小官が志願します!
***
朝の身支度をしているとメーリアがタオルを届けてくれた。
便宜的にタオルと言ってはいるが、元居た世界にあるようなタオルではなく、実際はただの布だ。
吸水性はすこぶる悪い。
次に日本へ行くときはタオルも買ってくるべきだろう。
「ありがとう、メーリア。隊員たちの様子は?」
「不調を訴える者はありません。みんな元気です。それと今朝はアインがパンを焼きました。上手に焼けたそうですよ」
「それは楽しみだな。すぐに食堂へ行く」
話は終わったのだが、メーリアは部屋を去ろうとしない。
「他に用事があるのか?」
「いえ……、これは確認ですが、本日は異世界転移のご予定がありますか?」
「急ぎの用事はないよ。それに今日はゴブリン討伐の報告書を本部宛てに出してこなければならない」
「そうですか……」
本当は親と積もる話をしたかったし、猫のトラにも会いたい。
それにガソリンやタオルだって買い足したいのだ。
だけど、自分の欲求のためにホイホイとキスをせがむのは間違っている気がした。
それに順番で言えば次はメーリアのばんである。
相手が真面目なメーリアだと、特に頼みづらくもあった。
だって俺、上官だもん。
最初は興味本位で異世界に行きたくてキスしてくれたかもしれないよ。
だけどもう嫌がっているかもしれないだろう?
やっぱり頼みにくいよ。
朝食を食べ終わると俺はバイクに乗ってレビン村の村長さんのところまで行った。
本部への報告書を村長さんに預けておくためだ。
異世界の郵便網は発達しておらず、村に配達人が来るのは三週間に一回くらいのものである。
だから、配達人が来るまでは村長さんに手紙を預かってもらうというのが一般的である。
もちろん緊急の要件であれば北部方面の本部があるロッカスまでいかなければならない。
だけど、ゴブリン出没程度ならこういった報告でじゅうぶんだった。
報告書を持っていっただけの俺を村長さんは暖かく迎えてくれた。
レビン村の村長さんは穏やかそうな小太りの中年男性で、白髪交じりの豊かな髭が特徴だ。
グローブナ地方の人は客好きが多いと言われるが、レビン村の村長さんはまさにその典型で、お茶や果物で俺をもてなしてくれた。
「まさか、ゴブリンが出没していたとは思いませんでした。腕利きの隊長さんが赴任してきてくれて助かりましたよ」
俺の前の隊長はまったくの役立たずで、畑を守るために村人が大勢駆り出されたそうだ。
怪我人も多く出たらしい。
「今回は小規模の群れでしたのでなんとかなりました。今後も警戒は続けます」
「奴らはすぐに増えますからな。よろしくお願いします。ところで……」
村長さんは紅茶のお代わりを俺のティーカップに注ぎながら笑顔になった。
「明日は村の祭りです。砦のみなさんもぜひお越しください」
レビン村では種まき前の祭りがおこなわれるそうだ。
俺たちも祭りでの出し物をすることを約束して俺は村長さんの家を辞した。
砦への道のりを戻りながら、あれやこれやと考えを巡らした。
最初に思い浮かんだのは補給についてだ。
ようやく補給物資が届いたのだが、その量は驚くほど少なかったのだ。
最初はヒープ一族の嫌がらせかと思ったのだが、どうやら事情は違ったらしい。
西部方面で魔物の動きが活発になっており、そちらに回すために物資が乏しいというのが実情だった。
この量が続くとなるとギリギリ食うには困らないが、お腹いっぱいとはいかないだろう。
俺たちには異世界転移があるからいいけど、それだっていつまでも続けられるという保証はない。
万が一に備えて小さくてもいいから畑を作っておくか。
祖父が農業をしていたからわかるが、わずかな畑でも意外に収穫量は多いものだ。
六人分の野菜程度ならじゅうぶん賄えるだろう。
日本から小型の耕運機や肥料を持ってくれば、なんとかなるかもしれない。
まずは家庭菜園のような規模で始めてみよう。
この世界にはない果物などを作るのも楽しそうだな。
高級マスクメロンとかさ。
食糧危機に備えるつもりで思いついたアイデアだったが、考えているうちに楽しくなってくる俺だった。
砦に戻って農業に必要そうなもののリストを書いているとメーリアがやってきた。
「失礼します。本日は諸問題に対応する作戦計画を企画立案したので隊長のお耳に入れたくまいりました」
なにかと思えば仕事の話らしい。
真面目なメーリアがわざわざ立案するのだから、きっと重要なことなのだろう。
まずは話を聞いてみることにした。
「現在、我が砦は複数の問題を抱えております。遅れがちな補給の問題。山のゴブリンの接近、道路状況の悪さ、まことに遺憾ながら人的資源の乏しさが否めません。自らの恥を晒すようで恐縮ですが、我ら一般兵は平均的な兵士と比べても能力が劣ります」
「平たく言ってしまえばそうだが、君たちは努力しているじゃないか。確かに君たちの実力はまだまだだが教練の成果はでてきている。それほど焦ることはないだろうというのが俺の判断だ」
だがメーリアは納得しない。
「隊長と世界を超えることで我々は能力を開花させました。ですが、いまだにお荷物であることは事実。以上のようなことを鑑みまして、このような作戦を立案しました!」
長々としゃべった後メーリアは三枚の紙にびっしりと書き込んだ作戦計画を寄越した。
いろいろとたくさん書いてあるのだが、要は日本へ行って物資を調達しましょう、という話である。
「つまり君は日本へ行く必要を感じているんだね」
「補給と一緒に我々の給料も届きました。それも三か月分です。このお金を使って物資を調達しましょう」
メーリアは自分たちが金を出すのでいろいろと買いそろえようと言っているのだ。
「それはありがたい話だが問題が二つあるぞ。一つはレンブロ王国の貨幣は日本で使えないことだ」
純金などにして持っていくという手もあるだろうが、兵士たちの給料は少ない。
それに金のインゴットを購入するとなると、いちばん近くても北部最大の都市ロッカスまで行く必要があるのだ。
距離は70キロメートル程度だが簡単には舗装道路ではないので大変なのだ。
しかも途中にはいくつも川がある。
深い川ではないので橋は架かっておらず、住民たちは徒歩で川越をする。
だが、そこを軽トラで渡河できるかはわからない。
「なるほど……。もう一つの問題というのはなんでありましょうか?」
こう言ってはなんだが金なら持っているのだ。
むしろ問題なのはこちらの方だった。
「あ~、君も知ってのとおり我々が日本へ行くには……うむ……キスをしなければならない」
「承知しております」
「問題は誰が私とキスをしてくれるかだが……」
「小官が志願しますっ!!」
背筋を伸ばしたメーリアがやけに大きな声で言い放った。
何だか知らないが、やけに気合が入っている。
「俺としてはキスを強要したくないのだが……」
「自分は喜んで志願するであります!」
胸を張ってメーリアは応えるけど、それが無理をしているように見えて辛い。
「本当にいいのか?」
「どうかお願いします。ぅ……」
「涙ぐんでいるじゃないか!」
やっぱり無理をしているのだ。
真面目なメーリアならありそうなことである。
ところが、メーリアは強い口調でうったえかけてきた。
「キスが嫌だから泣いているのではありません!」
「だったらどうして?」
「隊長がなかなか決心してくれないから! 私とでは嫌なのでしょうか……?」
しまった、恥をかかせてしまったか。
「メーリア、すまなかった。君は素晴らしい女性だ。だからこそ俺は遠慮してしまうんだよ」
「そんなお気遣いは無用です。私、隊長とのキスはちっとも嫌じゃありませんから」
「そうか……。よし、リストをまとめて三十分後に出発する。用意してくれ」
「はっ!」
メーリアは元気に敬礼をして隊長室を出ていった。
おや、廊下から話し声がするぞ。
あれはメーリアとリンリの声か……。
「メーリア、うまくいった?」
「ありがとう、リンリ。あなたの言ったとおり気持ちを手紙にして隊長に手渡したわ。おかげで三十分後に出発よ!」
「よかったね!」
気持ちを手紙に?
手渡されたのは作戦の企画書だけだぞ。
これがメーリアの気持ちなのだろうか?
もっとも、メーリアが俺とのキスを嫌がっていないということがわかっただけでもありがたい。
椅子に腰かけると、俺は出発に向けてのメモを書きだした。
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