生克五霊獣 46話
確かに、その姿は恐ろしかった。皮膚は爛れ、口は裂け、目は釣り上がりまさに鬼女。
「お祖母様1人ですか?」
「おお、泰親殿もおるぞ。今は一緒ではないがな。それより、大きゅうなったなあ。晴明にそっくりじゃ」
富子は蜃に擦り寄った。ぞっとするその姿を蜃は自分から引き離すと、代わりに持って来ていた饅頭を出した。
「近頃、人が喰われている噂を耳にしましてね。あまり考えたくはないが、もしやと思った次第です。弟が解放したのも、もしやお祖母様だったのではないかと」
富子は饅頭を掴むと、無造作にかぶりついた。
「わらはの力は、封じられた際に根こそぎ吸い取られてしまったのじゃ。解放された直後は、この姿さえ維持することが難しくてなあ。人を喰らうことで力を戻してきた。じゃが、子では幾ら喰ろうても足しにしかならぬ。この先に、我らがふるさとがあるのじゃ。そこに戻って力を戻したいのだ。蜃よ、力を貸してくれぬか」
「俺が、ですか?」
「なあに、何も難しいことはない。明日は朔の日。我らの力が少しだけ増す。どうか、その時に我らのための道を開いておくれ」
「あ、ああ」
富子は、満足そうに笑って見せた。
「ところで、何故封じられた状態で弟達に語りかける事が出来たのですか?」
富子は笑った。
「随分不安定な術であったぞ。語り掛ける事は出来たし、封じられた鏡の周囲なら動き回る事も出来た。だが、それ以上の自由はなかった。まるで足枷と手枷を着けられたようじゃった。どんなに足掻こうが、どうやっても見えぬ枷は取れぬ。封じられた鏡を己で壊そうとするならば、わらわの身体が壊れそうじゃった」
生克五霊獣の法とは、そのようなものなのかと蜃は頷きながら聞いていた。次は封印に更なる封をかけねばなるまいと。
「あまり、長居しては母上達に感づかれてるしまいます。今日はこれで」
「そうか、仕方がないの」
「明日夜、また来ます。道を開くために。もう1人の方も一緒に願います」
富子は、ふと笑った。
「わかったぞ。泰親殿と待っておる。我らが復活した際は、葛葉を消して我らの身を潔白させ、主を自由にしてやるからな。何の不自由もない先を約束しようぞ」
化け物めが、と心の底で悪態をついた。
「また、明日」
屋敷に戻ると、蜃は晴明と葛葉に報告した。生克五霊獣の法について、それから富子達の様子と計画について。
「生克五霊獣の法が、それ程不安定なものであるとは。強力ではあるが、万能ではないのか」
「強力故に万能にはなりきれなかったのかもしれぬぞ。蜃よ、よくやった。では、明日晩。全てを終わらせよう」
「待って、父上。生克五霊獣の法の欠点を知って、まだこの術に縋るというのですか? 他に方法は?」
その答えは、葛葉が返した。
「あの2人の力は、お前が思ってる以上に強力なのだ。2人がそう易々とお前の話に乗るとは思わんし、その話を出てきたとも信じ難い。必ず裏があるはず。ただ、お蝶の件もある。なるべくなら使いたくない。子達をも使い、抑えられるだけ、抑えてみるつもりだ。私の父上が使った封じる技もあるからな。それでダメならば、生克五霊獣の法を使う。そして、封じの鏡を父上から受けた術で封ずるつもりだ」
「先代からの技ですか。そちらの方が強力なのでは?」
「これには少々準備に時間と手間がかかるのだ。時がないから使えぬ。それに、相手の力もまだ弱すぎてな」
「というと?」
「相手の力が強ければ強いほど強力にる。かつて鬼の子を父上が封じた術なのだが、五行に纏わる支柱が必要にもなる。それを支える支柱として封じる術だ。だから、支柱が1つでも破損すれば封印は解かれてしまう。それから、力のバランスが悪くても封印は解かれる」
「ふうん。なんにせよ、難しいのだなあ」
「ああ、術というのは心底繊細なものなのだよ」
さて、と葛葉はその場を立ち去った。気付けば、昼をも過ぎていた。恐らく、茶の用意でもしに行ったのであろう。
晴明と2人になって、蜃は一呼吸置いたのち、質問を投げた。
「父上、子を使うとはどういう事?」
晴明は、蜃の質問にため息混じりに目を背けた。
「俺は、まだ納得しとらんよ。子は使わん」
「…………」
「俺は、葛葉と違って術等は使えん。話を聞いた事がある程度だ。あの術は、滅し封じる術だと聞いている。実際、使い手の葛葉でさえ、何処まで理解しているかもわからぬ。もしかしたら、俺と同じレベルかもしれん」
「何故そんな訳の分からない術を信じるのだ? 母上は、どういうつもりなんだろうか」
「葛葉は、恵慈家の御先祖である七色の龍神の分魂なのだ。生克五霊獣の法は、その龍神の術らしい。どんな強力で悪質なものであろうと、ありとあらゆるモノ全てを封ずる事が出来るそうだ」
「しかし、実際は酷く不安定だと……」
「なあ、蜃よ。術が不安定なのではなく、相手が悪いとは思わないのか?」
蜃は、はっとした。
「何度も封じられ地獄の底からでも這い上がる相手だ。普通の術では封じきれぬという事。泰親が遠い昔、俺に話した事がある。自分は、多くの式神を持ち過ぎ生身のまま地獄に引き釣り込まれたのだと。では、何故その相手がここにいる。もはや人間、物の怪の域を越えてしまっているのであろう。人を喰らうことで力を宿す者はなんだ。もはや、母上以前に人ではあるまいのであろう」
蜃は、何も言えなくなってしまった。
「葛葉は、父上にもお蝶にもお前にも申し訳ないと思っている。だからこそ、自分が本当の息子と同じように育てた旬介の罪を共に償うつもりなのだろう」
そこまで話したところで、葛葉が茶と茶菓子を運んできた。
「2人で、何を話しておったのだ?」
「いや。たいしたことではないよ。蜃が饅頭より団子が良いと言うのでな。ちょっと買ってこようか」
「それなら、私が」
「散歩も兼ねてるのだ、気にするな」
と、晴明はその場を立ち去った。
続いて蜃も立ち上がると、葛葉がぽかんと持ったままのお盆の上の饅頭を1つ掴むとかぶりついた。
「俺は饅頭でもいいけど。俺も散歩してくる」
葛葉が頷くのを見ずに、蜃もその場を立ち去った。
?蜃は、晴明の様子が気になって仕方がなかった。何かを決めかねたような、もやもやとした雰囲気があった。共に過ごした時間は短くとも、親子だからわかる。
(父上は、何か隠してる…)
そう確信はあれど、問い詰めれる訳もなく。
その日はそれ以上何事もなく、終わっていった。
翌早朝の事だった。最近にしては珍しく、新月が蜃の部屋を尋ねてきた。
日が昇りかけた薄明かりの中で呼ばれた彼はまだ眠っていたので、布団の中から彼女の姿を見上げた。
「おはよう、どうかしたのか?」
「ごめんなさい、こんなに朝早くから」
「いや、構わんよ。お前がこうして俺の部屋に来るということは、何かあるのだろう? ところで、お前はいつもこんな時間から起きてるのか?」
新月は頷いた。
「皆のご飯を作ったり、朝の支度を手伝ったりしなきゃでしょ。それにね、山修行から帰ってから朝が早いのよ。旬介」
「そうか、お前もしっかりと嫁入り準備をしてるんだな」
「うん。でも、元気で丈夫な男の子を産むまで本当のお嫁さんにはなれないわ」
蜃は、小さく笑って見せた。
「本来の家ではそうだろうな。けど、これからのお前らはそこに拘る必要はないよ。考えてもみろ、実際旬介はどうだ? それに、恵慈の血は俺で終わる」
「けど、私(女)に出来るのは、それくらいの事だから……」
蜃は、深く息を吐いた。
「で、お前の話はなんだ? そんな事を話に来たのではあるまい。夜這いにしては、少々夜があけすぎだ」