第18話『柴犬と『愚者の蹄』』
「後ろ?」
ツカサに言われて、ようやく遠方から三台の馬車が猛スピードで接近しているのに気が付いた。
すでにこちらに向かって続々と矢が放たれており、その矢先は今にも俺たちを射貫こうとしていた。
「《影箱》!」
咄嗟にヘイトスの前に出て《影箱》の黒い渦を眼前に出現させると、その中に飛び込んだ矢は音もなく収納された。
《影箱》でカバーしてきれなかったミリルは、懐に提げていた剣を抜き、その刀身を器用に使って矢をガードし、そのままじりじりと荷台の中へ後退する。
「ヘイトスも下げれ! 流れ矢に当たるぞ!」
「ひ、ひぃっ!」
荷台の前まで行き、頭を抱えて小さくなるヘイトスは、こちらは見ずに震えながら言った。
「あわわわ! な、なんとかしてくださいタロウさん! このままじゃ殺されちゃいます!」
敵の馬車は三台。ぴっちりと布が張ってあり、その中に何人乗っているかまでは把握できない。
「人数を把握させないように敢えて布を張ってるのか……。十中八九プロ……『愚者の蹄』に間違いないだろう」
ミリルは危なっかしく矢を叩き落としながら、
「ど、どうするんですか!? このままじゃ追いつかれますよ! そうなったら一気に乗り込まれておしまいじゃないですか!」
「いや、それはない」
「どうしてそんなことが言えるんですか!?」
「まず、相手の馬車の方がこっちの馬車よりも速度がある。つまり、乗っている人数は俺たちと同じくらいか、それより少ないかだろう。今もこうして矢を射って牽制してるのがその証拠。せいぜい俺たちをかく乱させ、その間に少人数で乗り込んで制圧しようって魂胆だろう」
「な、なるほど! それで、こちらはどうやって反撃するんですか!?」
「そう。それが問題だ。何しろ俺は遠距離攻撃ができるスキルを持っていないからな」
「そんなこと自信満々に言われても~……」
《影箱》に収納した矢を放出してやり返す、という手はあるが、実は《影箱》は、収納と取り出しを同時に行うことができない。つまり、《影箱》での防御を一時的にやめ、その後矢の射出に切り替えると、飛んでくる矢に対して無防備になってしまうというわけだ。
「う~む……。どうしたものか……」
《影箱》の黒い渦に隠れながら悩んでいると、ミリルは矢を叩き落しながら苛立ったように叫んだ。
「ちょっと! この状況で長考しないほしいっす! というか自分もその黒いやつの後ろに入れてくださいよ!」
「定員オーバーだ。お前はお前で頑張ってくれ」
「そんな殺生な……。うおっ!? あぶなっ! 見ました!? 今のもうちょっとで自分の首に刺さってましたよ!?」
「さて、次の手は……」
「無視するのやめてもらえます!?」
打開策を考えていると、御者をしていたツカサがミリルを呼びつけた。
「ミリル。御者を代わってくれ」
「ツカサ様? あわわ! もう手綱放してるじゃないっすか!」
無防備になった手綱に飛び込んだミリルに代わり、ツカサが何やら自信ありげな表情で荷台の方へやってきた。
「なんだ、ツカサ? なにか手があるのか?」
「ふっふっふ。何を隠そう。ここへ来る前、ちょうど町で新しい暗殺道具を買ってきたところなんだ」
あぁ……。それを試してみたかったからそんなウキウキした顔してるのね……。
「で、どんなの買ったんだ?」
「これだ!」
ツカサが取り出したのは、鋭い刃が円を描くような形をした武器で、俗にチャクラムと呼ばれるものであった。
「チャクラムか……。また珍しい武器を……。というかそれ暗殺道具に入るのか?」
「む? チャクラムを知っているとは、さすがタロウ。これを売ってた露店の店主の話によれば、東洋の国で古くから使われている投擲武器らしい」
「不器用なくせにほんとに使いこなせるのか?」
「ふっ。こういう身体能力に頼った武器の扱いは死ぬほど特訓したからな。まぁ見ていろ」
そう言ってツカサはクルクルとチャクラムを人差し指で回し始めた。
自信ありげに言っていただけのことはあり、チャクラムは一切重心をブレさせることなく、ツカサの人差し指を中心に綺麗な円を描いた。
「ほぉ……たしかにうまい……な……」
「ん? どうしたタロウ?」
「いやぁ……? 別に……」
何故かはわからないが、ツカサが回しているチャクラムを見ていると、俺はそのチャクラムを必死で目で追ってしまい、思考が定まらなくなった。
へぇ……。チャクラムって結構綺麗に回るんだなぁ……。
ふ~ん……。なんか見てると楽しいなぁ……。
なんだろう? 胸の奥からざわざわとした感じがこみあげてくるような……。
ツカサが回すチャクラムが、ヒュンヒュンと空を切る音を立てると、ぞわぞわと毛が逆立ち、目が離せなくなった。
ツカサは真後ろから接近する馬車に狙いを定めると、チャクラムを回す手を大きく後ろに振りかぶる。
「馬車の弱点は馬だ。馬には悪いが、ここは一撃で仕留めさせてもらう! てやっ!」
ツカサが全力でチャクラムを投げ飛ばした瞬間、どうしてだか、俺は流れるように足元の荷台を蹴り、そのままピンと体を伸ばして宙を舞っていた。
……あれ? 俺、いったい何してるんだ?
頭では一瞬そんな疑問が浮かんだが、そんなことよりも目の前をクルクルと回るチャクラムに神経が集中し、俺は飛び出した勢いのまま、宙を飛んでいたチャクラムを見事口に咥えてしまった。
チャクラムの刃が当たらないように剥き出しにした牙がガチンッ、と甲高い音を立てる。
ツカサは驚いたように口をあんぐりと大きく開いた。
「なっ!? タ、タロウ!? 何をしているんだ!」
すいません……。
それは俺が一番知りたいです。
俺はどうしてこんなことをしているんでしょうか?
ただ……何故だか……飛んでいくチャクラムを咥えずにはいられなかったんです。
きっと飼い主の投げた円盤を楽しそうに咥えに行く犬はこんな気持ちなんだろうな、などと考えながら、思いきり飛んでしまった俺の体はそのまま後ろを走っていた馬車へと突っ込んだ。
中に隠れていた数人の男たちが、急に飛び込んできた俺を見てあたふたと慌てている。
「うおっ!? なんだこの犬は!?」
「間抜けな顔をした犬め!」
「つまみ出せ!」
と、乱暴に俺を蹴り落とそうとしたが、いくら相手が犯罪組織の構成員とは言え、やはり神である俺との戦闘力の差は歴然。
俺は咥えたチャクラムをそのままに、敵の攻撃をすべてかわし、その間を縫うように走り回ってかく乱し、隙を突いて全員を馬車から叩き落とし、最後には御者も地面の屑と変えてやった。
パッカパッカと走る馬の前方には、ポカンとした顔でこちらを見つめているツカサとヘイトスの姿がある。
俺はそこでようやく、チャクラムを咥えっぱなしだったことに気づき、静かにそれを下に置いて、改めて二人に向き直って堂々と宣言した。
「すべて計画通りだ!」




