ファーミンの苦悩
クロウ神官の吸う煙草の臭いが部屋に満ちていき、俺は違和感を覚えた。
やけに甘い香りのする煙草だが、これはどこかで嗅いだことがある。
そうだ!
「神官さん、その煙草は……」
神官さんは気怠そうに煙を吐きながらうなずく。
「鋭いね、隊長さん。そう、これはドラッグの一種だよ」
臆面もなくそう言うクロウ神官に驚いた。
不良神官の噂はあったが、本当にとんでもないのが来たのだろうか?
この煙草に混じっているのはケドムという名のダウナー系のドラッグである。
なんで俺がそんなことを知っているかと言えば、王都の連隊にいたとき、これを扱う組織の捕縛に参加したことがあるからだ。
急襲した売人のアジトはこれと同じ匂いが立ち込めていた。
「神官さん」
俺が立ち上がると同時に、クロウ神官は手を前に突き出した。
「上からの免状はあるんだ。悪いが気がつかなかったことにしてくれ。私はね、これがないと正気が保てないんだよ……」
クロウ神官はうんざりした顔で説明を続けた。
「まず、私の経歴を話しておこう。レビン村駐在の司祭として赴任してきたわけだが、もともと私は退魔庁の退魔師だ」
「それでですね。神官にしては身のこなしが素人ではないと感じていました」
「恐れ入る」
軽く会釈してクロウ神官は続ける。
「隊長さんは退魔師がどういった存在かは知っているかい?」
「悪魔系の魔物の討伐を専門とする神官たちのことでしょう? 解呪の専門家もいると聞いたこがあるなあ」
「私もそんな退魔師の一人だよ。だが、二週間前に私は任務に失敗してしまったんだ」
忌々しそうにクロウ神官は煙草の火をもみ消した。
「なにがあったんですか?」
「退魔庁に一振りの宝剣が持ち込まれたのだ。と言ってもただの豪華な剣じゃない。素性は不明だったが、明らかに強大な力を秘めた剣だった」
「聖剣とか魔剣の類ですか?」
「持ち込まれた時点で判別はつかなかったんだ。そこで私の出番となった。私は鑑定魔法が使えるからね」
「鑑定魔法! 噂には聞いていたけど、使える人を見るのははじめてですよ」
「かなり特殊な魔法だからね。レンブロ王国でこれを使えるのは私を含めて三人だけだ」
そう言ったクロウ神官はどこか誇らしげでもあったが、すぐにその顔は苦渋に満ちてしまう。
「と、偉そうなことを言ったところで、今回は失敗してしまったんだがね。私が鑑定した宝剣は呪われていたのだよ。幸い宝剣の解呪には成功した。だが、私自身がその呪いを引き受けることになってしまったんだ」
呪いを受けてからというもの、クロウ神官の体には発作的に激痛が走るようになってしまったそうだ。
また、深夜0時から朝日が昇るまで正気を保てなくもなってしまったともいう。
「というわけでケドムだよ。これを吸うことにより痛みが軽減され、なんとか正気を失わずに眠ることができている。だが、ドラッグを吸い続けるにはそろそろ体力が限界でね……」
これまでの説明は納得できた。
だが、俺にはまだわからないことが多い。
「どうして、こんな最北端の地まで?」
「呪いの影響を避けるためさ。私の呪いは例の宝剣に連動しているんだ。あれは王城の宝物殿へしまわれたが、あれのそばにいればいるほど体の痛みは強くなる。だから王都からいちばん遠いここへ来たんだ」
俺が飛ばされた第184番砦は都から最も遠い砦である。
レビン村も同じような環境だ。
それでクロウ神官はレビン村に赴任したわけか。
「実際のところ、グローブナ地方に入ってから体が驚くほど楽になったよ。呪いの影響が薄れているのだろう。だが、私にはもう一つの呪いがある」
「深夜になると正気が保てなくなるというやつですね」
「そうだ。ケドムを吸えばなんとかなるのだが、体の方がもう持たない。それでここまで来たんだ」
「というと?」
「しばらく、牢屋を貸してほしい。そこで薬を抜きたいんだ」
つまり、いつ正気を失ってもいいように牢屋に入り、そこで依存症から脱しようというつもりらしい。
「そういう事情ですか。わかりました、好きに使ってください。ですが、正気を失うというのは具体的にどんな感じなんですか?」
そうたずねると、クロウ神官は困った顔になってしまった。
「私にはそのときの記憶がないんだ。ただ、非常に危険な状態であることはたしかだ。なにせ、私を治療しようとした大神官を殴ってしまったらしいからね」
「あの噂は実話だったんですか?」
「うむ……」
一介の神官を大神官が治療するなんて普通ではありえない。
だが、クロウ神官は鑑定魔法が使える貴重な人材だ。
だから大神官が動いたんだな。
もっとも、治療は上手くいかず、殴られてしまったみたいだけど……。
「自慢になってしまうが、私は退魔師としても優秀だ。正気を失った私は非常に危険だと思う。私が何を言っても牢は開けないでくれ。それからケドムを欲しがるとは思うがそれも絶対に聞き入れないと約束してほしい」
「わかりました。他にケドムはありますか?」
「さっき吸ったのが最後の一本だよ」
自嘲的に笑ってクロウ神官は煙草入れをひっくり返したが、そこからこぼれたのはわずかな刻み煙草のカスだけだった。
「幽閉期間はどれくらいにしましょう?」
「一週間もあれば体から薬は抜けると思う。念には念を入れて十日ということにしよう」
「了解です」
「それと今後のことだが、呪いが解けるまで夜はここの牢で寝泊まりをさせてくれ。正気を失った状態で村にいるのは危険だからな」
「それもわかりました」
「協力に感謝する。すべて終わったらお礼はするよ。ふぅ……」
これからのことを考えて憂鬱になっているのだろう、クロウ神官は大きなため息をついた。
「大丈夫ですか?」
「ああ……。だが、迷惑をかけるついでにもう一つわがままを聞いてもらえないか?」
「なんでしょう?」
「酒をもらえないだろうか? できたら強いのがいい」
その気持ちは俺にもわかる。
飲まなければやっていられないのだろう。
「ああ、それならいいのがあります……」
と、そこで俺は思い出した。
「クロウ神官!」
「ど、どうした?」
突然、俺が大声を出したのでクロウ神官は焦っているようだ。
「あなたは鑑定魔法が使えるのですよね?」
「そうだが……?」
「でしたらお願いがあります。このウイスキーを鑑定してもらえないでしょうか?」
俺が示したのはアインが日本から買ってきてくれた箱崎12年である。
実はこれ、まだ検証していなかったんだよね。
リップのときみたいにバーサク状態は嫌だから、しっかり効果を確かめてからゆっくりと飲みたかったのだ。
クロウ神官が効能を鑑定してくれれば、安心して楽しめるというものだ。
クロウ神官は俺が手渡した箱崎12年のボトルを手に取って目を細めた。
「美しい瓶だ。これはガラスのようだが、ここまで透明度の高いものははじめてお目にかかる。ラベルに書いてあるのは異国の文字か?」
神官さんとはまだ知り合ったばかりで、ひととなりはわからない。
悪い人には見えないけどね。
だが、念には念を入れておいた方がいいだろう。
異世界転移についてはまだ秘密にしておくことにした。
「そうなんです。外国の酒を手に入れたのですが、どういったものかわからなくて躊躇していたんですよ。もしよかったら鑑定をお願いできないでしょうか?」
そういうとクロウ神官は人懐っこい笑顔を浮かべた。
「こちらは世話になる身だ。喜んで協力しよう。それに、私も一杯飲ませてもらうんだから、しっかりと鑑定しないとな」
きっとお酒が大好きなのだろう。
神官さんは唇の端を軽く舐めて瓶に向き合う。
その姿もまた妙にエロくて、俺のあそこ……じゃなくて、胸は熱くなった。
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