トラッジ
ヘスパギルドのロビー
その待合席に置かれているそこそこのソファーにゆったりと腰掛けて俺は受付の女性が戻ってくるのを待っていた。
このギルドで働いていた頃は、このソファーに座る日が来るなんて思ってもみなかった。あの頃は、正規メンバーになるために、必死に働いていたから、そもそも辞める日が来るなんてことは考えてもみなかったな。
俺はそんな感慨深い気持ちになりながら、ロビーを一望する。昔にだが、見慣れた景色であるのにも関わらず、お客様目線になってみると、どこか新鮮な景色のようにも思えてくる。
そんな感傷に浸っていると、廊下の奥から慌ただしく足音が鳴り響く。
この足音は…
「…」
俺は聞き覚えのある足音がすると、少し緊張しながら廊下の奥を見つめる。
すると、見慣れた男性が姿を見せた。
「…っ!」
俺の顔を見るなり、嫌悪に満ちた表情を浮かべるトラッジ
そこまで邪険にしなくても良いじゃないかと悲しい気持ちが浮かんでくるが、俺の手に持っている資料のことを考えると、そんな表情をされても仕方がないのかもしれない。
いや、考え方を変えろ。
こいつには何の情もなく俺は切り捨てられた。
10年近く心血注いで働いてきた俺を、何の躊躇いもなく解雇したんだ。
遠慮するな…その嫌悪に満ちた表情へさらに注いでやろうじゃないか。
「…話があって来た」
俺はトラッジへそう短く告げると、奴はコクリとだけ頷いて廊下の奥を指さす。
そして、俺の反応を待たずして、そそくさと廊下の奥へと進んでいく。
「…」
俺は無言で奴に従って進むと、廊下の端にはさっきの受付の女性がそわそわしながら立っている姿が見えた。どうしたらいいのか分からずに戸惑っている様子だ。
「…?」
俺は、そんな受付の女性の姿を怪訝に思いながらも、役割を果たしてくれたことにお礼をするため、軽く会釈する。
「あわ!」
俺が会釈すると、慌てて会釈を返してくれる受付の女性
どうしてそんなにソワソワしているのか気になったが、トラッジがああいう性格だから、きっと何か言われたかやられたのだろう。
「やれやれ…」
俺はため息を吐きながら、目の前を歩くトラッジの背中を見つめる。
「…ここだ」
しばらくすると、廊下の中ほどでトラッジは立ち止まる。
彼が止まった場所の前には扉があり、表札には「課長室」と書かれていた。
こいつ、出世してやがる。
「入れ」
「ああ」
トラッジが扉を開けると、そそくさと中へ入っていく。
締り始めた扉を手で押さえてから、俺も中に入る。
部屋の奥には中ぐらいのデスクと、手前にはソファーに挟まれた机が置かれていた。
「座れ」
「おう」
俺はトラッジに言われてソファーへ座る。
そして、トラッジは俺の向かい側へと着座する。
「で、話とは何だ?」
「この資料をアンタに渡すために来た」
俺がそう告げると、トラッジは眉間に深くしわを寄せて、俺を睨みつけるような表情を見せた。
まだ中身を見てすらいないのに、どうしてそこまで?と思ったが、俺は構わずに資料を机の上に乗せる。
「…中はしっかりと吟味して、それで返答してくれ」
「要件は何だ?」
「読んでくれればわかるさ」
「答えになっていないぞ。説明しろ」
資料をわざわざ手に取って、俺に投げつけてくるトラッジ
「っ!」
俺はトラッジを一瞥する。
そして、床に散らばった資料を俺は拾い集めると、それをトラッジの目の前へ静かに置く。
「読めよ」
「何だと?俺はお前の口で、俺に、この俺に説明しろと言っているんだ」
「アンタはもう俺の上司じゃないんだ。命令するな」
「…っ」
「いいか?必ず読め」
「クラッド、お前も俺の上司ではないだろ。俺に命令するな」
「そうだな…ま、なら、好きにしてくれ」
俺は心底トラッジが嫌いだった。
まるで子供の喧嘩のような態度をうっかりととってしまったことを自重して、これ以上は売り言葉に買い言葉がエスカレートしないようにと落ち着ける。
「…」
トラッジはなぜか震える手で、俺が机に乗せた資料を手に取る。
「…?」
中身など知らないはずだし、想像が仮にできていたとしても、そこまで手が震えるような内容のものではないぞ…
怒りではなく、恐怖でこいつは手が震えているような、そんな印象だ。
「…どうした?」
「何だ?」
「手が震えているぞ?」
「歳だ。かまうな」
「…そうか」
俺はトラッジが確かに資料を受け取ったのを確認すると…
「返事はまた後日で頼む」
「…わかった」
トラッジは俺をギロリと睨みながら頷く。
何だか、こいつの態度が怪しいのだが、とりあえず当初の目的を果たすことはできた。
スターからは変に話し合うことはせず、資料を渡したら任務達成だと言われていたため、概ね上出来ではないだろうか。




