生克五霊獣 53話
「すまんかった……。私が、ついていながら……何も出来ず……全ては私が存在したから……」
半分はそうであり、半分はそうではない。葛葉がいなければいないで、恵慈家も里も別の形で終わりを告げていただろう。
「母上がいなければ、私はここにはいません。幼き日、山で野垂れ死にしていた。こうなるなら、父上の代わりに私が死ねばよかったのです」
夢路の優しさは、姿を失っても変わらない。だからこそ、葛葉はどうにかしてやりたかった。
「お前は、妖鼬の稚児を産むつもりか? 恐らく、お前の腹には今……」
夢路は、自らの下腹部をそっと撫でながらコクリと頷いた。
「それしかないでしょう。恐らく、もうそうするしかない程に育ってしまっております。私にはわかる。この異様な速さと、それに伴う邪気が。私は化け物を産み、化け物の母となります。母上、この子が産まれたら、この子を殺してください」
「何を……?」
「私は、酷く後悔しています。あんなイタチごときに、この呪いが解けるはずないのに。あの時、私の肌は砂のように崩れて消えた。これは、呪いなんかじゃないのだから」
もし呪いであるにしろ、龍神の分魂である葛葉に解けない呪いを、妖鼬ごときが解けるはずないのだ。恐らく、妖鼬は稚児を産ませた後、弱った夢路を喰らうつもりだったのであろう。龍神の血を貰った夢路の血肉魂は、弱小妖怪にとって恰好の餌である。力を強めるために、欲しがっても仕方なかった。子も同様に、柔らかい血肉と穢れなき魂を、ご馳走にするつもりであったろうに。
「夢路。イタチは私に任せろ。イタチはお前の腹の稚児の事を知っておるのか?」
「はい、存じております。毎晩、稚児を楽しみに見に来るのですよ」
「そうか。私の事は、決して話すな。今晩も来るな?」
「恐らく」
葛葉は、人型の札を取り出した。
「これを、イタチに気付かれぬ場所に貼っておけ。必ず、お前を助けてくれるから」
夢路は、頷いた。だが、そこには少しだけ迷いもあった。イタチの嘘を、何処かで信じたい自分が居たのだ。
その晩、いつものようにイタチが夢路の寝所に現れた。
『腹の子の様子はどうでしょうかい?』
イタチは、へらへら笑いながら、夢路の前にザルに入ったドジョウやタニシを置いた。
『これでも食べて、元気な稚児を産んでくだせえ』
子供が宿ったとわかった途端、今度はこうして川や田から餌を毎晩運んでくるのだ。
夢路は冷たい目でそれを見てから、次いでイタチを見た。餌は1度も口にしたことなどない。
「……いつになったら、私の呪いは解けるというの?」
『それは、稚児を産んだ時に』?
「本当に、あんたにそんな力があるの?」
『疑いますなあ。第一、嘘だとしても、もうあんたは稚児を産むしかないでしょうに』
イタチはニヤリと笑みを浮かべた。夢路の腹の中の子が、降ろせないほどに大きくなっていることを知っていたから。
『それに、あんたは稚児を殺せるのかね? 自分が腹を痛めて産んだ我が子を』
夢路は、唇の端を噛み締めた。口の中にじんわりと、鉄の味が広がる。
『さあ、観念してあたしの稚児を産んでください』
へらへらと笑いながら、イタチが笑う。イタチに気付かれないよう、そっと夢路は葛葉から受け取った人型の札を障子の裏に貼り付けた。
「あんたの稚児を私は産むわ。けど、あんたには私を偽った罰を受けてもらう」
『罰? 偽る、と? 何を証拠に』
「あんたの稚児は、生まれてもあんたの手には渡さない。私の手で必ずや片付ける。それが出来なければ、私の母上が始末する。それが嫌なら、約束が嘘じゃないというなら、今すぐ私の呪いを解きなさい」
そういうと、夢路はひらりと着物を翻すようにして部屋の奥へと歩いた。
『待ちなさい!』
イタチが夢路の後を追い部屋の中へ飛び込もうとすると、そこには目に見えない壁があるように、イタチは外へと弾き飛ばされてしまった。予想外かつ余りの突然に、イタチは庭に倒れながら、その目をぱちくりさせるしかなかった。そして、その毛を逆立てながら激しく怒りを見せた。
『このアマ! 何をした!!』
イタチが声を荒らげた矢先、母屋の方から葛葉が現れた。
「夢路は何もしとらんよ。下等妖怪の分際で、よくも私の娘に手を出してくれたな。どうせ、夢路に子を産ませた後、母子ともに喰ろうて等級を上げようとでも目論んでおったのだろう」
イタチは逃げようとしたが、その身体は石にでもなったかのように動かない。イタチの身体が恐怖で震えた。
「この屋敷が誰のものか、知らんとは言わせぬぞ。その身をもっても、償いきれんわ」
縁側から、庭に転がったまま動けずにぶるぶる震える妖鼬に、葛葉は手を翳した。
「おん あみりとどはんば うん はっ た そわか」
葛葉が呪文を唱えると、イタチの身体が雑巾のように捻り始めた。
『ヴギュウ……』
イタチは声にならない悲鳴を上げながら、その場でのたうち回ることも出来ず、ただただ不可思議な力によって捻られた。
『ヴゥギュフ』
と、変な音を最後に身体が中の骨を砕かれながら、ゆっくりとその場にこと尽きた。まさに、地獄のような死に方だった。
「夢路、お前の仇は取ったつもりだ。私に出来るのは、これくらいだ。お前の悲しみも苦しみも、私にはどうしてやることも出来ん。だが、お前は妖鼬と何度も床を共にし、怨みと憎しみとで魂の半分を闇に呑まれてしまっておる。頼む、頼むから、これ以上闇に呑まれないでくれ。お前を手に掛けたくないのだ」
葛葉の目から一筋の涙が零れ落ち、それが月の光にきらりと光った。
「母上」
と、口にした夢路の腹に激痛が走った。
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人とは違い、妖鼬の成長は早かった。腹に子を宿したかと思えば、あっという間に出産を迎えた。人の身体では追い付かないほど、全てが早くて、目まぐるしい。人とは違うせいか、それ程苦もなく夢路と妖鼬の子は産まれた。毛むくじゃらの、イタチという名称の子だった。
「夢路、お前には酷だ。見ない方がよい」
産婆経験など無いが、夢路の為に葛葉は必死で頑張った。なんとか取り出した子を手の中で見つめながら、葛葉は夢路にそう言った。獣という子は、おぎゃあなど泣けるはずもなく、目を開かずスヤスヤと寝息を立てていた。
「母上、覚悟は出来ております。自分への……愚かな自分への見せしめとして、我が子を確かに抱かせてください」
「…………」
泣きながら訴える夢路の頼みを拒否することも出来ず、産着に包んだ獣を夢路の脇に寄せた。
案の定、彼女はその姿を見ると声を上げて泣いた。
葛葉は、思い出した。蜃を産み、初めて抱いた日のことを。どれだけ嬉しくて、どれだけ幸せだったことか。だが、夢路は違う。それだけに、夢路の気持ちが痛いほど伝わってきた。
「こんななりでも、私にはこの子を間引くことなど出来ません。ですが、この子は人ではない。母上、どうかこの子を間引いてください」
「…………」
夢路に頼まれた、初めての我儘。
「私の気が変わらぬうちに、どうか……」
葛葉は、夢路から受け取るかのように、イタチの姿をした子を抱き上げた。あどけない姿の獣が、すやすやと眠る。
「本当に、いいのか?」
「この子は、私が産んだであれ所詮は妖。いつ邪に変わるかもわかりません」
少しでも情を移せば、夢路は気がかわりそうだった。妖でも、獣でも、自分で産んだ事には変わりなく、そして何よりこの子に罪があるとは思えなかった。だから、それ故にこの子の先を思うと辛すぎた。
それは、確かに夢路が母親になった証でもあった。




