空駆ける少女に捕えられた王子4
シリウスはメアリーアンヌに会えない日々が続いていた。
国外の外交を任され帰国すると安全のため公爵領への訪問が禁止されていた。メアリーアンヌも公爵家の執務で忙しく王宮に参内しない。
王宮に参内しても用が終わるとすぐにポポロで帰宅してしまい顔を合わせることがなかった。
国王陛下の生誕祭でシリウスは久しぶりに会えた美しく着飾ったメアリーアンヌに見惚れていた。手を差し出すと、そっと手を重ねたメアリーアンヌの手を自分の腕に導く。婚約した当時は常にユリシーズのエスコートを受けていたメアリーアンヌにダンスを申し込むだけでも必死だった。ユリシーズの留学のおかげでメアリーアンヌをエスコートする権利がシリウスの物になった。
並んで挨拶を受けながら、シリウスは初めて共に踊った曲が流れているのに気付き、メアリーアンヌに笑いかける。
「そろそろ踊ろうか」
「かしこまりました」
自然にダンスに誘えるようになり、当然のように頷くメアリーアンヌに頬を緩ませ手を繋ぎ、腰に手を回す。音楽に合わせてゆったりとしたスッテプを踏む。
「美しい銀髪を揺らすダンスも見てみたい。風にたなびくメアリーの髪は輝きを増すから。も、もちろん今日の髪も美しいよ」
「ありがとうございます」
シリウスはメアリーアンヌと3曲踊るといつも二人で休憩をする。曲の終わりにシリウスの視線に気づいて頷くメアリーアンヌと言葉のないやりとりを楽しみ、エスコートして人混みを抜ける。
給仕に用意させたグラスワインを受け取り、メアリーアンヌを誘いバルコニーに向かおうとすると一人の令嬢が堂々とした足取りで近づく。シリウスは嫌な予感に襲われ視線を合わせないように通り過ぎようとして失敗する。
「殿下、踊ってください」
メアリーアンヌは自信に満ちた笑顔の令嬢の申し出を受けるシリウスのために抱いていた腕を離して、手に持つグラスを受け取り見上げる。
「殿下、私は一人で大丈夫です。行ってらっしゃいませ」
「わかったよ。すぐ戻るよ」
シリウスは令嬢からのダンスを断るのはマナー違反と知っているので落胆する気持ちを隠して令嬢をエスコートしダンスを踊る。
メアリーアンヌはシリウスが用意してくれた自分好みの甘みのある弱いワインをゆっくりと飲みながらシリウスと令嬢のダンスを眺める。そして予想通り、美しい別の令嬢と二曲目を踊るお似合いの姿を眺めシリウスが好む酸味の強いワインを口につけ、顔を顰めたくなるのを我慢して一気に飲み干す。二人で飲むはずだったものを一人で飲み干し、自分のために用意してくれた優しさだけに満足し、寂しい気持ちは殺して給仕にグラスを返す。頼もしい兄がいないことを思い出し、ずっと壁の花になっている社交慣れしてないマーガレットのもとに足を進め、「マーガレット、行きますよ」と声を掛け、妹を連れ談笑の輪に混ざる。妹と同世代の子息達と談笑し、ダンスに誘われた妹が断る前に「行ってらっしゃい」と送り出す。妹達が緊張しながらも一生懸命踊っている姿をメアリーアンヌは優しい瞳で眺める。運動が苦手でレッスンを嫌がるマーガレットにダンスを教えたのはメアリーアンヌ。「お姉様のエスコート以外で踊りたくありません」と可愛い我儘を言っていた妹の成長を喜び、妹のおかげで寂しい気持ちも胸の痛みも消え幸せな気持ちでいっぱいになりニッコリ笑う。
メアリーアンヌの浮かべた無意識な笑みに見惚れた子息にダンスに誘われ、我に返り無表情で頷き踊る。
いつの間にか姿を消したメアリーアンヌをシリウスがようやく見つけると頬を染める少年と見つめ合い緩やかなワルツを踊っていた。踊り終えた二人に近づいてシリウスは嫉妬を隠して笑みを浮かべてダンスを申し込む。メアリーアンヌは頷き、シリウスの優しいエスコートを受けながら胸がいっぱいになり幸せに顔が緩まないようにして無表情を貫きステップを踏む。ダンスは見つめ合ってするものだが、メアリーアンヌにはシリウスと見つめ合いダンスするのは難易度が高くできない。見つめ合えば頬が染まる自覚があるため淑女らしさを保つために必死に無表情を貫いているのを知っているのは妹だけだった。シリウスも同じで時々視線を合わせるのが精一杯。それでもメアリーアンヌとのダンスは誰よりも踊りやすく楽しい時間だった。どんなドレスも美しく着こなし自分以外の男も魅了する美しい婚約者の纏うドレスにはいつも自分の持つ色を入れた。シリウスの物と主張しても年々増える害虫に嫌気がさしても渡すつもりはない。指一本触れさせたくないが、シリウスの思い通りにいかない。自分達に向けられる視線を感じながら、これ以上他の令嬢にダンスに誘われ離れるのはごめんだとシリウスは勇気を出してダンスが終わる前にメアリーアンヌの耳に囁く。
「メアリー、抜けないか?」
「え?はい。殿下の仰せのままに」
メアリーアンヌは耳元で囁かれ、胸の鼓動が速くなり顔が赤面しそうになるのを必死に抑え無表情で頷く。母親の恐怖のお説教と「淑女らしく」という口癖を思い出し胸の鼓動を収め冷静になることに成功する。背中に冷たい汗が流れたのは気づかないフリをする。
シリウスは邪魔が入らないように一般に解放されていない庭園にエスコートし、上着を脱いでそっとメアリーアンヌの肩にかける。メアリーアンヌに見つめられ「ありがとうございます」と言われ顔が赤くなるのを隠すために空を見上げる。
「月が綺麗だな」
「はい。今夜は一段と美しい夜空です」
メアリーアンヌは美しい夜空に暗い庭園、今なら赤面しても見つからないだろうと空いている手をギュっと握り、空を見上げる優しい婚約者の顔を見つめて勇気を出して口を開く。
「殿下、おねだりしてもよろしいですか?」
「もちろん」
「婚姻するときにポポロを連れて行きたいんですが」
「かまわないよ。もちろん空の散歩も自由に」
「まぁ。ありがとうございます。妃として相応しくなれるように精進しますわ」
夜目がきくシリウスは自分を見上げるメアリーアンヌの瞳がうるみ輝いているように見えて、抱きしめたい衝動に襲われ早く成人してほしいと思いながら無理矢理視線を逸らし満天に輝く夜空を見上げる。
メアリーアンヌが夜空を見上げる幸せな言葉をくれる優しい王子様に頬を染めてニッコリ笑ったのには気付かない。
もしもメアリーアンヌの醜い心が知られて、見向きもされなくてもポポロがいれば大丈夫と。ポポロと空の散歩があれば幸せ。たとえ友人の言うように見向きもされない花になっても。
それでもきっと優しくて誠実なシリウスなら大事にしてくれるとメアリーアンヌは空を見上げる顔を眺めしばらくして満点に輝く星空に視線を向け幸せの探し方を思い出していた。
二人の会話を聞いていた姉が大好きなマーガレットが心の中でヘタレと叫んでいるのには気付かない。姉と一緒に社交にまわり、色んな知識を得たマーガレットは姉がシリウスに好かれていないと思っているのはプロポーズをしなかったシリウスが悪いと思っている。マーガレットは姉にどんなプロポーズをされたか聞いたら、婚約の儀は挨拶とサインをしただけだと笑っていた。「形は大事でも気持ちがないのにしても仕方ないこともあるのよ。期待させないのもお優しさよ」と怒るマーガレットを笑顔で嗜める姉に王子を見るたびに婚約を解消してほしいと思ってしまう自分がいた。余計なことをすると姉に迷惑がかかるとユリシーズから手紙で忠告されているため声を高らかにあげていない。
メアリーアンヌの妹のマーガレットは素直なため空気を読まずに本音を呟く悪癖がある。何度も言い聞かせたメアリーアンヌの努力のおかげでマーガレットは心の中でつぶやくことを覚えた。メアリーアンヌはマーガレットの失言がなくなり令嬢らしくなったと安堵していたが、妹が社交をせずに自分の観察を日課にしているのは知らなかった。そして自由に入ってはいけない場所に忍び込む悪癖があることも。
メアリーアンヌの公爵令嬢としての評価が上がったのは、ユリシーズの留学と目が離せない妹のフォローをしていたおかげである。妹の失言から気を反らすために、話題を変え注意を自分に向け、無表情を取り繕い内心は慌てて冷たい汗をかきながら会話を盛り上げていた。そして社交が上手いユリシーズが隣にいなくなり、相槌をっているだけですまされず、メアリーアンヌが話さざるおえなくなった。気配を消して時間が過ぎるだけの数合わせの参加者でいられない。公爵家の社交にシリウスの婚約者としての務め、マーガレットの世話はメアリーアンヌの立ち位置を変えた。
世間にはようやく王子の婚約者として自覚が出てきたと言われる本当の理由を知るのは実兄とマレードだけである。
シリウスは友人から極秘の相談があると言われ、人払いしてお茶を飲みながら口を開かない隣国王子のテオドールの言葉を待っていた。
「シリウス、白い鳥を使役している少女はいるか?」
ようやく口を開いたテオドールの気まずそうな顔を見てシリウスは嫌な予感がする。
「いるけど」
「弟が一目惚れした。使役獣を持つなら高貴な血ではなくても」
「駄目!!絶対に駄目」
「彼女はシリウスのお気に入りか?」
ノックの音にテオドールが勝手に入出許可を出すと、書類を持ったメアリーアンヌが礼をして部屋に入った。久しぶりに会えて顔が緩むシリウスは正面に座る友人の存在を思い出す。
「失礼致します。妃殿下より殿下にと、来客中でしたか」
「華がないから是非ゆっくり」
メアリーアンヌを見て甘い笑みを浮かべたテオドールが近づく前に、シリウスは立ち上がり「ありがとう」と笑いかけ書類を受け取り部屋から追い出そうとした。いつもなら散歩かお茶に誘うが今は最悪のタイミング。女好きの友人にはできる限り会わせないように隠してきた。
「もしかして、メアか?」
メアリーアンヌはテオドールとは初対面である。第一王子に頼まれ隣国に書類を届けに行った時は自国の大使に会っただけ。帰りに広場で子供達と鬼ごっこをしただけで高貴な方に会った記憶はないので、どう返答するか迷い足を止める。お忍び用の名前を知るのは身内とお友達と平民だけのはずだった。
「テオ、僕の婚約者のメアリーアンヌだよ。メアリーもうお茶会が始まるだろう?私的な訪問だから挨拶はいらないよ。母上のところに戻らないと」
「かしこまりました。失礼します」
メアリーアンヌはシリウスの言葉に思考を放棄し礼をして立ち去る。初めて部屋から追い出され、出て行った自分にシリウスが息をついた音を聞き、胸の痛みに窓を見上げ、帰りはポポロで帰ろうと決める。
誤解を生んだと気付かず絡まれることなく出て行った婚約者にほっとしているシリウスを見てテオドールはニヤリと笑う。
「あれがお前が隠している婚約者か、へぇ。でも様子が違うんだな。弟は失恋か」
テオドールはシリウスほど鈍くないのでメアの正体に気づいた。
シリウスはテオドールから小柄な美しい銀髪と緑の瞳のメアと弟王子との出会いを聞き絶句する。
広場で子供達と鬼ごっこをしていた銀髪の少女。噴水に落ちてもニコニコと笑い、子供達と水の掛け合いをする愛らしい姿にお忍びをしていた王子が一目惚れした。
そして白い鳥の背に飛び乗り空高く飛び上がる姿を見て、兄に婚約者を決めたと駆けこんで来たと。シリウスはメアリーアンヌのお使いを知らず、テオドールに丁重にお断りをして部屋から追い出した。そして兄の部屋を訪問すると、机に並べられている見慣れない工芸品に背中に嫌な汗が流れる。
「兄上、その机にある物は?」
「メアリーにお使いついでに買い物を頼んだ。便利だよな。馬より速く、どんな遠い国も半日で帰ってくるし、伝令に丁度いい」
「僕の婚約者に危険なことをさせないで下さい」
「ユリシーズが帰国するまでだ。それにメアリーは自衛ができるだろう?」
「嗜み程度でしょう?それに変な男に」
「メアリーが嫌がればやめるよ。でも楽しそうだ。いつもの無表情が嘘のように目を輝かせて飛び出すんだよ。お茶会よりも公務のが有意義なようだ」
「密入国で捕まったら」
シリウスは有能な臣下を容赦なく使う頑固な兄の顔を見て駄目だとため息をつき国王に直談判に行く。
このままメアリーアンヌを兄の伝令に使われるのは避けたい。婚約者だからって確実に婚姻できるわけではないので、他国の男に見初められるのは避けたい。伝令に行くなら自分と過ごして欲しいシリウスは父の執務室に行き机の上に広がる絵姿と手紙を凝視する。
手紙を読み、他国の王子からメアリーアンヌとの縁談の申し入れに絶句し、自分の不満を全て解消する方法を思いつき父に願う。
国王は縁談はシリウスの希望を優先するつもりだったので、初めての息子の我儘に公爵夫妻が許し自分で手配するならと許可を与える。
シリウスは笑みを浮かべ感謝を告げてその足で公爵家を訪問する。
シリウスは公爵夫妻に願いを口にすると「不肖な娘でよければ是非」とあっけなく了承される。2つほど条件を出されたが簡単だったので、その場で了承した。
その頃メアリーアンヌはお茶会を欠席し第一王子のお使いに出かけたため留守だった。
シリウスは公爵夫妻の条件の一つの願った理由を自分で伝えるという条件を達成したくても会えなかった。
公爵家の執務や妃教育、兄のお使いと多忙で全然捕まらない婚約者に夜会で会った時に伝えて発表すればいいかとドレスを贈る手配とその後の準備を始める。
明日からしばらく兄と弟が王国を留守にするため執務は増えるがメアリーアンヌとの時間が邪魔をされないことに喜び、机の上の執務に手を付ける。
翌週シリウスにとってようやくメアリーアンヌと会える夜会の日を迎えた。
「殿下、ごきげんよう。あの件は」
「進めているよ」
シリウスはマレードに他国の王子からの求婚を穏便に断ってほしいと相談という名の脅しを受けていた。貴族の顔で微笑み合う二人の姿をメアリーアンヌは静かに眺めて、鉄壁の貴族の顔を浮かべて「常に冷静に」と王妃の教えを頭で唱えながら近づき礼をする。
「ごきげんよう。殿下、マレード」
「メアリーアンヌ」
シリウスは青色の生地に金糸で刺繍を入れさせ、自分の持つ色だけで作らせたドレスを纏い、初めて髪を降ろして礼をする姿に見惚れて固まる。メアリーアンヌはマレードに浮かべた笑みを消して言い淀むシリウスに胸の痛みを隠して、給仕のお盆の上にある他国から仕入れた美しいシャンパンに視線を移し手を伸ばす。
マレードはずっとメアリーアンヌに片思いしているのに、全く興味を持たれない滑稽な王子を眺める。
シリウスはメアリーアンヌに見惚れる男の視線に気づき意を決して口を開く。
「メアリーアンヌ、婚約破棄したい」
シリウスにとっては一番美しい瞳に見つめられ、胸の鼓動が速くなり赤面しそうな自分に気付き、息と共に続きの言葉を飲み込む。
マレードはシリウスの無言の沈黙にメアリーアンヌが飽き、手に持つグラスに注がれたばかりのシャンパンを見つめる様子を眺める。シリウスが見惚れているのに気付かずマイペースな友人がシャンパンを口に含み、酔いで頬を赤らめ自分の全身をじっくりと見つめる視線に違和感を覚える。
「私は殿下の婚約者として、貴方の傍にいるマレードに嫉妬しましたわ。私はずっと殿下をお慕いしてましたもの」
シリウスに向き直り淡々と話すメアリーアンヌの言葉にシリウスもマレードも顔には出さないが内心は驚愕していた。
「え!?」
第二王子が好意を持っているのは有名だったがメアリーアンヌは常に臣下として礼をつくしているようにしか見えなかった。
メアリーアンヌは誰に対しても距離は変わらない。用がなければ、挨拶以外で自分から近づかないが、近寄る者は拒まない。美しい顔と小柄で華奢な体、常に無表情でお人形と囁かれていた。
感情を持っていることを驚く者や第二王子の初恋が報われると喜ぶ者、憧れの令嬢の恋慕に落胆する者などメアリーアンヌの外面に騙されている貴族は様々な声を溢した。
「確かにマレードに薄めに淹れさせたお茶と皆様より少ないお菓子で、おもてなしましたわ。マレードの嫌いな色の絶対に選ばないドレスを贈りました。招待した晩餐の料理には人参を1本多く盛りつけさせましたわ。殿下との待ち合わせを知って会わせないように殿下に急な公務をいれて逢瀬を邪魔しました。二人の逢瀬に邪魔しようと風を送りました。時には二人の逢瀬に堂々と割り込むことも。私は殿下のお心がなくても、お傍に置いていただければ満足でしたわ」
「は?」
メアリーアンヌの告白にマレードは首を傾げる。
マレードは甘い物を好まないので、茶菓子が少ないのは友人の気遣いだと思っていた。そして薄いお茶を出された記憶もない。
ポポロに乗って世界を飛び回るメアリーアンヌは不思議なお土産をくれるが、気に入らない物は一つもなかった。
マレードは人参が嫌いではなく他人の皿と人参の量を比べない。
風?
ポポロが飛び立つ時に強い風を起こすこと?マレードはおバカな友人の告白に久しぶりに笑いを堪える。むしろ第二王子はメアリーアンヌと過ごすために必死に追いかけまわし、自分達に近づいてくるメアリーアンヌに喜んでいたはずである。
シリウスは冷静に立っているように見えたが心の中では素っ気なかった初恋の少女の告白に歓喜していた。ニヤけそうになる顔を堪えて言葉を飲み込む初恋の少女の美しい瞳を見つめて優しく名前を呼ぶ。
「メアリーアンヌ?」
「私を婚約者に選んでいただき嬉しく想っていましたわ。たとえ、それが後見目当てでも。殿下、浅はかな想いを抱いた私をお許しくださいませ。マレードも好ましい友人と思ってましたのよ。嫉妬に狂った私の言葉など信じていただけないでしょうが」
「メアリー?」
シリウスはメアリーアンヌの言葉に戸惑う。メアリーアンヌに一目惚れして婚約者に選んだが後見目当てではない。ポポロを使役するメアリーアンヌを他国に嫁がせたくないという国の思惑はあっても王家が使役に気づいたのは婚約者に内定のための身辺調査の時である。シリウスがどう言葉をかけようか迷っているとメアリーアンヌが離れ、国王の前で跪いていた。
「国王陛下、私は嫉妬に狂ったあさましい女です。殿下の妃たる資格はなく、婚約破棄も受け入れます。恐れながらお願いがあります。我が公爵家も私も幼い頃から王家のために一心に尽くして参りました。咎は全て私に。悪事を働きましたので、修道院送りか投獄でしょう。ですが私のために血税を無駄にするなら、その分は貧民に施しを与えるほうが国のためになりますわ。ですから、永久に国外追放にしてくださいませ」
国王がシリウスから聞いた願いと逆だった。そして子供の悪戯?で罰するつもりもない。もし裁けば、メアリーアンヌのファンが荒れるのもわかっていた。
重罪人のような告白を淡々とするメアリーアンヌにかける言葉を悩んでいると、メアリーアンヌが剣を取り躊躇なく長い髪を切った。
「皆様、メアリーアンヌの最期を見届けていただき感謝しますわ。愚かな私を酒の肴に楽しい席を。もうお目にかかることはありませんでしょうが、良い夜を」
一部を除き空気に飲まれた貴族達はメアリーアンヌを茫然と見送っていた。
「近衛が令嬢に剣を奪われるのは鍛えが足りませんね」
王妃のおっとりした言葉にメアリーアンヌに剣を奪われた青年が跪く。
「妃殿下、お許しください。うちの子は鍛えてますので、特別です。本人が望むなら近衛騎士も目指せます。どうかお咎めはお許しください。娘が場を騒がせたこと心よりお詫び申し上げます」
「メアリーが男に生まれれば騎士団長も夢ではないのに。武術の才は全部あの子に受け継がれたわね」
おっとりと王妃とメアリーアンヌの母である公爵夫人が話していると窓が風で揺らされミシミシ、ズドンと悲鳴をあげた。
「あら?あの子ったら。馬車を使いなさいって」
風の音と鳥の鳴き声が響き、ようやく固まっていた者達も動き出す。
「メアリー!!」
シリウスとマレードが飛び出すと鳥さえいない静寂した空気が庭園を覆っていた。空に浮かぶのは神々しい月と煌めく星。月夜を飛ぶ少女の姿はない。
マレードが空を見上げるシリウスの胸倉を掴んだ。
「殿下、なんであんな誤解を招くようなことを!!」
「まさか、メアリーが僕のことを」
無表情で人形のように美しい婚約者に好意を持たれているのに気付いていなかった。メアリーアンヌからの告白を思い出し頬を染めるシリウスをマレードが目を吊り上げ絶対零度の眼差しで睨みつける。
「浮かれるのは後にしてください。飛び出したじゃないですか!!思い込みが激しいんだから。私は殿下なんて一切思ってないのに。嫌がらせもわかりずらいのよ!!」
「探さないと、メアリーが、」
「バカなんですか!?メアリーのポポロに追いつけません!!鳥を使役するメアリーに馬では」
シリウスが愛馬を呼ぼうとするのをマレードは冷たい声で止める。
その後もマレードのシリウスを罵る声が響き、ヘタレや甲斐性無しやら悪口の羅列にシリウスも性悪女と応戦する。
シリウスを追いかけてきた近衛は二人の喧嘩を止めるメアリーアンヌの不在に途方に暮れる。
メアリーアンヌがマレードと過ごすのでシリウスがいつも居場所を聞くために声を掛けているだけである。この二人が恋仲には一切見えずに、飛び出したメアリーアンヌを恋しくて思い近衛が名前を呟くとシリウスとマレードの口論が止まる。
喧嘩をしている場合ではないと気づき、シリウスは自身に任されている騎士団にメアリーアンヌの捜索を命じる。
ざわめく会場ではメアリーアンヌの母親が娘が騒がしたお詫びに余興をと夫に剣舞を披露させる。
貴族達は美しく力強い剣舞に夢中になり、熱気と賑やかな空気が会場を支配する。メアリーアンヌの祖父は剣の達人で騎士団総帥まで登りつめた男。すでに引退し冒険者をしているが気まぐれで帰り、公爵家の騎士の指導に時々顔を出す。そしてメアリーアンヌの師匠でもある。
メアリーアンヌが剣舞を披露するのは公爵領の祭りの時。メアリーアンヌのファンは剣舞に魅入られた貴婦人と令嬢でありマレードもその一人。
この日の会場ではメアリーアンヌ達の話題で盛り上がり、本人の宣言通り酒の肴にされていた。
常に冷静で無表情の第二王子の婚約者が浮かべた愛らしい笑顔を思い浮かべる者や舞台役者のような仕草を披露した姿に頬を染める者、シリウスは恋敵を増やしたことに気付かず指示を出していた。