5 似非
浩二の女癖の悪さはとどまることを知らない。
70万円近くの月給の半分は競馬とキャバクラと酒へ消えた。
生活費をやりくりしても、手元に残るのは一万円があるかないかの狭間
「奥様の一番好きな手料理は何ですか?」
「そうですね、全部好きですけどデミグラスソースのかかったオムライスですかね。
デミグラスも手づくりで、卵もトロットロですぐに食べきっちゃいますよ。
私には到底作れない味ですね。」
「お子様ももうすぐで一歳半ということですが
最近変わったことはないですか?。」
「そんな変わったことはないですかね?
いつも通り可愛くて癒やされてます。」
未だにテレビ番組で平気で嘘をつくなんて
これ以上戯言なんて聞いてられないとテレビを消す。
実際は育児も全て私に任せきりで、偶然浩二が早帰りし先週の献立がデミグラスオムライスだっただけで、コンビニで買ったからとそっけない態度で結局一口も食べることはなかった。
それなのに私には到底作れないと堂々と嘘をつける才能に腸が煮えくり返る。
アイツの姑息な手段に引っかかる視聴者も視聴者でなんの疑いもないなんて可笑しい。
達也はまだ拙いけれど簡単な言葉を喋れるようになって、ご飯もスプーンを使って食べ始めた。
毎食ナプキンはよだれや食べかすで汚れぱなしでも、少し少しの成長が私の唯一の癒やしでもあった。
「ただいまー 美咲今まで偉そうなことを言ってごめん。 ただいまってば」
午後6時 あまりに早い帰宅に一度目は思わず無視をしてしまったけど、二回目のただいまで玄関へ駆け寄ると、浩二の姿を確認した。
最近にしてはあまりにも早い帰宅だった。
だから始めは目の前にいる男性が浩二であることさえ疑ったが、間違いなくテレビに映る浩二だった。
「美咲 今までごめん」
突然目の前で土下座をする。
あまりにも一瞬だった。
一年半分の鬱憤が数秒間の戸惑いによって吹き飛ばされる。
「やめて、玄関でみっともない。
浩二さんが忙しいのに、私が文句言ったりするから悪かったの。
でもこれからはもっと仲良くしよう。」
「本当に! 奴隷といったこの僕を許してくれるの?」
「うん、もちろん 夫婦だからさ。」
二人ギュッと抱きしめた、きつかった香水の匂いは消え、薔薇のようなスカッとする香りが顔全体を包み込む。
「さぁご飯食べよっか
急に来ると思ってなかったからパスタと枝豆しかないけどいい?」
「そんなの気にしないで、あ 後お酒もいらないから。
なんか酔っ払ったら人が変わりそうでさぁ、せっかく仲直りしたのにまた亀裂が入ったら困るしさ。」
「亀裂が入ってたとか思ってたのー?
まぁいいや パスタ用意しとくからね。」
不満はあったけど仲良くなればなんてことなんてない。
パーカーから部屋着に着替えている間に、パスタをまた温めて、トマトと茄子とひき肉の入ったミートソースをかける。
3人での久し振りの食事で、浩二も小学生のように無邪気にパスタの到着を待ちわびる。
トマトピューレにデミグラスソースを少し入れて、仕上げにひき肉の肉汁にコンソメを加えた特製のミートソースはトマトの味が感じられるが、そんなにきつくなくて肉の旨味とデミグラスが見事にマッチしている自信の一品だった。
「うん、美味しい
何 コレはデミグラスが入ってるのかな?」
「すごいよくわかったね。」
デミグラスソースは隠し味程度に少ししか入れてないからまさか気づくとは思わなかった。
グルメ番組に番宣ゲストととして2回出ただけで食通になれるのか?
それとも元々持ち合わせていた感性なのかと考えてるうちに、たまたまだよと謙遜したからどちらでもないのかと少しがっかりする。
しかしパスタをゆっくりと時計回りに巻いて、一切麺をすすらずそのまま口に運び、口周りに汚れがつかないようにする姿は育ちの良さが滲み出ている。
けれども一口一口が豪快で 私が半分ほど残っているときには全て食べ終え、食べ盛りの子供のようにおかわりを求める腕白さも残っている。
フライパンをのぞきこみ、残りがないことを確認すると冷蔵庫から訳ありりんごを取り出し、かぶりつく。
「やっぱ 食後のデザートはずっと食べられるっていうだけあるなぁ。」
林檎を口にしながら喋ってるせいか、よく聞き取れない。
ただ陽気なのは伝わってくる。
パンッ
「よしっ 久しぶりだから 3人で写真とるか。
ついでに動画にも残しておきたいなぁ。」
一眼レフを取り出すと、いきなり写真を取り出す。
「ちよっと 取るならちゃんと言ってよ。」
「ごめんごめん つい気分が高揚しちゃってさ。」
「だからって 急に取られるとびっくりするじゃん。」
私はいいけどまだ2歳にもなってない康介が直接シャッターの光を見たら体調不良になるのは目に見えているはず
そんな事も知らずに呑気に笑顔 笑顔と指示されても簡単に作れるわけがない。
「ほーら どうしちゃったの?
はい笑ってー せっかく久しぶりにとる写真なんだから。」
康介の浩二を見つめた満面の笑みを見ると、私はムッとなんかしてはいけない。
最大限の作り笑顔は浩二を欺くことができた。
「次は動画とるぞー。」
「ちょっと待って 写真だけで十分じゃない。」
「まぁ、そう言わず」思い出に残したいからさ。」
「それなら、」
それなら写真だけでも残せると思ったけど、あんなウキウキでファンキーな浩二はレアかもしれない。
食べかけのパスタを寄せて
トマトケチャップを少しだけナプキンと口の周りにつけて なんていう謎の指示はあったものの、シャッターは私達にしっかりと向けられている。
カメラを向けられた途端 いい演技を望む承認欲求が生まれて段々と手から汗が滲み出る。
ドラマの浩二は1アクションごとに複数のカメラが向けられているはず。
私には到底耐えきれない状況だろう。
「じゃあいくよ、あっでもそんな緊張しないで、もういつも通りでいいから。」
いつも通りって言われてもと反抗する前に動画撮影開始
パスタを巻きとり、康介の口に運ぼうとしたがなかなか食べてくれなかった。
「お腹いっぱいになっちゃった? なっちゃったの? そうでちゅか。」
赤ちゃん言葉を使うことなんてないのに、カメラを向けられると連呼してしまう自分が恥ずかしい。
「はい 終わり。
まぁ康介もあれだけ食べればお腹いっぱいになるしな。」
ため息を付きながら ソファの上で乱雑にカメラを置く。
ノリノリだった頃と変わって 私に失望したかのように態度が冷たくなる。
「なんかごめん。」
「謝ることじゃないよ、まだまだ動画撮るつもりだから もう疲れたし寝るわ。 じゃあな。」
〜お前のせいでいいのが取れなかったんだぞ~
そんなことを言いたかったのだと思う。
康介はパスタを手で掴み、一本一本ゆっくりと啜っていた。
〜なんであのときは食べなかったくせに
今はあんだけ黙々と食べられるわけ?
本当の戦犯はあんたに決まってる。〜
皿を取り出して 康介に見せつけるように残飯を捨てる。
シンクにパスタが詰まり、トマトソースと混ざった水道水がうまく流れてくれない。
康介はまだ口をもぐもぐさせて、もう一本を要求するかのように私の方を見つめている。
「言う事を聞かないあんたなんかに上げるわけ無いでしょう。」
と呟くと シンクのゴミ受けをこじ開けて、噴水のように一気に流し込む。
残すからいけないんだと何度も呟いて、皿を洗う。
中指のヒビ割れに洗剤が入り込みじわじわと染みて、残ったトマトソースと一緒に淡い血が混ざり合い、深紅色になってシンク内を流れる。
大量の水が吸い込まれていく音が心地良い。
「さぁ寝るよ」
康介を抱きかえて おしゃぶりをさせてベッドで横にさせる。
テレビのゴールデンタイムが始まッたばかりで月はまだ雲に覆い隠され姿を見せていない。
お風呂も歯磨きも絵本読み聞かせもすべてが怠惰で寝せることばかりを考えていた。
感情が昂り、雑音が混じった子守唄でもすぐに眠りについてくれる。
浩二は自分が出ていた再放送ドラマを見ながら一人ニヤニヤしている。
「おーい、風呂はまだかぁ。 早く焚いてくれー」
「はいちょっと待ってね。」
「なるはやでねー」
浩二がいると普段の安らぎの時間さえも家事に汚されていく。
そんなことも知らずに何度も何度も叫び続ける。
「もうすぐ出来るよー。」
張り詰めたお湯が沸騰したタイミングを狙ってラベンダーの香りがするという入浴剤を沈める。
「湧いたわたよー。」
「もー、遅かったじゃないかぁ」
「そりゃ洗い物して、面倒を見ながら急いでお風呂だなんて無茶だよ。」
「ごめんごめん、美咲のこと考えてなかったね。」
「大好き」
息を吐くように呟いた瞬間、唇が頬に触れる。
康介と口づけをしたあの時の感触と同じだった。
目の前にいるのは私の夫であり、誰もが羨むイケメン俳優
そんな男が始めてほっぺにキスをした。
負けじと頬に口づけをする。
何の穢れも無い純真無垢な頬の感触が伝わり、思わずギュッとだきしめた。
「これからもずっと一緒だよね。」
「もちろんだよ。」
浴槽がぬるくなる事すら忘れて 二人はひたすら抱き合い、初めて濃艶なキスを交わした。
「もうお風呂に入らなきゃ。」
「いいさ、今日は二人でいたいから。」
ピンクの部屋着を脱ぎ ブラジャーを外し
浩二は上半身裸でうめき声を上げながら、眠るまで抱き合った。
不思議と、朝を迎えるとこの夜の出来事はすっかりと忘れていた。
鏡に映る自分の裸に、乾いたツバと浩二のサラサラとした髪の毛が付着して鳥肌が立ち、シャワーで洗い流し ボディーソーブを何度も何度もプッシュして泡立て器のように体中を泡立たせる。
夜明け前で寝起きの体は急激に冷え、エアコンの冷風で思わずくしゃみをしてしまった。
生憎の雨に太陽は雲にすっかり覆われ、熱気が無く土砂降りの雨の音だけが耳を塞げど塞げど、体内へ共鳴する。
「もう夏も終わりだけど、漸く浩二との関係が良好になったみたいね。」
ピンクの新品のパジャマに袖を通し、ゆっくりと眠りについた。
〜これから 浩二との関係性が長く続く そう願って。
だけれど そんな願いはもろく打ちひしがれていく。
私のみた浩二は微かな幻影にしか過ぎなかったことを思い知らされるなんてこのときの愚かな私は知る由なんて無かった。