合わそうとしておるのだぞ」
蜃は葛葉に、苦笑いを向けた。
「麒麟は、そうはならんでしょう。封じられても直ぐに俺が助けてやります。それに黄龍だっている。父上やお蝶の事は、今更悔やんでも遅い。悪いのは悪鬼共だ」
「蜃よ、私はどう償えばよいのだろうか」
蜃は言うた。
「母上。悪鬼を滅することが、一番の償いではないのか。誰の犠牲もなくして」
「そんなことで、私の罪が償えるとは到底思えんが」
「……後のことは、後で考えましょう」
丁度その晩だった。麒麟邸に張った葛葉と蜃の結界が鳴った。