天空王の床入り
夕食を食べ終わった香取樹が食堂を出ていくと、残った警備隊員はいつもの雑談をはじめた。
今日の主役は異世界へ行ってきたばかりのアインである。
GUIで買ってもらった服を見せつけるようにアインは椅子にふんぞり返り、本日の報告を始めた。
「ひとつ言えるのは、隊長が誠実な人ってことね」
アインの好敵手であるメーリアがすぐに反応する。
「そんなの知っているわ。あの人はとても責任感が強いもの」
そんなメーリアを見てアインは不敵に笑った。
「あなたはなにもわかってないわよ。私はさらに踏み込んで隊長と向き合ったの」
「ど、どういうこと?」
「私ね、隊長に裸を見せてしまったの」
「はぁ!?」
アインが樹の部屋で裸を見せたいきさつを話すと、メーリアは呆れかえってしまった。
「あなたはバカなの……?」
「恋愛っていうのは、それくらい積極的にいかないとだめなのよ。真面目ちゃんには永遠に理解できないと思うけど」
いまにも勃発しそうな喧嘩を察知してディカッサが先を促す。
「それで、性交をしたのですか?」
あまりにストレートな質問に興奮しまくっていたメーリアも息を飲んだ。
メーリアだけではない、その場にいた全員が固唾を飲んでアインの返答を待つ。
「……しなかったわ」
一同は大きなため息をついた。
ディカッサは納得できない様子でアインを問いただす。
「女の裸を見れば男は欲望を押さえきれないと書物で読んだわ。隊長が襲ってこなかったなんて信じられない。でも、それが本当なら考えられる可能性は三つね」
どんな書物を読んだかはわからないが、ディカッサは自信満々で自説を開帳した。
「ひとつ、隊長があなたの裸に興奮しなかった」
「ふざけんなっ! 隊長は私の美乳に見入っていたわよ!」
すかさずメーリアがつっこむ。
「はいはい、微乳ね、微乳……」
ディカッサは二人のやり取りなど意にも介さず話を続けた。
「二つ目は隊長自身の問題ね。女に興味がないということも考えられるわ」
「それはない。隊長は明らかに私を見て興奮していたもん!」
ディカッサは静かな声で続けた。
「だったら最後の可能性である確率が高いわね。隊長は『天空王の床入り』を再現したいのかもしれないわ」
天空王の床入りと聞いて隊員たちの心に激震が走った。
天空王とはこの世界の伝説の王である。
無辺の知識と公明正大な心を兼ね備え、広く善政を行ったと伝えられているが、正式な記録はどこにも残っていない。
その王があるとき五人の妃を同時に娶ることになった。
妃たちは王が王位を継いだときから彼を支えた女たちである。
だが、婚礼に当たって問題が起こってしまう。
誰が最初に床入りをするかで妃たちが争いだしてしまったのだ。
困った王は妃たちを同時に寝室へ呼び、平等に愛したそうだ。
閨の中でなにがどう行われたかは詳しくはわかっていないが、どの妃も大変満足して朝を迎えたという話だった。
「つまり、私が隊長と結ばれるのはみんなと同じ夜ということなの?」
「隊長が天空王のように公明正大な人ならそうだと思うわ」
もちろんこれはディカッサの勝手な憶測である。
異世界人である香取樹は『天空王の床入り』についてなど欠片の知識も持ち合わせてはいない。
だが、隊員たちはディカッサの妄想を信じてしまった。
特にアインの間違った確信は深まっている。
「やっぱりそうだったのね。実は私も結納の品をもらっているのよ」
メーリアはその言葉にピクリと反応した。
「結納の品って、その服とブーツのこと?」
「うふふ、実を言うと、私がもらったプレゼントはそれだけじゃないわ」
「なんですって!?」
「この服以外にも……」
もったいぶった仕草でアインはブックス・ヒューチャーの紙袋を取り出した。
「この本をね!」
仲間たちに見えるよう、アインは買ってもらった三冊の料理本を高く掲げる。
本が好きなディカッサは興味津々だ。
「それはなんの書物なの? まさか異世界の魔導書じゃないでしょうね!?」
「違うわ、これは料理の本よ」
「なんだ……」
料理本と聞いて興味を失いかけたディカッサにアインはページを開いて本を見せつけた。
「なっ!」
その場にいた全員の視線が本に釘付けになった。
それはそうだろう、彼女たちが写真を、それもカラー写真を見るのはこれが初めてだったのだから。
「そ、それは細密画なの?」
質問するディカッサの声が震えている。
「隊長は写真だって言ってたわ。カメラという魔道具で風景を切り取ることができるんですって。隊長もカメラを持っているそうよ」
「ひょっとして隊長はお金持ちなのかしら? 階級は少尉なのに?」
「それが、かなりの資産家らしいの。みんなの寝具を買うときにそう漏らしていたもの」
異世界で買ってきたというマットと羽根布団のセットはすでに隊員たちのベッドに敷かれている。
みんなソワソワと気になっているのだが、香取樹は夜まで待てと命令していた。
「私たちみたいな兵卒が羽根布団で寝ていいのかな?」
心配そうにしているリンリをアインが励ました。
「平気よ、これは隊長から未来の嫁たちへのプレゼントなんだから。まあ、隊長は『部下と恋人になる気はない』なんて言っていたけど、たぶん照れているだけだと思うわ」
本を覗き込んでいたオートレイがよだれを垂らしそうになっている。
「このエビのグラタンというのが美味しそうです。食べてみたいなぁ」
「オートレイも日本語が読めるのね?」
「ええ、難しい漢字は無理ですけど」
アインはメーリアにも本を見せつけた。
「あなたはどう?」
「問題なく読めるわ。異世界転移を経験すれば言葉の壁も超えるのね」
アインはうっとりと本の表紙をなでた。
「これで美味しいものをたくさん作って隊長に食べてもらうの。そして私は正妻の座を獲得するのよ。もちろんみんなにもお裾分けしてあげるわね」
上機嫌のアインはいつもよりみんなに優しかった。
***
LEDランプの下で俺はバイクのエンジンオイルを交換していた。
最後にオイル交換をしたのは二年前のことだ。
今日は新しいオイルに入れ替えて、フィルターも交換するつもりである。
そのための工具と材料はヨネリですべて購入済みだ。
それにしてもオイルを車体から抜くのは時間がかかるなあ。
エンジンの底から流れる古いオイルを眺めていたらメーリアが日誌を持ってやってきた。
差し出された日誌に目を通していると、メーリアが話しかけてくる。
「そういえば、アインにはプレゼントをたくさん贈りましたね」
「ん……? ああ、服と靴と本のことか」
軽く聞き流して俺は日誌の続きを読む。
メーリアの書く文字は端正で読みやすい。
「こんなことを言ってはなんですが、隊員に不公平があってはいけないと思います」
「なんのことだ?」
切羽詰まった顔でメーリアは意見を述べた。
「隊長はオートレイにシャベルを買い与えました」
「オートレイが欲しがったんだ。穴を掘るのが趣味だなんて変わっているけど、好みって人それぞれだからなあ」
「それはいいのですが、オートレイにはシャベルだけで、どうしてアインには服と本なのでしょう? それは隊長がアインを特に気に入っているからですか?」
そういうことか……。
「たまたまだよ。アインに着せるには俺の服は大きすぎたからね。だが、メーリアの言うとおりだな。次回からはそれぞれに日本の服を買って着てもらうとしよう」
「よろしいのですか?」
「だって、そうしないと不公平なんだろう?」
そう言うと、メーリアは申し訳なさそうな顔になってしまった。
「すみません、私が変なことを言うから、隊長の出費が増えてしまって……」
「いや、君の言うとおりだ。不公平はよくない。そうそう、メーリアにはまだプレゼントを贈っていなかったよな。君のおかげで日本へ帰れることが分かったっていうのに、すまないと思っていたんだ」
「そんな……」
「次に一緒に日本へ帰ったら君の好きなものを選んでくれ。新しい服や靴も買おう。って、もちろん君が了承してくれたらの話だ」
これじゃあ物で釣ってキスを強要しているみたいに聞こえるよな。
そうじゃないことはわかってほしい。
「君が行きたくなければ無理強いはしないからその点は安心してくれ」
メーリアは下を向いたままうなずいた。
「おい、泣いているのか? 泣くほど嫌なら本当に行かなくていいんだぞ」
「泣いてなんかいません!」
いや、目の端が赤いんだけど……。
「隊長、私のこともご両親に紹介していただけますか?」
「もちろんさ、君は副長じゃないか。日誌を書くのが面倒な俺に代わって苦労させていると報告するよ」
そう言っておどけて見せたのだが、メーリアの両目からは大粒の涙がこぼれてしまった。
「な、泣かないでくれ! 日本へ行くのが嫌なら断ってくれていいんだ。本当だぞ」
「いいえ、絶対にご一緒します!」
そう宣言してメーリアはいってしまう。
バイクの古いオイルがようやく抜けきったところだった。
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