生克五霊獣 49話
「皆が悲しみに包まれてます。早く遺体を埋葬するべきです」
そう言い放つと、獅郎はその場から立ち去った。
「晴明殿」
枯れたと思った涙が、再び溢れ出す。誰よりも辛いのは、葛葉なのかもしれない。
「私がもっと早くこの里を離れてさえいれば、貴方は死なずに済んだのでしょうか?」
問い掛けても、返答などあるはずも無い。
葛葉は、あの日以来、晴明の部屋の前を通ることさえ出来なかった。部屋の障子が見えるだけで、呼吸が止まりそうになる。いっそ、悪い夢を見ているだけならいいのにと何度思った事か。
この日も、晴明の部屋が見える手前の廊下の角で立ち止まっていた。
「母上」
旬介だった。
「兄上が、今夜父上を埋葬すると言ってるよ。もうそろそろ埋めないと、腐敗が進むからって」
「そう……なのか?」
「うん。今日で最期だから、最期くらい顔見てあげてよ」
葛葉は、痛々しい表情で顔を背けた。
「早く」
「ちょっ!」
葛葉の静止を聞かずに、旬介は強引に彼女の手を引いた。
振り解けないくらい、いつしか強くなったその手に驚いたが、広くなったその背中にもっと驚いた。
そして、旬介によって晴明の部屋に入れられる。そこは異臭を誤魔化すための香が焚かれており、馴染みの布団に軽く死化粧を施された晴明が横たわっていた。恐る恐る覗き込めば、その顔は今にも起きそうなくらい安らかだった。寝息すら聞こえてきそうな程に。
「晴明……殿」
返事がある筈もないのに、葛葉は夫の名を呼んだ。
「なあ、晴明殿。今夜、2人で月見をせんか? なんとか里が守られたそのお祝いに、私がとっておきの酒を買うてくる故」
葛葉は、自分でもおかしな事を言っていると分かってはいた。分かってはいたが、止まらなかった。
「さあ、そろそろ目を覚ましてくれんか?」
触れた晴明のその頬は、まるで蝋人形のように冷たく硬い。
「もう、私の隣で笑ってはくれぬのか」
葛葉は蹲って泣いた。それ以上、言葉すら出てこなかった。
泣いて泣いて、日が落ちた頃。蜃が部屋に入ってきた。
「母上、そろそろ父上を運びます」
「…………」
「これ以上置いてはおけません。もう既に臭いがきついせいか、よろしくない物の影がチラホラ見える」
「……そうじゃな」
葛葉は力なく立ち上がり、ふらふらと部屋を出た。
「新月」
近くで様子を伺っていた新月の気配に気付いていた蜃が、彼女を呼んだ。呼ばれた新月の肩がぴくりと揺れた。
「気付いて、たんですね?」
「ああ。お前達の気配くらい読めるよ。悪いが、母上を頼む。俺は旬介達と父上を埋葬しに行ってくるから」
「先代様のお墓ですか?」
蜃は、首を左右に揺らした。
「父上の血には、不本意ながら鬼の血が宿る。だから、恵慈家の墓には入れるなと言うのが父上からの遺言だ。だから父上の遺体は、別の場所に埋葬するよ」
「いつの間にそんな話が。何処にですか?」
「囮の作戦を考えた日の夜更けにな。今回のあらすじは、父上が予想していたものとは多少なりとも違ったが、結末は予想通りだった。俺はなんとかして回避したかったんだが……俺には無理だった。だから、せめて最後の頼みくらいはちゃんとせねばな。だから、父上の遺体は恵慈家の墓にはおさめず、祖母様の祠の近くに墓を作る」
「そこが、晴明様の望んだ場所?」
「そうだ。鬼であっても、母は母。親不孝の償いにせめて近くで眠ると、そう言っていた」
新月は、なんとなく晴明の気持ちがわかったような気がした。敵だと罵るも、心ではそれが辛かったのだと。
「晴明様、お可哀想」
「1番、辛い立場であったろうな」
新月は頷くと、葛葉の部屋に向かった。そして、葛葉の側に静かに居た。ただそれだけだったが、泣き崩れる葛葉には何よりありがたかった。
蜃と旬介で、晴明の棺を担いで歩いた。他の男達は、義手や義足の使いがままならなかったり、周りが把握出来なかったりと、自分の生活環境に慣れずに苦労しており、棺を担げるような状態ではなかったから。
旬介ですら、視界の悪い中歩く山道は難儀だった。途中何度も足を取られたり、転がりそうになったりと散々だった。けれど自分しか居ないのだから、それも仕方ないと、何度も晴明の棺を見ては涙を流した。
「旬介、もう少しだ。頑張れ」
先頭を歩く蜃は、無機質でいつもの優しさはなかった。それは、蜃にも余裕がなかったからである。
いつもなら文句の一つも出てきそうな状況だが、互いに飲み込み、それ以上は無言のまま先を進んだ。
いつもの3倍以上も時間をかけ、目的地に着いた。
2人で地中深く穴を掘り、晴明を棺桶のまま埋めた。全てが終わった頃には、夜が明けていた。
「さて、帰ろう」
2人で山道を降りるが、終始旬介は一言も話さなかった。話せなかった。
とぼとぼ山を降りると、蜃は葛葉へと報告に向かった。
「旬介」
風呂に向かおうとする旬介に、新月が声を掛けた。
「ありがとう。私も、本当は行きたかったんだけど」
「うん。新月、その目は慣れた?」
鏡のように、失った片目を互いに確認するように見つめた。
「旬介は?」
「なかなか慣れないね。何度も山で転がったよ。でも、俺は幸い効き目じゃなかったから、まだマシだと思う」
「よかった。効き目を失うと、本当に見えてるものが変わってしまうから」
右目を隠すように触りながら、新月が苦笑いを見せた。歩く度、まだ壁を触らなければ上手く感覚が掴めない。だからこそ、着いていきたい気持ちを抑えながらも新月も皆と屋敷に残ったのだった。
「慣れたら、父上のお墓参りに一緒に行こう」
「うん」
*****
晴明がいなくなっても、里は変わらない。変わらないうちに、手を打ったのだから当たり前かもしれない。何も知らずに普段通り過ごす里の人達の姿が、そこには変わらずあった。
あれから、何日、何ヶ月経ったのだろうか。考えるのも嫌だった。
旬介は、あれからずっと屋敷に引きこもったままだった。なんとなしげに、早朝蜃の部屋の前を通りかかった時、蜃が荷造りしているのに気づいた。
「兄上、どっか行くの?」
蜃と会話をするのは、どのくらいぶりだろうか。
「ああ、暫く武者修行にでも行こうかと思ってな」
「聞いてねえし」
「お前は、俺の話なんて聞く気もなかったろ」
「うんむ」
旬介は、否定も肯定でもないような、変な声を出した。
「いつ帰ってくるの?」
「お前が、俺の心配するなんて珍しいな」
「心配じゃないし。新月が寂しがるだろ」
「お前は寂しがってくれんのか?」
「寂しくなんかない」
ふと、蜃の表情が寂しそうに見えた。
「……そりゃ。ちょっとは、寂しいけどさ」
蜃は、ぷっと吹き出した。
「いつ帰るかは、わからん。何ヶ月になるか、何年になるか、何十年になるか。けど、俺は必ず強くなる。強くなって戻ってくる。そしたら、お前なんて小指1本で倒してやるから楽しみにしてろよ」
「俺がそんなに弱いはずないだろ。兄上なんか、鼻くそピーンだかんなっ!」
「なんだ、それは」
蜃は、笑った。
「じゃあな」
「……絶対、帰って来いよ」
蜃は、偉そうだなっと旬介を小突いた。
そして、屋敷の門を潜った。潜って、1度立ち止まり、頭を軽くかいた。
「感傷に浸るのも嫌だから、誰にも告げずに行くつもりだったんだけどな。旬介、新月、そういう事だから見送りはいい」
言われて気付いた旬介が振り向くと、門の影に新月の姿があった。
「お気を付けて……」
「行ってくるよ」
「絶対、帰ってこいよな!」
旬介の叫びを背にして、まるで散歩にでも行くように、蜃の姿は消えていった。