空駆ける少女に捕えられた王子 1
王国には輝かしい金髪で青い目を持つ三人の王子がいる。
第一王子のエンリケは11歳。第二王子のシリウスは7歳。第三王子のケイルアンは2歳である。
聡明で人当たりがいい第二王子シリウスは7歳の時に美しい毛並みの白馬と心を通わせた。
輝かしい金髪で爽やかな笑みを浮かべ使役獣の白馬に乗り駆ける姿に心を奪われる令嬢も多く、シリウスの乗馬コースを調べわざわざ一目見ようと足を運ぶ令嬢も珍しくなかった。
乗馬に夢中のシリウスは令嬢達に声を掛けられれば手を振るが自分からは絶対に声を掛けない。
シリウスは王国で屈指の馬術を持つ公爵に新しい乗馬コースを教わり愛馬で王都で一番高い丘を目指して駆けていく。ふわりと風を感じて白い雲がたなびく青空を見上げると久しぶりに見つけたお気に入りに笑みを浮かべる。
決して群れない白い鳥が規則性なく自由に空を駆けまわる姿を見るのはシリウスの楽しみの一つ。第二王子として生まれたシリウスの将来は決められている。王族として生きる覚悟も役割も体に染みついていても無性に自由に駆け回る白い鳥が羨ましく感じる。なんのしがらみもない自由に飛び回る姿を見るといつも肩の力が抜け、頭の中が空っぽになる。
シリウスの様子に気付いた愛馬が主のお気に入りを堪能できるように速度を緩める。シリウスは久しぶりに見つけた白い鳥をじっくりと眺めていると旋回している白い鳥から何かが落ちるのが見え、目を細める。
キラキラと輝く銀と白い塊を捉え、慌てて愛馬を走らせる。空から降ってくる塊が地面に落ちるのを間に合わないとわかっていても必死に手を伸ばす。
強い風が吹き、白い鳥がシリウスの横を通り過ぎサッと背中に銀髪をたなびかせる白い塊を受け止める。
「やっぱり雲は掴めないね。うん。ねぇ、これ、楽しい!!もう一回!!」
楽しそうな声が響き、白い鳥の背に乗るニコニコと笑う少女にシリウスの目は釘付けになる。白い鳥は空高く飛び上がり再びニコニコと笑う少女を落とし地面に届く直前に背中に受け止める。
「楽しい!!あら?ポポロ、大変!!ここで誰かに会うのは初めてだね。どなたか存じませんが内緒にしてくださいね。では綺麗な目を持つお馬様ごきげんよう。素敵な一日を」
白い鳥の背に乗っている少女は人差し指を唇にあてシーっと小首を傾げる。愛馬が「内緒ね。わかったよ」と話すと馬を見つめニコリと笑い手を振り空高く飛び立って行く。
シリウスは顔を真っ赤にしてずっと空を見上げていた。空気の読める愛馬は主の初恋に気を使い声をかけない。
第二王子シリウスとメアリーアンヌの初めての出会いである。
ただしメアリーアンヌの視線は美しい毛並みと瞳を持つ白馬に奪われていたため背に乗るシリウスを認識していない。
メアリーアンヌはポポロの背から飛び降りたのを見られてたので内緒にしてほしいと白馬に頼んだだけである。
当時王国では大空を飛ぶ白い鳥は有名だが背中に乗る少女を知る者は少なかった。
5歳の自衛ができないメアリーアンヌは両親と3つの約束をしていた。
公爵邸以外ではポポロの背中から降りて歩き回らない。
人目につかないように飛んでいるときはポポロの背中に隠れる。
空の散歩は王国の空だけ。
両親は冒険者の祖父に似て好奇心旺盛な娘がふらふらと出歩き危険な目に合わないために約束させていた。
じっとしていることが苦手で、刺繍よりも走り回って遊びたい娘に頭を悩ませていた公爵夫人は空の散歩をご褒美として利用していた。両親の思惑通りに空の散歩のためならメアリーアンヌはいくらでも勉強をした。
そして貴族向きの性格でない娘に教養と礼儀を徹底的に教え込み、常に無表情な公爵令嬢が誕生する。
それからシリウスは頻繁に空を見上げ白い鳥を見つけると常に視線で追う。
背中に乗る少女が見えないかといくら眺めても少女は見つからない。
シリウスは8歳の誕生日に国王から婚約者を選ぶようにと無情な命令を受ける。
何度も母親主催のお茶会に同席させられ着飾った令嬢達の相手をしても心が惹かれるのは初恋の少女だけ。
輝かしい銀髪を持つ年上の話し上手な令嬢も美しい笑みを浮かべる令嬢も無表情な令嬢も興味を一切もてない。令嬢達の話を聞き流しながら空を見上げても白い鳥は姿を見せず、終わったら遠乗りでも行こうかとぼんやりしながらお茶を飲む。
令嬢達と和気あいあいと話すのに誰一人選ぶ様子のない息子に両親はため息をつく。国王は王族として自由に選べることが少ない息子達に出来る限り選択肢を与えるようにしていた。王族の正妻は上位貴族と決められていたので婚約者候補を集めて見守っていた。王子が婚約者を選ばないと貴族達に迷惑がかかるので、10歳の誕生日になるまでに婚約者を選ぶように命じた。
シリウスは両親からの命令に落胆し窓から空を見上げていると白い鳥を見つける。
興味を持てない婚約者の相手をするなら空を見上げ少女を探したい。自分の婚約者候補の中には初恋の少女以上に可愛いい笑みを浮かべる令嬢はいなかった。
8歳で婚約者を選んだ兄に「嫌なら選ぼうか?」と提案されそれもありかと思い始める。
白い鳥を見ていると会いたくてたまらなくなり、一度だけでいいから話してみたいと、兄に頼んで1週間休みをもらう。愛馬の傍で常に過ごし、空を飛ぶ白い鳥を見かけるとすぐに追いかける。白い鳥を追いかけて4日目にようやく愛馬が公爵領に物凄い速さで降下する姿を見つける。
翌朝、公爵領を見渡せる丘からシリウスが愛馬と話しながら公爵領を見降ろしていた。しばらくしてシリウスより幼い少年と少女が駆けてくる。
「そろそろかな!!」
「昨日は夕方だったからきっとお昼の前だよ」
「風の匂いがするからもうちょっと、ほら!!」
風が吹き少年と少女が元気に手を降るとさらに風が強くなり白い鳥が姿を現し、三つ小袋を落とし空高くに飛び立つ。
少年と少女は「ありがとう。またね」とさらに大きく手を振る。白い鳥がくるりと旋回し空の彼方に消えていく。シリウスは追いかけて初めて近くに白い鳥の存在を感じ笑みを浮かべる。今日は追いかけないで降り立つ場所を探すために待つつもりだった。
少年と少女が小袋を拾い空を見上げるシリウスに近づき「はい。一人一個だよ」と小袋を渡す。シリウスは空を見るのは愛馬に任せ、少年から小袋を受け取ると中には「あめ」と流暢な大きい文字で書いてあるカードと飴玉が詰まっていた。少年達は木の棒を手に持ち「あめ」と地面に書いているのをシリウスが眺めていると少女が顔をあげて、木の棒を渡す。
「お兄ちゃん、練習しないといけないんだよ。ご褒美はきちんと書けるようになってからだよ」
「メアリー様と約束だもんね。ポポロの落としものでお勉強。ポポロの落としものは大人には内緒」
「ポポロ?メアリー様?」
「お兄ちゃん知らないの?ここはね、将来ユリシーズ様とメアリーアンヌ様とマーガレット様が治めるの。常識よ。メアリー様達が私達が幸せを見つけるのをお手伝いしてくれるって。私達は将来メアリー様のお手伝いに選ばれるように頑張るの」
「明日は領主様の視察の日だから広場に行けば会えるよ。外が嫌いなユリシーズ様と小さいマーガレット様はわからないけどメアリー様は一緒だよ」
「お昼に広場だよ」
「ありがとう。白い鳥に乗る女の子を知ってる?」
「知らないよ。ポポロのことは内緒だもん」
「そうか。ありがとう。僕はお菓子が好きじゃないからこれあげるよ」
シリウスは初めて見つけた白い鳥の少女の手がかりに笑みを浮かべ、花の香りのするカードだけ懐に入れて、飴の詰まった袋を少女に渡す。
楽しそうに文字の練習をする少年と少女の話を聞きながら、銀髪の物静かだが博識なユリシーズと挨拶をするとすぐに離れる無表情のメアリーアンヌを思い出す。少年達が帰り、空に白い鳥の姿もないので愛馬を走らせていると強い風が吹き白い塊が降下するのを愛馬が捉えた。「シリウス、見えたよ。公爵家の庭に降りた」と話し愛馬は公爵邸を目指し、門の前で足を止める。
白馬の上でぼんやりしている第二王子に気付いた公爵邸の使用人が主人に報告に走る。公爵夫妻は留守の為、呼ばれた嫡男のユリシーズが門の前で公爵邸を見つめるシリウスに近づき礼をする。
「第二王子殿下、ご気分が優れませんか?」
「白い鳥が」
呟く言葉にユリシーズは散歩に出かけている自由奔放で時々おバカな妹の顔が脳裏に浮かぶ。
「何か失礼がありましたか?」
「か、彼女を知っているのか?」
ユリシーズが返答に迷っていると、「お兄様!!」と明るい声が聞こえシリウスが視線を向ける。
「お兄様、ロロに、あら?失礼致しました」
手に色とりどりの野花を持ち、ニコニコと駆け寄る白いローブを着たメアリーアンヌにユリシーズは心の中で「バカ」と呟く。
メアリーアンヌは兄の無言で咎める視線を受けて、首を傾げ兄から視線を外し白馬と王子に気付き、目を大きく開けてパチパチと瞬きをして笑顔を消し無表情を作る。驚きと母からお説教を受ける事態への恐怖を隠してローブを脱ぎ、母親直伝の上品な礼をして踵を返しふわりと銀髪をたなびかせパタパタと走りながら邸の中に消えて行った。
愛らしい笑みもローブを脱いで風にたなびく美しい銀髪は初恋の少女のものと同じでシリウスは同一人物だと確信を持ち、メアリーアンヌがいた場所をうっとりと見つめ、ユリシーズは砂埃で薄汚れた妹に見惚れ頬を染めれている趣味の悪い王子に戸惑いを隠して見る。沈黙が続き、「シリウス、おめでとう。見つかったね」と愛馬に声を掛けられシリウスは我に返り、婚約者候補の小柄で無表情の令嬢を思い浮かべ、諦めずにすむ初恋に舞い上がる気持ちを隠して、口を開く。
「散歩で通りかかっただけだよ。気分は悪くない。彼女は何か好きなものはあるの?」
「最近は干し肉、」
「感謝する。邪魔したな」
シリウスは手を振り王宮に帰り、両親に婚約者はメアリーアンヌを選びたいと満面の笑みを浮かべ報告する。国王はようやく婚約者を選んだ息子にほっとし、身辺調査がすめば手続きを進めようと了承した。
王妃は息子に挨拶以外で近づかない令嬢の名前に不思議に思いながらも何も言わない。
シリウスは初恋の少女が婚約者候補だった運命に舞い上がり自室に戻り侍従を呼び出し命令を出す。戸惑う侍従に笑顔で「用意して」と命令を繰り返す。いつもは家臣の言葉をよく聞く王子は浮かれて誰の言葉も耳に入らなかった。
第一王子は侍女長に弟を止めて欲しいと頼まれ、弟の部屋に入り異臭に顔を顰める。
シリウスは侍従に命じて部屋に干し肉を運ばせていた。
「シリウス、婚約者への初めての贈り物に干し肉はない。まず調査が終わってないから婚約できるかわからないだろうが」
「兄上、干し肉にも種類がありますよね。どの干し肉がいいのか」
「お菓子や花束から始めるべきだ。干し肉なんて迷惑だ」
「ユリシーズが干し肉が好きって言ってましたよ。干し肉を贈れば笑ってくれるかな。まさか彼女だったなんて」
第一王子は部屋の異臭以上に声が弾み浮かれる弟に引いていた。
令嬢には優しいが常に一定の距離を保ち、婚約者選定は面倒と文句を言っていた。冗談で「選んでやろうかと?」言うと「それもありかも」と呟く投げやりな弟が選んだ愛らしい笑顔のメアリーアンヌの話を聞きながら、第一王子の知るメアリーアンヌとは被らず人違いではないかと聞いても、ニヤケている弟には聞こえない。第一王子の命令で干し肉は片付けさせ、贈らないように手を回す。
第二王子よりも王太子である第一王子の命令が優先され、家臣達は安堵の息をつく。
弟の様子がおかしいため薬でも盛られたかと医務官に診察させても異常は見られない。弟思いの兄のおかげで、シリウスは公爵家からドン引きする事態は避けられた。
当時メアリーアンヌが気に入っていたのは狩りと干し肉作りである。そして干し肉はロロの好物だった。
翌日は公爵領に出かけようとしたシリウスは第一王子に捕まり、授業に連行された。第一王子は医務官に異常はないと言われても様子のおかしい弟を王宮内に閉じ込めて様子を見るつもりだった。
メアリーアンヌの素行調査を任されている第一王子はシリウスが薬を盛られておかしくなっている可能性を頭から排除できなかった。
第一王子はシリウスを王宮から出さないように授業の予定を詰め込み監視を命じ公爵領に向かいメアリーアンヌを探した。孤児院にいると報告を受け、訪問すると子供達にニコニコと笑顔で勉強を教えている。できないと泣いている子供を抱き上げ背中を叩いて寝かせ、乳母顔負けの手腕を披露する。大人しい令嬢かと思えば元気に走り回って鬼ごっこをしている姿を見て頬をつねると痛みがあり、愛らしい笑みの女の子と話す弟の言葉が真実と知る。
後日婚約者の侯爵令嬢のリリアンに頼んでお茶会にメアリーアンヌを招待してもらい隠れて観察する。
王宮で見かける姿と同じ礼儀正しく常に無表情。
メアリーアンヌの隣に座る2歳年上の表情豊かな令嬢よりも大人びて見え、どんな意地悪な質問も褒め言葉も眉一つ動かず、淡々と無難な言葉を返す。話しかけなければ無言で相づちをうち静かにお茶を飲んでいる存在を忘れそうなほど印象の薄い令嬢だった。
お茶会が終わり令嬢達を見送ったリリアンが隠れている第一王子に微笑みかける。
「ご満足いただけました?」
「リリアン、メアリーアンヌの印象は?」
「私は親しくありませんが、義妹になるなら可愛がりますわ。意地悪を言われても貶める言葉を返さない優しい子ですもの」
「彼女が天真爛漫で感情豊かな少女だとしたら?」
「公爵夫人は厳格で教育熱心ですから、淑女として相応しく振舞させるならメアリーアンヌの無表情も一つの形です。公爵令嬢として評価の低いメアリーアンヌが選ばれるなら、フォローはお任せください」
「ありがとう。まだ極秘だから。また」
「はい。お待ちしております」
美人で視野が広く第一王子に逆らわない未来の王妃の頬に口づけを落とし第一王子は立ち去る。第一王子は婚約者を王妃として共に歩みやすいのは誰かという基準で選んだ。恋愛感情はないが常に自分に寄り添うリリアンを好ましく思い大事にしている。弟の豹変は恋ゆえかと監視を解き、授業も通常通りに戻した。
国王夫妻は私室に第一王子を招き、メアリーアンヌの報告書を見てお互いの顔を見合わせる。
社交の場では無表情で常に聞き役で社交は不得手で評価は中の下。領民には好かれており、明るく天真爛漫な一面もある二面性の激しい性格。白い鳥の乗り手。
「鳥の使役だと?」
「おそらくは。公爵邸に見張りを置き、2週間張り付かせました。シリウスは二年前に飛んでいる姿を目撃しています。普段はローブ姿で紛れておりますが、鳥に乗り空を飛んでいます。鳥が孤児の子供に落とす袋に入ったカードの文字はメアリーアンヌの筆跡、お菓子も公爵家で用意するものと同じ。子供達は大人に秘密にしていますが、白い鳥のポポロに乗るメアという困った時に助けてくれる存在がいるそうです」
王国初の鳥の使役獣を持つ令嬢は家柄も良く素行も問題ないため国王夫妻と第一王子が話し合い第二王子の婚約者はメアリーアンヌに決定した。
シリウスは国王に呼ばれ、メアリーアンヌが審査は通ったと聞き笑顔で頷く。
「シリウス、メアリーアンヌは社交が苦手だが構わないか?」
「僕が勉強を頑張りますよ。彼女が成人したら妃に迎えます」
「成人したら?」
「婚姻の時期は兄上みたいに僕が決めていいんですよね?メアリーアンヌが成人する頃には兄上も婚姻していますし、離宮の用意等は僕が責任を持ちます。なにも問題ありません。メアリーアンヌの苦手は僕が補います」
真剣な顔で語るシリウスに国王は成長を感じ了承をする。第一王子は浮かれている弟の変化にすでに適応し、バカをするなら止めるかと思いながら眺める。王妃は息子の変化にしばらく静観を決める。
国王は婚姻については王子の希望を尊重するつもりだったのでシリウスの希望を伝えるために公爵家に参内の命令を出す。
公爵は謁見の間で国王の言葉に聞き間違いかと思案する。先週の婚約者候補が集められるお茶会では娘は王子に興味がなく、池の魚に夢中だった。「ポポロが食べるかな?」と妹のマーガレットを膝に乗せて話しているので「王宮の物は王家の物だから狩ってはいけないよ」と教えると「人の物は盗るのはいけないね。教えてくれてありがとう」とニッコリ笑っていた。
挨拶とお茶の時間が終わると王宮の庭園でお行儀よく遊んでいると妻も笑っていた。王子と出会って2年経つが娘から王子の話題が出ることは一度もなかった。第二王子の突然の訪問は母親に怒られたくないメアリーアンヌが家臣に口止めをしていた。ユリシーズも母の説教に巻き込まれたくないので協力したため第二王子の訪問は兄妹の秘密で公爵は知らなかった。
国王は公爵の反応がないためもう一度繰り返した。
「メアリーアンヌをシリウスの婚約者に指名したい」
「恐れながら陛下、本気でしょうか?」
「シリウスが選んだ。よいか?」
「かしこまりました。婚姻の歳については」
「成人と共に迎え入れたい」
「成人と共にですか?恐れながら一つだけお願いが」
「申してみよ」
「婚姻後も定期的に里帰りをお許しください。公爵家の剣舞の継承者はメアリーアンヌです。いずれ産まれる孫達への継承の儀に」
「さようか。約束しよう。メアリーアンヌは鳥を使役しているか?」
「ありがとうございます。はい。鳥と契約していますが内気な娘ゆえ、できれば公表は控えていただければと。まだ自衛が十分にできませんので」
「公表はしない。後日婚約の儀を行う」
「かしこまりました」
謁見の間の前でシリウスが公爵を待っていた。兄に干し肉は贈るなと厳しく諫められ聞きたいことがあった。
公爵はシリウスに気付き温和な笑みを浮かべて礼をする。
「殿下、不肖な娘ですがよろしくお願いいたします」
「大事にする。公爵閣下、メアリーアンヌの好きな花を教えてほしい」
「一番好きな花はマーガレットです」
「そっか。マーガレットか。感謝する」
シリウスはマーガレットを探しに行くために、出かけようとするのを兄に止められる。「婚約の儀の確認をしたのか?」と聞かれ首を横に振り兄に腕を引かれて連行された。
婚儀の儀は王子自身で手配する伝統だった。
公爵は将来設計が狂っても優しい第二王子なら娘を大事にしてくれるだろうと物思いに更けながら公爵邸に帰り、メアリーアンヌとユリシーズを呼び出す。
「おかえりなさいませ」と笑顔で部屋に入る娘達の頭を撫でて椅子を勧める。
「メアリーが第二王子殿下の婚約者に決まったよ」
「は?」
「え?」
ユリシーズは間抜けな声を出し、メアリーアンヌは妹のマーガレットを膝の上で抱き抱えながら首を傾げる。
「お父様、私は殿下とほとんどお話してませんよ」
「私もよくわからないんだよ。成人と共に婚姻。定期的な里帰りの許可はもらったから剣舞の継承はメアリーのままでいいよ」
「かしこまりました。お妃さまになればポポロは、」
「王家と相談かな。まだまだ先のことだよ。婚約の儀が終われば王宮での妃教育が始まる。困ったら相談しなさい。メアリー、頑張れるかい?」
「はい。お役に立てるように頑張ります。お父様、お散歩に行ってもいいですか?」
「夕方までに帰っておいで。気をつけて行ってらっしゃい」
「はい。行ってきます」
メアリーアンヌは落ち込む気持ちを隠して、妹を兄の膝の上に乗せて飛び出して行く。第二王子の婚約者選定のお茶会には数合わせのつもりで参加していた。祖父のように冒険者にはなれないが公爵領での幸せを見つけ方を覚えた。公爵家の騎士と婚姻し大好きな公爵家で過ごし、幸せな生活が続くと思っていたので衝撃だった。メアリーアンヌはポポロの背に跳び乗り青空に飛び立つ。
気持ちのいい風、青空、綺麗な景色を見て、祖父に聞いた幸せの探し方を思い出す。
友人のマレードのように話し上手になりポポロを一緒に連れて行き、空の散歩の了承をもらえるように頑張ることを思いつく。
大きくなって強くなりこっそり抜け出して空の散歩に行くのもいいかと閃くと落ち込む気持ちが消えていく。ポケットに入れてある飴を口に含み広がる甘さに笑う。第二王子は令嬢に優しいと聞いているので意地悪しないならいいかと前向きな気持ちになり空の散歩を満喫し父親との約束の時間に帰宅する。
メアリーアンヌがニコニコと笑い上機嫌で帰ってきたので公爵は優しく頭を撫でる。
ユリシーズは能天気な妹に心配はいらなかったと自室に戻る。マーガレットは大好きな姉が帰ってきたと聞き、抱っこをねだる。
公爵夫人は夜に夫から話を聞き、驚きながらも王妃に向かない娘をきちんと躾けないとと気合いを入れる。メアリーアンヌの教育が厳しくなるのはこの日が始まりだった。
「どうして、お針子がいるのに刺繍を覚えるの?」
「メアリー、嗜みよ。妃は求められる教養レベルが高いのよ。これが終わればお散歩に行っていいわよ」
メアリーアンヌは意味がわからないが考えるのを放棄し母の言葉に頷き針の動きが4倍速になる。やる気さえあれば器用になんでもこなせる娘に笑みを浮かべて公爵夫人は教育を続ける。
婚約の儀のために公爵夫妻とユリシーズ、メアリーアンヌが参内すると国王夫妻、第一王子とシリウスが謁見の間で迎えた。
公爵夫妻とユリシーズとメアリーアンヌが国王の前に跪く。
国王が「シリウスとメアリーアンヌの婚約を認める」と宣言するとゆっくりと顔を上げ各々が立ち上がり、メアリーアンヌが一歩前に出て礼をする。
「国王陛下、恐悦至極に存じます。第二王子殿下の婚約者として相応しくあるように努めることをお約束いたします」
「期待している」
神官が呼ばれ、第二王子とメアリーアンヌの婚約を宣誓する。ペンを渡されシリウスは婚約できることに舞い上がり手が震えないように集中してゆっくりとサインし、メアリーアンヌに渡す。メアリーアンヌはペンを受け取りスラスラとサインする。
最後に神官が祝詞を述べて閉会を告げる。
儀式が終わり、メアリーアンヌは婚約者になったシリウスの青い瞳を見上げて礼をする。
「第二王子殿下、メアリーアンヌと申します。よろしくお願い致します」
「こちらこそ」
公爵夫人は淡々と自己紹介するメアリーアンヌを見つめ、言葉が違うと心の中で突っ込む。
第一王子はずっと浮かれていたのに、緊張で動きが固く笑顔も浮かべられない弟に苦笑する。初めてメアリーアンヌの緑の瞳に見上げられシリウスは頬を染めながら整った顔立ちを食い入るように見つめる。メアリーアンヌがシリウスの顔をきちんと目を合わせて見たのはこの日が初めてだった。
「では、失礼します」
メアリーアンヌはシリウスの様子は気にせず礼をして、両親の側に戻りいつもエスコートしてくれるユリシーズの腕を抱く。
メアリーアンヌは動かない家族に内心首を傾げながら、儀式が終わったのでまぁいいかと兄の腕を引いて退室する。
「お兄様、マーガレットにお土産を買って帰りましょう」
「それは父上達次第。いいのか?」
婚約の儀の後は形だけのプロポーズを受け、その後は二人で過ごす慣わしだった。メアリーアンヌが興味がなく第二王子も動かなのでまぁいいかとユリシーズは妹に腕を抱かれるまま馬車を目指す。
第一王子はメアリーアンヌが颯爽と去っていき、ずっとぼんやりしているシリウスの肩を叩く。
「いいのか?渡さなくて」
「あ!?え、花束、どこだっけ?」
「私達もこれで。来週から通わせます。不肖な娘ですがよろしくお願いします」
公爵夫妻は王子達の囁き合う会話に気付かずに馬車に乗り込んでいるだろう子供達を追いかけた。
シリウスが追いかける頃にはメアリーアンヌ達は馬車の中だった。落ち込むシリウスを第一王子が王宮に参内するときに花束を渡せばいいと慰め、庭園に植えたマーガレット畑でプロポーズすれば?と言われシリウスは頷く。
ただ王子達は気付いていなかった。令嬢に人気のあるシリウスの婚約者に評価の低いメアリーアンヌが選ばれたため、闘志を燃やした令嬢達のアピールに追いかけまわされることを。
第一王子の婚約者のリリアンは令嬢としての評価は高いため、シリウスに選ばれるのも優秀な令嬢だろうと平凡な令嬢は遠慮していた。
婚約者候補の変更もあるため、目立たない無表情のメアリーアンヌより優秀と自負する令嬢達は第二王子の婚約者の座を奪い取るため頻繁に王宮の自由に訪問できる場所に足を運ぶ。そして王宮の使用人達と取引して第二王子に会うために策を巡らせていた。
シリウスは婚約者を発表したのに令嬢達に常に声を掛けられ戸惑いながらも丁重に断る。婚約者以外の令嬢を側においてメアリーアンヌに誤解されたくなかった。紳士としての節度は守るが一定の距離は常に守っていた。
シリウスは王宮にメアリーアンヌが参内していると聞き会いに行こうとしたが令嬢に声を掛けられ気付くと帰っていた。手に持つ花束を欲しいと令嬢にねだられても渡す気はおきなかった。
渡せなかったメアリーアンヌの好きなマーガレットが枯れるのが惜しく自室に飾り窓の外を眺めると白い鳥が見え、愛らしい笑みを思い出す。マーガレットを渡せば笑ってくれるだろうかと妄想をはじめた。
シリウスは花束を持っていると令嬢にしつこく付き纏われるためメアリーアンヌを掴まえてから侍従に用意するように命じた。ただシリウスの目論見は外れ、令嬢達にしつこく声を掛けられるのは変わらず、とうとう苛立ちを覚え適当にあしらうようになる。それでも令嬢達は付き纏い解放された頃にはメアリーアンヌはいない。
令嬢達がメアリーアンヌにシリウスとの仲の良さを見せつけ、逢瀬を邪魔するように策を巡らせていることにシリウスは気付かなかった。
シリウスは王妃のお茶会に令嬢達が招かれると聞き、顔を出すとメアリーアンヌの姿はない。話しかける令嬢達を爽やかな笑みを浮かべて無関心を匂わす言葉であしらう。
王妃は息子がメアリーアンヌを探していると気付き、「庭園を散策しているわ」と伝えるとすぐに消える姿に笑みを浮かべる。シリウスを追いかけるか王妃のお気に入りになるために残るか迷っている令嬢達が追いかけないように引き留める。プロポーズを失敗し、令嬢に囲まれメアリーアンヌに会えないとさらに落ち込む息子をたまには甘やかしてあげることにした。
シリウスが庭園を探して歩いていると話し声が聞こえ足を速める。
「メアリー、王宮の庭園には食べれるお花があるのよ」
「本当!?ポポロ食べるかなぁ?グルメなのよ」
「メアリーは不思議な言葉を使うわね。またポポロ?」
「うん。何でも知っているの。すごいでしょ?」
メアリーアンヌとマレードは母親同士が仲が良く幼馴染である。
庭園の散策はお行儀よくしなさいと母親に厳しく言われてないのでメアリーアンヌは貴族の仮面を外してマレードと過ごしていた。
マレードは最年少で使役獣と契約した友人の言葉に笑う。メアリーアンヌは「ポポロが凄い!!」といつも誇らしそうに笑いながら話すが、気難しいと言われる鳥と王国で初めて絆を結ぶ偉業を成したメアリーアンヌは自身の凄さを全く理解していない。
また武術が得意で、美しい剣舞を舞う姿は王子達よりも格好いい。
マレードにとって一番魅力的な友人が王子を魅了したのは当然の結果である。
メアリーアンヌより優れると自負する令嬢達のアピール合戦にメアリーアンヌは不干渉。両親と王妃に命じられ参内し予定を終えるとすぐに帰宅。
婚約者が令嬢に囲まれていても視線を向けず、邪魔をしないように踵を返し違う道を選ぶか気配を消して通り過ぎる。
お茶会では第二王子に憧れる令嬢達はメアリーアンヌの心象を悪くし、自分を好印象に見せようと攻防戦が繰り広げられた。メアリーアンヌは全ての言葉を淡々と流し婚約者の座を奪うと遠回しに宣言されても「お父様と国王陛下の命に従います」と眉一つ動かさず無表情で答える。マレードは王妃を囲んでいる年上の令嬢達が滑稽で笑いを堪えて眺めていた。
そしてメアリーアンヌが口を挟めない話題で盛り上がっている時は、ようやく食べられた美味しいお菓子に頬を緩めている友人に自分の分をこっそり渡し目を輝かせた友人に内緒と声に出さずに伝え、周囲を見渡し誰にも見られていないことを確認してパチンとウインクを返され、秘密のやり取りを楽しんだ。
いつになっても終わらないお茶会での一方的な不毛なやり取りにマレードはメアリーアンヌが選ばれた理由は公爵家の力と蔑む言葉を吐き捨て負けを認められない令嬢を憐れに思う。メアリーアンヌは一言も婚約者になりたいとは言っていない。どんなに令嬢達が王子との仲の良さを自慢してもメアリーアンヌは気にしない。
挨拶以外で近づかないのは第二王子の婚約者に選ばれても変わらない。
マレードはメアリーアンヌが公爵の命令で婚約を了承しても王子に興味がないことを知っている。婚約が決まった後に遊びに来たメアリーアンヌは「婚姻したら後宮にポポロを連れて行きたいの。空の散歩を禁止されないために交渉がうまくなりたいから教えて」とマレードに初めて頼んだ。マレードは快諾するとお礼を言い「人生何があるかわからないね」とニコニコ笑いお菓子を食べ一言も王子の話題はなかった。メアリーアンヌは興味のないことは一切口にしない。メアリーアンヌの話題で一番多いのはポポロ、次が家族、最後は公爵領のことだった。
シリウスは二人の話を聞き庭師を呼び、マーガレットと食用の花を使い花束を用意させた。シリウスは花束を持ってメアリーアンヌ達に近づくと、メアリーアンヌのニコニコとした顔が無表情に変わる。
「礼はいらないよ。メアリーアンヌ、これを」
メアリーアンヌは自分にだけ渡される花束に戸惑いマレードを見ると「受け取りなさい」と視線で合図され、そっと受け取る。
「ありがとうございます」
「良ければ、案内するよ。二人を」
シリウスはメアリーアンヌの笑顔が消え無表情な顔に落胆する。自分ではなくマレードを見ているメアリーアンヌにエスコートするため手を差し出す勇気が出なかった。
マレードはシリウスのメアリーアンヌに向ける切なそうな視線を見て、ヘタレと心の中で罵る。王子の言葉は断われないので、「かしこまりました」と頷き庭園を3人で散策する。
「お茶でも用意させようか」
「お心遣いありがとうございます。ですが、」
「母上のお茶会か。残念だ」
シリウスとメアリーアンヌの会話は続かない。
それでも庭園で会えば共に散歩するのはこの日が始まりだった。
必死に話しかけるシリウスと興味がなく王子の意図がつかめないメアリーアンヌはマレードに視線で助けを求める。
マレードはメアリーアンヌのために助け舟を出し、ヘタレ王子に呆れて追い払うようになるのはしばらく先の話である。
次第に第二王子は時間ができると、メアリーアンヌを探すのは王宮中に広まっていた。
息子の初恋に気付いた王妃によりシリウスにとって残酷な命令がでた。
「恋の駆け引きも大事な経験。シリウスに頼まれない限りは不干渉でお膳立て禁止」と。シリウスは両親と兄以外には自身の初恋は知られていないと思っているため誰にも相談しないので無情な命令には気付かなかった。
覗いていただきありがとうございます。
婚約破棄騒動の前のお話が少しだけ続きますがお付き合いくださいませ。