彼女は本当に正気を失っているのか?
地下牢は汚く、ひどくかび臭かった。
「まずはゴミを掃きだしてしまおう。それから拭き掃除だ。リンリは寝具を運ぶのを手伝ってくれ」
全員で掃除をして、寝台に新しい藁マットを敷くと、汚い牢屋も少しはマシになった。
時刻は十一時を少し回り、ファーミンはもう寝巻に着替えている。
この世界では男も女も綿のワンピースみたいなゆったりした服が寝巻だ。
祭礼のとき以外だと神官の服は非常に簡素である。
だからファーミンの寝巻も染色をしていない質素な木綿だった。
「荷物はこちらで預かっておく。寝る前に欲しいものはあるかい?」
「いや、もうじゅうぶんしてもらったよ。兵士のみんなにも遅くまで苦労をかけたね。どうもありがとう」
「それじゃあ扉に鍵をかけるよ」
牢獄の鉄格子に施錠をしようとしたらファーミンに止められた。
「イツキ……、まんがいちを考えて私を拘束しておいてくれないか?」
「そこまでするのか?」
ここは砦の牢屋だから拘束具もそろっている。
やろうと思えばいくらでも可能だが、それはやりすぎのような気がした。
「私は魔法が使える。ひょっとしたら鉄格子をなんとかすることだって考えられる。手枷だけでもつけてくれ」
そこまで心配するのならばと、俺はファーミンの意向に同意した。
彼女の腕に拘束具を付け、そこへ鎖を通し、壁に取り付けられた環に繋いだ。
鎖をかけられたファーミンは寝台の上で大の字になっている。
「寝そべることはできるが、寝返りは打てないぞ」
「安心しろ、寝相はいい方だ」
強がってはいたがファーミンの表情は暗かった。
少しでも寝やすいように藁マットを調整してから、俺は鉄格子の外へ出た。
「正気を失った私は口にするのもおぞましいことをしでかすかもしれない。だが、どうか私を嫌いにならないでほしい……」
憂いを含んだ声が暗がりから聞こえてくる。
「安心しろ。すべては呪いのせいだ。わかっている」
「ミズキ、約束してくれ。なにがあろうとも日が昇るまでは、私を解き放たないと」
「わかった。今夜は初日だから、俺が見張り番をするよ」
鉄格子の前の通路にランプを置き、俺はしっかりと鍵をかけた。
それから通路を移動し、もう一つの扉にも施錠する。
ここまですれば、普通に考えて脱獄は不可能だ。
俺は通路側の鉄格子の向こうにある宿直室に入った。
ここに自分の寝具を持ち込んであるのだ。
今日はいろいろあって俺も疲れた。
ファーミンのことは心配だったが、横になると俺はすぐに眠りに落ちた。
「ミズキ! ミズキ!」
ファーミンが俺を呼ぶ声で目覚めた。
時刻を確認すると十二時を少し回ったところである。
ファーミンの声には切羽詰まったところがあり、なにやら大変なことが起きているようだ。
だが、時刻が時刻である。
ファーミンの申告が本当なら、すでに正気を失っているはずだ。
俺は用心しながら通路の鉄格子を開けた。
俺の姿を認めるとファーミンの顔に安堵の表情が広がった。
その様子を見ていると正気を失っているようには見えない。
まだ0時を回ったばかりだからだろうか?
「どうした?」
「すまない。だが、眠る前にトイレへ行っておきたいのだ」
「トイレならさっきすませただろう?」
牢屋内にもトイレはある。
部屋の隅にある浅い溝がそれだ。
使用後は汲み置きの水を流して使うから一応水洗と言えなくもない。
ただ、ファーミンはベッドに拘束されているのでこれを使うことは不可能だ。
だから寝る前にトイレはすませたのだがな……。
「もう一度行きたくなってしまったのだ。すまないが、一度拘束を解いてくれないか?」
わかった、と言いかけて俺は言葉を飲み込んだ。
ひょっとして、ファーミンは嘘をついているのかもしれない。
俺に拘束を解かせて逃げ出すことも考えられる。
ここは、心を鬼にして拒否するべきではないだろうか?
出しかけた鍵束をポケットの奥に突っ込みながら、俺は首を横に振った。
「それはできないよ」
「イツキ、頼む。もう限界なんだ……」
ファーミンはもじもじと太ももをこすり合わせている。
切なげに苦悶の表情を浮かべる顔は演技に見えない。
だが、まんがいちのことがあれば俺だけではなく隊員たちにも危害が及ぶ。
「すまない」
俺は踵を返して宿直室へ戻ろうとした。
その背中にファーミンの哀願が聞こえた。
「イツキ! イツキ! 本当に限界だ。頼む! 革紐で後ろ手に縛られてもいい。とにかくトイレへ行かせてくれ。監視されたままでもいいからっ!」
悶えるファーミンを見ながら俺は葛藤した。
歯を食いしばって尿意に耐えているファーミンの目には涙が光っている。
本当に演技なのか?
ここで知らぬふりをすれば、ファーミンはもう口もきいてくれなくなるかもしれない。
「イツキ!」
「…………」
「もう……無理……」
ふっとファーミンの力が抜けた気がした。
と同時にファーミンのパジャマの下半身に大きなシミが広がっていく。
「あぁ……」
解放された奔流はなかなか止まらなかった。
シミはどんどん大きくなり、布が吸い込み切れなかった雫が床にポタポタとこぼれていく。
濡れたパジャマがぴったりとファーミンの太ももに張り付き、太ももの曲線をあらわにしていた。
「イツキ……君のせいだぞ……」
慌てて視線を逸らしたが、ときはすでに遅しだ。
けっきょく俺はすべてを目撃してしまったのだから。
しばらくして、少し落ち着いたファーミンに声をかけられた。
「体を清めて着替えたいのだが……」
「そ、そうだな」
かすれる声で返事をしながら俺は鍵束を掴む。
だが、俺はすんでのところで先ほど言われたファーミンの言葉を思い出した
『なにがあろうとも日が昇るまでは私を解き放たないでくれ』
そうだ、俺はファーミンと約束したじゃないか。
危うくそれを違えるところだった。
縛り付けられた状態で股を濡らしたファーミンに俺は努めて事務的に答えた。
「悪いが、やっぱりできないよ」
「イツキ、そんなひどいことを言わないでくれ。拘束されたままでいい。イツキが私を清めて着替えを手伝ってくれればいいんだ。イツキなら私のすべてを見せてもかまわない」
「ごめん……」
「イツキィイイイイイッ! 私を置いていくなぁああああっ! 戻ってこい! お前の本心はわかっているぞぉおおっ! 見たいのだろう? 酒を飲みながらもお前の視線は常に感じていたんだ。欲望に正直になれ。私がお前を受け入れてやる。貞淑な女神官がどんな娼婦でもしないような淫らな奉仕をしてやると言っているのだ。我慢をするな。あーはっはっはっ!」
背後から聞こえる叫び声を聞きながら、俺はかえってホッと息をついていた。
やはりファーミンはなにかにとりつかれているのだ。
惑わされなくてよかったと。
「イツキ、責任を取れ! 私のこんな姿を見たのだ! 戻ってこい!」
今後、牢から聞こえる声を一切無視することに決め、通路の鉄格子を閉めて宿直室に戻った。
ファーミンの呪詛の声は明け方までやむことがなかった。
時に激しく、時に囁くようにそれは続いた。
隊員たちも眠れなかったようで宿直室まで来てしまったくらいだ。
「大丈夫か、お前たち?」
メーリアが心配そうに牢の方を覗き込む。
「私たちより神官さまは大丈夫なのでしょうか?」
「拘束してあるから暴れることはないだろう。朝まで待つしかないさ。明日、日本へ行ったら耳栓を買ってこよう。今日は交代で昼寝をした方がよさそうだな」
そんな話をしている間も、ファーミンの声は響いてくる。
さっきまでは俺や隊員に対する悪口だったが、いまは理解できない言語に変わっていた。
異世界転移によるチートのおかげで俺はこちらの言語を理解できるようになっている。
だが、いまファーミンが話している言葉は欠片もわからない。
「あれは外国語か? なにを言っているのかまったく理解できないのだが」
耳を澄ましていたディカッサが首をひねる。
「どうやら古代魔法語のようです」
「なんと言っているかわかるか?」
「すみません、そこまではなんとも。神官さまご自身ならわかるかもしれませんが」
古い経典を読むために、神官というのはそういった言語を学ぶこともあるらしい。
だが、ファーミンは正気を失っているのだ。
自分が何を言っていたのかを覚えてはいないだろう。
「なんとかフレーズだけでも暗記してみましょうか? それを後で神官さまに伝えれば何かわかるかもしれません」
「いや、それよりいい方法があるぞ」
俺はポケットからスマートフォンを取り出した。
電話の契約は切れているが、閲覧したい資料があったので実家のwifiでダウンロードして持ってきていたのだ。
これの撮影機能を使って録音すればいいだろう。
通路の鍵をメーリアに預け、俺は一人で牢屋まで言ってファーミンの様子を撮影した。
「エーリア ムラハッダ バゴ レターブラ」
ファーミンは白く濁った瞳で何かをボソボソとしゃべり続けている。
何かにとりつかれたその姿に恐怖を感じつつ、俺はカメラを向け続けた。
このお話がおもしろかったら、ブックマークや★での応援をよろしくお願いします!




