生克五霊獣 85話
燃え盛る炎が消えた例の城で、富子と泰親は蠢いていた。屍の山と怨念の臭気が心地好くて力が溜まる。しかし、晴明を燃やされた蜃への気持ちは歪んだ愛から、葛葉の子だという憎悪へと変わっていった。
「おのれ、蜃! おのれ、葛葉! 絶対に許さぬ!!」
不気味な叫びは、城全内を包み込んだ。
「泰親殿、泰親殿。法眼が封じた我らの子はどうなりましたか? もうあの子しかおらんのじゃ。子にも孫にも捨てられた哀れな妾には、もう泰親殿とあの子しかおらんのじゃ」
泰親は、蜃に空けられた喉元をピューピュー鳴らしながら答えた。
「最期に麒麟と名の獣に移してやりました。あの子はまだ魂としても胎児。育つには我らのように人の身体が必要である」
富子は泰親の肩を掴んだ。
「それではまた葛葉に、あの子が殺されてしまうやもしれぬではないか!」
泰親は答えた。
「ですが、母体となるにはそれなりの力が必要なのです。時間がなかった」
富子は泰親を突き飛ばした。
「ああ、どこまでも妾の邪魔をするのか、葛葉! 妾をどれだけ虐めたら気が済むのか」
富子は嘆いた。
※※※※※
葛葉が言うように、毒薬の効果が切れると麒麟の傷は完全に治癒された。それでも心までは直ぐに治せるはずもなく、布団の中でぼんやりすることが多かった。相変わらず暗いのは苦手だし、黄龍が近くにいないと不安にもなる。
蜃も体力は回復はしていたが、他の者たちが里に帰った事や、今は結界を旬介だけで保っていることもあり、葛葉と蜃はそのまま麒麟邸に残っていた。
「麒麟、今日はどうだ?」
蜃が麒麟の部屋を訪ねると、返事もなく寝間着姿のままぼんやり外を眺めていた。その目は無機質で、壊れた心を映していた。
「そろそろ秋の匂いがするな」
構わず蜃は麒麟に話しかけると、麒麟の前によっこらしょ、と座った。
「お前の好きな収穫祭があるぞ。今年は誰とまわろうか」
子供の時以来の話をしてみた。すると、あれから一言も発しなかった麒麟の口からポツリと漏れた。
「兄上と、約束した」
蜃は思った。約束したのは遥か昔、あの時だけだった。あの時の事を、きっと思い出してるのかもしれないと。確かに、あの時はまだ楽しかった。
「そうだったな、俺と約束したな」
それ以降麒麟は何も言わなかったが、蜃は一人昔話を続けていた。
数日すると、本格的に収穫祭の準備が始まった。里の方から、笛や太鼓の音が聴こえてくる。この頃には結界の維持にも少し慣れたようで、時折旬介が屋敷内を歩き回るようになっていた。
「蜃様! 収穫祭の準備、見てきてもいい?」
「あ、ああ。なんで俺に?」
聞くが答えずに飛び出していった。旬介的には、結界を維持するのにもまだ自信がある訳では無いので、なんかあればよろしく頼むよという意味だったのだが、流石に直接言え無かっただけである。
旬介なりに頑張ってもいたし、ストレスも溜まっていたので、黄龍も今回は見ぬふりをした。
程なくして、太鼓や笛の音が麒麟邸に近付いてきた。神輿を運ぶ声さえ響く。
ただ、収穫祭はもう暫く先のはずである。
「麒麟、起きてるか。近くて祭りの準備をやってるらしい。天気も良いし、少し日向ぼっこでもしよう」
黄龍が麒麟を部屋に呼び、相変わらず寝間着姿のままであったが何も咎めることはしなかった。麒麟は無言で立ち上がり、そのまま黄龍に手を引かれながら縁側へと出た。
黄龍の膝の上で、麒麟は猫のように丸くなって寝転がる。
「収穫祭は毎年の事だが、蜃様や葛葉様が近くにおるのは、懐かしいと思わんか」
お囃子の音が、どんどん近くなる。
「今年も楽しみだな」
麒麟はなんの反応もしないが、黄龍は構わず独り言のように続けた。
そうこうしてるうちに、麒麟邸の門から旬介が顔を出し、ニコッと笑った。その手には横笛があった。
「おお、お前は今年は笛を吹くのか?」
黄龍が笑いながら声をかけると、旬介は後ろを振り返り、おいでと言わんばかりに手招きした。すると、どうだろうか。太鼓やら笛やら鈴やらを持った里の者達が次々と入ってきてはお囃子を鳴らす。しまいには神輿や踊る者まで入ってきた。
「なんの騒ぎじゃ!?」
勿論、この騒ぎに葛葉も蜃も飛び出した。すると、里の長の息子がすっと前に出た。麒麟と同じくらいの歳だろう。お囃子や神輿や踊りが止まり、黄龍の膝で生気を失った麒麟の前に一斉に跪いた。
「この様な騒ぎをお許しください。この里が平和であるのも、里の者が幸せであるのも、皆領主様のお陰です。里を守る為に酷く伏せっておられると聞いて、里の者達で心配していたのです。不謹慎だから、今年は収穫祭をやめようという声も上がりました。けど、若様(旬介)が領主様が一番好きな祭りだからと仰ったのです。ですから、本番までに元気になられるよう少しだけ祭り気分を味わって頂きたかった所存です」
葛葉も蜃も頭を下げた。
「ありがとう、ありがとう、皆の者」
本番さながらの収穫祭が、麒麟邸の庭で始まった。
「麒麟、お前が頑張ってきた証じゃ。まだまだ、里を守らねばな」
黄龍が覗くと、麒麟の目から涙が零れていた。
「酒でも用意するか」
蜃が言った。
「私も飲むぞ!」
葛葉が言った。
「じゃあ、私も麒麟も飲みますよ」
黄龍が笑った。
その日の麒麟邸は、夕暮れまで賑やかだった。死んだように生きていた麒麟が、暫くぶりに酒を口にした日でもあった。
それからだった。麒麟が少しづつ人として回復していったのは。
「旬介、お前には感謝する。お前がいてくれて良かった」
麒麟邸収穫祭の夜、黄龍は酔った勢いもあり、旬介を抱きしめた。
「あんな父上、嫌だからね」
旬介は照れた。
「旬介。そろそろ、白虎領で世話になってる新月を呼び戻そうかと思うのだが、よいかな」
「なんで、俺に聞くの?」
「旬介が嫌だと言うなら、まだ白虎領に預ける」
「……別に、嫌だってことは無いけど」
「じゃあ、呼び戻す」
「でもなんで、あいつにこだわるんだよ」
黄龍は酔ったまま答えた。
「兄弟はいた方が楽しい」
「俺は、一人でもいいけど」
「居た方が楽しい。楽しかった」
黄龍は疲れもあって、その場でパタリと寝てしまった。
「え? 母上?」
こんな黄龍を見たのは始めてだったので驚いた。驚いて「しょうがないなあ」と、布団まで運んだ。黄龍の最後の言葉が、なんとなく旬介の胸に刺さった。
※※※※※
新月が戻ると程なくして、待ちに待った収穫祭が始まった。麒麟もだいぶ回復しており、それでも里の結界は旬介と二人で張り続けた。麒麟が役目に戻ったことで旬介の肩の荷は多少降りたが、このまま後継として慣れていくのには良い機会だと、黄龍と麒麟が続行させることにしたためでもあった。
まだ心配事も多く、あれから泰親や富子の動きも気になるので、蜃と葛葉はこのまま麒麟邸に残っていた。
里が賑やかに盛り上がると、旬介は朝からいなかった。今年は笛を吹くことにしたらしい。お囃子の準暇のため出掛けていた。
「麒麟、そろそろ散歩がてら祭りを見に行こうか?」
黄龍が声を掛けると、麒麟は「うん」と返事をした。返事が出来るまでになっていた。
黄龍が麒麟の支度をすると、蜃が出てきた。
「麒麟、俺とも後で行こうか」
黄龍はいつもながら突っぱねると思っていのだが、「うん」と黄龍と同じように蜃にも返事をしたので驚いた。
「麒麟、珍しいな」
「兄上と約束した」
「そんな約束したのか」
「うん」
精神的に回復はしてきたのだろうけど、違和感が否めない。きっと元に戻ると信じて、黄龍は麒麟と屋敷を出た。
「黄龍、収穫祭は好きだ」
「そうだな」
「思い出すから、昔を」
「覚えてるのか」
「忘れない。この日のために、里を守ってる」
黄龍は、笑った。いつもの麒麟だと安心した。
「そうだ、お前は、そういう奴だったなあ。なあ、あそこで芋汁を配っているぞ。食べていこう。餅もある、あれも食べていこう」
「食べていこう」
久しぶりに、二人で笑えた気がした。
※※※※※
泰親から教えられた、鬼の子の魂。それが富子には、納得出来なかった。
これ以上、葛葉や敵に回った蜃に虐められたくないと嘆いた。嘆いて、里も何もかも捨てて、昔のあの湯治場に戻ることも考えていた。葛葉と関係ない、何処ぞの坊主でも攫って母体とすればよいのではないかと。
「泰親殿、泰親殿」
富子は恨めしそうに、泰親に縋った。
「妾は、もうよい……。葛葉も蜃ももうよい。あの獣から子を回収して、また昔の湯治場で暮らそうぞ。もう妾は疲れた、もう虐められたくないのじゃ」
さめざめと泣く富子に、泰親は身体を重ねた。
「富子さんが、そういうなら。近々、あの獣から子を、斬鬼を取り戻しに行きましょう」
「おお、斬鬼とな。そなたが付けた名かえ」
「ええ、良い名でしょう」
「良い名じゃ」
「して、母体はどうする?」
「なあに、徳のある坊主なんて幾らでもおります。道中、攫っていきましょう。そして、三人で静かに暮らしましょう。何もありませんが、慣れれば平気です」
「そうじゃ、虐められるより良い。妾は泰親殿と斬鬼がおれば、それでええ……」