生克五霊獣 22話
ふと厠に行きたいと思い、立ち上がろうとして、自分が布団の中で縛られている事に気付いた。服装も、どうやら襦袢だけのよう。妙な冷や汗に、益々厠が近くなる。
「誰か! おらんか?」
とりあえず、非常事態なので声を上げてみる。何度か上げると、青い顔したお蝶が現れた。
「すまんが、厠に行きたくて行きたくてかなり危ないので解いてくれないか?」
事情は後で聞くことにした。今は下の処理が先。
お蝶は無言で足の縄を外すと、蜃を起き上がらせて厠へと案内した。
「手も外して貰えないかな? 逃げたり暴れたりしないから」
もじもじしながら言うが、お蝶は目を逸らした。
「約束するから、必ず」
ようやく願いを聞いてもらえ、ぎりぎりで済ませると蜃はお蝶に両手を差し出した。
「約束したからな。俺が縛られてないと、お蝶さんが困るのだろう?」
お蝶はその手を縛りながら、堪らず泣き崩れた。
「事情を、聞かせて貰えないかな? あと、ここは何処なのだ?」
すると、お蝶の後から白い男が現れた。泰親だった。
「蜃様、ようやくお目覚めで。蜃様がお蝶に投げた質問、私が代わりにご説明致しましょう。それと、父上とお祖母様がお待ちですよ」
蜃は、まだ晴明の存在も富子の存在も知らない。育ての父までもが、攫われたと思った。
「お前が、お蝶さんを? 何が目的なのだ」
蜃の怒声に、泰親はくすくす笑った。
「なんと、ご立派に。跡取りに相応しい」
「は?」
蜃は、泰親の言う意味がわからないので、その場は彼に従って歩いた。
泰親に案内され、部屋に入って驚いた。そこに父の姿はなく、代わりに自分によく似た男と不気味な女が座っていた。
「晴明さん。10数年ぶりの我が子の姿は、どうですか?」
晴明は、歯を食いしばりながら苦い顔で首を振った。代わりに隣の女が、興奮した声を上げた。
「そなたが、蜃か! ほう、よう似ておるなぁ。葛葉と共に、島流しに連れられて行ったと思っておったが、まさかこんな近くにおったとは。ささ、近こう寄れ」
蜃は、訳も分からず。チラリとお蝶に目をやると、彼女はその目を伏せた。
「俺には、訳がわかりません。そこの方は、俺の知っている父上ではないし、人違いでしょう。家の者が心配します。返して下さい」
富子が「ならぬ!」と、叫んだ。
「主は、本来は晴明の子であり、恵慈家の世継ぎじゃ。性悪の葛葉に攫われ、隠された我が孫。あの家に帰ることは、断じてならぬ!」
「人違いでは、ないのか!! 俺は帰る」
「ならんと言うではないか! 聞き分けがない子は、暫く牢にでも入っておれ!!」
その場で蜃は、泰親の式神である妖に引き摺られるようにして、地下牢へと投獄された。
「なあに、晴明よ。心配するでない。薬のせいで、少々意識が混濁しておるだけじゃ。直ぐに目が覚める。目が覚めたら、我わと晴明と蜃、そして泰親と幸せに暮らそうなあ」
「富子様……」
泣きながら、お蝶が声を上げた。
「これで、もう終わりました。おっかあと私を、帰してください」
代わりに、泰親が答えた。
「貴女のお母上は、それはそれはよく働いてくださいましたよ。私の式神の世話係としてね。しかし、運が悪かった。式神の食事の時間に遅れましてね、酷く腹を減らしすぎた式神に食事と間違わられて共に食べられてしまいました」
お蝶に絶望が襲った。
「酷い! 酷すぎます! 私は、この為に純潔まで捧げたのに!!」
富子は冷たく言い放った。
「馬鹿を申せ。純潔を捧げたのは、蜃の方じゃ。藤緒の血を引く、穢らわしい一族のくせに」
わんわん泣くお蝶の頭を、泰親は扇子でぺちぺちと叩いた。
「お主は、藤緒が一族の血を絶やされぬようにと隠した子。蜃にとっては、叔母じゃ。食われた女は、お前となんの繋がりもない。気にするな」
「違う! おっかあは、私のおっかあだ!」
「そのおっかあの仕事を、今度はお前がするのですよ。くれぐれも、食事の時間を遅れないように。少しでも遅れたら、お前もおっかあと同じ目に合うのですからね」
お蝶は、更に泣いた。
晴明が、立ち上がった。
「この娘は、俺が落ち着かせます」
晴明がお蝶に手をかけるが、それをお蝶は振り払った。
「晴明や、殺しても構わぬ」
晴明は何も言わず、振り向きもせず、お蝶を歩かせるとその部屋を出た。
別の部屋にお蝶を入れると、晴明は彼女が少し落ち着くまで待っていた。
暫くして、ある程度お蝶が落ち着くのを見計らい、一部始終をお蝶に話した。恵慈家のこと、葛葉のこと、お家騒動のこと、そして今現在の状況について。そして、深く詫びた。
受け入れられずぼんやり聞く、お蝶ではあった。
「ありがとうございます。ですが、少し1人にしてくださいませんか。気持ちの整理に、時間が必要ですから」
「ああ。俺から泰親にも伝えておく。仕事はさせぬようにと」
お蝶は、もう帰れないことだけは理解していた。
「はい、感謝いたします」
今は、これが精一杯であった。
そして、晴明が向かったのは地下牢。次は、蜃の番だった。
本来なら我が子の成長に、抱き締めて喜びたい程だった。だが、そうさせてはくれないのが現実であり現状である。松兵衛もさぞ心配していることであろう。文より早く伝えるには、葛葉に言霊を送って貰うしかない。
地下牢にぶち込まれた、蜃である。ぶち込まれた牢の中では、手首の縛りを外してもらえた。式神に悪態をついてみたものの聴こえていないようで、それも諦めざるおえなかった。
見渡すと、ゴザの上に薄汚れた煎餅布団と、隅に厠代わりの手桶が置いてあるだけ。頭上に小窓があり、そこには格子が嵌め込まれているだけなので風が入る。
くしゃみが数回出た。肌寒さを感じて震えた。やむなく、煎餅布団にくるまった。
最悪だ。最悪だが、あの様子では自分を嵌めたお蝶を責めるわけにもいかないと思う。布団の中で、お蝶の柔らかさと温もりが思い返される。やはり、自分はお蝶を心底好いているようだと気付いた。
お蝶と2人助かるには、どうしたものかと悩んでいたら、晴明が現れた。
「あんた、さっきの。どういうことだ!」
蜃は、父だと言われた目の前の男に、噛みつかんばかりに怒鳴り上げた。
「お前に逢わせたい人がいる。その道中に全て話すよ」
晴明は、牢の鍵を開けた。牢の鍵を開ける晴明の顔を見て気付いた。自分と反対側の口元に、自分とよく似たホクロがある。そして、毎日見るような少し太めのキリッとした眉。確かに、自分と似ていると言われたら否定は出来ないかもしれない。
「さあ、出なさい」
この隙に、この男を倒して、お蝶を探して逃げるつもりだった。だが、気が変わった。
「あんたは、本当に俺の父上なのか? じゃあ、今までの父上はなんなのだ? どういうことだ」
晴明は、蜃に持ってきた着物を渡した。
「その姿じゃ冷える。俺の着物だから、少々大きいかもしれないけれど、我慢してくれ。これから全部、話すよ」
言われた通り着物を着てみるものの、6尺近い大きな身体の晴明の着物は確かに大きかった。
「もし、あんたが本当に俺の父上なら、俺の背もあんたのように伸びるのかな」
「多分ね」
晴明に着いて、蜃は夜道を歩いた。その間、信じられないような話を沢山聞いた。そして、最後にひとつ質問した。
「闇忍という事は、やはり忍びになるということなのだろうか?」
晴明は、丁寧に答えた。
「最初に話したが、恵慈家は古くは日本武尊の時代からあるとも言われている。そして、先祖は龍神だと。代々引き継ぐ不思議な力を隠すため、世に忍ぶ形となった。忍びと書いて忍びにあらず、闇に忍ぶもの、それが恵慈家だ」