10、アレックスは立ちはだかる
その事故は、不運が積み重なった結果だと言える。
魔力操作の基礎演習において、学徒たちは発火の魔力操作に先立って消火の魔力操作を叩き込まれる。ランタンの火を非接触系の魔力操作によって消火する訓練は、精密な操作を要求されるうえに地味とあって、学徒たちには不人気だった。
それでも魔力学校が頑としてカリキュラムの変更を認めないのは、発火の魔力操作の危険性を十分に理解しているからだった。
発火の魔力操作にはいくつか種類があるが、その大半が3等級以上に位置付けられている。人身に危害を及ぼすおそれがあり、また二次災害が発生する蓋然性も高いからだ。
また、一度燃え広がった炎は、魔力操作をほとんど受け付けない。火災の全容を把握できなければ、対象にとって魔力操作を行うことなど不可能だからだ。
実際、過去には魔力操作の誤発動が原因の火災事故も発生している。
このような事情から、魔力学校では何よりも先に消火の魔力操作の演習を実施することがカリキュラムで定められている。
事故当時、アンジーやノエルが行っていたのも、この演習だった。シンガーの引き起こした爆発によって炎は消し飛んでいたが、いくつかのランタンではわずかに火種が残っていた。
シンガーが巨大火球を発射したとき、シンガーは意識のリソースをすべて割いて火球の制御を行っていた。火球の形を維持したまま、目標に向かって速度を保って飛ばすために、シンガーは魔力のすべてを火球に注ぎ込んだ。
あるいは、魔力を注ぎすぎた。
そのことに気付いたのは、その場ではアレックスだけだった。
火球の維持に必要以上の発火の魔力操作を行った結果、シンガーの魔力は周囲へと漏れ出し、着火源を求めて広がっていった。アレックスは、ガスが充満するように周囲に魔力が広がっているのを肌で感じた。
アレックスは不吉な予感を感じて、防御魔法を維持しながら周囲を見回した。
漏れ出た魔力の行き先に基礎演習組が使用していたランタンがあったのは、不運としか言いようがない。
あるいは、魔力の暴発によって弾丸と化したランタンの矛先に一人の女学徒がいたことも、不運と言わざるを得ないだろう。
シンガーの強力な魔力を過剰に注ぎ込まれたランタンは、小規模な爆発を起こして火柱を上げた。
基礎演習組から悲鳴が上がる。
近くにいたアンジーは身体がこわばってその場から動くことができなかった。
火柱を上げるランタンは、制御を失った四輪駆動のようにその場をぐるぐると転がり始め、やがて弾丸のようにはじかれた。
完全な魔力の暴発だった。
弾丸と化したランタンは、一人の女学徒にめがけてすさまじい速度で飛んでいった。
魔力の暴発は瞬間的な自然現象で、それゆえに人の手には負えない強さやスピードを持っている。
ノエルは、自分に向かってくるランタンを認識しながらも、回避が追い付かないことを直感した。そして、直撃すればけがでは済まないことも。
ノエルは目をつぶった。
「・・・!」
予期していた衝撃が襲ってこないことに、ノエルは気づいた。
あるいは衝撃の瞬間に即死して、今あるこの意識はこの世のものではないのだろうか。
ノエルはうっすらと目を開いた。
ノエルは驚愕で目を見開いた。
先ほどまで模擬戦会場で戦闘を行っていた男が、目の前で左腕をかざすようにして防御姿勢を取っていた。
アレックスは火炎の直撃を受けてひどい有様だった。防御が間に合っていないことは明らかで、特に左腕は焼けただれていた。
アレックスは膝をついて地面に倒れこんだ。
「アレックス!」
アンジーが駆け寄った。今まで腰を抜かして動けなかったことなど忘れていた。
「動かさないで!」
ノエルが叫んだ。アンジーは肩を震わせて動きを止めた。
「傷がひどい。下手に動かすと悪化するわ。誰か、担架をもってきてちょうだい」
ノエルはてきぱきと指示を出して、アレックスを保健室に運んだ。講師ですら立ち入る隙はなく、アンジーは言わずもがなだった。
アンジーただ見守ることしかできず、ノエルがいるためにアレックスに付き添うこともためらわれた。
アンジーは取り残された演習場で、ただアレックスの無事を祈った。