生克五霊獣 55話
「私が死んでいたら事は治まっていたと。この現実が変わっていたのではないかと今なお何度も思う。けれど、それが良い方向であるのか悪い方向であるのかはわからん。晴明殿は私の事を殺さないでいてくれた。晴明殿も、どちらが正しい選択だったか、わかっておらんかったと思う。けど、全てを捨てても私を選んでくれた。現に、お陰でお前達にも出会えた。お前達が幸せであるかどうか、私には分からぬが、少なからず私は幸せだ。晴明殿がいなくなっても、お前達がいる事で私は随分と救われた」
夢路は、すやすやと眠る子に目を向けたまま、微動だにしなかった。
やがてその子が目を覚ますと、夢路を見つけて嬉しそうにきゃっきゃと笑った。
「母上。私は……どうしたらいいのでしょう? もう、自分ではわかりません」
そこに葛葉の姿はなかった。ただ、独り言のように夢路が呟いただけだった。
翌日になり、甲蔵が離で見つけたのは、真っ赤な血の中に沈む夢路と子の姿だった。
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各屋敷に通達が届いたのは、その日の昼過ぎ。夜には全員が葛葉の元へと集まった。
甲蔵は、夢路の遺体から離れようとしない。布団の上に寝かされる彼女の身体にしがみつくように、ずっと泣いていた。誰が声を掛けても、何も反応せず、ただひたすらに泣いた。
「白虎(獅郎)、大丈夫?」
ただ1人、血を分けた兄弟である獅郎は涙を見せない。それを忘れたかのように、時折ぼんやりとしていた。
黄龍(新月)に声を掛けられ、白虎は肩を躍らせてはっとした。そして、苦笑いを彼女に見せた。
「甲蔵の、あの姿を見たらねえ。俺の代わりに、泣いてくれてるみたいでさ」
本当は、恥も外聞もなく泣き喚きたい。その気持ちを抑えることで、大人になったんだと痛感していた。あの子の前で、今は泣けないと思った。
「黄龍は、夢路の姿を見た?」
今の夢路は、素肌のままだった。最初は綺麗に布を巻いてあったのだが、甲蔵がその姿を嫌がった。夢路の姿は、化け物などでは無いと。そして、夢路がどんな目に合ったのか皆も知る必要があると声を上げた為、葛葉は甲蔵のその気持ちを汲み取ってやることにした。
「兄の俺が言うのもなんだけどさ、夢路って子供の頃から可愛いって評判だったんだよ。だから、借金取りも1番に夢路に目を付けてたの知ってたから、夢路が売られる前に俺達は家出したんだ。あの頃は2人だったらどうにでもなるって思っててさ、今考えたら馬鹿だよね。葛葉様に拾われなければ、俺達もうとうに死んでただろうし。夢路の白くて艶々した肌も、陽の光を受けてきらきら光る髪も……何処に消えちゃったんだろ。どれだけ、辛かったのかな」
白虎の声は震えていた。堪えきれない涙が、畳にぼたぼたと落ちた。
黄龍は何も言葉が見つからないまま、ただ白虎の言葉を聞きながら涙を流していた。片方の目からしか、涙が流せない事が余計に辛かった。
「夢路ちゃん、本当に可愛い子だったよ。その夢路ちゃんが、なんであんな目に遭わなきゃいけなかったんだろ。せめて、もっと別の……」
言いかけてやめた。代償は誰にしても小さくはなかったから。
白虎は音を失っていた。だから、訓練して口の動きと白虎として備わった風の動きで音を読み取る術を学んだ。それは、並の努力ではなかった。
「夢路は、優しい子だったから……だから、自害する道を選んだんだと思うって母上が言ってた。母上から聞いたんだ。夢路は妖鼬と関係を持って、その子供と共に死んだって。1人だけ逝かせる事が出来なかったんじゃないかって。1人だけ幸せになる事が、許せなかったんじゃないかって」
「夢路ちゃんは、最期まで優しい母親でいられたんだね」
金の為、平気で子を売る母がいる。食べる為、平気で子を殺す母がいる。自ら殺せず、捨て置く母が沢山いる。そんな時代だ。
夢路の遺体は、翌早朝皆で埋葬しに行った。晴明の隣に墓を作った。
「晴明殿、娘を巻き込んでしまって本当にすまなかった。そちらで、夢路をよろしく頼むよ」
線香の匂いが立ち込める中、泣き止まない甲蔵の泣き声と他の者達の嗚咽が交じる。葛葉の呟きは、その声にかき消される程に細かった。どれだけ自分を責めれば許してもらえるのかわからないが、自分が何をすれば償いになるのかもわからないが、葛葉は2人の為にもこの里を命を掛けて守ろうと心に固く誓った。それしか、思いつかなかった。
「皆の者、今日はよく来てくれた。本当に、ありがとう」
葛葉はぺこりと頭を下げた。その姿が、他の者からは酷く小さく見えた。
屋敷に戻ると、それぞれが帰宅するための準備を始めた。それを止めることなく、部屋でぼんやりと項垂れる葛葉の元に、黄龍が現れた。
「母上。私達、もう少しだけここに残ろうと思うの」
葛葉は、苦笑いを見せた。
「気を遣うな」
「ううん、私達がそうしたいだけ。ここは、すごく懐かしい。もう少しだけ、いたいの」
「そうか」
少し安心したように、葛葉が答えた。
「甲蔵を頼めるかな? 私では、支えてやれん気がして。私は、夢路の事を知りすぎてしまっていた。恨まれても仕方が無いのだ」
「恨む、なんて。夢路ちゃんは、母上のお陰で救われたことはあると思う」
「けど、全ての原因は、私なのだ!」
突然、葛葉が泣き声混じりに声を荒げた。
「すまん……けど、全ては私が悪いのだ。私に力がなかったから、あんな術など使わなければ……晴明殿も夢路も死ぬことなどなかったのに。それに、お前達だって」
「私は、不幸ではありません」
黄龍は、精一杯笑ってみせた。
「幼い頃、麒麟(旬介)に出会う前。私は、戦で村を焼かれ、親を殺され、人さらいに連れられ売られる所でした。地獄の方がマシなんじゃないかと、何度も何度も思いました。人さらいの目を盗んで、必死で逃げて逃げて、ようやく辿り着いた場所で麒麟に出会い、母上に出会った。それから、私は幸せでした。右目を失ったけれど、あの頃に比べたらなんの不幸もありません。それに、慣れてしまえば以前と代わりないものですよ?」
「お前は、強いな」
葛葉は、くすりと笑った。
「甲ちゃんは、落ち着くまで私がそばに居ます。麒麟も母上のこと、心配していましたよ。少し、お酒でも飲まれますか?」
「付き合ってくれるか?」
「はい。今お持ちしますね」
黄龍は、慣れたように台所へと向かって行った。
「お前がいつまでも泣いていては、夢路も浮かばれんぞ」
泣きじゃくる甲蔵に困り果てた麒麟が、等々ぽそりと口にした。どうしていいか、わからない。自分も晴明が亡くなった時に人知れず、甲蔵と同じように泣きじゃくったのだから。
あの頃は、黄龍が傍に居てくれたのを覚えている。どんなに救われたことか。けど、甲蔵からしたら麒麟にとっての黄龍が亡くなったようなものなのだ。どう慰めていいかもわからなければ、どうしてやればいいかもわからない。考えた挙句に、出た台詞がこれだった。
甲蔵は、何も言わず泣きじゃくったままだった。
暫くして、黄龍が現れた。ふんわりと、酒の臭いがした。
「黄龍、どうした?」
生真面目な黄龍が、1人で呑むとは思えなかったので、なんとなく声を掛けた。
「あ、臭うかな? 母上の相手を少し。ここは、変わる。麒麟は、母上の傍に居てあげて。私より、お前が居た方が安心するだろ」
「そうなのか?」
黄龍は、何も答えなかった。泣きじゃくる甲蔵の身体を撫でながら、母親のように抱いてやっていた。
女にしか出来ぬな、と思うと、麒麟はその部屋を出た。
黄龍に言われた通り葛葉の部屋へ向かい、声を掛けると無機質な葛葉の返事がしたので障子を開けた。




