第4話 柴犬と王女
まさか、フェンリルに転生したはずが柴犬にされるとは思わなかった……。
もう一度よく自分の体を眺めてみるが、やはりどう見ても柴犬だった。
胸に浮かぶひし形の模様が、あのかっこよかったフェンリルの姿を想起させて、今の姿とのギャップを浮き立たせた。
「はぁ……。唯一神になれとかいう話はいったいどうなったんだよ……。となりではなんか女の子が泣いてるし……」
何故か泣き続ける少女は、虚ろな目でなにやらぶつぶつ呟いている。
「どうして……。どうして犬が……。うぅ……。私はいったいどうすれば……」
声かけづらいな……。
けど、フェンリルのこと知ってる風だったし、何かわかるかも……。
「な、なぁ、ちょっといいか?」
少女は赤く腫れた目でこちらを見やると、
「は、はい? なんでしょうか?」
「お前はいったい誰なんだ? 俺のことを知ってるのか?」
「……私は、ヴィラル王国の王女、ソフィア・ヴィヴィラドルです……。代々フェンリル様にお仕えしてきた一族の者です……」
フェンリルに仕えてきた一族? そう言えばリリーが、フェンリルの力を継承するとかなんとか言ってたっけ……。
ということは、俺が力を受け継ぐ前にも、別個体のフェンリルが存在したってことか。
にしても……まさかこの子が王女様だとはな。
「俺はタロウだ。よろしく」
「は、はい……。よろしくお願いします、タロウ様……」
うっ。名前のせいか犬感が増してしまった……。
どうせ転生したんだったら、別の名前を考えればよかったな……。
ほんのりと後悔の念にかられていると、ソフィアが恐る恐る上目遣いでたずねてきた。
「……あの、タロウ様は本当にフェンリル様……なんですよね?」
「さっきまでは俺もそのつもりだったけど、この柴犬の姿じゃあちょっと怪しいな。もしかしたら神とか全然関係ない普通の柴犬にされた可能性が拭えん」
と、苦笑いを浮かべると、突如、後方から聞き覚えのある声が飛んできた。
「タロウくんは正真正銘、本物のフェンリルだよっ!」
振り返ると、なんとそこには、俺をこんな姿にした張本人、リリーがふわふわと宙に浮いていた。
「あっ! おいリリー! なんだこの格好は! 今すぐ俺をあのかっこいいフェンリルの姿に戻せ!」
「えー! どうしてそんなこと言うのっ! せっかくかわいくしてあげたのにぃ!」
「かわいくって……。俺はそんなこと頼んでないぞ!」
「それにもうその姿で肉体が構築されちゃったから、今更もとに戻すなんてできないも~ん! ざ~んね~んでした~!」
ぐぬぬ、なんて自分勝手な女神なんだ……。
リリーはひょいっと俺の体を持ち上げると、すりすりと頬ずりして、
「はわ~。やっぱりこの毛並みいいな~。かわいいな~。えへへ~。ずっとこうしてても飽きな~い」
「や、やめろ! 恥ずかしい!」
「や~だ~よ~」
すりすり。
ぐっ! 今猛烈に、俺の人間としての尊厳が失われている気がする!
リリーは俺の両脇に手を突っ込むと、「はいっ!」とそのままソフィアの方に突き出した。
「ほらっ! あなたも触ってみて!」
ソフィアは戸惑いながら、
「えっ……。わ、私も、ですか……?」
「そうっ! とっても気持ちいいよ! さっ、はやくはやく!」
「で、でも……」
「いいから、いいから!」
「は、はぁ……」
リリーの勢いに気圧され、ソフィアはしぶしぶ俺の耳に手を伸ばした。
ソフィアの温かい指先がふにっと俺の耳先を捉える。
するとソフィアは、「へぇ……」と声を漏らし、何故かそのまま触感を確かめるように何度も俺の耳を指でさすり続けた。
ふにふにふに。
ソフィアは少し頬を赤らめながら、今度は両手で俺の耳をさすった。
「ほぉほぉ……。これはこれは……。ふ~む……」
「おい! いつまで触るつもりだ!」
「はっ! す、すいません! つい!」
「ついって……」
ぱっと手を引っ込めたソフィアに、何故かリリーが自慢げに言う。
「ね!? いいでしょ!? 触り心地もかわいいよね!」
「え、えぇ、まぁ……。たしかにクセになるというかなんというか……」
「尻尾はもっともふもふだよっ!」
「ほぉ。それは興味深いですね」
やめろ。
ソフィアは首を傾げて、
「と、ところで、あなたは誰なんですか?」
「リリーは女神様だよ! タロウくんをフェンリルにしてこの世界に転生させたの!」
「女神様……。たしか、唯一神候補の神様は、皆様別の女神様が魂と肉体を紐づけるんですよね? 話には聞いていましたが、まさかこんなにかわいらしいお姿をなさっているとは驚きです……」
「でへへ~。リリーかわいい? かわいい?」
照れて嬉しそうにはにかんでいるリリーの手から身じろぎして逃れると、
「そんなことより、さっきの話はどういうことなんだ。正真正銘のフェンリルだと? 俺は柴犬にされたんじゃないのか?」
「えっとねー。柴犬に変えたのは外見だけだから、中身は変わってないの!」
「……てことは、俺は柴犬の姿をしたフェンリルってことなのか?」
「そうだよっ! 何事もかわいくないと始まらないからね!」
「ぐぬぬ……。そんなふざけた理由で俺をこんなおもしろ生物に変えやがって……。つーか、リリーも普通にこの世界にこれるなら、自分で唯一神とかいうのになればいいだろ」
「ぶっぶー! リリーはこの世界への過度な干渉は禁じられているんですぅ! これ天界の常識だよぉ?」
なんかいちいち鼻につく言い方されるな……。
ジトリとリリーを睨んでいると、不意にどこからともなく無機質な女の声が聞こえてきた。
【ソフィア・ヴィヴィラドルの信仰心により、神格スキル《狼の大口》を獲得しました】
「な、なんだ!? 突然女の声が!」
しかし、辺りを見渡しても声を発した者はおらず、ソフィアは不思議そうに首を傾げている。
「声、ですか……?」
「あぁ。今、信仰心がどうのこうのって……。聞こえなかったのか?」
「え、えぇ、特には……」
呆気に取られていると、リリーが口をはさんだ。
「今のはねー。タロウくんの頭の中でだけ聞こえる自動音声だよ。新しいスキルとかが手に入ったりすると知らせてくれるようになってるの! ちなみに、自分のステータス画面も自由に頭の中に表示できるからね!」
「ステータス画面?」
聞き返すと、パッと頭の中に半透明の小窓が表示された。
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[ステータス]
〈名前〉タロウ
〈種族〉フェンリル
〈職業〉なし
〈称号〉なし
体力:2000
筋力:1500
耐久:1000
俊敏:2000
魔力:4050
〈神格スキル〉:《超嗅覚》・《狼の大口》
〈新神格スキル詳細〉
《超嗅覚》:優れた嗅覚で周囲の情報を鮮明に読み取る。
《狼の大口》:自らの影から口を出現させ、それで噛みついた生物のスキルをコピーし、自分のものとする。
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「スキル、《超嗅覚》に《狼の大口》……?」
表示された小窓の文字を読み終えるや否や、リリーはまくしたてるように言った。
「唯一神候補の神はねー。みんなの信仰心を集めることで、『神格スキル』っていう超強いスキルをもらえたり、ステータス値が大幅アップする特典がもらえたりするの! さらにタロウくんの場合はねー、《超嗅覚》っていう神格スキルが元々備わってるの! フェンリルに転生した特典みたいなものかな。匂いを嗅げば大抵のことはわかっちゃう便利スキル! で、今手に入れた《狼の大口》は、敵からスキルをコピーすることができるよ! ……まぁ、中にはコピーできないスキルとかもあるけどねっ」
「信仰心を集めることでスキルを獲得できる、か……。だとすると、最初はそれほど強くはないってことなのか?」
「そういうことだねっ! 神様候補と言っても、生まれたてはひよっこ同然なのっ! でも大丈夫っ! だってかわいいもんっ!」
根拠がないにもほどがあるなぁ……。
「それと、唯一神候補はみんな治癒力が高いから、大怪我しちゃっても平気だよっ! 寝てたらそのうち治るから!」
大怪我しない方向でがんばろう……。
「さっきスキルが手に入った時、ソフィアの信仰心が関係してるみたいなことが聞こえたんだが、ソフィアはどうしてそんなにフェンリルを信仰しているんだ?」
ソフィアはこちらを一瞥すると、
「……私が生まれた国、ヴィラルは、昔、フェンリル様とは別の神が国を治めていました。ですが、その神は独裁的で、自分に歯向かう者は誰であろうと、容赦なく処刑してしまうような暴君でした。そこへ救いの手を差し伸べてくださったのが、フェンリル様でした。フェンリル様は圧政を敷いていた神をヴィラルから排除し、新たに国を治めてくださいました。……残念ながら、私が生まれた頃にはそのフェンリル様も崩御されていましたが、ヴィラル国民は皆、フェンリル様への感謝を忘れず、その思いは代々受け継がれているのです」
どうやら俺の前のフェンリルは気骨溢れる奴だったらしい。俺にフェンリルの力を受け継がせたのも、もしかしたらそいつかもしれないな。
けど、果たして俺にそんな大役が務まるのか? つーか、外見は完全に柴犬なわけだし、こんな姿をしたフェンリルをいったい誰が信仰してくれるっていうんだ……。
「そう言えばソフィア、最初、犬に食べられるなんて絶対イヤ、とかなんとか言ってたけど、あれはどういう意味なんだ?」
「あー……あれは…………」
ソフィアは途端に虚ろな瞳をすると、ぼんやりと不気味な笑みを浮かべた。
「……そうそう、私、タロウ様に食べられるために存在しているんでした……」
「……は?」
「最初はそのお姿に驚きましたが、話しているうちにだいぶ落ち着いてきました……。そもそも、今ここで食べられなかったら、いったい何のために三百年間もここで待ってたんだって話ですよね……。はは……」
ソフィアはおもむろにごろんと仰向けで寝そべると、両手の指を胸の上で組み、悔しそうに涙を浮かべながらそっと目をつむった。
「さぁ、どうぞ! タロウ様! どこからでもガブリと食べちゃってください!」
「いや、食べないけど!?」




