生克五霊獣 67話
次に意識が戻ったのは、自宅の布団の中で、目の前に甲蔵と氷河の顔が自分を覗いていた。
「父上、よかった! 分かりますか、ここ」
目だけ泳がせてみると、どうやら自分の部屋らしい。
「よかった。頭を強く打っていたようで、1晩眠っていらしたんですよ」
氷河が濡れた手拭いで、玄武の顔を拭いた。
「俺は……」
なにか言おうとしてやめた。
「ゆっくり休んでいてくださいな」
「氷河、甘い白湯を貰えるか?」
氷河は、コクリと頷いた。
「旦那様が甘い物を欲しがるのは珍しいですね。今、用意してきますね」
彼女が部屋を出るのを見計らって、今度は甲蔵を呼んだ。
「甲蔵、一刻の猶予もない。白虎に言霊を飛ばしてくれ。最後の祠だ、何としても守ってくれと。もう少し休んだら、俺も直ぐに応援に駆け付けると」
「はい! けど、父上だけでですか? 無茶です。俺も行きます」
玄武は一喝した。
「ならん! 一刻の猶予もないんだ」
*****
かあ、かあ、と不気味な烏の声がした。最初は呑気な声だったか、突如それは鋭くも変わると姿を消すと共に1匹の鷹が舞い降りてきた。
白虎(獅郎)は腕を上げ、それを止まらせた。
「玄武の言霊か。事の次第は麒麟から聞いているよ。だから、一足先に来てるんだが……そうか、お前は無理をするな」
言うと鷹は再び天へと帰って行った。
「さあて、ここは俺一人で……どうにかなるかな?」
苦笑いを浮かべながら、誰もいない祠の前の草の上にごろりと寝転んだ。
空は青く、実に平和だ。ゆっくりゆっくりと雲が流れていくのが見える。
(ああ、この景色を守らないとな)
そう目を細めた時、気配を感じた。
「玄武か?」
問うと
「ああ」
と声がした。
「今し方、無理するなと返事したばかりだったが」
「もう遅い。すぐそこで受けたとこだ」
白虎が身を起こして振り向くと、そこには傷を負った玄武が顔を顰めながら立っていた。
「そんな身体で無理だろ。足でまといだよ」
しっしと雑に追い払うような仕草を見せる白虎に、玄武はぎろっと睨みつけて言った。
「術ぐらい唱えられるわい。お前一人じゃ心配だったんでな。あいつらは?」
「あいつら? 麒麟達か?」
「そうだ」
「来ないと思う」
「は? 何でだ? 緊急事態だぞ!」
「じゃあ、玄武は泰親の事を麒麟達に知らせたのか?」
「あ」
と、玄武は自分の失態に気付いて、口を噤んだ。それを見て、白虎はへらへらと笑った。
「冷静冷徹な玄武様とあろうお方が、そのような失敗をなさるとは。俺がさっき知らせはしたが、恐らく間に合わんだろう。もしかしたら、よくわからん子供だけだと思っていると思うから、玄武が片付けたと安心して茶でも啜っているかもしれんしなあ」
はあ、と玄武の口から溜め息が出た。
「ここは2人で何としてでも食い止めるしかないな」
再び白虎がへらへらと笑った。
「まあなあ、なるようにしかならん!」
と、言い終わると同時に白虎は飛び上がると身体をゆらりと交わした。それを紙一重ですり抜けるようにイタチが飛んできた。
「嫌なもん、連れてんな」
白虎の口から恨みがましい声が漏れた。
「覚悟!」
泰親の連れた子がいた。子は白虎に向かって飛びかかるも避けられ、同時に身体を突き飛ばされ、地面に叩きつけられた。
「俺はイタチが嫌いでね」
背後で玄武が呪文を唱えると、立ち上がろうとした子の背後から巨大な蛇が現れ、子の身体を締め付けた。ギリギリ、ミシミシと子の身体が軋む音がする。確かな手応えの中、息が出来ず真っ赤な顔で声も出せずにもがく子がいた。
(可哀想だが、生かしてはおけぬな)
玄武独断の判断である。が、白虎もそれを止めようとはしなかった。
術を繋ぐ玄武の代わりに、白虎が言う。
「泰親殿! この子が死んでしまいますよ。早く助けなくても、良いんですか?」
刃物のように鋭い風が吹いた。それは子を締め上げる玄武の蛇をズタズタに切り裂いた。
一瞬動揺したものの、想定内の出来事に玄武は1歩引いて再び術の準備を構えた。
「まだこの子には働いて貰わないといけませんから」
知らぬ間に、気付かぬ間に、目の前に泰親が居た。白虎、玄武、2人の背中がゾクリとした。
「ここの祠さえ破壊してしまえば、もう貴方達をいつ始末しても関係ないことを承知で?」
泰親の目が一瞬ギラリと光ったが、その後またいつもの表情の読めない顔に変わった。
「嘘嘘。まだ、貴方達は殺しませんよ? だって、ただ殺すだけでは楽しくないですからねえ」
術を唱える間などなかった。
そう言った泰親の身体が瞬きするよりも早く、祠の上にいた。
「驚くことはないでしょう。だって、私は力を殆ど取り戻しているのですから」
「や、やめろ!」
玄武の無駄な叫びが響くと同時に、周りの草木がざわめいた。
祠は静かに崩れた。
すとんと、泰親の足が崩れ行く祠から地面へと降りた。
「では、いずれまた改めて」
泰親は玄武と白虎に不気味な笑みを見せ、凍てつく表情で子を見た。
「さっさと着いてきなさい」
呆然と一部始終を見ていた子の肩がビクリと震えた。
「は、はい、父上」
その場に残された2人は、青ざめた表情でその場に崩れた。
「はは。どーしよ」
乾いた白虎の笑いが沈黙の中響いた。
ふと、玄武の脳裏に夢路の姿が浮かんだ。思わずその場で吐いてしまった。
「玄武? 大丈夫?」
「夢路……夢路……どうしよう……」
白虎が玄武を支えるように立ち上がった。
「麒麟の元に行こう。そこから、葛葉様にどう報告するか」
*****
暗く静かな森の中で、鞭打つ音と子の悲鳴が聞こえた。
「ごめっ……んな、さい……」
泰親の手には、赤く染った皮の紐のようなものが握られている。何度も何度もこの背中に向かって振り下ろした。
「役立たず。私の手を何処まで煩わせたら気が済むのですか? 戦えとは言っていない、ただ壊せと言っただけですのに」
泰親の鞭が何度も何度も子を叩き、子の裂けた背中から血が飛び散った。
暫くして、子は気を失ってしまった。
「泰親殿、殺すつもりですかえ?」
富子の声に泰親は手を止め、鞭のような物を投げ捨てた。
「まだ、殺す訳にはいきません。まだ利用するつもりです」
富子はくすくす笑った。
「それより、晴明を」
「そうですね、富子さんが助かったのです。晴明さんもお助けしなければなりませんね」
子を置いて、2人は小屋を出た。
小屋のすぐ外にある、晴明の墓の前で足を止めると、富子はその地面に両手をついた。
「ああ、晴明よ……母は、この日を夢見ていたのです。貴方を蘇らせようと、力を溜めていたのですよ。ああ、愛おしい。早く其の姿を見せておくれ……」
富子の両手の平から注がれた妖力が、地面を通じて晴明の遺体へと注がれて行った。
暫くして、富子が興奮げに叫ぶと地面が盛り上がり、そこから白骨の手が伸びた。
「ああ……晴明……」
ずるずると少しだけ髪の残る髑髏が土から顔を出し、そこから無数の虫が溢れ出した。
「……あ……ああ……」?
声にならない声が髑髏から湧くように響き、空気を震わした。
這うように土から這い出した白骨を、富子は愛おしそうに抱きしめた。その身体に、白骨から溢れ出した虫がぞわぞわと這っていった。
「富子さん。ゆっくり母と子の再会を楽しんでください。身体は溶け、魂は土に還るほどに時は長かったのです。その身体を魂ごと休める時間が必要ですよ」
富子は自分の着ていた着物を脱いで晴明と呼ばれる白骨に着せた。
「泰親殿、晴明さんの為に着物を新調して欲しいのじゃ。それから……ああ、晴明さんは何が望みじゃ」
「ウウア……」
白骨は呻くばかり。
「さあ、ここは冷えるで中へ」
今の言い方をすれば、シュールな情景である。白骨がカクカクと歩くのだから。
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