生克五霊獣 16話
出産後の身体には毒だと分かってはいたものの、秘密にしておく訳にはいかなかった。その為、直ぐに松兵衛は葛葉と晴明に事の次第を伝えた。
葛葉は、蜃を胸に抱きしめながら、小さく震えた。
体力も感覚も弱っている、この機会を鬼達が逃すはずはないと確信した。晴明を見るが、彼だけで片付くとは思えなかった。もしそれが可能なら、龍神が生克五霊獣の法を教えにくるものかと。
「松兵衛、この子に害が及ばないうちに、この子を隠さねばなりませんね。せめて、私が術を使えるくらい回復せねば」
「葛葉?」
「晴明殿、以前父上のご友人の武家のお宅があると聞きました。そこにこの子を預けられないでしょうか? お武家なら、きっと強く立派な子に育ててくれるでしょうし……松兵衛も共に、蜃の教育係として着いて行ってください。この子には、苦のない幸せな人生を歩んで欲しい」
それから数日して、例の武家の家から文が届いた。
長らく子に恵まれないから、蜃を養子にしてもよいという内容であった。跡継ぎとしても考えていいと。意外な回答に、晴明と葛葉は蜃の為にと承諾の文と共に松兵衛と蜃を旅立たせた。
2人が長い旅路から戻ったあの日のよう。また、あの日のように里は真っ黒い邪気の霧に呑まれていた。
田畑は枯れ、水は干上がり、疫病が流行った。あれ程豊かだった里の面影など今はなく。そんな中、夜更けに晴明の元に富子が現れた。
富子は晴明の枕元に立って、告げた。
「ああ、晴明や。私の可愛い晴明……我わもそなたも、恵慈家に散々にされましたね」
その姿は鬼であれ、母であることには変わりなく。晴明は懐かしい気持ちで、全て許してしまいそうであった。だが、そこを堪えれる程大人になっていた。
「母上は、何が目的なのですか? 何故、このような事を?」
富子は、優しく微笑んだ。
「晴明、全てそなたの為なのです。私は、巫女としての人生を歩いてきました。生まれてから自分の事など考えたことは無く。人の為に生きて死ぬのが当たり前だと。そんな私を哀れに思った法眼様が、私を救い出してくださいました。それに報いようとしました。そして、嫡男であるそなたを産んだのです。どれもこれも、己ではなく人の為。生まれ持った業には逆らえないと悟った私は、せめて私の分身であるそなたの為に生きようと思ったのです」
「ですが、里がこのような姿ではそれも叶わぬと思いませんか?」
「いいえ、里などまた再興すればいいのです。恵慈家を滅ぼした後、晴明の好きなように」
「共存は考えませんでしたか?」
「共存するには、恵慈家の力は大き過ぎるのです」
母上は間違っていると叫びたかったが、ぐっと堪えた。
「母上、俺は共存の道を選びたい」
刹那、晴明の身体が飛ばされ、床に激しく背中を打ち付けられた。思わず噎せ返る。
「馬鹿を申すな! 全てお主の為じゃ。これから、ここで母と暮らすのだ。葛葉を殺せ!」
「待ってください!」
晴明が、富子の着物を引っ張った。
「俺が葛葉を追い出します。だから、せめて命だけは」
「ならぬ」
「では、俺も共に死にます」
「…………」
富子は、晴明を抱き締めた。
「憎き葛葉、何れは生かしてはおけぬ身。だが、晴明に免じてここは助けてやろう」
これが、晴明に出来る精一杯であった。
その日のうちに、葛葉は縄で縛られ、晴明に引かれて屋敷を出た。
「すまぬ、葛葉」
「いえ、気になさらないで。殺されるものだと思っていたのですよ」
「何年掛かっても、必ず助けるから」
「くれぐれも、無理はなさらないで」
晴明は、里外れの祠で足を止めた。里には、棄てられた子を匿う祠が幾つか存在していた。かつて富子と泰親が逃げ伏せた祠と別ではあるが、よく似た祠だった。覗くと、以前より綺麗に整えられていた。
「そなたを追い出すつもりはない。俺の目の届く範囲で、その機会を待つつもりだ。俺なりに用意してみたのだが……必要な物があれば教えてくれ。夜更けに、毎晩1度食事や必要なものを持ってくる」
「くれぐれも、無理をなさらずに」
「毎晩1度。もし現れなくても、3日のうちには必ず」
「信じています」
そして、葛葉の長い監禁生活は始まった。
監禁と言っても、自由に外に出ることは出来る。だが、自由に歩き回っては折角の晴明の計画が無駄になってしまう可能性も否めない。だから、なるべく葛葉は祠の中で過ごした。
少し隙間風が寒いが、冬には充分な着物と炭を差し入れて貰えた。
夏には虫除けの薬草を差し入れて貰った。
1日に1度の逢引が何より楽しみになった葛葉に比べ、罪の重さに苦しむ晴明を見るのも辛かった。
晴明も1日に1度の逢引の楽しみと同時に、日に日にやつれ弱る葛葉を見るのが辛かった。
お互い、どうにかせねばと思うのだが、中々事は上手く運ばない。
葛葉の力も回復が遅く、回復したところで1人でどうにかなる術を考えるのにいっぱいだった。
良い案が浮かばず、5回目の秋を迎えた早朝だった。
外で赤子の泣き声が聞こえた。
葛葉は、その泣き声を頼りに歩いてみると、祠の丁度裏手に産まれたてであろう赤子が棄てられていた。
考えても見れば、ここは子捨ての祠。この5年、捨てられる子がいなかったのが奇跡である。
そういえば、今年は雨が少なかった。虫も多かった。多分、冬も厳しくなる。
秋の実りが酷く悪く、子を口減らすしかなかったのだろうと悟った。
「おかしなものでな、5年も経つというのに我が子に与えられなかった乳が未だ未練がましく出るのじゃ。お前が飲むか」
赤子は元気に乳を飲んで、泣きつかれたのが眠ってしまった。
「私の希望になってくれるか。晴明殿が会いに来てくれても、独りではもはや限界」
葛葉の腕に抱かれながらすやすやと眠る赤子の頬に、滴が落ちた。気付いたら泣いていた。先も見えず、誰にも知られず、ひっそりと生きていくのは辛いのだ。
子供の頃からそうだった。けれど、あの頃は母も松兵衛もいたから、辛いと思ったことなどなかった。
「名は旬介。良い名であろう?」
監禁生活が辛いと分かっていながら、自分の弱さに負けた葛葉はこの子を手元で育てる事に決めた。
その晩、その事を晴明に告げた。晴明は、否定も肯定もしなかった。産まれたばかりの我が子を手放さなければならなかった辛さは、彼も同じだったから。そして、もしかしたら、この子が大きくなった時に共に戦ってくれるかもしれないと期待すら持った。
「この子を我が子同様に育て、色々教えたい。この子が将来、闘えるように」
本来ならば、蜃に負わせるべき宿命だったのかもしれない。けど、蜃は血を守る宿命も持っていたから、背負わせきれなかったのだ。
「この子には、もしこの里が本来の姿を取り戻した時に、この里を守って貰わねばなりませんね」
蜃は、里の外で武家として跡を継ぐ。確実に血を残す。つまらない争いではなく、天下を掛けて戦う。それでいい。
やがて、再び時は流れる。それから、6回目の秋が終わりを告げようとしていた。
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旬介は、葛葉の想像以上に活発な子に育っていた。少々心配なのは、監禁生活で育っただけに少しばかり身体が弱いこと。
「旬介、あまり外に出るな。遠くに行くな。これから寒くなる、なるべく大人しくしていなさい」
遊びたい盛りの子供には、言っても聞こえない。少し目を離せばもういない。仕方なくお尻を叩いても、次の日には忘れている。
今日だって、昨晩晴明の差し入れてくれた握り飯の朝餉分を渡した途端、びゅんと外に飛び出してしまった。
「全く、聞かん坊が!」