7、アレックスは見ていない
模擬戦と銘打ってはいるものの、その勝敗は学徒の進路に大きく影響する。
魔力学校では模擬戦の成績はそのまま魔力操作の習熟度として判断される。すなわち、模擬戦での黒星が多い学徒は技能不足として、進級が許可されない可能性があるのだ。
また、模擬戦での成績優秀者はMSCCでの上位入賞が期待されるため、学内において優遇措置が受けられる。授業料の減免や寮費の免除だけでなく、高学年での選択授業の優先権が与えられる。
これらの恩恵が受けられるにもかかわらず、模擬戦はMSCCと異なり、一部の危険な魔力操作が禁止されている。授業内で学徒が大けがを負う事態になれば、学校の監督責任が問われれるためだ。
つまり、学徒からすれば、リスクを負わずに内申を上げることができるわけだ。
そしてこれは蛇足だが、模擬戦の成績は学内の非公式序列であるRANKにも影響する。むろん、非公式であるからRANKの高低は学徒の将来にはほとんど影響しない。
しかい、RANKはそのまま学内ヒエラルキーを意味する。そのため、自己顕示欲の高い一部の学徒は、ルール違反を犯してでも模擬戦の白星をもぎとろうとする。
アレックスの対戦相手はシンガーといった。
アレックスはRANKでその名前を見かけたことがあった気がしたが、詳しいことはほとんど知らなかった。
そもそもアレックスは同級生にほとんど興味がない。彼が見据えているのは士官学校に入り軍人となった自分だけで、興味があるのはそれを阻む存在だけだった。
例外と言えるのは付き合いの長いアンジーと、そしてノエルだけだ。
だからアレックスは、シンガーがどんな魔力操作を行うのか、どのような戦闘スタイルなのか、どれほどの実力があるのか、何一つ知らなかった。
確かなのは、ノエルより強いことはあり得ない、ということだけだった。
そして、それが分かればアレックスには十分だった。
一方、シンガーはアレックスを強烈に意識していた。
シンガーは本来、RANK1位にも匹敵しうる実力をもった学徒だった。
彼は辺境の大地主の三男として生まれた。家督を相続できる立場になかった彼は、慣例に従えば、有力者の養子に入り、その娘と結婚して一族の繁栄に貢献するはずだった。
しかし彼は容姿に恵まれなかった。背が低く、熟しすぎた果実のようなあばた面で、どれほど着飾ってもその醜さは隠しようがなかった。
一族にとって彼の存在価値は無いに等しかった。もはや彼には、商家に奉公する形で家を出る道しか残されていないはずだった。
しかし、幸いなことに彼には魔力操作の才能があった。
7歳のときに魔力操作の才能を見出されてから、彼は死に物狂いで研鑽を積んだ。当時の彼は幼かったが、自身の生存要件が、士官学校への最短ルートとも呼ばれる魔力学校に入学することだと見抜いていた。
シンガーは無事に魔力学校への入学を果たした。彼の胸元には魔力学校の学徒を示す緋文字の胸章がつけられた。
すると、周囲の風向きが変わった。書架の上段に届かない彼を見ても誰も笑わなくなった。彼のあばた面を見ても誰も目をそらさなくなった。誰もがシンガーの胸元に光るものを見て媚びた笑みを浮かべるようになった。
魔力主義がはびこる帝国で、魔力学校への入学は絶対的な価値をもっていた。なぜなら、士官学校に入り軍人の道を歩むことが何にも勝る栄誉だったからだ。
シンガーは誇りを取り戻した。彼の顔には笑顔が見られるようになった。
しかし同時に、彼は自身の魔力操作への技能に強く依存するようになった。
順風満帆にかじを切ったかに思われたシンガーだったが、現在の彼のRANKは1位どころか4位だった。
彼の失墜の要因はアレックスだった。
アレックスの魔力操作の技能は他を圧倒していた。MSCCの準々決勝で対戦した際、シンガーはアレックスの実力を痛感した。アレックスの存在が、シンガーが1位になるのを阻んだ。それだけでなく、シンガーはこれまで何度かアレックスと模擬戦で対戦していた。
結果は黒が4つに白なし。シンガーはRANK2位どころか4位まで転落する事態となった。
シンガーは焦った。彼にとっては魔力操作の技能だけが取り柄だった。それを失ってしまえば、周囲から嘲笑われるただの醜男に逆戻りしてしまう。
それは今のシンガーにとっては死も同義だった。一度でも周囲の羨望の目を集める快感を経験すれば、それを失う恐怖に耐えることは難しかった。
シンガーは目の前に対峙するアレックスを見つめた。
アレックスはシンガーのように小さくはないし、シンガーのように醜くはなかった。
こんな男に自分の苦しみはわからない、とシンガーは思った。やっとつかんだこの栄光を、こんな男に奪われるわけにはいかない。
シンガーは大きく深呼吸した。
もうなりふり構ってはいられない。
リスクを冒してでも取るべきものが、シンガーにはあった。
シンガーにとって、今の栄誉を失う以上の恐怖などなかった。
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