空駆ける少女に捕えられた王子 2
王宮で初恋を応援してくれる味方のいないシリウスにとって最大の協力者は弟。
ただ二人とも無自覚である。
第三王子のケイルアン。
優秀な兄を持つ明るく笑顔の可愛い甘えん坊な王子である。
国王夫妻は幼い王子はのびのびと育てばいいと成長を見守っているが優秀な兄を持つため家臣達の期待は大きい。ケイルアンは容姿はそっくりでも兄王子達と比べると平凡な王子だったが気付いている者は少ない。
ケイルアンの尊敬する大好きな兄達は7歳で馬と絆を結んだ。5歳のケイルアンも使役獣を持つだろう、最年少記録をだすかもしれないと教師や家臣に期待をかけられている。「殿下は兄君達にそっくりなので心配いりません」「遠慮はいりません。兄君達より早くてもいいんですよ。兄君達も優秀な弟に喜ぶでしょう」とケイルアンは期待される言葉の重圧に負けて教師と乳母の目を盗んで王宮から抜け出した。
メアリーアンヌは王妃と第一王子の婚約者のリリアンと3人でお茶を飲んでいた。第三王子の行方不明の報告を受け、王妃は隠れんぼが得意なケイルアンが懐いているメアリーアンヌなら見つけてくれるだろうと捜索を頼んだ。末弟を可愛がっている長兄が捜索指揮を取っているとわかっていても念のため。
メアリーアンヌは公爵家の騎士団よりも質が悪い王宮騎士団をよく知っているので、了承しすぐに捜索にあたった。
王子に撒かれる護衛を役に立たないなと思い、どうでもいいやと思考を放棄し庭園に出てポポロを呼ぶ。
メアリーアンヌはポポロに乗り空から探すと金髪を見つけ、風で驚かせないように離れた場所に着地する。草原で蹲っているケイルアンを見つめ、懐からカードを取り出して「保護して連れて帰ります」と居場所とメアリーアンヌの名前を書き、封筒に入れてポポロに託し王宮までお使いを頼みゆっくりとケイルアンに近づく。
「殿下、どうされました?」
膝を抱えて蹲ったまま無言のケイルアンを見て、二人っきりなので妹と同じ歳の王子に礼儀は忘れることにして、隣に座り頭をゆっくり撫でる。
メアリーアンヌが頼まれたのは捜索だけなので、お説教はしない。
ケイルアンは風が吹いたので顔をあげるとポポロが空を飛んでいる。ケイルアンはポポロが怖い。お忍びしても怒らない頭を優しく撫でてくれるメアリーアンヌになら言っても平気かなと誰にも言えなかったことを口に出す。
「メアリー、動物怖い。どうすればいい?」
メアリーアンヌはしゅんとした顔で小さい声で話すケイルアンに可愛いと抱きしめたくなる衝動を我慢して、落ち着いた声を出す。
「馬車に乗るのも怖いですか?」
「近づかなければ大丈夫」
王国内での移動手段は馬車か乗馬か船である。馬車に乗れないなら訓練が必要だが馬車に乗れるなら何も問題はない。王族の公務は王子達が分担し、兄王子達が乗馬が得意なので末の王子が乗馬できなくても問題ないのに些細なことで悩む姿が可愛いと笑いを隠して優しい声を出す。
「馬車に乗れるなら怖いままで大丈夫ですよ。克服しなくても生きていきます。乗馬が必要な時はお兄様にお願いすればいいのです。うちも嫌なことは押し付け合ってますもの。人は助け合って生きる物です。兄弟は特に」
「でも、みんなが僕も使役獣って」
メアリーアンヌは泣きそうな声のケイルアンにバカなことを言う大人に呆れる。使役獣を持たない者ほど無責任な言葉を掛けるのを知っている。嫌味な年上の侯爵令嬢の父親に「祖父と息子は使役獣を持っているのでうちの娘もいずれ持つでしょう。使役獣を持たない脳筋いえ強さを誇る公爵家では難しいでしょう。お可哀想に」と公爵家をバカにされたので「ポポロと契約してます」と答え顔を真っ赤に染めた侯爵を眺めていたのは記憶に新しい。使役獣を持つのが名誉なことと思わないが公爵家をバカにするならメアリーアンヌは徹底的にやり返す。強敵なら賢い兄に協力してもらい徹底的に。
「心が通じるのは奇跡ですよ。無理してなるものではありません。私がポポロと契約した時は小鳥でした。空を飛べるなんて思いもしませんでしたわ。聞くのがお辛いなら、私が言い返してさしあげますよ。もしくはお手本見せてとおねだりすればいいのです」
「僕が契約しなくてもいいのかな?迷惑が」
「歴代に使役獣を持たない王族はたくさんいます。兄君達が運が良かっただけです。もしお困りでしたら、私をお使いください。臣下は王族の手足、殿下の使役獣の代りに私が頑張りますよ」
「メアリーが?」
「はい。馬には敵いませんが抱っこはできますよ」
メアリーアンヌがしょんぼりしているケイルアンを抱き上げ膝の上に乗せる。
「下よりも空を見上げるほうが有意義です。そろそろお昼寝の時間でしょうか。王宮にお連れするので眠ってもいいですよ」
ケイルアンは体の向きをくるりと変えてメアリーアンヌの首に手を回す。
ポロポロと泣いているケイルアンをメアリーアンヌは抱きしめて優しく頭を撫でる。幸せを見つけるまでに悩んで迷うのはよくあること。メアリーアンヌの妹のマーガレットも領民の子供達もよく泣くので幼い子供が繊細なことを知っている。図太い兄や自分とは違いガラスの心を持っていると。ケイルアンに意地悪を言う大人に仕返しを思いつくが、ケイルアンが望まないのに動く権利はないと青空を見上げて思考を放棄する。
しばらくして、抱きつく力が抜け寝息が聞こえる。メアリーアンヌは涙のあとをハンカチで拭く。可愛らしい寝顔を眺め、暖かい風とポカポカ陽気が気持ち良くなり少しだけいいかなと髪を解いて幼い王子を抱きしめたまま寝転がる。気持ちのいい青空にポポロが飛んでいるのを見つけニコッと笑いゆっくりと目を閉じる。
王宮ではポポロが投げ入れたメアリーアンヌからの文を受け取った王妃が極秘で捜索している息子に渡した。兄王子達は顔を見合わせ思ったより遠くに出かけた弟を迎えにいくため馬に乗った。
迎えに行くと空を飛ぶポポロの下でメアリーアンヌがケイルアンを抱いてぐっすりと眠っていた。
シリウスは兄が静かに眺めているので起こすのはやめてマントと上着を脱いでかけ隣に座り寝顔を眺める。
メアリーアンヌはポポロに呼ばれる声に目を開ける。腕の中のぐっすり眠っている寝顔の可愛い末っ子王子にニッコリと笑う。
視界に見慣れない色が映り、視線を向けると毛布代わりに王家の紋章入りのマントと上着。見間違いかと一度目を瞑りもう一度開けても見えるので恐る恐る人の気配のする横に視線を向け、厳しい現実を知り慌てて無表情を作る。
百面相していたメアリーアンヌと目が合ったほのかに頬を染めているシリウスは眠っているケイルアンを抱き上げる。
メアリーアンヌは慌てて起き上がり第一王子までいることに息を飲み顔色を青くする。
「咎めないよ。ケイルが世話をかけたね」
メアリーアンヌの前には温和な笑みを浮かべるのは第一王子、眉間に皺があるのは第二王子。脳裏に浮かぶのは怒った母親の顔。
「メアリー」
目を擦って起きたケイルアンにメアリーアンヌは妹を思い出し、優しく笑う。
「おはようございます。お兄様がお迎えにきましたよ。お話できますか?」
ケイルアンはコクンと頷き、メアリーアンヌは頭を撫でていると視線を感じ恐ろしい現実を思い出し無表情を取り繕う。母親に怒られる事態に思いつく選択肢は一つだけ。生命の危険を感じたら迷わず逃げるという祖父の教えに従う。
「申し訳ありませんでした。私は失礼します」
「メアリー、ありがとう。僕、頑張る。大きくなったら僕が抱っこしてあげるね」
「楽しみにしてますわ。それでは風が冷たいのでお気をつけてお帰りください」
礼をして立ち去るメアリーアンヌはケイルアンの前ではニコニコと笑っている自分に気付いていない。そして婚約者が見惚れつつも悔しがる複雑な心境でいることも。
シリウスはメアリーアンヌを送るため追いかけようとすると風が吹きポポロに跳び乗る姿にため息をつき、ケイルアンの頭を軽く叩く。
ケイルアンはシリウスに王宮を抜け出したことを怒られながら、馬に相乗りして王宮に帰る。第一王子は幼い弟に嫉妬している大きい弟の頭に拳を落とす。シリウスが一番言い聞かせたのはメアリーアンヌは自分の婚約者で抱っこするのは自分ということだった。
髪を解き無防備に眠る姿、寝起きの愛らしい姿も目にする権利があるのは自分だけと思っている。兄に見られ、弟は抱きしめられ眠っていて嫉妬で眉間に皺が浮かんでいた。第一王子はシリウスの文句を聞き流し、末の弟を大きい弟から奪い取る。
末の弟は尊敬する兄に「ケイルにシリウスは敵わないね」と優しく頭を撫でられ、メアリーアンヌに教わった助け合うという言葉を思い出す。
「兄上、僕は動物が怖い」
「馬車と船に乗れればいいよ。乗馬できなくても問題ない」
「兄上は使役獣を最年少で契約したのに、僕は怖いから、」
しょんぼりした顔のケイルアンに第一王子は優しく笑ってふっくらとした頬を突っつく。
「ケイル、公にはしてないんだけどね、3歳で契約した女の子がいるんだ。それに4歳で契約した男の子は未だに内緒にしているんだよ。見つからなかったら一生隠すつもりだって」
「兄上、どうして名誉なことなのに内緒にするの?」
「二人は仲良くなりたいから契約しただけ。名誉なんて思ってないから。使役は便利だけどそれだけだ。動物が怖いなら他の得意なことを頑張ればいいよ」
「うん。頑張る。僕は兄上達とずっと仲良く一緒にいたい」
「今度は抜け出す前に私の所においで。シリウスもケイルの可愛さがあれば違ったかもな」
末の弟に甘い第一王子の執り成しと「抜け出してごめんなさい」ときちんと謝ったためケイルアンは誰にも怒られなかった。ただし王宮を抜け出す時は必ず護衛をつけるようにと母に厳しく言われ、両親と約束をした。
その頃シリウスは弟がお世話になったお礼という口実を手に入れ公爵邸に訪問していた。
マーガレットの花束を持って訪問するとメアリーアンヌは冷たい汗をダラダラと全身に流しながら公爵夫人にお説教を受けていた。ポポロが王妃の部屋に手紙を投げ込んだことや乱れた髪や汚れた服装で帰宅したことなど、お説教は止まらなかった。
お説教をしている恐ろしい公爵夫人に声を掛けられるのは公爵と亡き前公爵夫人だけであり、使用人達は王子の訪問にオロオロする。シリウスは使用人に気にするなと伝え、冷たい顔で話す公爵夫人の顔を見ながら泣きそうな顔で震えているメアリーアンヌを背に庇い弟が悪いので見逃してほしいと取りなした。公爵夫人はシリウスの訪問に驚きながらも口を閉じる。いつもは延々と続くお説教をやめた母親と庇われた背中を見て、メアリーアンヌは目を丸くして冷たい汗が止まり胸がドキドキした。ドキドキする胸に手を当てると冷たい視線を感じ冷たい声の母親に次はないと言われ、一度止まった冷たい汗が背中を流れ胸の高鳴りはなくなった。
公爵夫人に着替えてシリウスのおもてなしを命じられ、兄を呼びに走る。ユリシーズは真っ青な顔の妹が母の怒りに触れたと気付き、これ以上機嫌を損ねないように妹に従う。
二人にとって趣味、ユリシーズは創作活動、メアリーアンヌは空の散歩の禁止はこの世で一番恐ろしい罰である。
二人は母の機嫌を損ねないようにきちんとシリウスのおもてなしをした。最高級なお茶と茶菓子が用意され、シリウスがお礼という名目で弟を心配してわざわざ訪ねてきたと思い込んでいるメアリーアンヌはケイルアンの様子を丁寧に話した。シリウスは常に聞き役のメアリーアンヌが饒舌になる姿に喜び久しぶりに婚約者と過ごす時間を満喫していた。そしてマーガレットの花束を渡すと目を合わせてお礼を言われシリウスは照れ笑いを浮かべる。メアリーアンヌと過ごしたことでシリウスの機嫌は戻っていた。そして公爵夫人の機嫌は公爵が直した。
事情を聞いた公爵が「国王陛下も感謝されていた」と話し、騎士達よりも速く王子を見つけたメアリーアンヌをよくやったと褒め、優しい父に抱きつく娘を見て、ため息をつき今回は見逃し必ずローブを着ることだけ厳命した。
シリウスを送り出した第一王子は機嫌の治った弟を笑って迎えた。
大きく可愛げのない弟もそれなりに大事にしているしっかり者の長男は弟の初恋を応援している。
令嬢達に大人気の爽やかな第二王子は婚約者のメアリーアンヌに夢中である。
シリウスは夕方になり妃教育を終えたメアリーアンヌに会いに行くと令嬢達に囲まれ足を止める。白い鳥を見つけて、間に合わないとため息を飲み込む。令嬢達から解放され窓からポポロが空を飛んでいる姿を眺めていた。
王家の使用人ではない公爵は王妃の遊び道具になっている空を切ない顔で見上げているシリウスを見かけて声を掛ける。
「殿下、よろしければ我が家の晩餐にお誘いしてもよろしいでしょうか」
「いいのか?」
「ええ。庭園の薔薇が見頃ですので散歩に」
「感謝する。父上に伝えてくる」
公爵は興奮して走り去るシリウスに驚きながらも、まぁいいかと頷く。
後日のつもりで誘ったが嬉しそうに笑う顔を見て、突然王子を連れて帰っても誰も驚かないだろうと王子が戻ってくるのを待っていた。
メアリーアンヌが物事を深く考えないのは父親の影響だった。
シリウスが公爵と共に公爵邸に訪問すると公爵夫人は先触れのない来客には慣れていたのであたたかく迎え入れる。ただ王族に関しては夫に連れ帰るなら連絡して欲しいと後で物も申すと心に決めて笑みを浮かべる。
「ようこそお越しくださいました。晩餐まで時間がありますので、お茶の用意をさせましょう」
「メアリーは庭かい?」
「ええ。支度を整え」
ガタガタと窓の揺れる音が聞こえ、公爵夫人の笑みが一瞬固まる。
「申しわけありません。旦那様、ご案内を」
礼をして足早に去る公爵夫人に公爵は苦笑しシリウスを誘う。
庭園では美しかった薔薇が地面に散り、生垣にはメアリーアンヌとポポロが埋まっている。公爵夫人はメアリーアンヌを生垣から引っ張り出し目を吊り上げて冷たい視線で見つめる。
「メアリー!!何してるの!?」
「お、お母様、9の型の練習してたら着地を間違えて、ポポロも間に合わなくて。新しい型がまだ」
「反省するのは庭を駄目にしたことよ。草原でやりなさいって」
「お、お兄様がロロの手入れ中なの。風を立てたら気が散るからって追い出されて」
真っ青で泣きそうな顔の薔薇の生垣に突っ込んだのに擦り傷一つないメアリーアンヌの頭にポンと公爵が手を置き、冷たい声で叱る妻に穏やかに微笑む。
「落ち着きなさい。花は庭師に頼めばいい。怪我がなくて良かったよ。8の型はもうできるかい?」
「はい。8の型は」
「先に10の型を練習するといいよ。9の型は広い場所で練習しなさい」
「わかりました。お帰りなさいませ、お父様」
優しい父の腰に抱きつき頭を撫でられニッコリ笑うメアリーアンヌは公爵邸にはいない金髪を持つ少年にようやく気付き、父から離れ笑顔を消して無表情で礼をする。
「ごきげんよう、殿下」
表情豊かなメアリーアンヌに見惚れているシリウスに気付いた公爵が優しく笑う。
「メアリー、殿下を晩餐に招待したんだよ。着替えておもてなしを」
「かしこまりました。失礼します。ポポロ、行こう。そこが気に入ったの?わかった。怪我しないならそのままでいいよ。ご飯は今日はいらないのね。うん。食べ過ぎないでね。またね」
礼をして立ち去るメアリーアンヌの背中をシリウスが視線で追っているので、公爵は話しかけ部屋に案内する。
しばらくして身だしなみを整えたメアリーアンヌとユリシーズが部屋に入ってきたのでおもてなしを任せて席を立つ。ユリシーズは妹に「お兄様、助けて!!マレードがいないから殿下と二人なの。お願いだからおもてなしに付き合って!!」と泣きつかれ、最終的には取引を持ちかけられて付き添いを承諾した。
ユリシーズとシリウスの話をメアリーアンヌは無表情で相づちを打ちながら聞いている。
シリウスはメアリーアンヌと過ごせればいいのでユリシーズの同席も気にしない。むしろメアリーアンヌの話を聞けるので機嫌が良かった。
晩餐に呼ばれたのでシリウスが手を差し出すと、メアリーアンヌがゆっくり重ねる。
「殿下、メアリーの隣でいいですか?」
上座だとメアリーアンヌと席が遠くなるのでユリシーズが気を使って聞く。
「構わないよ。いずれ家族になるから身分は気にしないで」
「かしこまりました」
席に着き、和やかに会話を楽しみながら食事をしていると明らかに手の動きの遅いメアリーアンヌにシリウスが気付く。
「メアリーアンヌ、調子が悪いの?」
「いえ、」
言いよどむメアリーアンヌにユリシーズが笑う。
「殿下、好き嫌いなので気にしないでください。メアリーが母上を怒らせた日は」
「ユリシーズおだまりなさい。メアリー、わかってますね?」
「はい。お母様」
淡々と答えるメアリーアンヌの皿は人参が4本多く盛りつけられていた。いつもは無表情で大人びて見えるメアリーアンヌの子供らしさにシリウスは笑う。
公爵夫人の視線が逸れたので、メアリーアンヌの皿の人参にフォークを突き刺し口に含む。メアリーアンヌがじっと見つめるので、ニヤリと笑う。きょとんとしているメアリーアンヌの皿の人参を全て食べると、一瞬だけ目が輝いたように見え、ほのかに頬を染めながら照れ笑いを浮かべる。
見つめ合い二人の世界に浸る様子を眺め、ようやく娘が婚約者に関心を向けたのに免じて、公爵夫人はズルを見逃す。
公爵は二人にデザートは庭園に運ばせるから用意ができるまで散歩に行っておいでと送り出した。
シリウスは公爵の申し出に笑顔で了承しメアリーアンヌの手を引いて庭園を歩いていた。
「寒くない?」
「はい。風が気持ち良く、殿下は」
「僕も平気だよ。メアリーアンヌは散歩が好き?」
「はい。大好きです。夜空の散歩は格別です。殿下はいかがですか?」
「そうか。僕も好きだよ。誕生日の贈り物に欲しい物はある?君の喜ぶ物を贈りたいんだ」
「名前を」
「え?」
「メアリーと呼んでいただきたいです」
「メアリー?」
「はい。嫌でなければ」
「嫌じゃない。でも、何か残る物を。ドレス、ドレスを贈れば着てくれる!?」
「殿下のお心のままに」
シリウスはメアリーアンヌの淡々とした言葉に満面の笑みを浮かべる。無表情でいつも素っ気ないメアリーアンヌから肯定の言葉や要望、自分への質問をもらったのは初めてだった。
鈍いシリウスはメアリーアンヌとの関係性が少しだけ変わったことに気付かない。そして夜目のきくメアリーアンヌがシリウスの顔に見惚れていたことも。
大好きな夜空の下に用意されたメアリーアンヌにとって公爵邸で一番好きな場所で食べるデザートの味がわからず、初めての空の散歩と同じくらいドキドキと胸の鼓動が煩くなるのは初めてだった。
シリウスがメアリーアンヌとの初めて二人っきりの散歩とお茶に喜び上機嫌で帰る姿を公爵夫妻とメアリーアンヌが見送った。メアリーアンヌはシリウスの背中が見えなくなると、真っ赤な顔で母に抱きつく。公爵夫妻はようやく始まった二人に微笑み合い、優しく頭を撫でた。放っておかれて拗ねたマーガレットの泣き声が響きメアリーアンヌが顔を上げ駆け出して抱き上げてあやす姿を眺め、すでに頬の赤みは引け、恋する少女から姉に切り替えた娘の姿に笑っていた。
メアリーアンヌの家族以外にはシリウスとメアリーアンヌの関係はどんなに時間が経っても変わらないように映っていた。
シリウスは妃教育を終えたであろうメアリーアンヌを迎えに母親の部屋を訪ねた。
「シリウス、どうしたの?」
「母上、メアリーを迎えに来ました」
「あら?もう帰ったわよ。次は来週かしら」
「わかりました」
シリウスとメアリーアンヌのタイミングはいつも合わない。
メアリーアンヌは王宮に訪問時は馬車を利用するが帰りはローブを被りポポロに乗って帰ることもあり待ち伏せできない。シリウスがメアリーアンヌに会えるのはエスコートする公務だけである。王妃は待ち合わせの約束を手紙で取り付けることも思い付かず落胆している息子を楽しそうに眺めていた。