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第2話 ソフィア・ヴィヴィラドル

「い、いやいや! 突然そんなこと言われても! 神様!? 俺が!? どう考えても無理だろ! 俺はただのブラック企業の社畜だぞ!?」


「それは前の世界での話でしょー。次の世界ではふぇんりるだから大丈夫!」


 いったい何がどう大丈夫なんだ……。


 フェンリルって、神話とかに出てくるあのフェンリルのことだよな……?


 はは……。ありえない……。きっと、トラックにはねられた時頭でも打ったんだ。これは全部、俺の妄想に違いない。そうだ。それ以外考えられない。


 混乱する俺に向かって、リリーはビシッと人差し指を伸ばした。


「もうそろそろ時間もないし、手っ取り早く済ませちゃうねっ」


「済ませる? 何を?」


 リリーの指先が、ぽぅっと小さく輝いた。


「じゃあ、いくよー! ふぇんりるに……なっちゃえー!」


 リリーの指先から光が放たれ、光の球体になっている俺の体を包み込む。


 そして次の瞬間、ボンッ、と弾けるような音と共に、視線がリリーを見下ろす位置まで一気に上昇した。


 ゆうに五メートルはある巨大な体。


 この世のものとは思えない、銀色に輝く美しい毛並み。胸には一際目立つひし形の紋が浮かんでいる。


 たくましい四本の足がどっしりと地面を捉えていて、腹の底から力がみなぎってくるのを感じた。


「な、な、な……。なんじゃこりゃあ!? これがフェンリル!? なんつーデカさだ! 視線が高すぎて立ってるだけで怖い!」


 けど、なんか、体中から力が湧き上がってくるような感覚が……。


 これがフェンリル……神様ってやつなのか?


 これ、絶対夢じゃない……。


 手足の感覚とか、全身の毛が揺れる感覚とか、どう考えても現実だ……。


 だとすると、俺は本当に神様として、どこかの世界に転生させられるってことなのか?


 不安に押しつぶされそうになっていると、リリーがポツリと呟いた。


「――――ない」


「……え? なんか言ったか?」


「――全然かわいくない」


「……はい?」


 こちらを見上げているリリーは、さっきまでの上機嫌はどこへやら、ぷんすかと頬を膨らませて両手をぶんぶん振っている。


「ふぇんりる、ぜんっぜんかわいくなーい!」


「い、いや、フェンリルにかわいさとか求められても……。そもそも、この姿に変えたのはリリーだし……」


「だめー! そんなの認めませーん!」


「え、えぇー……」


 すると、徐々に足先から光が上ってくるのに気がついた。


「あ、あれ? これ、もしかしてもう転生しちゃう感じでは?」


「そんなかわいくない姿で行っちゃだめっ!」


「と、言われても……。止め方とかわからないし……」


「むー。ちょっと待って、今検索するから……」


「検索?」


 リリーはそう言いながら、持っていたスマホで『かわいい わんわん』と画像検索をかけ始めた。


 へぇ。フェンリルの目ってすごいんだなぁ。


 あんなに遠くの小さい文字までくっきりだ。


 ……って、違う違う。


「お、おい、この状況で画像検索なんかしてどうするつもりだよ!」


「う~ん……。う~ん……。どれにしよっかなー。あっ! この子かわいい! よし! この子にしよう!」


「えっ!? ちょ、待っ――」


「えーいっ!」


 リリーがさっきと同じように指先から光を放つと、俺の全身はそのまま光に包まれ、ついでに足元から上がって来ていた光とも混ざり合い、わけがわからないまま、視界はそこで完全に途絶えた。



     ◇  ◇  ◇



 東西を大きな川に囲まれた魔術都市、ヴィラル。


 水の都としても有名なその国には、毎日のように多くの観光客が訪れ、国中に張り巡らされた水路を巡る観光船は連日のように予約でいっぱいだった。


 整備された石畳に立ち並ぶ、煉瓦造りの家々。路上では陽気な音楽家たちが自慢の演奏を披露し、その横を通るたび、川面を流れる観光船の船員が、小気味よい鼻歌を奏でた。


 屋台から香ってくるのは、ヴィラル近郊の森で採取できる『ロロル』という名の木の実が練り込まれた、この国自慢のパンの匂いだ。


 酸味が少なく、甘みがあり、他の食材と混ぜても個を主張しすぎないため、ロロルはパンだけでなく、様々な郷土料理に用いられている。


 国民の人柄も大らかで、遠方からわざわざ足を運ぶ者たちも後を絶たなかった。


 しかし、今現在、その美しい国ヴィラルは、轟々と渦巻く戦火の真っただ中にあった。


 住民たちは慣れ親しんだ我が家を捨て、我先にと通りへ飛び出すと、すぐそこまで迫った炎の壁を背に、悲鳴を上げながらどこへともなく走り出した。


 路上に立ち並んでいた屋台はすべて炎上し、煉瓦造りの民家は焼け落ち、炎から逃げ惑う住民たちが次々に川へ飛び込んだせいで、水面をすでに見えなくなっている。


「神だ! ついに他国の神が攻めてきたぞぉ!」


「あぁ、フェンリル様! どうかお救いを!」


「もうこの国は終わりだ! みんな逃げろ!」


 怒声がそこら中で響く中、国の中心、城下町に囲まれた一際大きな城にも、火の手はすぐそこまで迫っていた。


 城の北側にある塔の内部。


 地下三階まで続く岩で作られた階段を、ヴィラルを統治する王、ゼラルト・ヴィヴィラドルは、愛娘であるソフィア・ヴィヴィラドルの手を引き、息も絶え絶えに駆け下りていた。


 手を引かれ、足をもつれさせながら走るソフィアは、気品のある長い金色の髪を揺らしながら、必死で父の後を追う。


 ソフィアは蒼い瞳に涙を浮かべ、薄い唇を悔しそうに噛み締めて父の背中に言った。


「お父様! お母様が……お母様が!」


 ゼラルトは後ろを振り向かずに、「あいつもわしも、もう助からん。だが、お前は別だ」と、力強く返した。


 塔の地下三階。階段の終着点へたどりついたゼラルトは、おもむろに屈むと、その床にそっと手のひらを押し付けた。


 すると、ゼラルトが押し付けた手のひらを中心に、金色の魔法陣が浮かび上がり、それは瞬時にさらなる地下へ続く階段を出現させた。


 その様子を後ろで見ていたソフィアは、ごくりと唾を飲み込んだ。


「こんなところに地下への隠し通路があっただなんて……。まさか、例の部屋はこの先にあるのですか?」


「そうだ。ついてこい」


 足早に地下へと向かうゼラルトに続き、ソフィアも階段を下る。


 歩くにつれ、壁に取り付けられたランタンに明かりがともり、足元を照らす。大火に包まれた悲鳴もやがて遠ざかり、二人の耳には乾いた足音だけが反響した。


 しばらく階段を下った頃、開けた空間にたどりつくと、その中央には銀色に輝く巨大な牙が一本鎮座していた。


「お父様……これは?」


「フェンリル様のご神体だ。再びフェンリル様がご降臨なされる際に必要となる」


「ご神体? では、フェンリル様に祈りを捧げるための礼拝堂に置いてある水晶は……」


「あれは偽物だ」


 早口でそう言い放ったゼラルトは、フェンリルのご神体である巨大な牙の向こうにある重厚な扉まで、ソフィアの手を引いた。


 その扉にはいくつもの魔法陣が描かれていて、ぽうっとほのかに光を放っている。


 ゼラルトが扉を押し開けると、そこには真っ白な空間が広がっていた。


 ソフィアが緊張した面持ちで呟く。


「これが……今はもう失われた魔法、《隔離時空》……。中に入った者は怪我も病気も老いもしないという、あの……」


「……ソフィア、お前がなすべきことはなんだ?」


「この身を贄とし、フェンリル様を覚醒させることです」


「そうだ。これまで我らがヴィラルの大地で息づいてこられたのも、すべてはフェンリル様のご加護のおかげだ。……しかし、フェンリル様がこの世を去って早二十年……。加護を失ったヴィラルの土地は、他国の唯一神候補たちが競って奪い合い、その戦火の真っただ中にあるヴィラルは、今滅亡の時を迎えている」


 ゼラルトは毅然として言った。


「ソフィアよ。お前の体内には尋常ならざる高密度の魔力が秘められている。その力を捧げれば、必ずや次のフェンリル様の覚醒を促し、今度こそ、フェンリル様が唯一神となられ、世界をお治めになるに違いない」


「……この世界から失われた神の力は、輪廻の渦に飲み込まれ、新たな魂と共にこの世界へ舞い戻る。あの伝承はやはり本当なのですね」


「あぁ、そうだ。だからこそ、お前には生まれた頃から、この部屋の存在を言い聞かせていたのだ」


 ゼラルトは神妙な面持ちで続ける。


「フェンリル様であれば必ず……必ずや! あの邪神を世界から葬り去り、我らヴィラルの民の無念を晴らしてくれるだろう!」


「……すでに覚悟はできております。……ですが、お母様やお父様、それに、ヴィラルの国民を置いて、私だけのうのうと生きるというのは、やはり……。お父様、私も、ヴィラルと運命を共にしてはいけないでしょうか?」


「だめだ。お前はヴィラルに住む者たちの希望を背負い、次のフェンリル様にその身を捧げるのだ。それこそが、我らヴィヴィラドル家の使命なのだから」


「……わかりました。けどせめて、お父様も一緒に――」


「だめだ。ここに入れるのは一人だけ。それに、国民を見捨て、王であるわしだけが生きる残ることは許されん」


 ソフィアは悔しそうに唇を噛むと、とぼとぼと歩を進め、《隔離時空》の魔法が込められた白い空間の中に入った。


 振り返り、ゼラルトの目をまっすぐに見つめる。


 長らくヴィラルを治めていた王、ゼラルトは、普段見せる厳しい目つきをやわらげ、どこか悲しそうに言った。


「次のフェンリル様がこの世界にご降臨なされば、ご神体を通し、この扉の前に現れる手はずになっている……。それまでにはおよそ、三百年はかかるだろう……。……わしにお前のような秀でた魔力があれば、役目を代わってやれたのだが……」


 ソフィアは首を横に振ると、


「私が身に余る魔力を持って生まれたのは、次回の選定の儀でご降臨されたフェンリル様にこの力を捧げ、フェンリル様が唯一神の座に君臨する助力をするためです。この任は、他の誰にも譲るわけにはいきません」


「そうか……」


 二人がいる塔の上部から、鈍い地響きが聞こえてくる。


 ゼラルトは上を見ながら、


「どうやら、もう時間は残されていないらしい」


 ゼラルトはソフィアに向き直ると、


「この扉は一度閉じれば、外界からの干渉を受けん。しかし、フェンリル様がご降臨なされるまでは、中から開くこともできん。お前もそれはわかっているな?」


「はい。私はこれより三百年の間、ここに身を隠し、次のフェンリル様にこの身を捧げます」


「よし。それでいい」


 ゼラルトは扉に手をかけ、そのままゆっくりと閉じようとするが、苦悶の表情を浮かべ、その動きを止めた。


 父であり、ヴィラルを背負うゼラルトの胸中を察したソフィアが、そっとその身を抱き寄せる。


「お父様、今まで育てていただき、ありがとうございました。どうか、ご無事で」


 ゼラルトは力強く娘を抱き返し、何も言わず、そのまま扉を閉めた。


 ガコン、と重厚な音が響くと、扉は消え去り、白い空間にはソフィア一人きりとなった。


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