第45話 捨て身の作戦
巨大鯉の姿を見失ってしまった。
まだ少し耳鳴りのする聴覚と目の奥が痛む視覚を総動員して周囲の情報を取り込む。
いつ下から襲われるか分からない状況だが、カンストレベルの精神耐性スキルが私の気持ちを落ち着かせる。
周囲を見回すと、皆は私の指示通り散開したままだ。
だがユニやカルシファーといった戦い慣れていない者たちはその場を動けないでいた。
衝撃的な巨大鯉の出現とフラッシュグレネードみたいな鱗の爆発。
急展開の事態にまだ心が追い付いていないみたいだ。
「皆の衆、足を止めるな! 各自、互いに見える範囲で離れて移動するのだ! 奴はまた襲ってくるぞ!!」
ゴリ将が声を張り上げた。
その大声で正気を取り戻した皆が散り散りとなる。
固まって移動すると巨大鯉にまとめてやられる可能性がある。それなら各個撃破の可能性があっても、ばらけて移動した方がいいと判断して指示を出してくれたのだろう。
さすがは猿山脈の大将。
私みたいな精神耐性スキル持ちでもないのに、こんな時でも冷静に状況を判断して周囲の者たちに指示を出してくれる。
今の私は迂闊に声を出せないから、代わりにゴリ将が指示を出してくれて助かる。
私もその場を走って移動する。
すると先ほどまで私がいた地面から巨大鯉が飛び上がってきた。
背後から聞こえる水音と大質量の生物が風を切って空中に躍り出る音。
鱗による光と音の爆発はなかったが、あのままあそこにいたら丸呑みにされていたかもしれない。
「元気な巨大鯉ですねぇ。あんなの相手にどうするんですかマスター?」
こんな時でもイヌは、普段と変わらず暢気に声を掛けてくる。
私はその声を無視して催眠おじさんの運動不足の体を必死に動かす。
「あっ、今は洗脳催眠スキルのせいで喋れない状態でしたね」
その通りだよッ。
声に出せない心の声でイヌにツッコむ。
巨大鯉に掛けようとした洗脳催眠スキルは不発だったけど、その力が無くなったわけじゃない。
感覚で分かるのだが洗脳催眠スキルの力は私に宿ったままだ。
だから下手に声を出すわけにはいかない。
「そんなマスターに残念なお知らせです。巨大鯉が自分たちを追ってきてますよ」
ザバザバッという水をかき分ける音が後ろから聞こえてくる。
走りながら後ろを振り向くと、巨大鯉が水面の様になった地面から口を浮かせて私を追いかけていた。
今は催眠おじさんの体だから、このままだとすぐに追いつかれてしまうだろう。
ちっ、上等だ。
わざわざ姿を見せてくれるなら洗脳催眠スキルの餌食にしてやる。
「――」
再度、洗脳催眠スキルが宿った声を上げようとした寸前。
私が何をするか察知したのか巨大鯉が飛び跳ねて、剥がれ落ちた鱗を宙に散らした。
強烈な光と音の爆発が私を襲う。
「ぐっ!?」
目標を失ったせいでまたもや洗脳催眠スキルが不発となってしまった。
視覚と聴覚がやられたせいで体が一瞬だけ硬直してしまう。
そんな私を空中に跳ね上がった巨大鯉が吞み込もうする。
「おやっさんに何してくれとるんじゃ、アホンダラァァ!」
「ウッホォォ!!」
ぼやける視界で巨大鯉の顔面を殴るお菊とゴリ将の姿を捉えた。
黒髪鬼となったお菊とゴリ将の同時攻撃で巨大鯉の軌道がずれる。
巨大鯉は激しい水音を立てて地中へと潜っていった。
「お怪我はありやせんか、おやっさん!?」
お菊が慌てた様子で走り寄ってくる。
「大丈夫。ありがとう。助かったよ」
感覚が戻って動けるようになった私は彼らにお礼を言った。
「吾輩たちが主殿の身を守るのは当然の事。それよりもあの巨大鯉はどうしたものですかな……」
「ゴリ将さんたちの攻撃を受けても大した怪我を負った様子はありませんでした。物理攻撃であの巨大鯉を相手するにはこちらは力不足です」
森の支配者だけあって巨大鯉は手強い相手だ。
分かってるだけでも、地中を水中の様に潜って泳ぐスキルと、剝がれ落ちた鱗をフラッシュグレネードの様に爆発させて周辺の相手を一時的に行動不能にするスキル。
あとは2度も私の洗脳催眠スキルを邪魔されたから、予知か危険察知系のスキルでも持っていると考えた方がいい。
私が洗脳催眠スキルを掛けようとした時だけ鱗を爆発させるなんて、偶然で片づけるにしては2度ともタイミングが良すぎる。
しかもあの巨体に耐久力も十分ある。
イヌの言う通り真正面から戦うには厄介な相手だ。
ここは逃げるのも一手だろう。
とはいえ逃げるにしても巨大鯉の潜水スピードが速くて全員で逃げるのは難しい。
っと、また巨大鯉が襲って来た。
話し合って対策を講じる暇もないな。
それから体感で10分ほど経過しただろうか。
巨大鯉は私とお菊とゴリ将を集中して襲ってきた。
自身を害する可能性がある相手を狙っているのだろう。
面倒この上ないが、逃げ足が遅い者や体力のない者たちがあまり狙われていない状況を喜ぶべきか。
今のところ数が多く図体も大きい恐竜の蠱島生物を犠牲にしたり、カルシファーが邪気眼スキルで位置情報を大声を出して教えてくれるので、蠱島生物以外に被害は出ていない。
そんな中、私はというとユニの背中にしがみついて逃げ回っていた。
催眠おじさんの体のままだから自力では逃げられないのだ。
不摂生な体が憎らしい限りである。
乗馬の経験はないが、ユニが気遣って走ってくれているので振り落とされずに済んでいる。
「同胞!」
カルシファーの呼び声。
私を呼んだということは、次の巨大鯉の狙いが私たちらしい。
地面に水面のような波紋が走る――巨大鯉が飛び出す時の予兆だ。
さあ、ユニ。馬だけど脱兎のごとく走り出すのだ。
「ユニさん。急いでください」
「これでも急いでるさ! くっ、イチロー様が堕犬娘だったらよかったのに……」
イヌとユニの声を聞きながら私は考える。
さて、どうしたものか。
このまま走って逃げ続けるのは体力の問題で厳しいと言わざるを得ない。いつ襲われるかと足元を警戒し続けていては気力も持たないしね。
怪我と体力を回復する手段はあるけど、劣勢の状況で延命してもジリ貧でしかない。
なんとか打開策を見つけないと。
転移門の鍵束があるので全員で逃げれるかもしれないが、1カ所に集まったところを狙われたら全滅する可能性がある。
蠱島の寄生菌が効くのは半日掛かるそうだが、このままだとその前に甚大な被害が出る未来しかない。
洗脳催眠スキルも巨大鯉の鱗のせいで邪魔されるし、今のままだと長期戦を覚悟するしかない。
というか巨大鯉がだんだん魚っぽくなくなってきてるんだけど。
フォルムがスラリとしてきてるし、顔立ちも鯉のぬぼっとした感じから荒々しい感じになっている。
まさか本当に巨大鯉が龍になるのだろうか。
最悪の可能性だが否定できない。
龍への進化か変化の条件は知らないが、やはりここは逃げずにどうにかした方がいいな。
私はサモンマルチバースカードのウインドウを宙に展開する。
1週間もの森外縁部の戦いで、私はデッキから7枚のカードを引いていた。
白マナカード1枚、黒マナカード2枚、黄マナカード2枚、オブジェクトカードの身代わり人形1枚、トラップカードのダメージ転移1枚だ。
ユニの信仰の証スキルで得た7枚の白マナカードと合わせて現在の私の手札はこうなっている。
・現在の手札
マナカード…黒マナカード5枚、白マナカード8枚、黄マナカード2枚
スペルカード…ブラックアウト、隷属の刻印
オブジェクトカード…身代わり人形
待機状態のトラップカード…行動禁止宣言、ダメージ転移
私はこの中からカードを手に取った。
上手くいけばこれで巨大鯉を封じ込めるかもしれない。
よし、即断即決即実行だ。やるだけやってやろうじゃないか。
危なくなったら誰か助けてくれる……と信じよう。
私たちに逃げられてしまった巨大鯉は地中へと潜ってしまった。
だけど奴はまだ近くにいるはずだ。
私はユニの首にしがみ付いていた腕を離して亀の様に丸まって落馬した。
「イチロー様!?」
ユニが驚きの声を上げる。
「がはっ」
落下時に地面にぶつかった右肩と右膝から嫌な音がした。
ゴロゴロと転がった擦り傷だらけの体を起こす。
足腰が震えるけど右手を地面について立ち上がる。私の勝手な行動に動じずに、すぐさまイヌが再生スキルを掛けてくれてたみたいだ。
体はふらつくけどこれからする事に問題にならない程度の軽傷だ。
さぁ、巨大鯉。獲物がわざわざ近くで棒立ちしてるぞ。
何かあるかもしれないと考えるかもしれないが、モンスターならこんなチャンスを見逃すまい。
「何してるの同胞ッ!?」
カルシファーが悲鳴じみた声を出す。
足元の地面に水面の波紋。
数秒もせずに足場が水の様になって体が沈む。
腹をくくった私は血の気が失せるほど右手でカードを強く握りしめると、大きく息を吸って目をつむった。
頭の先まで沈みきった時。
前後左右の方向感覚が滅茶苦茶になって、私の体が空洞に放り込まれた。
巨大鯉が真下から私を呑み込み地上に躍り出たのだ。
巨大鯉に呑まれた私は握りしめていたカードの力を発動した。
トラップカード発動――行動禁止宣言。
召喚にマナカードを必要としないトラップカード。
24時間という待機時間を経て、いつでも使える待機状態のまま放置していた行動禁止宣言が召喚される。
『■■■■■■■!!』
それは敵対者の行動を禁ずる言霊。
どこかの世界の誰かを止めるために、音という形すら失った意志の結晶。
私にも巨大鯉にもその意味は伝わらない。
だがカードの効果は発揮された。
地上に飛び出した巨大鯉はスキルの発動も身動きできずに地面に落下した。
大地震かと錯覚しそうな振動が起きて私の体は吹っ飛んだ。
巨大鯉の肉厚な口内で何回かバウンドすると、私は胃の中の物をぶちまけて倒れる。
右足に当たる硬質な感触は、喉にあるという鯉の歯だろうか。
もう少しカードの発動が遅かったら巨大鯉の歯にすり潰されるところだったな。
「やれやれ。仲間が増えたというのに、相変わらずマスターは無茶するのが好きですね」
呆れた物言いのイヌに半笑いに応えると、暗かった口内に光の筋がさした。
皆が私の救助に来てくれたようだ。
まあ、巨大鯉が地上に乗り上げてピクリとも動かなければ、直前に呑まれた私が何かしたと思い付くだろう。
その後、巨大鯉の口内から救出された私は動けない巨大鯉に洗脳催眠スキルを掛けたり、皆に何も伝えずに行動したことを謝罪したり、鯉の歯と歯の間に挟まっていた杯を手に入れたのだった。




