生克五霊獣 61話
「母と言うものは、遺伝子に組み込まれているのか……考える事は、同じなのですね」
「そうかもしれんな。お前は子を産みはしなかったが、それでも立派な母親なんだよ」
「……はい」
黄龍がやっと笑った、と蜃は少し安心した。
(さてと、麒麟からも話を聞かねばな)
と、蜃は残りの酒を飲み干した。
「今夜は、もう遅い。黄龍も寝るといい」
黄龍は蜃に一礼すると、部屋を出た。
翌朝、朝餉の席で蜃が麒麟に話を振った。
「麒麟よ、この後久しぶりに手合わせしよう」
麒麟は、思わず噎せた。
「は? 藪から棒に、突然なんだよ」
「10数年前の約束を忘れたのか?」
「なんか、したっけ? 忘れたわ」
しれっと食事に戻るので、呆れながらも蜃の口元が引きつっているように見えた。
「どっちが強くなっているか」
蜃が低い声で言うが、麒麟は素知らぬ顔で
「兄上に決まっておろうが」
と、返した。
「兄上は、武者修行をしていたのだろ。俺はここでこうして飯食って子育てして札書いて寝るだけだ」
「では、お前は俺が留守の間、なんの稽古もしてはおらんと?」
「青龍達も近くにいないし、黄龍相手にする訳にもいかんし……仕方あるまい」
と、麒麟は食べ終わった食器を重ねて置いた。
「さて、俺は仕事でもしようかな」
独り言のようにも聞こえるし、誰かに告げているようにも聞こえる。麒麟はそう言うと居間を出て行った。
「……蜃様、麒麟はああは言いますが、稽古は忘れていませんよ。ついでに言えば、仕事は隙あらばサボろうとするし……また、負けるのが嫌なんだわ」
「今更か」
「蜃様に勝てないのは、幼少の頃からのコンプレックスです。旬介の前で負けては、しめしがつかないでしょうし」
蜃は、大きく溜め息を吐いた。
「さっきから聞いていれば……お前達2人して、勝負する前から負けだと決めつけるな。あいつも、最初から負けると思うから負けるのだ」
蜃も立ち上がり、居間を出た。
蜃は、真っ直ぐ麒麟の部屋へと向かった。
「麒麟、早う用意せえ!」
バーン! っと麒麟の部屋の障子が勢いよく開け放たれた。ぎょっとした顔で、麒麟は仁王立ちの蜃を見てから、ムッとした。
「突然入ってくるなと俺に教えたのは兄上でしょう」
「ああ、そんな事もあったな」
パン! っと後ろ手で蜃は、障子を閉めた。
「さて、母上もおらんし、寸止め勝負で頼む。自分で自分を治すのはきつい」
「は? 何言ってるんだ。俺はさっきから何度もやらんと言っておろうが」
蜃の手が麒麟の頬をムニッと摘んだ。
「俺はお前と手合わせがしたいのだ。覚えておらんのか? 幼いお前に俺は負けかけた。だから、武者修行に出たのだ」
「ふぇど、はったのは、はにうへだ(けど、勝ったのは兄上だ)」
「たまたまな。俺はこの10数年、有名と名の付く道場は全て巡った。剣豪と名の付く相手には、片っ端から出会った。どいつもこいつも、敵ではなかった」
麒麟は蜃から、目を逸らした。
(自慢か……)
「けど、そんな中にも俺が中々勝てない本当の剣豪も居た。その男から認められること、そうしたら帰ろうと決めてこんなに掛かってしまったのだ」
「ふうん。ふああ、はっはり、はにふへのがつほい(じゃあ、やっぱり、兄上のが強い)」
「そう思うか? けどな、一つだけお前に教えといてやろう。俺は何人も負かした、剣豪にも認められた。しかし、まだ人だけは殺したことがない」
「……はにが、ひひたい?(何が言いたい?)」
蜃は、麒麟の頬から手を離した。
「お前と覚悟が違う」
「黄龍から、聞いたんだな。 覚悟ってなんだよ」
「お前のその覚悟は、俺の10数年より重いだろ」
「…………」
麒麟は奥歯を噛み締めた。今更、思い出したくもない。
「俺と勝負してくれ。でないと、俺の武者修行の、これまでの10数年が無駄になる」
「無駄にはならんだろ」
麒麟は少し考えてから
「わかった。少し待っててよ。すぐ行くから」
と蜃に告げた。
「よし!」
「あーあ、折角兄上の顔を立ててやったのになあ。フルボッコにされても文句なしだかんな!」
「ああ。されるかよ」
麒麟の部屋を出た蜃の足元に、旬介がしがみついた。昨日遊んでもらった事が余程嬉しかったようで、しがみつきながらきゃははと笑った。
「どうした? 旬介」
名前を呼ばれて、更に嬉しそうに笑った。
「蜃さま、ねこさんのお家。また作ろう」
蜃は、旬介の頭を優しく撫でた。癖のある少年の髪が、手のひらでゴワゴワと動いた。
「昨日作ったのではダメか?」
「ダメじゃないよ。ねこさん、もっと大きなお家にするの」
「そんなに大きな家などいらんだろう」
「えー」
「そうだな、ねこさんのお家ではなくて、別のことをして遊ぼうか?」
旬介は、ふふふと笑った。
「いいよ! なにするー?」
「その前に、俺はお前の父上と遊ばねばならん」
「おれも遊ぶ!」
「そうだな、後でね」
不満そうにも、理解出来ないという表情でつまらなそうに旬介は首をかしげた。それを蜃は、抱き上げた。
「そんな顔するな、遊んでやらんとは言っておらんのだ。父上の後でな」
「じゅんばん?」
「そう、順番」
とんっと、蜃の肩を麒麟が叩いた。襷と木刀を差し出しながら、かったるそうに麒麟が言う。
「兄上、旬介と遊んでるんならやめますよ」
「あ、そう言うな」
蜃は旬介を下ろすと、麒麟の手から襷と木刀を受け取り、庭に下りた。それに麒麟も続いた。
「何を始める気だ」
と、黄龍が現れた。
「兄上が、どうしてもと言うのでな」
木刀を数回素振りしながら答える麒麟を見て、ああ手合わせかと黄龍は察した。
「怪我するなよ」
「兄上に言ってやってくれ」
「どっちもだ」
何の合図もなく、2人はすっと木刀を構えた。
暫くの睨み合いのうち、先手を切ったのは蜃だった。先に動いた方が不利な事くらい、互いに気付いていた。しかし自分が動かなければ麒麟が動かない。この勝負自分から切り出したから、そう考えた為だった。
蜃の真っ向を当たり前のように避けると、それと同時に麒麟の胴が入るが、それを蜃が弾いた。その反動を利用して、更に麒麟の攻撃が来る。それをギリギリで避ける。暫くその繰り返しが続いた。
「麒麟、お前も充分強くなっているではないか! 俺は思った以上にギリギリだ」
「ふん!」
と、あしらう様に麒麟の攻撃が入る。が、麒麟も思った以上に読まれるので内心焦ってはいた。
「兄上こそ、本当はグルメツアーにでも行ってたんじゃないのか?」
「言ってくれるな!」
バン! と、お互い弾きあった。そして、体勢を立て直すように構え直すと、呼吸を整えた。
「そろそろ、決着を着けようか。旬介と約束してしまったんだ」
「俺も、仕事に戻らんと黄龍に怒られる」
いざ!
と刹那、互いの切っ先がぶつかり、刃が滑り合うと互いの頬の横を紙一重で抜けた。その後切り替えした刀身が互いの首筋でピタリと止まった。
「勝負あったな。相打ちじゃ」
と、黄龍の安心したような声が響いた。
「俺もまだまだだな」
蜃が、木刀を麒麟に返しながら呟いた。
「嫌味だな」
麒麟はそれを乱暴に受け取った。
「いい加減、仲直りせえ。麒麟も少しは素直になったらどうなんだ。兄上が帰ってきて嬉しいのだろ」
「んな訳あるかよ」
ぷいっと顔を逸らすと、麒麟は部屋に戻ってしまった。
「蜃様、麒麟は照れてるんですよ。お気になさらず。ツンデレってやつですよ。ツンデレ」
「そうかな?」
「今更、どうしていいか分からないんでしょ」
旬介が、蜃に飛びついた。
「昔は、旬介のように懐いてきて、可愛かったのにな……」
黄龍が笑った。