生克五霊獣 17話
誰にも伝わらない葛葉の呆れ声が、祠の中に響いた。
旬介は、少々大き過ぎる握り飯にかぶり付きながら、森の中を歩いていた。そんなに遠くにはいかないという約束だけは守っていたが、この季節は大好きで祠の中に閉じこもっていることなど出来なかった。
何故なら、森には木の実や果実がたわわに実っているから。父である晴明に全部教えて貰った。母、葛葉の結界のお陰でこの周辺だけ邪気から守られているせいだ。
木に登って柿を取っていると、草場から物音がした。最初は動物かと思い、木の上で息を潜めていると、どうやら違うようだ。怒った母が探しに来たのか。先日、お尻を叩かれた事を思い出し、早急に帰ろうと木から飛び降りた。懐に、母の分と父の分の柿を詰め込んで、女の人のおっぱいのようになっていた。
「ごめんなさい」
謝りながら飛び出すと、そこには同じ年くらいの女の子が泣きながら立っていた。女の子は歩みを止め、泣くのも一旦止めて、ぽかんと旬介を見た。
「どうして、あやまるの?」
着物は泥と血で汚れ、裸足で酷く傷付いていた。
「あ、あれ? 母上だと思って」
「おっかぁ? あんたのおっかあ、こんなとこにいるの?」
不思議な光景だった。
「どうして、そんな格好してるの? なんで泣いてるの?」
女の子は、少し躊躇いがちに答えた。
「オラ、戦で村を焼かれて悪い男に連れられたんだ。遊郭に売るって聞いた。怖くて、男が眠ってる隙に縄切って、逃げてきたんだ。ここも見つかるかもしれない」
旬介は、娘の手首を掴むとぐいぐい引っ張った。
「こっち来いよ。綺麗な川があるから」
暫く進むと、確かに綺麗な川が流れていた。水に手を入れると冷たい。冷たいが、女の子は手を洗い、顔を洗い、足を洗った。
「ちょっとここで待ってて!」
言うと旬介は、走って祠に戻った。葛葉の声も聞かず、葛葉の着物を掴むと、再び旬介は川に戻った。川では、女の子が素っ裸で川に入っていた。
「寒いよね、火を焚くね」
まだ恥ずかしいという感情がいまいちないようで、女の子は髪から足から綺麗に洗うと冷えきった身体を抱きながら川を出た。小さなくしゃみが出たところで、旬介が祠から持ってきた葛葉の着物を渡した。
女の子はそれを羽織ると、着てきた自分の着物を川で洗い始めた。
「寒いでしょ。火に当たったら?」
「オラの着物洗わないと、素っ裸になっちまう」
旬介が手伝おうと女の子の側に寄った。顔を見てドキッとした。可愛らしい顔をしている。
「ねぇ、名前は?」
女の子は、答えた。
「オラの名か? 新月。お前は?」
「俺は旬介って言うんだ。手伝うよ」
「いい」
断って、ちらりと旬介を見た新月の手が止まった。
「なに?」
「お前、おっぱいあるのか? おっかあみたいだ」
「ああ、これ。柿だよ」
旬介の懐から取り出された柿を見て、新月の口に唾液が溢れた。同時にお腹がぐうと鳴る。思えば、逃げ出してから1日以上、何も口にしていない。
「食べる?」
奪うようにして、新月は柿に食らいついた。そして、べっと吐き出す。
「渋い」
「ああ! ごめんね。こっちは、大丈夫だと思うから」
もう1つの柿を恐る恐る食べると、今度はちゃんと甘かった。
「美味しい?」
「うん」
ぽりぽりしゃりしゃり音がする。
「後でもっといっぱい取ってやるよ」
旬介は、なんだか嬉しくて照れながら言った。こんな気持ち、初めてだった。
そして、女の子の着物を代わりに洗って見せた。しかし、汚れが落ちないどころか酷くボロボロだった。
「ねえ、この着物まだ着るの?」
「オラ、全部焼けてしまってそれしか持ってない」
「新月は、どこに行くの?」
「いくとこなんてないから、村に戻るしかないべ。村に戻れば、知ってる人が生きてるかもしれねえ。手伝ったら、ヒエかアワくらい貰えるかもしれねえし」
旬介には、何かわからなかった。
「美味しいのか?」
「美味しいもんではない。でも、食べないと死ぬから。にしても、旬介は何処の子だ? お金持ちの家の子か? この着物も立派だ」
葛葉以外の人を、見たのは新月が初めてだった。同い年の子というのも。だから、楽しくて楽しくて仕方なかった。子供心ながら、ずっと一緒にいたいと思った。
「俺、そういうのよくわからん。よくわからんけど、新月ともっと遊びたいから一緒に来てよ。まもなく日が落ちるから、早く帰らないと母上にお尻を打たれる」
新月に行くとこはない、昨日森の中で過ごしたのだけれど、凄く怖かった。顔が青ざめて、思わずうんと返事をしてしまった。
旬介に連れられて川から森に入ると、暫くして祠があった。ここは家ではないと、新月にもはっきりわかった。
「ただいま」
「この、悪ガキが! 着物を何処に持っていったのだ。悪い子は鬼が迎えに来るぞ。父にもたっぷり叱って貰わないといかんな」
「嫌だよ! 着物、貸してあげたんだよ! 俺、悪いことしてないもん」
帰って早々の葛葉の剣幕に、旬介は半泣きになりながら抵抗する。
「貸したって、誰にだ」
「新月」
「新月?」
名前を呼ばれたからか、申し訳なさそうに葛葉の着物を着た女の子が祠に入ってきた。濡れて汚い着物を手に持ってはいたが、着れるような状態でもなく。しかし、叱られては仕方ないので新月はその場で素っ裸になって着物を返した。
「ごめんなさい。オラが……オラ、このまま帰ります」
傷だらけの幼女を、素っ裸のまま帰らせるわけにはいかない。よく見れば唇も若干青い。何をしていたのだ、今まで。と思うと胸が痛む。
葛葉は新月を、己の身体で温めるように抱き締めた。
「すまなかった。何も知らなかったのでな。私の着物では大きかろう。男の着物だが、旬介のを着せてやる。今日は遅い。ここにいなさい」
新月はこくりと頷き、葛葉の身体に蹲った。
年だけに、旬介の着物でも新月にはぴったりだった。傷には薬を塗ってもらった。髪も綺麗に梳かして貰った。
その晩、葛葉を真ん中に狭い布団で眠った。新月には、久しぶりの布団だった。
「新月と言ったな。お前は可愛らしい顔をしておるなあ、将来とんでもなく美人になるぞ」
「そんなことないです。オラ、農民だし、それに美人になってもあんまり意味ない。それより、いっぱい子を産めた方が役に立つ」
「そんな悲しいことをいうな」
「大丈夫、新月が美人になったら、俺が嫁に貰ってやるから!」
「はあ?」
何を言い出すのかと、葛葉が疑問符を上げた。
「決めた! 俺、新月を嫁にする」
「勝手に決めるな。お前となら、新月にも選ぶ権利があるわ」
旬介は、へらへら笑う。
「にしても、新月。お前は何処か行くところがあるのか? 無いなら、ここに居てもいいぞ。旬介の遊び相手にも丁度いいし、私もこの長い監禁生活で少々体力にも不安があってな。悪ガキきかん坊を追い掛けるにも限度がある」
狭くても温かい布団の中で新月は涙を流した。迷惑にならないように声を殺してはいたが、葛葉は直ぐに気が付いた。
「我慢するな。辛かったろう」
「ふえ……えぐ……」
その晩、新月は思いっきり泣いた。晴明は、来なかったけれど、なんだか賑やかな夜だった。
翌朝、新月は疲れが溜まっていたのか昼近くまで眠っていた。川で冷えきった身体もすっかり温かく戻っていて、葛葉は2人が少しでも多く食べれるようにと食事を雑炊にした。母の分でも構わず食べさせていたせいで、我慢することをあまり知らずに育った旬介ではあったが、新月の為にと食事を少し我慢する姿を見て子供の成長を見た気がした。少しずつだけど、この子も大きくなっていると。