閑話 末っ子王子と兄の婚約者
第三王子ケイルアンは隠れんぼが得意な甘えん坊で笑顔が可愛い王子である。
王太子である第一王子が優秀なため、下の王子達は本人のペースに合せて成人までに王族として相応しく育てばいいと国王夫妻は厳しい教育をしなかった。
優秀な長男が次男を鍛え、末っ子を甘やかすのも好きにさせる。王子の教育についてはおっとりしている国王夫妻よりもしっかりしている第一王子が口を出すことが多かった。
動物嫌いなケイルアンはメアリーアンヌに教わった魔法の言葉を使うと大人は使役獣について口に出さなくなった。無邪気で笑顔の可愛い王子に「お手本見せて」と言われると使役獣を持たない大人達は黙り込み、話を変える。
そして使役獣について口に出さなくなったのにはもう一つ理由がある。
「絆の魔法は簡単ですのね。知りませんでした。でしたら皆様もお持ちでしょう?私も数年前に契約したばかりですわ。教えていただきありがとうございます。うちは名誉のこととは思っておりませんので内密にお願いします。わが家を侮辱するならお覚悟を」と王国初の鳥と契約した公爵令嬢に無表情で淡々と言われて「早く使役獣を持てますよ」とは無責任な言葉を口にする者はいなくなった。そして10歳の令嬢に数年前とはいつのことか聞く勇気のある者はいなかった。
ケイルアンはメアリーアンヌが参内していると侍女に聞きお礼を言うために部屋を抜け出し王宮内を走り回っていた。
シリウスが令嬢達に囲まれ贈り物を断っている姿をハンカチを握ってこっそり見ているメアリーアンヌを見つけて目を輝かせる。庭に向かって歩いている後ろ姿を追いかけると足がもつれてすてんと転んだ。
バタンと音がして、メアリーアンヌは振り向くとケイルアンが転んでいたので、慌てて駆け寄り「大丈夫ですか!?」と抱き起こす。コクンと頷くケイルアンを座らせて膝から出ている血を見て、丁度手に持っていたハンカチを眺めて小さく笑う。メアリーアンヌはハンカチを贈りたい相手がいても断られると知り寂しい気持ちと胸の痛みは転んでもニッコリ笑って座っている王子の可愛さで消え、ハンカチが無駄にならなくてよかったと笑みを浮かべて水筒の水で傷口を綺麗に洗い膝にハンカチを巻く。
「殿下、泣かずに頑張りましたね」
「メアリー、ありがとう」
「どういたしまして。お部屋に帰ったらきちんと手当してもらってください。言えますか?」
「うん。言える」
「さすが殿下です。怪我は迅速に手当てしないといけませんから」
「メアリー、ハンカチ汚してごめんね」
「もう一枚あるので大丈夫ですよ。このハンカチも殿下に使っていただけて喜んでますわ。献上品ほど立派な物ではありませんが、手当が終わったら捨ててしまって構いません。さて、抜け出したならお一人で戻ったほうがよろしいでしょう。お気をつけて」
「ありがとう。メアリー、また遊んでね」
ケイルアンはメアリーアンヌが膝に撒いてくれたハンカチを見て立ち上がり手を振って別れた。部屋に戻りポポロに乗るメアリーアンヌに手を振ると振り返してもらってにっこり笑う。
オロオロしている侍女に抜け出したことを謝って手当を受ける。
膝に巻いてあった汚れたハンカチを開くと金色の王家の紋章の刺繍を見つけ、侍女に洗濯を頼む。綺麗になったハンカチを眺めていると怪我をした弟を心配した第一王子が訪ねた。
「ケイルどうした?」
「兄上、メアリーに手当してもらったの。お礼したい」
「お礼は大事だよな。お忍びに行こうか」
「うん。ありがとう。兄上」
第一王子は母親に恋の駆け引きの勉強中だから邪魔をするなと言われているため、メアリーアンヌに会えなかったと落ち込むシリウスの放置を決める。
メアリーアンヌ以外の令嬢と話している間に、話しかけるタイミングを逃しずっとすれ違いを繰り返す様子があまりに憐れで時々、メアリーアンヌにシリウスへのお使いを頼む。うまく散歩に誘えれば上機嫌で、勉強や公務に励むので母親に見つからないように時々協力していた。
第一王子はケイルアンを馬に相乗りさせて公爵領の祭りにローブを着てお忍びで訪問する。
シリウスの婚約者に選ばれたメアリーアンヌが王宮でケイルアンから贈り物を受け取れば誤解を生む。メアリーアンヌがケイルアンの世話をやくのは人目のない場所で一人ぼっちの時だけである。
ケイルアンも人目を意識しているのでメアリーアンヌに遊んで欲しい時は兄や母と一緒の時か抜け出して使用人達を引き離していた。
公爵領の年に一度の感謝祭。
公爵家より食事と酒とお菓子が振舞われ無事に1年を送れたことを祝う大事な日であるため公爵領民はほとんどの者が仕事を休み祭りに参加する。
領主一族による領民のためだけの祭りである。全ての領民を休みにはできないため、医務官や騎士、祭りの運営協力者達には食事と酒が届けられ、後日ささやかなパーティーが開かれる。
今年の感謝祭を取り仕切るのはメアリーアンヌで補助はユリシーズとマーガレット。
メアリーアンヌはポポロに乗って朝から「幸せな一日を」とカードに飴を貼り付けて、花と一緒に空から撒いていた。
働く領民の家の扉にはバスケットに料理とお菓子とメアリーアンヌとマーガレットが書いた感謝の手紙を詰めて置いてきた。メアリーアンヌの今年の祭りのモットーは領民全員に感謝を伝え幸せな一時のお返しをである。
予算についてはユリシーズが計算し管理している。
ユリシーズが参謀、メアリーアンヌが実行。幼い頃からこの役回りは変わらない。
カードは文字の練習も兼ねて孤児院の孤児達と一緒に用意した。
領民達はポポロに乗るメアリーアンヌを見つけて手を振り空から降る贈り物に笑う。白い鳥に乗り笑顔が可愛い領民に幸せを運んでくれるお嬢様は大人気だった。
メアリーアンヌが国外から買ってきた拡張機を使いユリシーズが弾くピアノを領中に響かせ、美しい音楽に合わせて子供が歌を歌い大人達は踊ったり酒を飲んだり笑顔が溢れていた。
第一王子は初めて見る手が込んでいる祭りに驚き、ケイルアンは大きい声で歌を歌う。
公爵領の祭りには必ず領主一族の挨拶がある。3兄妹をよく知る第一王子は挨拶をメアリーアンヌがするだろうと催しが行われる広場を目指す。
ローブのおかげで王族とは見つからないが人混みに潰されないように弟を抱き上げて人が賑わう広場を進む。第一王子は公爵領の祭りなのに他領の令嬢が舞台の最前列にいるのに不思議に思いながら弟を肩に座らせる。挨拶を終えたメアリーアンヌに会いに行けばいいかとずっと目を輝かせ興奮している弟の話に耳を傾ける。
美しい音色が消えると領民達は口を閉じ、ざわついていた広場が静寂に包まれる。
広場の中心にある舞台の横にある白い布で作られた天幕が開き、白いドレスを着たマーガレットが公爵家の紋章と美しい紐で飾られた剣を持ち舞台の中心を目指して歩く。ゆっくりとした足取りで舞台の中心に立ち背筋を伸ばし、舞台を囲む領民達に向けて笑顔で礼をする。
「1年間お疲れ様でした。皆様の努力のおかげで今年も豊作です。一族を代表してお礼を申し上げます。兄は不在ですが、ご心配なく。皆様への感謝をこめて、未来を担う私達の合作?しばし、しば……」
マーガレットは初めての挨拶に緊張して頭が真っ白になる。妹の困っている顔にメアリーアンヌは舞台に飛び出しマーガレットの隣に立ち騎士の礼をして凛とした声を出す。
「感謝の証に父と兄の代りに私が務めます。マントの刺繍は兄妹合作、新たな舞を未来の領主より授けられました。ではしばしお付き合いください」
メアリーアンヌの視線を受け、マーガレットが笑顔で剣を渡す。メアリーアンヌは剣を受け取り凛々しく見える無表情で剣舞を披露する。
観客達は夢中で魅入り、ケイルアンも目を輝かせる。一つに結われた銀髪と剣がキラキラと輝き、美しい鳥と剣が描かれたマントが風に舞う。令嬢達は頬を染めてうっとりと見つめ、剣で空気を斬った凛々しい姿に感動の涙を流す。
「兄上、メアリー格好いいね!!」
王子達は公爵家の伝統剣舞を見るのは初めてだった。第一王子は洗練された動きに嗜み程度の自衛ができると聞いていたが予想以上だと感心する。
剣舞が終わりメアリーアンヌが礼をするとマーガレットが舞台に上がり、跪くメアリーアンヌからマントと剣を受け取り、舞台の中心に飾る。
このあと行われる騎士による武術大会の優勝者への商品である。
マーガレットが笑顔で祭りと武術大会の開催を宣言すると拍手と雄たけび、歓声が上がる。メアリーアンヌはすでに舞台から降り、次の準備に入っていた。
美しいピアノ演奏が再開され、広場の人混みは散っていく。
第一王子は興奮している弟を抱き上げ、食べ物や花、装飾品など種類豊富な露店を見て歩いていると、簡素な服を着た令嬢達が集まっている店を見つける。中を覗くとお揃いのドレスを着た無表情のメアリーアンヌと笑顔のマーガレットが礼をしていた。
「ようこそお越しくださいました。今年は兄はいませんが、作品を預かっております。代金はお気持ちだけで。今年はマーガレットも出品しましたのよ」
ユリシーズは美しい物好きの芸術狂いである。趣味の一つは絵を描くこと。公爵家はユリシーズの大量に描いた絵画を処分するために祭りの日に売り出していた。
メアリーアンヌは部屋にあっても邪魔なので無料で配りたいが、貰って迷惑な人もいるだろうと欲しい人に渡るように売っていた。数年前にいらない物を押し付けたのに過剰な返礼され、良心が痛む経験があったからである。豪華な返礼品を返品したくても送り主は誰かわからなかった。すばらしい作品へのお礼という手紙は社交辞令と受け取っていた。ユリシーズは作品作りが趣味で、評価は興味がなくお礼の手紙も読まずに捨てる人間である。
令嬢達が作品を吟味しているとマレードがメアリーアンヌに笑顔で近づく。
「メアリーは出品しないの?」
「押し花と組紐。私の手作りが好きなんて物好きな方もいるから。収益は孤児院に寄付します。私達のお小遣いにはならないのでご心配なく」
「心配してないわよ。手伝おうか?」
「うん。暇なら手伝って。お兄様の絵が残っても困るからマレードに期待している。マーガレットの物なら残ってもいいけど、お兄様のものはいらない」
ユリシーズの絵は美しく幻想的な物が多く一部では大人気であるが価値がわかる者は公爵家にはいない。第一王子は利用価値のありそうな絵を見て近づきメアリーアンヌに声を掛ける。
「売れ残れば全部買い取らせてくれないか?お代は言い値で」
「マレード凄い!!商才うらやましい。ご希望でしたらいくらでも差し上げますわ。うちにあっても邪魔、いえ、日の目を浴びずに終わるだけですので」
「メアリー、これあげる」
メアリーアンヌは領民から贈り物をもらうと魔除けの組紐を返礼していた。目の前にいるのが王子とは気づかず、贈り物を無表情で受け取り組紐を差し出す。
「ありがとうございます。お礼にこちらを。良い一日を」
「祭りの最後に使いを寄越すよ」
「かしこまりました。公爵邸でお待ちしております」
第一王子は人混みを離れ、護衛に毒味をさせた料理をケイルアンに食べさせる。メアリーアンヌはポポロで世界を飛び回り、美味しい料理と食材を持ち帰り料理人に研究させるため公爵家の料理人は王宮の料理人よりもレパートリーが豊富である。祭りでは世界各国の料理をおもてなしとして用意させていた。
第一王子でさえも見慣れない料理が多く、どれも満足する味に感心し、料理人を預けたいと思うほどだった。
食事を終えると、ケイルアンは組紐を兄に見せる。
「兄上、これなに?」
「わからない。今は忙しそうだからあとで聞いてみようか」
その頃メアリーアンヌとマーガレットは商品が完売し喜んでいた。メアリーアンヌは完売は美人で話し上手なマレードのおかげと感謝を告げて、マレードに贈られた白い騎士服に着替えて武術大会が行われる舞台に急いでいた。
メアリーアンヌは領民とマレードの強い希望で、初めて騎士達の武術大会に参加した。優勝してしまい剣とマントを自分が手に入れていいのかと首を傾げるがメアリーアンヌの優勝を領民も騎士達も笑顔で讃えてくれているのでいいかと思考を放棄した。自分の優勝を一番喜び、マレードがマントを羨ましそうに見ていたのに気付き、「いつもありがとう」と渡すと感動したマレードに抱きしめられニッコリと笑う。公爵領では優勝者が恋人にマントと剣を贈ってプロポーズするのが流行っていた。
「お姉様、せっかくだからアレをお願いします!!」とマーガレットに物語の騎士のマネを頼まれ、跪き望み通りの言葉を告げると盛大に喜ぶ二人に笑う。いくつになっても可愛い妹の頭を撫で、珍しくはしゃいでいるマレードと公爵邸に帰り3人で遊んでいると第一王子とケイルアンが公爵邸を訪問した。
倉庫に保管していたユリシーズの作品を玄関に運びこませていたメアリーアンヌは物好きな兄の作品の引き取り手の顔を見て目を丸くする。
「殿下?」
「メアリー!!」
「やぁ、不用品を引き取りに。知り合いの王子の趣味に合いそうで」
「ごきげんよう。殿下、いつからいらっしゃいました?」
「最初から」
「お、お待ちくださいませ」
メアリーアンヌは恐ろしい言葉に第一王子達をマレードに任せて公爵を呼びに走る。
武術が得意なことを婚約者には知られたくないため公爵に第一王子達を任せてポポロを呼んで空に逃げた。祭りでのメアリーアンヌの役割は終わっているため問題なく、手を振る領民に手を振り返し空の散歩を楽しむ。祭りが終わっても笑顔で楽しんでいる領民達を見ながら、大成功の祭りにニッコリ笑う。すでに王子達のことは頭になく、ニコニコと笑顔のメアリーアンヌを背に乗せる美しい鳥の飛翔を酒の肴に領民は盛り上がり夜が更けていった。
ケイルアンの質問の魔除けの組紐の使い方はマレードが丁寧に教えた。
メアリーアンヌの手作りの魔除けの組紐と押し花はメアリーアンヌのファンの令嬢達の宝物である。武術が得意な令嬢をはしたないという者もいるので、メアリーアンヌが武術が得意なのは秘密にしているので本人にもファンとは伝えない。美しい剣舞を見るために協力を惜しまず、メアリーアンヌの邪魔をしないことがマレードがまとめるファンクラブのルールである。
令嬢達はお忍び姿で来るためメアリーアンヌはマレード以外は知り合いの令嬢達とは気づいていない。立ち振る舞いが綺麗なため高貴な方と認識しているが、まさか他領から平民のための質素な祭りを見学に来る物好きな令嬢達がいるとは思わない。そしてマレードも誤解を解かない。
メアリーアンヌに任された公爵はユリシーズの作品を引き取ってくれることに感謝を告げ、メアリーアンヌが剣舞を舞うのは極秘に特にシリウスには教えないでほしいと頼む。王子達は公爵家にも事情があるんだろうと承諾した。お年頃のメアリーアンヌの我儘とは二人は気付かなかった。
公爵はシリウスよりもメアリーアンヌの方が強いと知っていた。初恋中の娘が「お父様、殿下は弱いんです。武術のことは絶対に秘密にします。協力してください。お母様もお願いします」と必死に頼んだ姿を思い出して笑った。教育に厳しい公爵夫人もこの秘密に関しては娘の味方だった。
ケイルアンの公爵領へのお忍びはこの日が始まりだった。
「メアリー!!」
メアリーアンヌは掛け寄ってきたケイルアンに目を見張る。
「え?お一人ですか?」
「兄上達はいないよ。遊んで!!」
王子達が外交に出かけているのを思い出し、周囲を見渡し隠れている護衛を見つけ申し訳なさそうに頭を下げられる。護衛がついているならケイルアンを叱るのはメアリーアンヌの役目ではないので可愛らしい末っ子王子の願いを叶えることにした。剣舞が見たいとはしゃぐケイルアンに「お兄様に内緒ですよ」と子供が覚える基礎の型を舞ってみせる。
メアリーアンヌが舞うと領民の子供が近づき真似をする。ケイルアンも真似するので、笑顔で指導する。子供や領民の前ではメアリーアンヌは表情豊かなお嬢様。公式行事や高貴な方、貴族の前だけ無表情の公爵令嬢である。
ケイルアンは公爵領の祭りは毎年訪問していた。
シリウスは公爵領の祭りでメアリーアンヌやユリシーズの作品が売られていると友人に聞き、兄に視察を代わってほしいと頼み込んだ。第一王子は本人に頼めないヘタレな弟の必死な願いに了承して、公爵にシリウスが訪問すると伝えた。
公爵邸では公爵はメアリーアンヌにとって爆弾発言をした。
「今年は第二王子殿下が祭りに来られるかもしれないが」
「お父様、どうか、今年は辞退致します。自分より強い婚約者など嫌われますわ。参内している令嬢に武術の嗜みはありませんもの。それに殿下は子供より弱いんです」
「今年は私が舞おう」
「ありがとうございます。楽しみです。私はお父様ほど力強く優雅に舞えません。今年は盛り上がりますね」
「落胆させないといいが。メアリーの舞が人気だからね」
「ありえませんよ。お父様とおじい様が一番です。皆が喜びますね。では祭りの準備を進めます。今年も前座は練習にマーガレットを」
メアリーアンヌは久しぶりに父の舞が見れると上機嫌に準備を進めた。
公爵はシリウスに招待状を贈ると了承の返事がその日のうちに届き、両思いなのに気付かない二人に笑う。
当日のシリウスの接待はメアリーアンヌに任せるためにユリシーズを呼び出し打ち合わせをはじめた。公爵はシリウスの接待を任せると子供達に伝え忘れたことを祭りの当日まで気付かなかった。
今年の感謝祭を取り仕切るのはユリシーズ。
メアリーアンヌは兄の指示に従いながら祭りでは公爵の剣舞が見れると盛大に宣伝をした。メアリーアンヌにとって自慢の父の力強く優雅な舞を一人でも多くの人に見てもらい、幸せを分かち合いたく例年よりも力が入っていた。
去年よりも笑顔で楽しそうに飛び回りはしゃぎ準備に走るメアリーアンヌに領民達はすでに笑っていた。
祭りの当日の朝からポポロで飛んでお菓子や花を配っていたメアリーアンヌは見慣れた金髪を見て目を丸くしてポポロから跳び降りた。
シリウスは公爵領を一人で訪問するつもりだったが末弟に甘い兄に連れて行くようにと頼まれ、公務を代わってもらったので断れずに引き受けた。
「メアリー!!」
ケイルアンはメアリーアンヌを見つけて手を振って駆け寄る。
メアリーアンヌは掛け寄るケイルアンが一人でないことに安堵しニッコリ笑って頭を撫でる。王宮から馬で一時間かかる公爵領に一人で現れる末っ子王子は穏和な公爵さえも呆れる事態である。
「今日は一人で来なかったんですね」
「うん。兄上も一緒。剣舞を見たくてお願いしたの」
「お父様の剣舞は凄いので、楽しみにしていてください。お忍びで来られるのは」
「お姉様!!」
手を振るマーガレットに呼ばれて自分の役割を思い出したメアリーアンヌは礼をして立ち去ろうとする。
「お父様が殿下のおもてなしをと。今年はお母様が取り仕切ると」
公爵はメアリーアンヌの役割を公爵夫人に任せ、婚約者と祭りを楽しむようにとマーガレットに伝言を頼んだ。
メアリーアンヌは掛け寄ってきたマーガレットの頭を撫でて、貴族の顔を作りシリウスに向き直る。
「ごきげんよう。殿下。もしよろしければご案内させてください」
「ありがたいけど、いいの?」
「はい」
メアリーアンヌはケイルアンとマーガレットの手を繋いで頷くとシリウスは笑って弟を抱き上げる。シリウスはいつもは無表情のメアリーアンヌがマーガレットを見ながら時々笑う顔に見惚れながら祭りを見学する。メアリーアンヌはケイルアンと仲の悪いマーガレットをユリシーズに預けて、シリウス達の案内に専念する。
メアリーアンヌはシリウス達を領主一族の席に案内し椅子を勧め、「隣に座らないか?」と誘うシリウスの隣に座った。二人の間に座りたいと口を開けた弟の口を押さえてシリウスが膝に抱き上げた。
メアリーアンヌはいつも前座や剣舞を務めていたので鑑賞するのは久々だった。兄の挨拶と母の前座を眺め、剣舞が始まるとメアリーアンヌは王子の存在も貴族の顔を忘れて夢中で魅入っていた。
シリウスは公爵の剣舞よりも隣で目を輝かせるメアリーアンヌに夢中で膝の上のケイルアンの話しかける声に適当な相槌を返していた。
剣舞が終わり、ユリシーズの祭りと武術大会の始まりの宣言と共に歓声が沸き上がる。父の舞いにうっとりしていたメアリーアンヌが我に返り、無表情を作り武術大会の説明をするのをケイルアンが口を挟み、シリウスに祭りについて笑顔で教える。シリウスが自分達の会話に口を挟む弟を黙らせようとしても駄目だった。メアリーアンヌは王子二人のやりとりを無表情で見守り武術大会の試合が始まるのを待っていた。
しばらくして公爵家の騎士による一対一の剣の試合が始まった。
「公爵家の騎士は質が違うな」
洗練された騎士の剣捌きに感嘆するシリウスの声に冷静さを取り戻したメアリーアンヌは「ありがとうございます」と淡々と答え王宮騎士が弱いという言葉は飲み込む。ケイルアンが護衛を撒いて公爵領まで遊びに来たときは父に王子を見失う近衛は役に立たないと報告したことに後悔はない。
公爵領と違い王都は安全だから仕方ないかと思考を放棄しシリウスの試合への感想に耳を傾け相槌を打ちながら騎士の動きを観察する。
手合わせが終わった騎士達がいつも指導するメアリーアンヌに笑顔で挨拶するので余計な事を言わないでとメアリーアンヌは内心はビクビクしながら無表情で労りの言葉を告げる。
親し気に騎士に声を掛けられ名前を呼んで丁寧に言葉を返すメアリーアンヌにシリウスは驚く。
「メアリーは騎士の名を全員覚えているのか?」
「騎士見習いは覚えておりませんが、わが公爵領の騎士は。どなたか気になる方でも?」
「いや。つ、強い方が好きなのか?」
「そうですね。毎日汗を流し鍛える姿は誇らしいと思います。綺麗な制服を汚して、立ち向かう姿は敗者であろうと強さをあきらめない限りは素敵です。自慢の騎士達ですわ」
「毎日?よく顔を出すの?」
「はい。騎士を鍛える環境をつくるのも私達の務めですか、申しわけありません。少し失礼しますね」
メアリーアンヌは礼をして騎士達の輪に走っていく。
メアリーアンヌは怪我をしたまま剣を握る騎士の肩を掴む。怪我を軽視する騎士には厳しく躾けるのは領主一族の役目だとメアリーアンヌは思っていた。厳しく言い聞かせ落ち込む騎士に完治したら遅れを取り戻すまで訓練に付き合う約束をして頷く姿にニッコリ笑う。集まっている騎士達に労りと期待の言葉を掛け盛り上がるやる気に満ちた姿にニコニコ笑う。試合の感想は明日伝えるので王子達に失礼がないようにと最後に言い聞かせ貴族の顔を作りシリウス達のもとにゆっくりと戻っていく。
試合ではなくメアリーアンヌを囲んで盛り上がっている騎士の集団を無言で眺めているシリウスにケイルアンが首を傾げる。
「兄上、どうしたの?」
「毎日傍で見てもらえるのは羨ましいな」
「メアリーが見てるとやる気が出るんだって。いつも褒めてくれるからかな」
シリウスは公爵領に詳しい弟の頬を軽くつねる。
「ケイル、メアリーは僕の妃になるんだ。忘れないでね。どんなに仲良くなっても」
「知ってるよ。メアリーは僕の義姉上になるんでしょう?」
「そうだ。それだけは絶対に覚えておいて」
「うん。王族は欲しい物はなんでも手に入れられるけど、家族で喧嘩が一番駄目でしょう?」
「そうだな。お家騒動が一番バカらしい。国は兄上に任せて、僕はメアリーと二人で」
「兄上、ズルい!!僕も一緒。兄弟は仲良くだよ」
メアリーアンヌはシリウスの膝の上でケイルアンが拗ねた顔で話しているので試合に飽きたのかと思い、試合の見学はやめて露店を案内した。
ケイルアンの興味の持った料理を購入し毒味をすませて食べさせる。メアリーアンヌは王妃に無礼は気にせず遊んであげてほしいと頼まれ甘えん坊な王子の世話に慣れていた。シリウスは護衛に毒味をさせた料理を食べながら、爽やかな笑顔で自分で食べろとケイルアンに言い聞かせる。シリウスの言葉にメアリーアンヌが食べさせるのをやめたためケイルアンは渋々一人で食べ始めた。シリウスはメアリーアンヌと弟の距離の近さに妬いても、弟や領民を見て無意識にニコニコと笑っているメアリーアンヌを見れば眉間の皺は消え笑う。シリウスの優しい顔をメアリーアンヌが好きなことは気付かない。
メアリーアンヌは王子達のやり取りを顔が緩まないように注意しながら眺めつつ食事を始めた。シリウスに優しく笑いかけられ赤面しそうになり母の顔を思い出し冷静さを取り戻し貴族の顔に気合を入れる。優しいシリウスがケイルアンに厳しく言い聞かせるのを眺め、時々厳しくするのは年長者の役目と眺められるほどの冷静さを取り戻し顔の赤みが引けたことにほっと息をついていた。
「メアリー、今年は何を売るの?」
「お兄様の絵とマーガレットの作品は内緒ですよ」
「メアリーは?」
「今年も魔除けの組紐を」
「メアリーのはすぐに売れちゃうね。去年は売り切れだった」
メアリーアンヌは拗ねているケイルアンの可愛さに頬を緩むのを我慢して無表情をつくる。
「立派な物ではありませんがケイル様が望まれるならお作りしますよ。それとも編んでみますか?」
「うん。やりたい!!」
「今度、道具を献上いたしますね」
「今がいい」
「私の物でよければお貸ししますよ。わかりましたわ。殿下、ケイル様は私がお預かりしても?」
「え?いや、僕が面倒みるよ」
「ケイル様、今日はお祭りを楽しみませんか?」
「兄上、僕、メアリーのお部屋で遊んできていい?お祭りはもういいや」
シリウスは我儘放題のケイルアンに頭を軽く叩く。シリウスは兄のように全ての我儘を聞くほど溺愛していない。公爵領ではメアリーアンヌが全て了承するのでケイルアンの我儘には拍車がかかっていた。
「ケイル、我儘は」
「殿下、兄に案内させます。すぐに連れてくるのでお待ちください」
「メアリー!?僕にも教えてくれないか?お祭りはもういいから。ケイルも心配だし」
シリウスは立ち上がるメアリーアンヌの腕を掴む。祭りには欲しい物があったがメアリーアンヌとの時間が優先だった。ほぼ1日一緒に過ごせる貴重な日を、邪魔な弟の所為で潰されたくなかった。
メアリーアンヌは大事な弟を自分には任せるのは心配よねと見当違いなことを考え弟想いのシリウスの言葉に頷き、公爵邸に向かい客室に道具を用意させた。
シリウスを上座に案内し向かいのソファにメアリーアンヌは座る。
ケイルアンはメアリーアンヌの膝の上に座り、シリウスに好きな色を選んでもらい同じ色の紐を持つ。
メアリーアンヌはケイルアンの手に紐を持たせてその上から軽く手を重ねる。説明しながらゆっくりと編みしばらくすると手を放す。ケイルアンが編み進めていくのを見つめていると手が止まり、飽きてしまった姿に小さく笑う。勉強が難しいと王宮を抜け出したケイルアンを膝の上に乗せ、一緒に宿題をするのはよくあることだった。そしていつものように飽きてしまい、うとうとしたケイルアンがメアリーアンヌの膝を枕に丸くなるのでの背中を叩いて眠らせる。寝息が聞こえたので毛布をかけてケイルアンの要望の色を持ち組紐を編み始める。
シリウスは膝枕をされている弟が羨ましくても、起きて邪魔をされなくないので何も言わない。手早く綺麗に編んでいくメアリーアンヌの手元を眺める。
「いつも編んでるの?」
「はい。身に付けると暗い気持ちを明るくして幸せを運んでくれるので我が家に仕えてくださる皆には強制的に贈ってます」
「作品、見せてもらっても?」
メアリーアンヌは編み終わっている組紐が詰まっている箱を開けてシリウスに渡し、明るい色合いのマーガレットの作品とユリシーズが気まぐれで編んだ形のおかしい作品を紹介する。
「ユリシーズのは見事だな」
「お気に召したならお持ちください。お兄様のものが一番きめ細かく立派です」
シリウスが欲しいのはユリシーズの物ではない。紹介されなかった青と緑と黄で編まれた色褪せている組紐を手に取った。
「酷い出来でしょう?初めて編んだものです。青空と草原、太陽。自分の好きなものの色を集めたんです」
「貰ってもいい?」
「へ?殿下、献上できるほどのものではなく。お兄様に同じ色で編ませますよ」
「気に入ったから。僕はメアリーのが欲しい。駄目かな?」
「こ、こんなものでよければいくらでも。お待ちください。新しい物を編みますよ。それはちょっと身に付けるには」
メアリーアンヌはシリウスが選んだ紐と同じ色の組み合わせで編みはじめる。
「殿下、本当によろしいんですか?」
「僕のものとは全然違い綺麗だよ」
組紐を渡すとシリウスは嬉しそうに笑った顔にメアリーアンヌは顔が緩みそうになるのを隠して無表情を作る。
「殿下はお上手ですよ。初めてとは思えません」
「それなら、こ、交換しないか?お互いに初めて作ったもの。ダメかな?」
「殿下がお望みなら。人目のつかないところにお付けください」
「ありがとう。嬉しいよ」
メアリーアンヌは組紐の交換とシリウスの笑顔に胸が高鳴るのを必死で耐えて笑顔を浮かべないようにと唇をキュッと結ぶ。
「メアリーも身に付けているの?」
メアリーアンヌは剣に結んでいるがシリウスには見せられないため、客間に飾ってある剣を指差す。
「ほとんどの者は護身用の鞘に飾ります。魔除けの組紐は心を惑わそうとする邪気を払えると言われています。邪気に脅かされず誠の心で幸せを見つけられるように。おばあ様はおじい様が戦地に出かけるたびに新しい物をお渡ししました。私はおじい様から譲っていただいたものをお部屋に飾ってあります」
「無敗の総帥閣下の伝説は夫人のおかげか」
「おじい様は戦いに夢中ですが、紐を見ておばあ様を思い出して帰ろうと思い浮かぶそうです。お互いに大切に想い合い離れても心が繋がり、おばあ様が亡くなられてもおじい様の心はおばあ様のものです」
組紐を眺め祖母を思い出し微笑むメアリーアンヌの手をシリウスが握ろうと手を伸ばすと「メアリー?」と呼ぶ声にメアリーアンヌはケイルアンを見つめ頭を撫でる。
「お腹すいた」
シリウスは数年前にできなかったプロポーズをしようとしていた。伸ばした手を引っ込めて起きてしまった弟に落胆する。メアリーアンヌが侍女を呼びお茶の用意を命じ、ケイルアンの手に組紐を渡すとぱっと起き上がる。
「ありがとう!!メアリー、同じのがもう一個欲しい!!」
メアリーアンヌに抱きつく弟をシリウスが引きはがし、膝の上に乗せ拘束する。
メアリーアンヌは頼まれた色の組紐を編んでケイルアンに渡し、結んで!!とねだられ渡された守り刀の鞘に飾り結びをする。喜ぶケイルアンの頭を撫でて、机の上の道具を片付ける。
ケイルアンの話に耳を傾けながらお茶会が始まり、シリウスは邪魔な弟がもう一度眠らないかと願っても興奮しているケイルアンは目を輝かせて話をしている。祭りの終わりを告げる声が響き、シリウスは兄に頼まれたユリシーズの作品を馬車に積ませ別れの挨拶をして王宮を目指す。
シリウス達が公爵邸から帰るとメアリーアンヌは顔を真っ赤にして満面の笑みでマーガレットを抱きしめた。
「マーガレット、殿下から貰ったの。殿下が初めてのものを交換しようって。わかってるわ。他意はなくお優しさって。でも恋人同士見たい」
マーガレットはシリウスをヘタレと心の中で罵りながら姉の話を聞く。何年経っても愛の言葉を囁けない王子が令嬢達に人気があるのは不思議でたまらなかった。
姉がニコニコと笑顔で紐をハンカチで包み、シリウスからの贈り物を保管している宝物箱に詰めるのを眺めながら大好きな姉の男の趣味だけは理解できなかった。貴族の婚姻で好いた相手に嫁げるのは幸せなこととニコニコと笑う姉の言葉は理解できても、ヘタレ王子に嫁ぐ姉が不憫で仕方なかった。いつか物語に登場するような素敵な騎士や王子様が姉を救い出して欲しいと思っても、姉以上に格好いい人を知らないマーガレットは誰も思いつかなかった。
その頃ケイルアンは馬車の中で批難の声を上げていた。兄弟でお揃いの組紐が欲しくシリウスの選んだ色と同じものをメアリーアンヌに作ってもらった。シリウスが嬉しそうに眺める組紐の色が違いショックを受け次第に怒り出した。
「なんで、兄上が作っていたのと色が違うの!?」
「ケイル、これでいいんだよ。僕のはメアリーに渡したんだ」
「嫌!!お揃いがいいの!!メアリーに交換してもらおう!!兄上、戻ろう!!ねぇ、道を戻って」
「ケイルのことは無視していいからそのまま王宮に。ケイル、僕はこれがいいんだよ。メアリーが僕が作った物を持っていてくれるのも嬉しいから余計なことしないで。夜までに王宮に戻る約束だろう?」
「嫌!!メアリーはお願いすれば大丈夫だもん。メアリーの言った通りにすれば怒られないもん」
「ケイルが怒られない代りにメアリーが怒られるんだよ。これ以上我儘を言うなら怒るよ。メアリーの物をねだるのもやめろ。約束を守れないなら、公爵家に断ってもらうように頼むよ。メアリーは僕の婚約者だ。ケイルよりも僕の願いが優先されるのはわかるだろう?」
「兄上、ズルい。今度メアリーに作ってもらう」
「僕はケイルのほうがズルいと思うよ。お忍びはいいけどメアリーの所に行くなら僕も誘ってよ」
「やだ。だって兄上は僕をいつも置いていくもん」
「婚約者と会うのに弟付きはおかしいんだよ。普通は二人で会うんだよ。ケイルに婚約者ができればわかるよ。お願いだから僕とメアリーを二人にしてよ」
シリウスは拗ねているケイルアンを連れて帰宅する。ケイルアンが第一王子にお土産を渡すのを眺め、すでに兄が数本持っている事実に驚愕する。メアリーアンヌは種類豊富に組紐を用意しているので同じ組み合わせは少ない。お揃いが好きなケイルアンは同じ色の物はいつも2本しか売っていないため2本しか買わない。1本はいつも部屋を訪ね話を聞いてくれる長兄に渡した。
自分の分を渡すと言う考えは持たず、第一王子も末弟からのお土産を譲ったりはしない。
シリウスは弟の抜け駆けにお忍びに監視を付けることを決め拗ねている弟は兄に任せて自室に戻る。
メアリーアンヌが編んでくれた組紐を守り刀に結び青と緑と互いの持つ色が混じる姿に頬を緩ます。いずれメアリーアンヌが自分に結んでくれるようになり、憧れの夫婦のようになれればいいと。
後日ケイルアンは兄達に剣を貸してほしいとねだり出掛けて行く。夕方に青と金色の組紐が鞘に花の形で飾られ返される。
ケイルアンの念願のお揃いに第一王子は笑いシリウスは抜け駆けした弟の頬をつねる。
第一王子からケイルアンばかりがメアリーアンヌと会っていることにシリウスが拗ねていると聞いた公爵が笑いながらシリウスを晩餐に招待する。
突然現れる第三王子の相手をできるのはメアリーアンヌだけだった。マーガレットは喧嘩をするので二人にはできず、公爵夫人とユリシーズには懐いていない。
第三王子は三人の王子の中で一番扱いにくい王子とは公爵は口に出さない。
すでに王子達に先触れの習慣はないと公爵家はよく理解していたシリウスを連れて帰っても驚かない。メアリーアンヌは父に呼ばれ、「庭を案内してあげなさい」とシリウスを任され腰にさしてある剣に目を丸くする。
シリウスの剣に飾られる紐は数日前に突然訪問したケイルアンに頼まれて結んだ物だった。王家の紋章がないため気付かず、自分の下手な紐が飾られているのに動揺を隠して無表情を作る。
「殿下、外してください。兄に編み直させます」
メアリーアンヌが剣に伸ばす手をシリウスが掴んで庭を歩き出す。
「気に入ってるからこのままで。こんなに綺麗に飾られているのに解くの勿体ないよ」
「きれい、兄のがもっと綺麗に」
「充分綺麗だよ。これを見ると幸せな気持ちになるから」
「ケイル様は仲良しがいいと願われた通りですね。結びにも意味がありますから」
「メアリー、ぼ、僕にも結んでくれないか?」
「私でよろしければ」
シリウスは椅子にエスコートして隣に座り守り刀から紐を解いてメアリーアンヌに渡す。
「どんな願いをこめますか?」
「任せるよ」
メアリーアンヌはシリウスの願いに驚きながらも魔除けの飾り結びを選ぶ。自分の邪な醜い気持ちがシリウスに知られることも傷つけることもないように。
シリウスは真剣な顔で結び終え、守り刀を両手で持ち目を閉じて一心に願う姿をじっと見つめる。この光景を独占した弟に妬きながら、久しぶりの二人の時間に笑う。
瞼が上がり大きな緑の瞳が空を見上げ、コクンと頷き両手の上に守り刀を乗せたメアリーアンヌに極上の笑みを見せたシリウスが受け取り懐に戻す。
シリウスは夕日の所為かメアリーアンヌの頬が染まって見え、視線が合って恥ずかしくなり、メアリーアンヌの手を繋いで散歩を再開する。いつまで経っても美しい顔に見慣れず赤面し速くなる鼓動を止めるすべがわからない。シリウスは赤面した顔が収まったら今日こそは伝えたいと思っていた言葉を口にはできなかった。
メアリーアンヌはシリウスの視線が自分から逸れているのでニッコリ笑い幸せを噛みしめた。二人で散歩する幸せに顔が緩み、胸が高鳴り顔も赤い。振り向く気配に母親の顔を思い出し熱を冷まし無表情を作る。
ユリシーズが迎えにくるまで二人は無言で散歩をしていた。マーガレットが隠れて二人を見ているのはユリシーズは見ないフリをした。
しばらくして王子達がお揃いで身に付ける組紐を令嬢達が見つけ流行した。
シリウスは令嬢に美しい組紐を贈られても受け取らない。
その頃、マレードはシリウスの接待の為にメアリーアンヌが剣舞を舞わなかったと知り、怒りに震えていた。シリウスは幸せな時間の代償としてこれからマレードが婚約者との時間を邪魔するために動き出すのに気付かなかった。そして一月ほど国外での外交を命じられ、メアリーアンヌに会えない日が続いた裏にマレードがいたと気付き二人は険悪な仲になっていく。
シリウスが帰国し第一王子と話しているとケイルアンが飛び込んで来た。
「兄上、見て、見て!!」
騎士の訓練を嫌がっていたケイルアンが剣を持ち振り回した。
数時間前に基礎の剣舞をメアリーアンヌに教わっていた。
騎士のケイルアンにとっては厳しい素振り指導が嫌になり、母親に王都を抜け出すなら一番治安のいい公爵領にしなさいと言われた通り公爵領に逃げ出した。
ケイルアンの訪問の報告を受けたメアリーアンヌが慌てて会いに行き、「騎士が怖い。訓練やだ」と拗ねているケイルアンにメアリーアンヌがシリウス程度でいいなら適当に訓練しても大丈夫と遊び半分で指導をしていた。
メアリーアンヌは王族は騎士に守られるので弱くてもいいという考えの持ち主。三兄妹の中で運動が苦手なマーガレットの訓練さえもケイルアンよりも厳しいものである。
自信満々に披露するケイルアンが教えられたのは公爵領では3歳の子供もできる動きの基礎だった。
「公爵のマネか。上手いな」
「僕、剣術は公爵領で習う。父上も公爵もいいよって。もっとうまくなったら見せてあげるね」
第一王子は笑顔のケイルアンを羨ましそうに見るシリウスに釘を刺す。
「シリウス、公務優先だ」
「メアリーが騎士団の訓練に毎日見学に行くんです。絶対にやる気がでます」
「それなら王宮に呼べ。お前が行っても迷惑だ」
「なんでケイルばっかり」
「教師と相性が悪いみたいだ。本人がやる気があるならいいだろう。お迎えを理由に会いにいけるだろう?」
シリウスは兄の言葉に渋々頷く。
弟を見に行くついでなら会えるかもしれないと。
シリウスに武術ができることを隠したいメアリーアンヌが姿を現さないので、期待は外れる。ただ公爵がシリウスに稽古をつけてくれるようになり、メアリーアンヌの好みの男になるために通う理由は十分だった。また稽古の後に公爵が晩餐に招き、弟が眠っていれば夜の庭園で二人で話す時間ができた。弟の面倒のお礼として花束や干し肉、髪飾りなどを贈る理由もできた。
無表情のメアリーアンヌが喜んでいるかはわからなくても受け取ってもらえるだけで満足だった。最近のシリウスの悩みは弟がどうすればメアリーアンヌと二人の時間を譲ってくれるかである。
国王夫妻は飽きっぽい末っ子の面倒を見てくれるメアリーアンヌに感謝し、兄達にべったりすぎるので留学に出そうかと相談していた。
ケイルアンの兄離れのための留学の話に、長男はまだ早いと首を横に振り、次男はすぐに必要と笑顔で頷き正反対の反応を見せた。
ケイルアンに教養を教えたのは教師ではなく第一王子の婚約者のリリアン、武術を教えたのは第二王子の婚約者のメアリーアンヌ。優しい二人の傍で甘やかされて育ったためケイルアンが年上趣味に育つのはしばらく先の話である。
第一王子とリリアンはケイルアンをいつも笑顔で迎えるため婚約者は二人で過ごすものだとケイルアンは知らない。二人の外出にも頼めばいつも連れて行ってくれ、断られることはない。
シリウスは嫌がっても、メアリーアンヌが受け入れるので無理矢理追い出すことはない。
リリアンはメアリーアンヌに相手にされない不憫なシリウスのために、二人が散歩している時にケイルアンが邪魔をしないように相手をしていた。リリアンとメアリーアンヌの共通の話題は我儘放題な末の王子のことばかり。
王妃に甘えん坊な王子の教育の相談を受けたリリアンの提案で教養深い優しい女性教師をつけるように選定された。そこで選ばれたのが宰相の娘のマレード。マレードがケイルアンの教師役を務めることでケイルアンが授業を逃げ出し王妃の部屋に飛び込んでくることもなくなり妃教育は邪魔されることはなく順調に進められた。
ケイルアンが公爵領にお忍びするのはメアリーアンヌもリリアンも王宮にいない時。平凡な末っ子王子は兄よりも劣るが要領だけは良く、天然王子は親しみやすさは王子の中で一番だった。