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イリディーマブルヒューマン  作者: 成田 春希
7/9

7 偽善



 浩二のサスペンスドラマが撮影を終えて、三ヶ月ぶりに家に帰宅する日

奮発して回らないお寿司のお持ち帰りと黒毛和牛のすき焼きにマスクメロン

一万以上食費に使ったってたまにはいい。  


着陸時間に合わせて準備をしたはずなのに一向に帰って来る気配はない。

電話をかけても応答なし。


本マグロから赤い汁が出てきて鮮度が落ち始め、康介も我慢できずに牛肉を口いっぱいに頬張る。 

そんな康介を見たら我慢ができなくなって、つい寿司へと手を伸ばしてしまう。


ときしらず使用と言われるサーモンは口の中で脂身が広がり、噛まなくともあっという間にバターのように蕩けていく。


中トロは脂身の濃さがあるけれど 後味はあっさりしててクドさを感じなかった。


気がつけばつまみ食いだけで三分の一を食べ尽くし、腹が膨れ眠気に襲われる。

ウトウトとしていたその時インターホンが鳴り響いた。

浩二が帰ってきた。 予定より2時間も遅れている。


「ちょっと遅くない?」

「ごめんごめん 飛行機が遅れちゃって。」

「そうならいいや。 見て見ていいの買ってきたんだぁ。」

「おっ楽しみだな その前にこれ!」


差し出された紙袋の中にはお土産のご当地お菓子とサイコロサイズの青箱が2つ入っていた。


「開けてみて?」


浩二に催促され、ゆっくりと箱を開けるとダイヤモンドがキラキラと光を放ちながら中へ佇んでいる。

「2カラットのダイヤモンド シルバーとグリーンを用意したんだ。」


2カラット カラットが何を意味するかは分からないけどとりあえず凄く高いものである事は想像できる。

1万以内であれば少しがっかりしちゃうけど、だからといって値段を聞くの失礼極まりない。


「十万したんだ。」


そんな悩みは浩二がこんにちはと言うように軽く言って解決した。

十万 流石に芸能人は稼ぐものだなと再認識する。


「この前百万 番組でとったから奮発して買っちゃったんだよね。

助かったよ 美咲と康介のおかげで大金が入ったから。」


あの番組で取った百万は家族全員で使いたかったけど、私のために買ってくれたから文句はなし。

肉の脂と割り下の匂いが玄関にまで充満していた。



「さ、早く食べよう 冷めちゃうよー。

パパが帰ってきたよぉ。」


「おかえり パパ」 

玉子を頬張ってて 口がモゴモゴしてるけど浩二の帰りが楽しみだったリアクションをしていた。


「おおー康介お帰り 久し振りに見たら随分イケメンになっちゃって。

それにしてもすごいなぉ このお肉スーパーじゃないっぽいなあ。」


「そうそう、近くに精肉店あるでしょ?

焼き鳥とか有名な。

ここの国産の黒毛和牛を買っちゃった。」


「そ、そうか 早速食べてみようかな。」


黒のコートを脱いだ浩二は思いの外ふっくらしている。

しかし すき焼きをつつく箸は手が止まり、1パックも肉が減らない。


「ごめん、返ってくる前にラーメン食べてきちゃったんだ。」


浩二が空腹で帰ってくるばかりだと推測していたから、予想外の返答に肩を落とした

何であのときに連絡しなかったのだろうと自責の念に狩られて、白滝ですら喉を通らない。


和牛の赤身は消えて、野菜もタレの温泉に浸かり鮮やかな緑の面影もない。

浩二はウニやトロの高級寿司ばかりを食べ、私と康介は味変の白身ばかりを食べる。

どんどんと寿司は無くなり、桶だけが残るとすき焼きをよそにフルーツばかりに手を出した。


「明日も食べれるから残そう。」


マスクメロンを口に入れながら、すき焼きを避けてあっという間にフルーツはパックだけになった。


「ハァ食べた、それじゃお風呂に入るか。」

「だめだよ 食べてすぐお風呂は血糖が上がって具合悪くなりやすいんだから。」


浩二は旅行先で買っていた ロレックスの高級車時計をちらっと覗き込む。



「もう20時だぜ。」


「分かった。 いま湯船沸かしてくるから待ってて。」


毎日のお風呂も今日は奮発して、ネットショッピングで買った草津温泉が再現できるという入浴剤を購入し、初めてお湯に混ぜ込む。

いつも使うラベンダー風の匂いとは違い、硫黄の独特な匂いが鼻を刺激する。

湯畑の匂いは硫黄の匂いを再現しているものと近所の同年代の奥様に鼻高々と言われたことがあった。


「ほら お風呂沸いたわよ。」

「おー 分かった。 今いく。

じゃあまた後でかけ直すね。」


愉快な話をしている浩二に水を差したみたいで申し訳なかったと思いながら、好奇心で台本やお土産を漁ってみる。


台本は自分のセリフ毎に抑揚やイントネーション、身振り手振りもびっしりと殴り書きで書いているせいか読む気力すら失った。


京都の生チョコ 生抹茶八ツ橋

広島のもみじ饅頭 

横浜に近い鎌倉の鳩サブレ

どれも定番の銘菓がズラリと並んでいる。

お菓子ばっかりじゃ太ってしまうからヘルシーなお土産も欲していた期待も虚しく、ラーメン カレーの炭水化物のオールスターズで追い打ちをかける。  


康介にと奈良のシカのぬいぐるみと横浜の中華料理消しゴムが紙袋に包まれて入っていたが、あまりの奇抜さに笑いを噛み殺す。


餃子消しゴムにチャーハン消しゴム、クラスの視線が集まるに違いない。

けれども悪目立ちしていじられる事だって、誤飲してしまう事だって十分に考えられる。

浩二には申し訳ないと思いつつ、美咲はシカのぬいぐるみだけを取り出し、消しゴムをキッチンの引き出しに隠す。


また袋に入れ戻し見ていなかったことにする。


案の定浩二がお風呂から上がると、サプライズ感満載でお土産を出し始めた。 

私も見ていない演技を続け、大袈裟なほどにリアクションをする。


「浩二にもお土産があるぞー。

ほらー、シカさんのぬいぐるみ!

 

奈良で買ったんだよね。 可愛いと思ったから喜んでくれるかなと思って。」


「ほら シカさんだよぉ。

康介動物好きでしょーー パパが買ってくれたんだよ。」


しかし康介は懐かないままりんごジュースをごくごくと飲んでいる。

当然の結果なのかもしれない。 三歳児がそれも康介が幼稚なおもちゃで喜ぶことは無いと。


「ありがとうは? ありがとうはって!」


それでも感謝の言葉ぐらいは言ってほしかった。

折角買ってくれたのに何も言わないなんて失礼な話だ。

思わず音量を上げてしまうほどヒートアップしてしまった。

我が家には防音設備が備え付けられていない。


「ありがとうって言いなさい ありがとうって言えよ!」

パチン!!


康介を無意識のうちにゆすり、知らずのうちに頬を勢いよく鳴らして叩いてしまった。

その瞬間 周りが全て真っ暗に見え、動くことも思考も停止した。

とんでもない罪悪感に襲われているのに、ごめんの一言すらも喉に突っかかり、遂には銅像のように座りこみ固まったままになってしまった。


浩二は見なかったかのようにその場を立ち去った。


あの日から康介は私に敵対心を持っていった。

私も康介が憎らしかった。

愛する浩二にあんな態度を取るなんてもってのほか

不協和音が家庭内を漂うと、全体が濁ってしまう。

そんなこともわからないままひたすら康介に冷たく当たった。


謝るまでは 自分が悪いと反省するまでは

ご飯の量をあからさまに減らし、話しかけられてもテレビに集中するふりをして、浩二がなんと言おうと留守にする頻度を増やしていった。


入園の日を迎えても仲直りをすることはできなかった。 

いやいや幼稚園をおくりだし、園長から帰りが遅いと催促されるまではベッドで横になる。


そんな康介は私の顔を見ると園長に抱きついて、帰りたくないとアピールしてくる。


「じゃあいいわ。 もう来なくていいから。」


日を重ねるごとに罪悪感の塊は崩れ落ちていって、自然に突き放す。

康介を見るだけで虫酸が走ることもあった。 

イライラも浩二との夜を過ごすことで柔和され、副作用が起きたかのように気分が高揚する。


そんなサイクルが続くうちに、浩二が康介を迎える日が増えた。

最初のうちは快諾してくれたけど、仕事が入ると浩二もまた面倒くさいと駄々をこねる。

わざわざ迎えに行く必要なんてあるのか?

バスで送迎すればいいのではないか?

なんでアイツの為に私のじかんがつぶされなきゃいけないのか?


「すいません おたくの所には送迎バスがついていないのでしょうか?

夫婦ともども仕事に忙しいので」


「申し訳ございません。 私共の幼稚園にはそういうサービスがついていないので」 


二十代前半でまだ未熟な職員 しかも怖気づいている。 


「じゃあ、仕事を押してまでも来てくれと?」


「大変申し訳ございませんが、そうなってしまいます。」 


「あなた達の都合ばかりで保護者のことはなんにも考えないのね。」


「申し訳ございません。」


声が濁り、今にも泣き出しそうだった。

もうひと押しで作戦は成功する。


「ねぇ、本当になんとかできないの?」


「そう言われましても。」


「お電話変わりました 園長の近藤です。

中山さんの要望はお受け出来難い状況でして。」


「何でなのよ?」


「パンフレットを見ていただいたらおわかりになると思うのですが、私達の幼稚園には送迎サービスは一切ついておりません。

このことを了承していただいた上で入園しただいておりますので。」


「そんなの」


「それより、康介君の頬に薄っすらと手跡が付いているのが少し気になったので聞いてみたのですが、ママにビンタされたと泣きながら言っていました。

これはどういうことでしょうか?」


「そ、それはあの しつけで」


「しつけだというのなら 康介君が泣くことも傷がつくこともないとは思うのですが?


言葉がないようなので続けます。

お仕事がお忙しくてやむを得ず送迎を希望するのであれば叶えることもできますが、あなたの場合はそうではないみたいですね。」


「何? 急に話を反らして都合良く持っていくつもり?

そんな卑怯な手使わないでよ。」


「卑怯ですかぁ。 ハハッ

以前あなたがお迎えになさった時に康介くんに対して、もう来なくていいと仰られましたよね?

これは立派な精神的虐待に当たります。

恐らくですが、あなたは康介くんを迎えに行くのが面倒臭いから送迎を頼んでますよね?」


「そんな証拠どこにあんの?」


「証拠というより、過去に何度もお迎えに行くように連絡しましたよね?

再三の注意をしても一向に改善は見られない。

挙げ句に厄介払い。

あなたそれでも子供を預かってる身なんですか?」


「ふざけるな 誰に向かってそんな口を聞いてる!」


「もうやめろよ美咲!」


浩二に怒鳴られ受話器を半ば強制的にとられる。


「本当にうちの妻が申し訳ございません。

ちょっと疲れててイライラしてたので、こうなっちゃったんだと思います。

ご迷惑をおかけしてすみませんでした。」


浩二が一方的に謝罪をして通話を終えた。

どうして私達が謝る立場にならなければならないのか?

どうして偉そうな口を聞かれなければならないのか

腑に落ちないままだった。

うつむく暇も無く、ワンピースの袖が引きちぎれる程引っ張られ、軽い地震が起きたかのように机を叩く。


「見損なったよ 美咲ってこんな人だったんだね。」


「そんなつもりじゃなかったの!」


「そんなつもりじゃなくても 何? あの最悪な態度。

もうとぼけても無駄だよ。」


「ごめん ほんとにごめんなさい。

だって、あなたが可愛がってあげてるのにアイツはなんにも反応しないんだもん!

そんなの苛つくに決まってるじゃん。

アイツは心がないのよ もう限界だよ。」


「康介に向かってアイツっていうんだな。

俺 そんな人無理 受け付けられない。

前から思ってたけど康介に暴力を振るったり、アンタやばいよ普通に。

これは早く離婚したほうが良さそうだな。

ちょうど潮時だろう。

あー 後カメラの写真容量なくなったから全部消したわ。 ちょうど良かったありがとうね、百万ほしかったんだよね。」


「はっ? 何いってんの? 愛してくれてなかったてこと?」


「ハハハ 何笑わせてんだよ。

子供を大事にできない女なんて、愛せるわけ無いだろ。

百万を取った時点でもう用は済んだよ。」


「何? カネ目当てってこと?

じゃああのダイヤモンドは?」


「あれは本物だよ 百万あれば少しは経費ははたけるさ。 

まだまだ演技をしようと思ったけどもう吹っ切れたよ。

離婚届出しとくからサインしなよ。

あーサインしないなんて思わないでね。

後賠償金取れるって思ってた?

今の会話録音したから、不利になるのはアンタだよ。

じゃ そういうことでほら早く飯作れよ。」


「ふざけるな!」


花瓶からマリーゴールドを引き抜き、咄嗟に浩二の頭に振りかざした。

バラバラになった破片に血が滴り落ち、カーペットを赤く染める。

あれだけ威勢の良かった浩二が床に突っ伏したまま手だけが微かに動いてSOSサインを出している。


「あんたが悪いのよ。」


家族写真を切り裂き、ダイヤモンドのネックレスを引きちぎり、床にばらまく。

そして浩二はあれから一切動かなくなった。

徐々に皮膚の温かみが失われて、血も少しずつ固まりやがて流動性を失った。

もう私は何も考えることはできなかった。

ただその場に立ち尽くし、現実からも目を伏せようとして.....


私の足からはジワジワと血が流れ出している。


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