5、アレックスは聞かされる
一つ目、と女学徒は動かせるほうの手を上げて、人差し指を立てた。
「あの日、あなたに何をしたのか。答えは単純。魔力による心理操作よ」
「心理操作?」
「そう。非接触系魔力操作の一種」
「聞いたことないぞ、そんな魔力」
アレックスは言った。
「それはあなたの勉強不足よ。非接触系を語るなら外すことができないものよ」
女学徒はすげなく言った。
「まあ、そうは言っても有効な状況が少ないことは確かよ。非接触系は接触系と違って要求される情報量が圧倒的に多いから、対象範囲は極めて狭いわ。だから学校の授業では扱われないし、予算がおりないから研究も進んでいない」
情報、という言葉をついさっき聞いた気がした。
「おれはその魔力操作の対象範囲だってことか」
「RANK1位の情報なんて至るところにあふれているわ。ま、有名税だと思ってあきらめなさい」
「結局、その心理操作ってのは何なんだ」
「多量の情報をもとに対象の心理を支配下において、自分の意のままに操作する魔力操作よ。マリオネット化と表現する人もいるけれど、厳密には操作しているのは肉体ではなく精神だから、正確に言うなら、そうね、マインドハックってところかしら」
「そんなことができるのか・・・」
「十分に情報が得られていれば、ね」
また、情報だ。
「さっきから言ってる情報ってのはそんなに大事なのか。魔力操作に必要なのは自分の魔力量とその操作技術だけじゃないのか」
すると女学徒はあきれた顔をした。
「あなた、本当に魔力について知らないのね」
これもさっき聞いた言葉だとアレックスは思った。
アレックスは言った。
「なあ、教えてくれ。おれは何を知らないんだ」
「いやよ。与えられるだけの知識に価値なんてないわ。自分で勉強なさい」
女学徒にはとりつくしまもなかった。
女学徒は人差し指に加えて中指を立てた。
「二つ目の質問。わたしの情報がどうして出てこないのか。答えは二つ。一つは、わたしが意図して表に出さないようにしていたから」
「意図して?何のためにだ」
「自衛のためよ。さっきも言ったでしょう。情報は資産なの。不用意に公開して、魔力操作をかけられてからでは遅いのよ」
情報、情報、情報。
繰り返されるその言葉の意味や重みが、まだアレックスにはわからなかった。
「二つめの理由は、わたしが素行不良だからってことね」
「不良?お前が?」
アレックスはまじまじと女学徒を見つめた。
女学徒の澄んだ瞳とまた目が合った。きれいな瞳だ、と思うと同時に、気恥ずかしさからアレックスは目をそむけてしまった。
女学徒は言う。
「わたし、実技演習にはほとんど出席していないの」
「なぜだ」
「意味がないからよ」
当然のことだ、とでも言いたげな口調だった。
「魔力とは、魔力操作とは、対象への干渉に他ならないわ。そのために必要なのは魔力操作を実演することではなくて、対象の情報を蓄積すること。肉を肉、骨を骨と見極めることができなければ、戦場で負傷した兵士を治療することすらままならないのよ」
それなのに帝国は情報に投資しようとしない、と女学徒は言った。
「情報の重要性を語らずに、いかに強力でいかに広範囲の魔力操作を行うかだけに終始している。そのための授業なんて、わたしには無価値だわ」
「・・・」
「学校側からすれば、そんな学徒の情報は極力潰しておかないと、評判にかかわるわけ。これでわかったかしら、わたしの情報が出てこない理由」
「・・・」
アレックスには、いまだ女学徒の言葉の全容はつかめていない。おそらく正しいのだろう、と直感的に理解しているだけだった。
しかし、魔力を実演することが無意味で、情報だけが有意義だという女学徒の発言は、引っかかるものを感じた。
なぜなら、
「戦場では情報なんて腹の足しにもならない」
アレックスは両親を思い出した。
軍人だった両親。彼らのたどった道筋が、情報の有無で変わっただろうか。
自分に向かってくる銃弾を、情報ではじき返すことができるとでもいうのか。
アレックスは無意識にこぶしを握り締めていた。
「・・・あなたとは分かり合えそうにないわね」
女学徒は立ち上がった。
「助けてくれてありがとう。治療してくれたことも感謝してる。それじゃあ」
アレックスははっとした。
思わず女学徒の袖をつかんでいた。
「待ってくれ。まだお前の名前を聞いてない」
女学徒は足を止めた。しばらく間があってぽつりと、
「ノエル」
とだけつぶやいた。
名前を知っただけなのに、不思議とアレックスの心に巣くっていた不安が少し和らいだような気がした。
「ねえ、わたしからも一つ質問していいかしら」
女学徒がそのままの姿勢で言った。ちらりとアレックスを横目に見やって、
「あなた、右腕をどうしたの」
アレックスは無言だった。
女学徒はしばらく返事を待っていたが、やがてアレックスの手をふりほどいて、保健室から出ていった。
残されたアレックスは、無意識に右腕をさすりながら、開いたままの扉を見つめていた。