生克五霊獣 77話
「あいつ。顔に傷がある、泣き虫のやつ」
黄龍が苦笑した。
「旬介か」
「お前は、あいつの母上か? あいつも、お仕置きする? あとで。役に立ってなかった」
「せんよ。悪い事をした時だけだ、お仕置きというのは」
「あいつは、役に立ったのか? 立ってなくてもしないのか?」
「役に立つ必要など無い、子とはそういうもんだ」
「もし、もし父上がお仕置きしてて。役に立たないからで、助けてって言ったら助けるのか?」
「悪い時は、たっぷりお仕置きが必要だろ。けど役に立たないとか、そういう理由だったら、それはお仕置きじゃない。助けるし、そんなことをする父上の方がお仕置きだ」
黄龍が笑った。
「……いいなあ。僕もあんたみたいな母上なら良かったのかな」
娘は羨ましそうに、湯船に顔を少しだけ沈めた。
「あまり長湯しては身体に悪い。そろそろ出なさい」
「うん」
黄龍は娘に、自分が幼い頃着ていた着物を着せてやった。
娘を部屋に案内すると、今度は旬介の部屋を訪ねた。
落ち着いたのか、娘を風呂に入れる前に運んでやった夕餉をすっかり食べ終えて落ち着いていた。
「少しは落ち着いたか」
「……うん」
「じゃあ、もう1つ聞いてくれるか?」
旬介は、しゅんとした情けない顔を黄龍に向けた。
「なあに、怖い事でもないし。あとで全部説明してやるから」
黄龍は、旬介に薬の入った小さな壺を渡した。
「あの娘の部屋に行って、背中の傷に薬を塗ってやってくれ」
「母上がやれば?」
「私じゃいかんのだ」
「なんで?」
「なんでも」
「……別に、いいけど」
旬介は、諦めたように部屋を出た。
黄龍は、既にこのまま娘を養女にするつもりでいたから、先ず歳の近い旬介と娘との距離を近付けなければならないと考えていたのだ。誰にも頼れず誰にも触れ合わずに生きてきた娘だからこそ、根は素直だと考えていた。そして旬介は根が優しい子だから、面倒を見てくれるはずだと考えていた。
丁度羞恥心が相まって、大人しく、いつになく素直に言うことを聞く。
旬介は、娘の部屋の前で声を掛けた。襖にかけた指が少しだけ震えていた。
「入るよ」
(恥ずかしいとこ、見られてたらどうしよう)
実は娘も何となく気付いていたのだが、今は喧嘩をするつもりもないので敢えて触れはしなかった。
「わかった」
ゆっくり開けると、部屋の中に娘がちょこんと膝をかかえて座っていた。
「なに?」
「母上が、お前の背中に薬を塗ってやれって」
「ふうん。あの人、優しいな。僕の、母上も優しかったけど……父上が来てから優しくなくなった」
「後ろ向いて着物脱げよ」
旬介は、聞いてない振りをした。
だが、娘は続ける。
「なあ、僕に母上をおくれよ」
旬介が、カッとして叫んだ。
「バカ言うな! 俺の母上だ。くれって言われてやれるかよ!」
「好きなのか?」
旬介の顔が真っ赤になる。
「母上を嫌いな子供がいるかよ」
「そっか」
「さっさとしろよ! 薬塗れないだろ」
娘がその場で着物を脱いで、すっぽんぽんになって見せたので、旬介がむせた。
「お、お前なあ。何考えてんだよ」
「脱げって言ったのお前だろ」
「後ろ向いて背中だけ出せって意味だ。そのくらいわかるだろ」
娘は、すっぽんぽんのまま素直に後ろを向いた。
「酷いな、どうしたんだよ」
内出血して青紫になった上に、裂けた皮膚から肉が見えていた。ミミズ腫れの中に、先程湯浴みした筈なのに膿のようなものが既に見えていた。思わず目を背けたくなった。
「僕は役立たずだから、お仕置きなんだって。……ここ出たら。もっと酷いお仕置きされるかも。お前の母上は、役立たずでも、悪い事をしてなかったら助けてくれるって言ったんだ。だから、僕に母上をおくれよ」
旬介は、手に持っていた薬の壺を畳の上に置いた。
「葛葉様に頼んでやるよ。葛葉様は、怪我を治す力があるんだ。こんなのすぐに治してくれるから。あと母上はやれないけど、助けてくれるように俺から頼んでやる」
「ほんと!」
「ああ」
「じゃあ、僕もさっきお前がお漏らししてたの黙っとくから。内緒にしとく!」
旬介の顔が真っ赤になった。
「見たの? 」
「見てないけど、臭いでわかる。鼻は効くんだ」
「俺じゃないし。あの変な妖怪みたいなのが、変な汁出したんだよ」
娘は首を傾げた。
「お前から臭ったけど」
「俺を捕まえた時に、俺に吹きかけてきたんだ。だから、俺じゃないし」
「そーなんだ」
娘は思う。それがそんなに大切な事なのかと。年頃の旬介にしたら重要な事なのだが、娘に理解は出来ない。
「わかったら、大人しく待ってろよ」
「うん」
ぱたぱたと廊下を通って、葛葉の部屋の前で旬介は声を掛けた。問題を話す前に、葛葉から旬介に質問が飛んだ。
「葛葉様、よろしいでしょうか?」
「ああ、旬介か。何があったかは知らんが、大丈夫か? ところで蜃を見なかったか?」
「はい、もう大丈夫ですけど……蜃様は知らないです」
「そうか。そう言えば、お前は今、呪術を封じられておるらしいな。先程、藤治の術は解いてやったんだが、お前もすぐに解いてやるから。さあ、入れ」
一方的に招き入れようとする葛葉を、旬介が慌てて止めた。
「あ! それもお願いしたいんですけど、それより先に見て欲しいものがあって。来てもらえませんか?」
「なんじゃ? 構わんよ」
葛葉は、旬介にとことこ着いて行った。
襖を開けると、半裸の娘が傷だらけの背中を向けて座っている。
「これを治せと?」
「はい」
「酷いな」
葛葉は娘の背の傷に手の平を当てた。じんわりと温かさが広がり、傷の痛みが引いていく。その上、なんとも心地が良い。
「おばさん、温かいな」
葛葉は苦笑いをした。おばさんと言われても仕方なのない歳だが、実際に言われると少なからずショックでもある。
「葛葉、と言う名だ」
「くずは?」
「お前なあ、葛葉様って言えよ」
旬介が間髪入れずに、娘を叱咤した。
「温かいな、葛葉様って。ずっと痛かった背中、治ってくみたい」
「治ってるのだ。もうすぐ痛みなど無くなる」
ふと、娘の様子が変わったことに葛葉も旬介も気付いた。
旬介がそっと娘の顔を覗き込むと、彼女は必死で声を堪えながら泣いていた。大粒の涙がぼたぼたと畳に落ちる。だらんと垂れた鼻水を見て、旬介が呆れて懐から懐紙を出すとそれを渡した。
「汚ねえな。鼻水拭けよ」
「うん」
「なんだよ」
「らって(だって)……ここは…あららかいから(暖かいから)……」
「そうか?」
旬介のすっとぼけたセリフに、娘は頷いた。
「帰り……たく、ない……」
娘がぽつりと呟いた。
「帰れないよ、だってお前罪人だし」
娘は泣きながら俯いた。葛葉のおかげで背中は綺麗に治り、葛葉は娘の着物を着せてやった。
「その事で黄龍から話があるはずだ」
「キリュゥ?」
「お前を風呂に入れた、俺の母上だよ!」
「ああ母上」
「お前のじゃないよ」
「お願いする。僕の母上になってって!」
「罪人なんだから、その話に決まってんじゃねーか! 罪人は今後の話だろ。刑とかの」
「旬介」
葛葉が見かねて口を出した。
「罪人などと言うでは無い」
「だって、祠壊してみんな襲って、俺だって」
先程のことを思い出し、ふといたたまれないくらいに恥ずかしくなって顔を背けた。
「これには訳があるのだ。お前も後で説明して貰うといい」
「あ! 説明といえば、牢で襲ってきたあの化け物も!!」
「化け物?」
「うん、いきなり父上に牢に閉じ込められ……」
旬介が葛葉にまくし立てるように言っていると、廊下の障子が開いた。
「私から話すから、旬介落ち着きなさい」
と、黄龍が部屋に入ってきた。