20 見たことのない姿、見たことのある景色
次の日の17時到着予定の飛行機に乗った。
帰りの俺は機内で仕事とそのやり取りを行った。
丸山からいくつかメールがきていた。休暇の対応の他に、気になる文章があった。
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先日、申請したいくつかの案件で相談したいです。水戸さんの担当分で問い合わせが発生していて、早く西園寺さんに戻ってきてほしいです。
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丸山と水戸か…、何かあったんだろうか。水戸は潔癖症なところがあって、一度、営業部との接待の件で丸山と揉めてから何かと当たりが強くて、丸山は苦手としているようで、時々、相談される。
日本に帰ったら、日常に戻るんだなと俺は思った。そしてこんなにゆっくりと時間を作ったのは…久々だったことに気が付いた。
仕事もあるし、これから動けるのは週末だけになるのかもしれない。
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お疲れ様です。西園寺です。
休暇手続ありがとう。報告書等は先日、送った通りだから大丈夫かと思いますが、出社したら話しましょう。
よろしくお願いします。
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丸山宛にメールを書いた。
あとは…と自分の携帯を見ると、チャットが来ているので開いた。相手は美桜さんだった。
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海斗さん、体調のこともあるので、明日の到着時刻に帰宅の車を手配しておきました。到着したら電話をくださいね。
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美桜さんのことだから、きっと俺を心配して車を手配してくれたんだろう。
自宅に帰ろうか、一人暮らし時代に使用していたワンルームマンションに戻ろうか…考えていたが、これはどうも自宅に帰宅するしかなさそうだ。
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美桜さん、お気遣いありがとう。わかりました、連絡します。
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そう連絡し、携帯の電源を落とした。
俺は行きと同じく窓際のビジネスクラスの座席で飛行機の外の景色を見た。
太陽が顔を出していて、白い雲に反射し、眩しい光を放っていた。
行きの飛行機で苦しんだ感情は今もないわけじゃない。
ただ、今の俺の心の中は波のない穏やかな静かな海だった。
俺は砂浜に一人でそこに立っている。海の中に恒星が立っている。
あいつはいつまでも俺の中にいる。
かつて俺が自暴自棄になった時に、何も言わずにずっと俺を見ていた目でこちらを見ている。
自分を取り戻すのは自分しかいないというように、恒星は何も言わない。
俺はずっと試されているんだ。
俺は心の中で話しかけた。
恒星、見ててよ、そこで。
もう一回、俺は自分自身で居場所を、自分らしくいられる場所を探す…いや、作りだすから。
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行きで感じた長さの半分ぐらいで飛行機は日本に戻ってきた。
俺はスーツケースを持って出口に向かった。
出口ゲートを出て、真正面の少し先に美桜さんがいた。
俺は少し驚いて、美桜さんに近づいて声をかけた。
美桜さんも俺に気が付いてこちらをみた。
「美桜さん、…ただいま。…ここまで迎えに来るとは思ってなかったな」
「おかえりなさい。…車の手配をしたと連絡しましたよね?」
美桜さんは少し笑って答えた。
「?」
俺はどういう意味か考えたがわからず、美桜さんの顔を見た。
美桜さんは落ち着いた声で言う。
「…私がその、運転手ですよ」
俺は美桜さんの言葉に、俺は笑ってしまった。
「そういうことね。…では、行きましょうか」
車…運転するのか。
俺は美桜さんが運転することを全く知らず、驚きながら、成田空港の駐車場に向かった。
美桜さんは1台の車の前に立った。
「私の車はこれです」
車種は…フォルクスワーゲンのビートルのようだ。
車を持っていたのか。
荷物をトランクに入れて、助手席に俺は座った。
「行先は…どうしましょう?」
美桜さんは俺に聞いた。
え?自宅じゃないの?
俺は美桜さんを見て、回答に焦った。
「…自宅じゃなくても、問題ないですよ。帰ってもらうために私は迎えにきたわけじゃないから」
美桜さんは俺に軽く視線を向けてすぐに前を向いた。
俺は困惑した。
顔を両手でふさいで下を向いた。
「そうだね…。では、どこかに食事でもどうでしょうか」
ここで自宅に帰りたくない、とは言えない。
君を傷つけたいわけじゃないんだ。
彼女がどういう意図で迎えにきたのか、そして今の心情を確認しなければと俺は思った。
美桜さんは少し俺を見て微笑んで、言った。
「…じゃあ、私のお気に入りのお店に行ってもいいですか?」
「はい、そこはお任せします」
俺はすっかり美桜さんのペースに乗せられていた。
車の運転は安全運転の上、滑らかだった。
車をよく運転するんだろうか?
「曲、かけていいですか?」
美桜さんは運転しながら聞いたので、俺は「もちろん」と答えた。
流れてきたのはビートルズだった。
高速に乗っている間、彼女はほとんど話さなかった。
俺は車や運転のことを聞こうと思ったが、タイミングを逸してそのまま二人とも会話なく、時間だけが流れた。
向かう先は都内に向かうまでは全くわからなかったが、都内を越えたあたりで俺は不思議な気持ちに陥った。
それは俺がよく知っている、かつては母が入院していた…そして俺が閉じ込められた…今は兄がいる病院への道のりだったからだ。
そう思うのは…気のせいだろうか?
「疲れましたよね…。あと少しです」
美桜さんはそう言った。
病院に続く長い並木道、その始まり地点で駅の近くのコインパーキングに美桜さんは車を止めた。
「ここから5分ぐらいです」
俺は美桜さんについて歩いた。
駅の裏側の路地にある広々としたカフェに着いた。
「ここです」
こんな所にカフェなんてあったんだ。
俺は学生時代に通いつめた病院の近くにあったそのお店に驚いた。
扉を開けて、美桜さんと入り、店員に促されて空いている窓際の席に座った。
外にも飲食スペースがあり、犬を連れた人が秋空の下、食事をしていた。
メニューを渡されて、「体調を考えると、この夜の軽い食事というのが海斗さんにはおススメですよ」と美桜さんは言った。
俺は美桜さんお薦めのものを、美桜さんはワンプレートディナーというメニューを注文した。
時計は19時を指していたが、平日のせいか、お店はまばらに人が入っているような状態だった。
「美桜さん…今日、仕事は?」
俺は聞いた。
「海斗さん、それを聞きます?もちろん、半休を取りましたよ。気にしないでほしいので先にお伝えしますと…海斗さんのためじゃなくて、自分のために」
美桜さんはくすっと笑った。
俺は美桜さんにお礼を言った。
「そう、なんだ。とはいえ、お迎えありがとう。助かりました」
少しの間の後、俺は今まで思っていた言葉を伝えた。
「あの、運転…するんだ」
美桜さんが俺の目を見つめた。
そしてそっと微笑んでゆっくりと美桜さんは俺に言う。
「…はい、そう…ですよね。海斗さんに言う機会なくて…言いそびれていました」
そう言い終えた時、ちょうど食事が運ばれてきた。
俺の食事は味噌汁、豆腐ハンバーグ、ピーマンの炒め物、おしんこ、ごはんのセットで、美桜さんのほうはてんこ盛りのサラダにぶりの照り焼きときんぴらとごはんが1つのお皿に乗っている食事だった。
「食事、食べましょうか?…では、いただきます」
美桜さんはそう言ったので、俺も「いただきます」と言い、食事を食べた。
「美味しいね」
俺は思ったことをそのまま言った。
「そう、ですよね?学生時代に通っていたんですが、ここ毎日、メニューが変わるんですけど、どのメニューも美味しいですよ。お口に合ったようでよかったです」
嬉しそうに美桜さんは言った。
「そうなんだ…学生時代から」
随分、昔から知っているお店のようだ。
食事が終わって、ほうじ茶を飲みながら、俺はここで本題を出そうか、出さないか、考えていた。
今、ここで離婚の話を出していいものか、それとも…。
そこに美桜さんは飲んでいたほうじ茶のコップを置いて、自身のバックからがさがさと何やら用紙を取り出した。
「……海斗さん、必要なのはこちらですよね?」
美桜さんはそういって、片づけられたテーブルの上に”離婚届”と書かれた用紙を広げた。
俺はその用紙を見て、美桜さんに目を移した。
美桜さんも真っ直ぐ視線を俺を向けていた。
俺は息を吐いて覚悟を決めて、言った。
「……俺、美桜さんにいつも気を遣わせてるね…まず、俺は美桜さんに伝えたいことがあるんだ」




