生克五霊獣 72話
「お主か。極秘の情報すら知っているという。何処の使いじゃ」
麒麟は腹の中で笑っていた。
「何処? 私は神から授かりし土地のもの。先祖は七色に輝く金色の龍」
「龍神の子孫とても申すか」
「ええ。聞き覚えがございませんか? 霊獣麒麟の名を」
殿様は怒って立ち上がった。
「くだらぬ! 帰れ! さもなければ、斬る」
「信じませぬか? 私の姿を見てもなお?」
殿様をはじめ、お付きの者達も次第に顔を青く染めていく。腰をぬかすものや、中には哀れにも失禁するものまでいた。
目の前の麒麟が、幻術によってみるみる間に霊獣麒麟へと姿を変え始めた。
「な! なにをっ! ひいっ!!」
綺麗に整えられた庭に雷が落ちた。
「やめ! なにが! なにが目的じゃ!!」
頼りになるものは、ここにはいない。
情けなくも泣き喚く殿様に、麒麟は霊獣の姿で答えた。
「我が神聖な土地に足を踏み入れて欲しくないのだよ。人間が関与する事で、土地が汚れる。お主だけではない、お主に関係するもの全てが末代まで祟られるであろう」
「ひいい!」
「我が妻を置いてゆく。約束を破りし時は、妻がお主等を食い殺し、祟ることになろう」
殿様と動けるものが、麒麟に向かって土下座した。麒麟は笑い転げたいのを堪えて、その場から姿を消した。その場に、黄龍の影だけ置いて。
「こ、この、この方が、麒麟様の奥方様」
黄龍の影は言った。
「暫く世話になるぞよ」
*****
「麒麟を何故殴った?」
麒麟達が出発したあとだった。葛葉は、少し怒ったような口調で蜃に問うた。
蜃は、ぷいっとそっぽを向いた。
「少々腹が立って」
「また、お前は」
「母上こそ、麒麟に甘過ぎるでしょう。俺とてたまには拗ねますよ」
「何を言い出すか」
「現に実子である俺より、赤子の頃から育てた麒麟の方が心配で可愛いのではないですか? 父上ももう居ない。母上が麒麟をああして叱ることなど出来ますか?」
「出来なくはないぞ!? 現に子供の頃など……」
「幼かったから叱れたのでしょう。近くに居たから、それも出来た。時々顔を出す程度の倅に、母上が強く叱れるようには思えない。俺のように嫌われたくもないだろうし」
「蜃!」
「はいはい、冗談ですよ! 生意気すぎるのだ、あいつは」
蜃は、誤魔化すように笑ってみせた。
里に来てから、麒麟に対して嫉妬した事がなかった訳では無い。羨ましく思った事が無い訳でもない。
次第に大きくなり、家族すらもつ麒麟を見て、自分の立場や状況に悩んだ時があった。悩んだ末にその時見つけた答えが、兄ではなく父になること。そうある事で、麒麟と共存できる気さえしたのだ。
「何を考えとるのかわからんが、お前が手を出すのはあまりいいとは思えないから」
葛葉は葛葉で、蜃を毛嫌いする麒麟との仲を心配していた。
まあ実際、麒麟は蜃を嫌いな訳では無いのだが。それは蜃もなんとなく感じていた。
「生意気に、自分達だけで解決しようと考えていたんじゃないかと思ったので殴ったのだ。悪い子にはお仕置きせねばならんでありましょう? また犠牲者が出たらどうするつもりなのか知らんが」
葛葉は何も言えずに黙り込んだ。
「犠牲者零。今回の目標です。それと、もう二度と蘇らぬよう葬り去る。母上は安心したらいい。やるのは俺だ」
*****
鋭い音が森の奥から響いてきた。子供の泣き声も聞こえる。よく聞けば、空気を切る音と鋭い衝撃音が混ざり合い、誰か鞭打たれているのだと予想できるものだ。
「ご、ごめんなさい」
泰親と共に居た、子であった。泰親が手に持つ鞭が、何度も何度もこの背中に振り下ろされる。
子は上半身の服を脱がされ、砂利だらけの地面の上に正座させられていた。背中の皮は裂けて、血が吹き出している。その顔は鼻水と涙で酷いものだ。
「ご、めんな、ざい……」
「何の役にも立たないとは。もう少し役に立って貰わなければ、割に合いません」
とうとう子が痛みで失神したため、泰親はそれをやめた。
「やらやれ、人とは脆い。さっさと番人にやってしまうべきか」
言いながら、この顔を足で転がした。
「泰親殿、この子の話では、同じ歳位の子供がいるというでは無いか。1番有力そうなのが、葛葉が連れていた子供の子。その童をこの子とまぐわせて、呪われた血を残す。蜃の後継者にもなりうる」
何処からともなく、首だけ現れた富子がくすくす笑って言った。
「それくらいは役に立つか」
「役に立たねば、これまでじゃ」
*****
あれから数日のうちに、麒麟は帰宅した。
着いたのが昼過ぎだったのだが、ぎゃんぎゃん泣き喚く旬介の声が聞こえたので、一旦屋敷へ入るのを止めて里の茶店で休んでいた。
「珍しいですね、おひとりですか?」
と、茶店の娘に聞かれたので
「ああ、出掛けておったのだが土産でも買って帰ろうかと思って。なんか適当に包んでくれるか?」
と適当に流して、茶店の娘が包んでくれた団子を引っ提げて夕方頃帰宅した。その頃は静かだった。
「帰ったぞ」
昼間の事は知らないふりをして、何食わぬ顔で帰った亭主に、黄龍は稽古着のままそれを笑顔で迎えた。
「旬介の修行でもつけてたのか?」
先程買った団子を受け取りながら、黄龍は頷いた。
「修行のやり直しだ。今回の情けなさが堪えたらしくてな、珍しくやる気になっておったので、私もやる気になって鍛え直しておった。久しぶりにいい運動になってるよ」
(スパルタ方式か……)
麒麟は苦笑した。こういう時は、口出ししない、邪魔しないのが一番だと知っている。けれど、毎度の事ながらフォローしてやらねばなと思う。晴明譲りだ。
「で、肝心の旬介は?」
「部屋で拗ねてるよ」
「よし、見てこよう」
麒麟はそのまま旬介の部屋を訪ねた。
「帰ったぞ。黄龍に、こてんぱにやられたらしいな」
「笑い事じゃないよ! 1発入れないとお小遣いくれないって言うし、一方的にやられるし……酷いよ!!」
旬介は、顔を真っ赤にしながら泣きながら怒った。
「お前も、ピーピー泣くな! 俺から黄龍に話してやるから。しかしなあ、本当に1発も入れれん訳では無いだろ?」
旬介は、わあっと泣いた。
あ、うん。そっか。と、麒麟は部屋を出た。
「な、拗ねてるだろ。手が付けられん」
部屋の外で様子を伺っていた黄龍が、ドヤ顔で言った。
「どうにかならんのか?」
「なあに、明日になればケロッと忘れてるよ。いつもの事だ」
「しかしなあ」
「それより、今回の成果を聞かせて貰いたい」
「ああ」
麒麟は部屋に、黄龍は台所へと向かった。
暫く部屋で待っていると、お茶と団子ををお盆に乗せて、黄龍がやってきた。
麒麟は黄龍の淹れたお茶を飲みながら、今回の件を話し始めた。
「そうだな、先ず外の話からしようか。黄龍に言われた通り事を進めた。大凡、成功と見ていいだろう。何か動きがあれば、黄龍の影から言霊が送られて来る手筈じゃ。それから、泰親達のことだが、兄上も母上も2人を討伐すること、完全に葬り去る事を決めた。方法はまだわからん。もし俺が不在になる際は、兄上が里を見てくれる。だから、安心せい」
「そうか、とうとう決められたか」
ふうっと黄龍がこぼし、同時に少し麒麟の様子がおかしい事に気付いた。
「何かあったのか?」
麒麟は今はもう痛みすらない右頬を抑えて、苦笑いを向けた。
「兄上に、本気で殴られた。歯が折れるくらいね」
黄龍の目が驚きで見開いた。
「お陰で目が覚めた」
「?」
「なんかなあ、父上に殴られた気分だったんだ」
しゅんとした麒麟の身体が、顔が、黄龍には妙におかしく思えて笑えた。
「何を笑う?」
麒麟が困惑した。