バーサーカー
洗顔料に特殊効果はなかった。
ただ、顔のつっぱりが取れて、潤っただけである。
「では次に、この化粧水というものをつけてください」
ディカッサは化粧水のボトルを持って隊員たちの間を歩き、みんなの手のひらに液体を落としていく。
手のひらの化粧水を見ながら、リンリとオートレイは困惑していた。
この二人はこれまで化粧の経験がないそうだ。
「猟師の家で化粧をする人間はいませんよ」
「鍛冶屋も一緒です。なんだか怖いです……」
そんなものかもしれないな。
だが、普段は素朴な二人がお洒落をした姿には興味がある。
「たかが化粧だ、怖がることはないさ。俺は化粧をしたリンリとオートレイがどんなふうに変わるか楽しみだよ」
「隊長……」
「そ、その、ご期待に沿えるかわかりませんがオートレイ二等兵は最善を尽くすでありますっ!」
「たかが化粧で大袈裟だって」
隊員が化粧水をつけ終わったが、いまのところ目立った特殊効果はない。
仕方がないので次に移ろうと、ディカッサは新しいボトルを持ち上げた。
「次にこの化粧下地というものをぬってもらいます。これをつけることによって次につけるファンデーションというものの密着度を高め、メイクが崩れにくくなるそうです」
化粧というのはいろいろと大変なんだなあ。
こんなものがあるなんて、今この瞬間まで知らなかったよ。
「ぬり方のお手本を見せますので、よく見て真似をしてください」
ディカッサはおでこ、鼻、両頬、あごの五点に下地を置き、それをぬり広げていく。
みんなも同じように塗ったけど、やはり特殊効果は表れない。
「またダメだったか」
「まだです、まだ終わりではありません」
ディカッサの目は諦めていない。
続いて俺たちはファンデーションをつけていく。
なんだか、肌の違和感がひどいな。
女性はこんなものを毎日つけているのか……。
でも、たしかに肌はきれいに見える。
魔法効果ではなく、化粧効果なんだけどね。
「オートレイ、鏡を見てみろよ。なかなかいいぞ」
「ほ、ほ、ほ、本当でありますかっ!」
ワタワタしているオートレイに手鏡を渡してやった。
「不思議なもんだよな、みんな輝いて見えるよ」
「隊長、私はどうですかぁ?」
アインが上目遣いで訊いてくる。
ここは素直に褒めておこう。
「とてもいいぞ」
その後、アイブロウ、アイシャドウ、チーク、といろいろ試したが変化は起きなかった。
それでも隊員たちはお化粧が楽しかったらしく、キャーキャー言って喜んでいた。
たまにはこういうのもいいだろう。
俺に関して言えば不自然と言うしかないけどね……。
ディカッサがもう一つアイテムを取り出した。
「最後になりますが、このリップを塗ってみましょう。なにか起こるといいのですが」
リップブラシにピンク色の口紅をつけて、ディカッサはすぐ横にいたオートレイに声をかけた。
「オートレイからぬるから、ここに座って」
「はい……」
慣れない者にとって、鏡を見ながら口紅をぬるのは難しい作業だ。
特にオートレイは苦手そうなのでディカッサがやることにしたのだろう。
オートレイはディカッサの前に座り、目をぎゅっと閉じている。
「もっと顔面の力を抜いて。痛くはないから」
「は、はあ……」
ディカッサははじめてとは思えないほど器用にリップをぬった。
「どうかしら、なにか変化はある?」
「…………」
質問されたというのにオートレイはなにも答えない。
普段なら沈黙を嫌って、あれこれと早口でまくし立てるというのに、いまは肩で息をしながらフーフー言っている。
「オートレイ、質問しているのよ?」
「…………ァ」
「え? なんて言ったの?」
「ドァアアアアアアアッ!」
突然、オートレイがディカッサを突き飛ばした。
「どうしたの、オートレイ!?」
すかさずリンリが間に入ったが、オートレイはそのリンリにも殴りかかるではないか。
「落ち着いて、オートレイ!」
「クオッ! クオッ! クオッ!」
目を血走らせながらオートレイはリンリに拳を叩き込んでいる。
「全員下がれ! リンリ、かまわないからオートレイをねじ伏せるんだ!」
「はいっ! ですが……」
オートレイの連撃は止まらず、リンリはガードごと弾き飛ばされてしまった。
こう言ってはなんだが、オートレイの戦闘力はこの砦の中でもいちばん低い。
腕力はあるのだが、気弱な性格が災いして、いざというときの判断が遅いからだ。
だが、いまのオートレイに迷いは一切なく、リンリを殺す勢いで攻撃している。
リンリを追撃しようとしているオートレイの前に俺は立ちふさがった。
こうなったら相手が女の子でも遠慮はできない。
「隊長、気を付けてください。パワーもスピードも私以上にキレています!」
リンリに言われるまでもなく、見ているだけでそれは理解した。
だが、幸いなことにオートレイは武器を身につけていない。
それに、オートレイの戦闘技術は浅い。
パワーは俺以上になっているようだが、攻撃の幅は少なく、リズムは単調だ。
これなら、やりようはある。
力任せに殴り掛かってきたオートレイに対して、俺はカウンターの魔動波を彼女の腹に放った。
「うぐっ……」
って、倒れないのか!?
オートレイは腹を押さえてふらつきながらも戦闘の姿勢を崩さない。
かなり手加減はしたが、リンリはこれ一発で倒れたのだぞ。
だが、ためらっている時間はないな。
魔動波を喰らって動きが鈍くなったオートレイの背後に回り、俺は締め技を使った。
もう一発魔動波を叩き込むのは心配だったからだ。
リップのおかげでバーサク状態になっているとはいえ、オートレイの体は普通の女の子と変わらない。
リンリのように鍛えてはいないのだ。
もがくオートレイを押さえながら俺は叫んだ。
「ディカッサ、化粧落としは買っていないのか!?」
「あります! 少々お待ちを」
ガサゴソと袋をかき回していたディカッサが化粧落としのジェルを見つけた。
「よし、さっさとリップを拭き取るんだ。リンリがやってくれ」
いざというときのために防御力の高いリンリがやった方がいいだろう。
リンリは教えられたとおり、ジェルを手のひらにたっぷりとつけ、ディカッサのくちびるにぐりぐりとぬりたくった。
そのとたんに力が抜け、オートレイは気を失ってしまった。
「ふぅ……。アイン、オートレイに治癒魔法をかけてやってくれ。腹に魔動波を受けてしまったからな」
「は、はい」
呆然としていたアインがのろのろと動き出し、治療を始める。
「ディカッサとリンリはどうだ?」
ディカッサは突き飛ばされただけなのでほとんど無傷だった。
だが、戦闘をしたリンリは打撲の痣が目立つ。
「まるで棍棒で殴られているみたいでした。あれはなんなのですか?」
「おそらく、バーサク化だな。それがリップの特殊効果なのだろう」
先ほどのあれはまさに狂戦士といった状態で、心の制御を失い、極度に攻撃的かつ強力な状態だった。
最初にリップをぬったのがオートレイで助かったぞ。
もしあれを、俺かリンリがぬっていたら手が付けられなかっただろう。
戦闘力の低いオートレイだったからなんとかなったのだ。
リンリがあのパワーとスピードを身につけていたら、手加減なんてできなかったはずである。
「アインは引き続きリンリの治療をしてやってくれ。他の者は部屋の片づけだ」
やや放心した状態で、俺たちは散らばった物や倒れた椅子を片付けるのだった。
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