第1話『柴犬ヴォルグ』
馬車に揺られること三日。
「タロウ、そろそろ到着するぞ」
ツカサに声をかけられ、あくび混じりで馬車の前方を見るが、そこには森が広がっているだけで、ヴォルグの町らしきものは確認できなかった。
「なんだ? まだ着いてないじゃないか」
「いいや、よく見ろ」
「んー?」
そのまましばし待っていると、森の木々が左右に分かれ、突然目の前に仰々しい石壁が出現した。
「おぉ! ここがヴォルグか!」
それまで俺と同じように眠りこけていたソフィアも、眠たそうな目をこすりながらズンと俺に覆いかぶさるようにして前方を見やった。
「へぇ、中々立派ですねぇ。ま、私の故郷ヴィラルほどではありませんけど」
「いちいちマウント取るなよ……」
「鬼が出るか、蛇が出るか……。どちらにせよ、エリザさんの話を聞いてからでは心躍りませんね」
「……まぁな」
俺たちは以前、神鬼を討伐した後、神鬼と行動を共にしていた女、エリザからヴォルグの話を聞いていた。
◇ ◇ ◇
あれは俺たちがBランクへと昇格するよりも前の話だ。
リラボルの冒険者ギルドの地下には、法を犯した冒険者を捕えておくための牢獄がある。
神鬼に与していたエリザもそこに入れられることになったと、後から聞かされた。
そして冷たい牢獄の中で、俺に噛み千切られた右腕があった肩を押さえ、質素なベッドに腰かけたエリザと対面した。
エリザは右目につけた眼帯越しでもわかる、どこか晴れ晴れとした表情で、檻越しに集まった俺たちに視線を移す。
「あら。全員揃ってなにか用かしら?」
この場には俺の他に、ソフィア、ツカサ、エマも同行している。
「俺たちがどうしてここに来たかなんてわかってるだろ」
「さっぱりわからないわね」
後ろで、エマが不安そうな表情でツカサの後ろに隠れているのがわかった。
そりゃそうだ。エマはこの女と神鬼に攫われ、怖い思いをさせられたのだ。
本来ならばこの場に連れてきたくもなかったが、エマがどうしてもエリザに会っておきたいというので、渋々一緒にここへ来ることになった。
あの時のエマの泣き顔を思い出すと、俺は今にもエリザに飛び掛かりたい衝動に襲われるが、ぐっとこらえて冷静に言葉を紡ぐ。
「ヴォルグという町には近づくな、っていうのはどういう意味だ?」
「ふぅん……。あの看守、律儀にあんたたちに伝言を伝えたのね」
「簡潔に答えろ。ヴォルグにはなにがある?」
「……さぁ?」
「おい! いい加減に――」
「ちょっと待って。何があるのかはほんとに知らないのよ」
「……なんだと?」
エリザは小さく頷くと、右目の眼帯にそっと触れた。
「私の魔眼は、広範囲の魔力探知をすることができる。だから、神鬼が陥落させるのにちょうどいい町の選定を任されていたの……。けど、あのヴォルグという町に関しては、神鬼は近づくなり、ぼそっとこう言ったのよ――」
痛むのか、エリザは右肩を強く押さえて続ける。
「――『この町は分が悪い』ってね」
「分が悪い? ……つまり、神鬼はヴォルグを陥落させられないと自分で判断したってことか?」
「えぇ。神鬼は索敵スキルを持っていなかった。だからただの野生の勘だろうけどね。ヴォルグには偶然立ち寄っただけだから、私も魔眼で見てなくてはっきりしたことはなんとも言えないんだけど、唯一断言できることは、あの傲慢で自信過剰な神鬼が尻尾を巻いて逃げ出すほどの何かが、ヴォルグの町にはあるかもしれないということだけ」
「つまり……他の唯一神候補、それも神鬼より力のある奴がいるかもしれないってことか」
「でしょうね」
「……わかった。聞きたいことはそれだけだ」
そのまま牢獄を去ろうとすると、エリザは檻越しに声を張った。
「まさか、ヴォルグに行く気じゃないでしょうね?」
「だったらなんだ?」
「……はぁ。神鬼を倒してくれたお礼に、忠告のつもりで教えてあげたんだけどね。いいわ。死にたいなら好きにしなさい」
エリザの言葉を最後に再び歩を進めようとすると、エマが何故か立ち止まっているのに気がついた。
「エマ? どうした? 帰るぞ?」
それまでツカサの後ろに隠れていたエマは、ぐいっとエリザの方へ身を乗り出すと、おどおどとした様子でたずねた。
「あなたはあの時……本当にボクを殺そうとした?」
エマの問いに、エリザは一瞬目を逸らし、どうでもよさそうに適当に答える。
「何言ってるの? 当たり前でしょ?」
「……ボクは、そう思わなかった。あの時伸ばされたあなたの手は、まるで、ボクを押しのけようとしてるみたいだった……」
エリザは小さなため息を吐くと、
「だから子供は嫌いなのよ」
と一言だけこぼし、それ以上口を開くことはなかった。
◇ ◇ ◇
現在。ヴォルグの町。
ウォルレ所長が用意してくれた馬車から降り、町中へと足を踏み入れた。
一見すれば、リラボルの町と大差はないように思えるが、決定的に違うところが一つあった。
「やけに冒険者が多いな……。それに、昼の稼ぎ時だっていうのに閉まってる店も多い」
リラボルでは冒険者よりも、普通に暮らしている住人たちの方が圧倒的に多いのだが、ヴォルグでは視界に入っているほとんどの人物が、剣やら杖やらを持った冒険者であることがわかった。
ツカサはどこかから取り出したフード付きの外套をすっぽりと頭からかぶり、
「新種のモンスターとやらのせいで物資の調達ができないから、閉まっている店が多いんだろう」
ソフィアも続ける。
「それにしても、なんだか冒険者の方々も血気盛んというか……。あ、ほら、あっちでもこっちでも殴り合いのケンカをしてますよ!」
ソフィアの指差した先では屈強な男たちが殴り合いをしており、周囲にいる冒険者たちはそれを止めるでもなく、冷やかすように野次を飛ばしている。
「ま、腕っぷしに自信がなけりゃ冒険者になんてならないだろうし、そんな奴らが集まれば治安は悪化するのかもな」
「ひぇぇ……。タロウ様、ツカサさん! 私とエマさんから決して離れてはいけませんよ! 私たちから離れた瞬間『フェンリル教団』の総人口が半分になると思ってください!」
相変わらず死ぬ覚悟が早すぎるぞ……。
ま、俺が一緒にいたところで、犬の散歩してる無防備な女の子扱いされて、どうせ絡まれるんだろうけどな……。
「それで――」
とツカサに視線を向けると、あからさまに気まずそうに目を逸らされた。
「――ツカサはどうしてフードで顔を隠してるんだ?」
「いや、別に隠してなどいないぞ……」
「いいや、それは嘘だな。鍛えた筋肉を他人に見せつけることが生きがいのお前が、好き好んで肌を隠すはずがない。それに、ここに到着する前だって、まだヴォルグの町が見えてなかったのに、ヴォルグに到着したことに気づいただろ。何か隠してるのも匂いでバレバレだぞ」
「う、うぅむ……。タロウにはかなわんな……」
と、そんなことを言っているそばから、エマがトコトコと一人で町中へと歩き出してしまった。
ソフィアが慌ててその背中を追いかける。
「ちょ、ちょっとエマさん! ステイですよ、ステイ! 私たちは暴力の前では無力なんですから!」
「こっちからおいしそうな食べ物の気配がする」
「そんな怪しげな気配に引き寄せられちゃいけません!」
エマの言葉が気になり、改めてスンスンと周囲の匂いを嗅いでみると、たしかに香ばしい肉の焼ける匂いが漂っていた。
なるほど。食べ物があるのは本当らしいな。
……で、なんでエマはフェンリルである俺の鼻よりも先に食べ物の存在を感知してるんだ? 相変わらず料理人としてのスキルだけは突出してるな……。
「ま、誰しも話したくないことはあるしな。そのうち気が向いたら教えてくれ」
ツカサにそう言うと、「うむ」とだけ小さく返ってきた。




