15 エビデンス
光と俺は湖の広場を離れて、湖をぐるっと回って歩いた。
人はほとんどおらず、湖の他に、ただ広大な敷地に存在する森林とどこまでもつながっている遊歩道のみ。
「…そういえば、海斗さん、ご結婚、されたんですよね?」
光は恐る恐る俺に聞いた。
俺は指にある指輪を見ながら、答えた。
「あぁ。…2年前にね。さっき、ちょうどソメイヨシノの話になったけど、妻は美しい桜と書いて、みお(美桜)と言う名前なんだ」
その名前を聞いて、光は微笑んで俺に聞いた。
「…どんな方か、聞いていいですか?」
どんな方と言われて、俺が思い出したのは美桜さんと初めて会った日のことだった。
俺と美桜さんと出会ったのは、俺が就職したあたり、ちょうどあの旅行した夏が終わった秋に顔を合わせた。
美桜さんは恒星と同じ年の4歳年下。
彼女の希望で、就職してから結婚をするという話でまとまり、結婚するまで婚約者として年1回ぐらい食事会をする程度の関係だった。
初めて顔を合わせた食事会で、彼女の両親からは3姉妹の長女で法律を学んでおり、しっかりした芯が強い性格だと紹介された。
そこで不運な出来事が起きた。
その日はちょうど新人ウエイターが食事を運んでいたらしく、偶然、彼女の服に食事を落とすミスにした。
それに対して美桜さんは慌てず騒がず、おおらかに対応していた姿が印象的で俺は優しい人なんだと理解した。
そして美桜さんは大学を卒業してから専門知識を活かし、弁護士事務所のパラリーガルとして働き始めた。
その仕事が落ち着き始めた頃、美桜さんが27歳の二年前に俺たちは結婚した。
美桜さんは結婚してからもその初めてあった日の印象とほとんど変わりがなかった。
俺は結婚直前に恒星を失い、失意のどん底に陥っていた。
だから俺はそれまで一人暮らししていた家にしばらくいたいと美桜さんにお願いした。美桜さんは何も聞かずに、頷いてくれた。
その上、俺自身に変わって父親と無難にやり取りしてくれた。
そのおかげで俺は病院に放り込まれずに済んだのだ。
あれから心を壊さずになんとか生きてこれたのはきっと美桜さんのおかげだろう、これには心から感謝している。
そして美桜さんは、これまで俺のこと、家や仕事について何も言わずについてきてくれていた。
俺は光に思ったとおりに伝えた。
「正直ね、父親から言われて結婚しただけだったんだ…でも…美桜さんは俺にはもったいないほどのおおらかで優しい女性だよ」
こう言って、俺の心臓はズキンと傷んだ。
もし、次に日本に帰る機会があれば、俺は美桜さんを…離婚して解放してあげたい。
俺といても…家を繁栄に導くという、未来はない。
何より、俺の心には恒星しかいない。
そして美桜さんには幸せになってほしい。
光は俺の表情を見て、言った。
「何を考えているか当てましょうか?」
光は俺をじっと見た。
本当に俺の考えがわかるのか?
俺は光に言った。
「…どうぞ。」
「海斗さんが好きなのは恒星くん一人。でも、美桜さんに幸せになってほしい。」
「…な、んで?」
俺は驚いて声が裏返った。
「海斗さん、恒星くんが私達似てるっていった話、信じていませんよね?」
光は微笑んで俺に言った。
「…そうかも、な」
光に図星を当てられて、しどろもどろに答えた。
光は少し顔を下げて言った。
「…なんとなく状況と先ほどの話を聞いて海斗さんならそう感じるだろうなと思いました。先ほどの話は…もう誰にも犠牲になってほしくない、二度と同じことを繰り返したくなくて…ご家族がいるかどうか、海斗さんに手伝ってもらうことを依頼する前に、今の状況を確認したかっただけなのです」
俺は光の方に顔を向けて聞いた。
「…それを聞いていいかな。…その…俺にやってほしい事は何?」
下を向いていた光は俺に向き直して、目を見て言った。
「…日本にある私が作られた時の情報、クローンの設計図とその方法に関する資料を全て回収したいのです。海斗さんに手伝ってほしいです」
そうか、やっぱり。
UBSに入っている情報もそこだけ欠けていた。
俺はさらに聞いた。
「質問ばかりになるけど、それはなぜ必要?CIAは手伝ってくれない?そして、何で…俺?」
光は1つずつ説明を始めた。
「必要な理由は、設計図を元に何から出来上がっているのか、クローンの再現性を確認するために必要な情報だからです。最終的に作り出した遺伝子と私の遺伝子の一致を確認したい、そんな所です。…そしてそれがないとクローン研究は完成せず、CIAとの契約も破棄されます」
そして次の話について光は説明をした。
「CIAが関与できない理由は、それらの情報が厳重に管理されていて海外からアクセスできないのです。そしてそのために日本に人を派遣するのは自国の研究でもないからリスクが高いということでした」
光は最後に聞いたことの説明も、もちろんしてくれた。
「そして、なぜ海斗さんなのか?…この研究を主導したのは、西園寺グループの元会長である海斗さんの祖父です。そして今は父親に全ての情報を渡したという事実です。…海斗さんなら私より、容易に内部にアクセスすることができますよね?」
光は申し訳なさそうに言った。
「…ただこれは危険だと思っています。…関わっていることが関係者にわかったら、どうなるかわかりません…。引き受けるかどうか…考えてください。ナリは選ぶ権利はないと言いましたが、…海斗さんには権利があります」
そういうことかと俺は聞いていた。
光は皆に生きてほしい、そのために何でもやると言っていた。
ここで生活する保証を得るためには研究の欠けた情報が必要で、それを得るためのリスクはCIAは負わない、そういうことらしい。
全てを回収という言葉が引っかかったが…それよりも気になったのは俺に頼む理由だった。
関係者の中にいる俺に頼みたい、か。
今までの状況からして失敗したら、何が起きてもおかしくない。
だからまず、この計画を俺が引き受けるかどうかに関わらず、俺がまた悔いてしまうことを止めるために、もう償いはしない、もう過去は振り返らないと神に誓わせたわけだ。
仮に俺が役割を引き受けた場合に俺以外に関係する家族…妻にも矛先が向く可能性があるから、先に妻との関係を確認したのだ。
ここまでは理解したが、若干、腑に落ちない点もある。
確かに俺は西園寺グループの関係者であるが、俺は命令された内容以外に情報など持っていないし、アクセスできる権限もないということを…光が俺と父親との関係を調査していれば多分、知っているはずなのに、なぜ俺に頼むか。
俺は聞いた。
「…光、…ほんとに俺に頼む理由はそれだけなのか?」
光は言葉は発せずに俺と目を合わせた。
「…」
「…言わないんだ?」
俺は1歩近づいて、光の顔を覗き込んだら、光はビクッと体をのけぞらせた。
「…協力するなら…思ってることは言ってほしい」
光は俺が次に何をするのか、じっと見た。
その後、両手で頬から下を覆って、言った。
「…今の私は不安定な存在です。クローンなのか、そうでないのか、…自分が何者なのか、わからない…」
そして光は目を閉じて言う。
「…私が私であるっていう意味がほしい。私はここにいるって証明したい…」
俺は光が言ったそのフレーズに聞き覚えがあった。
それは俺が恒星に初めて言った、俺の心の中の言葉の一部。
『俺が俺である意味なんて一つもないんだよ。だから、俺がここにいるっていう証拠を作っただけだ』
そう、今もずっと持っている俺の、気持ち。
「…光、その言葉…」
光はしばらく考えて、言葉を発した。
「…すみません。恒星くんから聞きました。…海斗さんなら、この先、私がどんな選択をしようとも理解してくれると思っています」
俺は聞いた。
「…光がクローンであるという証拠を手に入れたとして、そうすると選択が発生する。…それは未来が見えるような発言だけど…光は…結果を知ってる?」
光はしばらく黙って重い口を開いた。
「…今は、何も言えません。…たとえ、結果が分かったとして、その計算が正しいのか答え合わせが必要なのです」




