捕らえられた夫婦の日常
第二王子妃になったメアリーアンヌは今まで護衛に気を使った生活をしていなかった。
近衛に常に付き添われ、貴族の顔を常に浮かべることよりも、動きの遅い近衛に合せて動くのはストレスだった。メアリーアンヌは第二王子妃がここまで大変とは気づいていなかった。近衛騎士が傍にいない時はシリウスが傍にいる。
時間があればポポロの背中に入って姿を隠すのが癒しの時間。一番辛いのは連日雨が続いており、空の散歩は控えるように言われていること。
公務が終わりメアリーアンヌがポポロの背中にうずくまっているのでシリウスが迎えにきた。
「もう嫌」
「メアリー?」
「殿下、お散歩に行かせてください」
「雨が止んだら」
「里帰りします」
「え?なんで!?」
「飛んではいけない理由がわかりません。もう無理です。約束が違います。昔は空の散歩も自由にって。弱いのも役立たずも嫌!!離縁でも下賜でもお好きに。駄目ばっかり」
「メアリー、待って」
「お世話になりました。公務もありませんし、私は必要ありません。亡くなったことにしてもらっても構いません」
メアリーアンヌはシリウスの止める声も聞かずにポポロに頼んで空に飛び立つ。
シリウスは夜着のまま飛び出したメアリーアンヌの捜索を軍に命じた。そして兄の助言を聞きユリシーズに使者を走らせ捜索を頼んだ。空の散歩を楽しみ三日目にユリシーズにアドバイスをもらいメアリーアンヌは離宮に戻る。メアリーアンヌは近衛を気にせず護衛対象に撒かれる騎士に合せるのはやめると決めて心は軽くなっていた。メアリーアンヌの騎士にとっての迷惑な考えを知らずに騎士達はようやく見つかった第二王子妃にほっとしていた。
窓からポポロを見かけ慌てて外に出てシリウスは飛び降りるメアリーアンヌを抱きとめる。
「ただいま帰りました」
「お帰り。体が冷たいから湯あみに」
「大丈夫ですよ。私は公務に」
メアリーアンヌはシリウスに抱き上げられ侍女に託され湯あみの用意をされた。メアリーアンヌは湯あみを断り、体を洗い着替えて部屋に戻るとシリウスが待っていた。シリウスは久しぶりのメアリーアンヌを強く抱きしめると冷たい体に顔を顰める。
「風邪をひくよ。温まらないと」
メアリーアンヌがシリウスのシャツのボタンに手を伸ばしゆっくりと外していく。
「メアリー!?」
「お互いに服を脱がせあうんでしょう?人は夜の営みと聞きましたが、動物ですものね」
「夜のって、いや、待って」
「違うんですか?温め合うのは交尾の誘いでは?」
「交尾!?いや、待って、僕、君に好きになってもらえるまで待とうかと」
「側室を娶っていただいても構いません。貧相な体でご満足」
「ち、違うよ。だ、抱きたいけど、メアリーの心の準備ができてからでいいよ」
「殿下がお望みなら構いませんよ。経験はありませんが知識だけならありますし」
「知識って、そんな。僕、一度君を抱いたらもう我慢できないと思うから」
「そういう生き物でしょう?どちらかの意識が無くなるまで睦み合い、勝者も敗者もなく」
シリウスは淡々と話すメアリーアンヌの情緒のカケラもない偏った知識が不安でも、無防備な妻に服を脱がされ欲望に負けてそっと頬に口づける。メアリーアンヌは友人達に教わった温め方を一つづつ試していく。真っ赤に染まり、体に熱をもつシリウスの反応を心の中で楽しみながら互いの体を温めていく。
「殿下、大丈夫ですか?やめます?」
シリウスはメアリーアンヌに触れられ、最後の理性が切れる音を聞いた。赤面した顔を隠す余裕もなく「ごめん」と伝え主導権を奪い押し倒す。メアリーアンヌはきょとんとしながら貪るような口づけを受け入れる。夜でも朝でも営みは変わらないとお互いの体の変化を心の中で楽しみながら肌に滑る熱い手に身をゆだねる。
第二王子が公務に現れないため呼びに来た侍女は扉の奥から聞こえる濡れた音に顔を赤くし、体調不良で休みと報告に走る。
王族の血を残すのは大事な役目であり、侍女の顔を見て察した第一王子は何も言わずに頷いた。
ようやく初夜を堪能する弟の邪魔はしないように手を回した。
「メアリー、体は」
「おはようございます。大丈夫ですよ。そういうものでしょ?尻尾がないけど変わりませんよ」
後日、シリウスはメアリーアンヌの友達についてユリシーズに相談に行くと動物と下町の娼婦と聞き言葉を失う。ユリシーズは性欲を糧とする美しい悪魔の友人の名前は出さない。そして好奇心旺盛な妹が絵を描く自分の横で指導を受けていたことも。ユリシーズは妹に実施していいのは夫だけときちんと言い聞かせたので、餌食になった義弟へのフォローをする良識は持っていた。
王族の血を残すのは務めだが、抱かれたのは義弟のほうだろうという言葉は口に出さない。
ユリシーズは固まっている義弟は放っておいて執務を進める。
妹の婚姻によりユリシーズは帰国を命じられた。公爵家の仕事は兄の代りをメアリーアンヌが担っていたためである。そしてしばらくして第二王子妃を追いかけられる騎士を派遣してほしいと願うシリウスに妹に護衛はいらないと伝え、メアリーアンヌは護衛のつかない生活を手に入れる。
***
夜空の散歩に行かないメアリーアンヌは眠るのが早い。
婚姻前は晩餐の後にマーガレットに付き合っていたため夜更かししていたが妹はもういない。
メアリーアンヌは成人前の婚姻は執務を手伝うためと思い、つい最近までシリウスに手を出されなかったため夜の営みも必要ないと思っていた。
ただシリウスは夜の営みではなく朝や昼の営みを好むと知ったので夜は待たない。それはメアリーアンヌが先に眠る所為だとは気づかない。
晩餐を終えて湯あみを終えたらベッドに入り眠りにつく。シリウスは寝室に入ると髪を濡らしたまま眠る姿に苦笑してタオルで髪を丁寧に拭く。自給自足の生活に慣れたメアリーアンヌは侍女をほとんど使わない。
ぐっすり眠るメアリーアンヌの頭を膝に乗せて肩にかかる令嬢としては短い髪を丁寧に手入れする。誤解させたことを謝るとメアリーアンヌは悪いのは自分。体も心も軽くなってスッキリした。嫉妬して意地悪した自分が悪いので気にしないでほしいと返される。
誰も意地悪を気にしないのに思い込みの激しいメアリーアンヌは優しいから許してもらえるだけで罪は消えないと思っていた。
シリウスは婚姻して触れる権利は手に入れた。抱きしめられても拒絶が怖くてそれ以上は触れる勇気がでず手を出せなかった。ただメアリーアンヌに拒絶されないと知り一度手を出したら止まらなくなった。
恋はもうお腹いっぱい。いらないと淡々と答えるメアリーアンヌの髪の手入れも終わりシリウスはぐっすり眠って起きない妻を抱いて眠りにつく。
シリウスは目を開けると腕の中が空っぽだった。ベットは冷たくなっており、夜着も畳んでおいてある。効率重視のメアリーアンヌは夜会や行事など着飾る時以外は身支度に侍女は使わない。
亡き祖母より没落しても生活できるようにと身支度は全てできるように仕込まれている。
シリウスに、恋していた頃はやることの多い髪の手入れは侍女に任せていたが嗜み程度でいいなら必要ない。メアリーアンヌの連れてきた侍女は呼ばないと姿を見せず留守の間に部屋を整え必要な物を補充し決まった場所に置いておくのが主な役目。時々お使いやお茶会の用意など命じられたことをすればいいので、主の動きは把握していない。
シリウスは侍女に聞いても行き先はわからないのは知っているので、着替えをすませて離宮を出て庭園を歩く。
目を覚ましそっとシリウスの腕から抜け出したメアリーアンヌは気配を消して着替え窓から剣を持って抜け出し庭園の一番広い平地で朝の訓練である剣舞を舞っていた。
妹がいないので夜明けとともに舞っても問題はない。妹に頼まれる前は夜明けに起きて訓練していた。祖父が帰国した時だけは夜明けから訓練して、朝食の前に剣舞の指導を受けていた。
見張りを頼んだポポロに「メア」と呼ばれて動きを止め人の気配に視線を向けると笑みを浮かべるシリウスいた。
「おはようございます。どうされました?」
「おはよう。いないから、探しに。稽古?」
「申し訳ありません。はい。日課なので気にせず」
「起こしてよ。付き合うよ」
「いえ、お気持ちだけで。ポポロもいますし一人で充分です」
第一王子のエンリケが散歩をしていると言い争う弟夫婦を見つけて近づき、メアリーアンヌの手元の剣を見て閃く。
「おはよう。メアリー、せっかくだからシリウスと一戦見せてよ」
「兄上!?ご冗談を。メアリーに剣を向けるなんて」
「おはようございます。構いません。私は体が温まっていますのでいつでもどうぞ」
シリウスへの恋心を捨てたメアリーアンヌは武術が得意なことを隠す必要はなくなった。戸惑うシリウスを気にせずメアリーアンヌは鞘に入れたまま利き手とは逆の左手で剣を持つ。
力を抜いて静かにシリウスを無表情で見つめて立っているメアリーアンヌと笑顔で眺める兄を見て、シリウスは諦めてメアリーアンヌの剣を落とさせようと向かっていくと体がふらつき、空を見上げていた。メアリーアンヌはシリウスの体を倒し、馬乗りになり鞘の先を首元にあてていた。第一王子は目にも止まらぬ速さで動いたメアリーアンヌに笑う。もしやと思っていたが、
「メアリー、騎士団の訓練を見てくれないか?」
「公爵家の訓練は王宮騎士団ほど甘くありません」
「死ななければいいよ。公務の予定に組むよ。社交より有意義かい?」
「幼い頃から訓練指導はしてますので、そうですね」
「まさかシリウスを瞬殺とは。期待しているよ」
「精一杯務めます。殿下失礼しました」
メアリーアンヌは茫然とするシリウスの上から降りる。
「自衛は嗜み程度って」
「嗜みですよ。これくらいは。殿下どうされました?」
「いや、なんでもない。食事に行こうか。今度訓練するなら誘ってよ。僕のほうが必死にならないとみたい」
「王族は最低限の自衛でいいのです。騎士がいるでしょう?」
「僕は強くなりたいから」
「訓練は一人のほうが効率的ですよ」
「なら僕に稽古をつけてよ」
「わかりました。訓練するときは声を掛けます」
メアリーアンヌは夜明けに起きシリウスの腕から抜け出し着替えて窓から抜け出し、剣舞の練習を終えた後にシリウスを起こして訓練に付き合う。しばらくしてメアリーアンヌとシリウスの訓練にケイルアンが混ざる。
そして弟の剣の師匠がメアリーアンヌと聞き、シリウスを絶句させる。ケイルアンが毎日剣舞の練習をしていることを話してしまい、シリウスにしつこく見学したいと言われメアリーアンヌは面倒になり了承する。
メアリーアンヌは夜明けにポポロと空の散歩に行き、シリウスが起きる時間に離宮に戻る。眠っているシリウスに朝の挨拶と訓練に行くと伝え庭に行く。メアリーアンヌが剣舞を舞っているとシリウスが支度を整えケイルアンと見学した後に3人で訓練をして朝食をとるのが第二王子夫妻の朝の光景である。
***
メアリーアンヌは小屋を手に入れてからは毎日楽しく生活していた。
「メアリー、服はきちんと着て!!お願いだから」
「葉っぱの服」
「駄目。このあとずっとベッドで過ごすのならいいけど」
「殿下と遊ぶ気分ではありません。着替えます」
メアリーアンヌよりもシリウスの方が体力があるため気を失うのは自分だとわかり自作の葉っぱの服からシリウスに渡された服に着替える。
「メアリー、待って」
紐をほどき、葉が落ちて白い肌が露わになりシリウスはゴクリと喉を鳴らす。メアリーアンヌはシリウスの様子に気付いて「2回までなら遊んであげます」と笑うと理性が切れる音がした。
お互いに温め合い、熱に溺れたシリウスの頬をメアリーアンヌが思いっきり引っ張る。
「終わりです。遅刻します」
「大丈夫」
「駄目。私は先に行きます」
情緒のカケラもなくメアリーアンヌはベッドから出て、服を纏う。素っ気ないメアリーアンヌにシリウスは苦笑し起き上がり服を着る。そっと抱き寄せると睨むメアリーアンヌの首筋に所有印を刻む。メアリーアンヌはようやく執務に行く気になったシリウスにニコっと笑いお返しに頬に口づける。
シリウスは出かける前にいつもメアリーアンヌに所有印を付ける。角度によってはきちんと見える場所に。男ばかりの職場に美しい妃を連れて行くので虫よけを忘れない。
夜明けと共に空の散歩を楽しみ、朝は訓練、昼間は公務をして夜は小屋で楽しく過ごすのがメアリーアンヌの1日である。
夜明けの散歩はシリウスに内緒である。散歩に出かける時は教えてと言われているので、起こさないように気配を消して小声でお散歩に行ってきますと声をかけている。
いつの間にかシリウスも離宮から引っ越し共に自給自足の生活をしていた。シリウスが楽しそうなのでメアリーアンヌは気にしない。
離宮は来客用と荷物置き場として利用している。
シリウスが作ったスープを渡され、口にいれると好みの味にメアリーアンヌはニッコリ笑う。
「まさか殿下が料理をするなんて」
「隠居したら、二人で自給自足の生活もいいだろう?」
「楽しそうですね。次はどの国に行こうかな。あの森も楽しかったけど、他にも」
「僕を置いていかないでよ。もう人参は食べられるのか」
「はい。好き嫌いはいけませんから。ケイル様はどなたを選ぶんですかね」
「さぁね。ケイルが婚約者に夢中になって君から離れて欲しい。朝は二人がいい」
「私はご遠慮しましょうか?」
「メアリーと二人がいい。ケイルが邪魔なの」
「ケイル様は可愛らしいのに。昔の殿下にお顔がよく似ています。でもきっと二人は難しい」
「え?ケイルがいないと嫌なの?」
「いえ、いずれ増えるかもしれませんわ。生き物ですから」
シリウスは首を傾げながらも、楽しそうに笑う妻を見て笑う。そして、食事を終えて意味を理解して顔を赤面させる。メアリーアンヌがいつの間にか連れてきた黒い兔を抱き上げ笑っているのを見ながら幸せを噛み締める。
いずれ子供が生まれてもここで生活する自分達を想像して笑う。ただシリウスの幸せな妄想は木っ端微塵に壊される。
いつの間にかマレードが第三王子の婚約者になり早々に婚姻するように外堀を埋め、シリウスの二人っきりの小屋での生活が幸せでない形で壊されるのはすぐ先の話だった。
第三王子夫妻の婚姻によりマレードが小屋に頻繁に訪問する。マレードが訪問するとメアリーアンヌが取られるシリウスはふてくされる。ようやくマレードが帰ったのでシリウスはメアリーアンヌの膝を枕に紐を編む顔を眺めていた。
「二人の生活に戻りたい」
「殿下、離縁ですか?」
「は?」
「もう3人です。離縁でも側室でもお好きに。公爵家に帰ります。では失礼します」
シリウスは立ち上がろうとする手を掴む。ここで止めないと捕まらないのは学んでいた。
「え!?待って!!離縁しない!!3人って、嘘!?メアリー、昨日手合わせしてたよね!?無事に生まれるまで剣は」
「命は強いものです。それにこの子は特に」
シリウスは起き上がりお腹を撫でてニコニコ笑うメアリーアンヌを抱きしめる。マレードも弟も邪魔だが、自分達の子供なら大歓迎である。
「メアリー、この子も君も幸せにするように頑張るからこれからも傍にいてほしい」
「私は幸せですよ。幸せは自分で見つけるものです。私達の役目は幸せの見つけ方を教えてあげること。おじい様が」
メアリーアンヌの瞳から溢れ出る涙をシリウスは指で拭う。
メアリーアンヌの祖父が亡くなったのは半年前。
祖父の死を使者から聞き、無表情で頷き公務に行こうとするメアリーアンヌの手をシリウスが掴んで公爵家に行った。穏やかな顔で眠る祖父の手を握り無表情で「安らかに」と言葉をかけ、葬儀の準備を始めた。
常に無表情で淡々とした口調で貴族の顔をしていた。
葬儀でさえ涙も見せずに無表情で参列し、悲しむ妹や人々を慰めていた。
祖父が亡くなっても涙も見せない冷酷な女と言ったバカはシリウスが斬る前に、マーガレットが頬を叩き、ユリシーズが謝罪して笑顔で追い出した。様子のおかしいメアリーアンヌを公爵家で預かるという申し出を断りシリウスは連れ帰った。
食事と湯浴みをすませ、メアリーアンヌを抱きしめて眠りにつく。ふと目が覚めて腕の中が空で冷たいベッドに気付き外に出ると聞こえる息を飲む音を辿るとポポロの背中で声を殺して泣いていた。無理矢理抱き上げて涙を止めようとしているのを抱きしめた。
「泣いていい。誰も見てない」と言い聞かせて声を上げて泣き疲れて眠るまで抱きしめていた。
小屋に誰にも近づかけさせないように近衛を呼び出し兄に文を書いて手紙を預けた。
公務は全て兄達に任せて一人にすると抜け殻のようなメアリーアンヌに食事をさせてずっと抱きしめていた。ポツポツとこぼす祖父の思い出を聞き、ずっと傍にいると伝える。
亡くなって一週間後にメアリーアンヌは初めて一人で外に出て剣舞を舞った。シリウスはいつも美しい舞が切なくて悲しくなり涙が止まらなかった。メアリーアンヌはシリウスを抱きしめてお礼を言って一つお願いをした。
祖父との思い出の場所に行きたいから2週間時間がほしいと。シリウスは消えそうな妻に自分も同席したいと言うと静かに頷いた。
メアリーアンヌは祖父と思いでの場所をまわり、剣舞を舞う。
祖父への感謝をこめて。空の上で祖母と再会し微笑んでくれるだろう祖父のために。
舞にはたくさんの願いがこもっていると教えてくれた祖母。舞い方を教えてくれた祖父。
優しい笑顔で眺めてくれる存在に心が慰められ、覚えのある感情に気付かないフリをする。
シリウスは旅に出て、笑顔が戻ったメアリーアンヌに笑いタオルで汗を拭く。二月も公務を放置したお詫びをするというポポロを呼んで飛び立ったメアリーアンヌがしばらくして戻ってきた時に浮かべた笑顔に笑う。
第一王子の満足するお土産を持って第二王子夫妻は帰宅した。
そしていつもの日常が戻ってきた。
メアリーアンヌは祖父を思い出して時々泣いても、シリウスが抱きしめて涙を拭うとニッコリ笑う。あまりの可愛さに理性が負けた記憶は片手では数えきれない。
子供が生まれるこれからを想像してシリウスは笑う。
離宮ではなく小屋での生活はメアリーアンヌの愛らしい姿を独占できて満足していた。
不器用な第二王子夫妻は少しずつ絆を深めていった。いつの間にかメアリーアンヌがシリウスが王国にいる時はポポロの背から自分の近くに降りていることには気付かない。シリウスは空の散歩から戻るメアリーアンヌを抱き止められる理由に気づくのは成長した子供に教えられた時である。
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メアリーアンヌは婚姻して3年経った。息子は公爵家に遊びに行っているため久しぶりに一人の時間があり、国王に許可を取り、訓練場を1日貸し切りで借りていた。
剣舞の練習を人目につかない場所でしたかった。家族のような公爵家の使用人は無様な舞でも気にしないが、王宮では事情が異なる。
兄が考えた新しい剣舞は、美しい動きを追求したもので広範囲で動き回らないといけなかった。兄の婚姻祝いの舞なので文句は言わず、ポポロもマーガレットもいない初めての舞の練習に寂しさを覚えながら何度も舞って、しなやかに舞えるように体に叩き込む。
滑って転んでも、すぐに立ち上がり、剣を掲げる。天井高く投げた剣を飛び上がり回転して取ろうとしてタイミングを間違え落下地点を間違える。剣を落とさないように床を蹴って飛び込み剣が床に落ちる前に手に持つと目の前に壁があり、体が急に後ろに引かれる。バランスを崩して、受け身をとろうとすると柔らかい物に支えられ、振り返ると苦笑する。
壁に突っ込むメアリーアンヌの腰を引き寄せたシリウスを見て、ようやく他にも人の気配があるのに気付いて表情が抜け落ちる。
シリウスだけならまだ良かった。そしてマレードとケイルアンまでなら許せたが現実は残酷だった。
「殿下、いつから?」
「僕は足を滑らせて転んだあたりから」
「お目汚しを申しわけありません。ありがとうございます」
ほぼ最初から!?とツッコミは我慢してメアリーアンヌはきちんと立ち直して頭を下げる。
「メアリー、毎朝舞うなら見せてもらえないかしら?陛下もご覧になりたいでしょうし」
「名案です。メアリーの舞を毎朝見れるなら良い朝になります。メアリー、せっかくなら朝食を一緒にとりましょう」
「僕も賛成!!皆でご飯を食べたら楽しいよ」
「朝食の手配が私が。庭園を整えましょう。更地を作ればここまで来なくてすみます。凛々しいお顔も素敵だけど、可愛らしい舞も見たいもの」
「反対です。僕達は朝は三人がいいです」
「陛下にお願いしましょう。食事を共にして気が向いたら舞ってくれればいいわ。どうしても起きれない日は見逃してあげる」
「メアリー、襲われたら私の宮に来ればいいわ。義兄様は撃退してあげます。昔のように一緒に寝ましょう?」
メアリーアンヌは国王以外の王族に鑑賞されていたことに羞恥を覚え、無言と無表情で礼をして立ち去り、ポポロを呼んで背に跳び乗り空に飛び立つ。
風を感じながら今度からは公爵邸に帰宅して練習しようと心に決める。ロロの手入れの邪魔をするなと言われても、兄と戦うことを決める。
シリウスの反対は数の暴力に破れ、王族揃っての朝食の始まりだった。
そしてメアリーアンヌの剣舞に憧れて、三人の王子の子供達の中で剣舞ごっこが流行るのもしばらく先の話である。王子達に剣術指南するのがメアリーアンヌになるのも。
ユリシーズにとってメアリーアンヌは手のかかる妹でかけがえのない存在である。
メアリーアンヌは野生児で空の散歩が趣味で思い込みが激しくバカと欠点を上げ出せば止まらない。それでも自分の武術が嫌いという主張を初めて許し、武術から解放してくれたことに感謝している。
ユリシーズが絵を描いていると義弟となったシリウスが駆けこんでくる。王族に先触れという文化がないのは永年の経験でわかっていた。メアリーアンヌが飛び出したので連れ戻してほしいと命じられる。追跡部隊隊長に任命されたので、騎士は公爵家から選びまとめている。
訓練は時々訪問するメアリーアンヌに任せ、いずれ息子に託す予定である。ユリシーズはメアリーアンヌの友達に追跡対象を探させて、捕縛の指示を出すだけで、汚れずにすむので仕方なく引き受けている。
放っておけば帰宅すると何度言っても聞き流す頑固な義弟は聞き分けのいい妹に慣れたユリシーズには厄介な相手である。
外は雨が降りそうなためロロの使役を与えた息子に「メアリーアンヌの所に行っていい」と伝える。シリウスは空に飛び立つ白い鳥を見て、王宮に帰っていったので絵の続きに取りかかる。
息子はメアリーアンヌの弟子であり王宮に泊まることもあるので帰って来なくても気にしない。
夜遅くにシリウスが帰宅しないとまた駆け込み、暗いので晴れた日に迎えに行くと約束して追い返す。
王子に振り回された経験の多いユリシーズは私的な場では王族に敬意を払わない。
ロロは悪魔のポポロが作り出した使い魔である。厄介な所に遊びに行った妹にため息をこぼしユリシーズはロロの背中に乗って飛び立つ。
以前、メアリーアンヌが暮らした悪魔の森を目指し、時空の狭間の大樹にロロが突っ込むと吸い込まれる。
大樹の中には豪華な客間が広がる。そしてお茶を飲んでる血まみれの三つ目の黒鳥と黒い兎と息子のラパス、お盆を持ったメアリーアンヌがいる。
「お兄様、お茶にしますか?」
「メアリー、もう門限はすぎてる」
「え?まだ来たばかりですが。お兄様がラパスを勉強しなさいって送り出されたからおもてなしを教えてるんですが。お友達の作り方を。主様とお話できるようになりましたのよ。お兄様のお気に入りのお友達は明日訪問されますわ。お部屋を用意しましょうか?」
ユリシーズは欲望に負けてメアリーアンヌの誘いにのる。翌日、訪問した美しい鳥や犬に魅入られ、絵を描き始める。メアリーアンヌは一心不乱に絵を描くユリシーズを見つめながら夫の顔を思い出し、ゆっくりと腰を上げる。
「ラパス、帰国するけどどうする?」
「メアリーと行く!!父上に邪魔って言われるし。ねぇ、帰りに、」
「いいわね。せっかくだからお土産買って帰ろうか。情報収集のお勉強の復習もしようね。主様、また来るね。うん。ほどほどにね。新しい舞は今度までに練習しておくわ」
「主様、俺も練習するよ。また来るね」
メアリーアンヌとラパスは手を振りそれぞれの友達に乗り飛び立つ。
メアリーアンヌの剣舞には邪気を払う舞がある。悪魔は魔力を使うが、悪霊は邪気を使って攻撃する。自分の邪気を植え付け支配下に置こうとする。メアリーアンヌの舞で黒鳥に注がれた邪気が浄化された。
そして、魔を高める舞を披露して回復した。
メアリーアンヌは直感に優れるので嘘がわかる。人に害を与えないと言う約束をくれるなら望み通りの舞を披露する。悪魔でも力のあるポポロの契約者に害する者は少ない為円滑な関係を築いている。悪魔の人への干渉はルールがあるので基本は安全な生き物だとメアリーアンヌは思っている。ただ悪魔を忌避するものが多いのでユリシーズとラパス以外には話さないと兄と約束をしていた。
幾つかの国でお土産を用意しラパスを連れて王宮に帰宅する。
「メアリー様!!」と呼ばれ疲労の色が濃い騎士達に囲まれて目を丸くすると、目の下に隈のあるシリウスが駆けてきて力強く抱きしめる。
「一月もいないから心配で」
悪魔の館は時間の流れは違うのをメアリーアンヌは失念していた。
「メアリーお帰り。長旅だったね」
「ただいま帰りました。ラパス、お土産をお渡しして」
ラパスは集めた情報を纏めた紙を第一王子に渡す。第一王子は書状を読んで笑みを浮かべる。
「メアリー、お使いを頼めるか?買い付けを」
「かしこまりました。国名義でよろしいでしょうか?」
「ああ。頼んだよ。シリウス、離れて、捜索やめさせろ」
「シリウス様、軍部を動かすのやめてください。兄は当分帰りませんわ。創作の旅に出ました。私は夕方には帰ってきます」
「嫌」
「仕方ありませんね。ゆっくり休んでください」
メアリーアンヌはにっこり笑って、シリウスの首に手刀を入れて意識を奪うと近衛が倒れた体を抱き上げる。第一王子は「見事だねぇ」と感嘆した声を出し金貨の詰まった袋を渡しメアリーアンヌとラパスを送り出す。
メアリーアンヌとラパスの二人を送り出すと必ず有力な情報を持ち返るので第一王子は歓迎する。二人の空の旅は日帰りでは終わらないのでシリウスは反対する。
ユリシーズは翌月に上機嫌で帰国する。ユリシーズの妻は自由奔放な夫に慣れ、メアリーアンヌのファンなので息子さえ無事に帰ってくれば何も言わない。ユリシーズの留守の時はメアリーアンヌが心配して頻繁に顔を出すのでむしろ上機嫌だった。
メアリーアンヌと息子の剣舞に魅入られる公爵夫人はマーガレットの友人である。
三人の王子の妃は仲が良い。
家族に礼儀はいらないという第一王子妃のリリアンの言葉に説得されメアリーアンヌは貴族の仮面を外す。
我が子達は王宮で授業を受けているため久しぶりの三人の女子会だった。
「こないだマーガレットがヘタレって騒いでいたけどどうしたの?」
「また悪癖が…。昔からあの子は」
「マーガレットは正直だから。メアリーが甘やかしたからでしょ?いつも近くで世話を焼き、それはいいわ。義兄様はいい義妹って言ってるから気にしないわよ。何があったの?」
「私、こないだまでずっと政略結婚だと思ってたの」
「え?」
「シリウス様とは国王陛下の命令の婚姻でご本人が望まれたなんて初めて知ったの。執務が大変だから早く婚姻して手伝って欲しいのかなって。シリウス様の意志とは知らなかったから驚いたの」
「婚姻して8年よね?」
「そうだね。何があるかわからないね」
ニコニコと笑ってお菓子を食べているメアリーアンヌの爆弾発言にリリアンとマレードは顔を見合わせる。そして呆れた顔のマレードの顔にリリアンが笑う。
「マレード、人のこと言えませんよ。ケイルアン様の妃の条件聞いて候補ではないのに立候補して」
「国王陛下夫妻と後宮の妃と仲良くでき、兄に惚れない自信がある令嬢なら私でもいけるかなと。兄と仲良くするって条件があれば諦めたわ」
「シリウス様と仲がわるいものね。昔から取り合いして」
「義姉様、実は影の勝者知ってます?」
「マーガレット?」
「違いますよ。ケイル様ですよ。小さい時からよくメアリーに隠れて遊んでもらって。ケイル様に剣を教えたのメアリーですって」
メアリーアンヌは公爵領までお忍びにくるお転婆な王子を思い出しニコニコ笑う。
「よく王宮を抜け出してたな。騎士の指導が怖いって言うからやり返す方法を教えてあげたの懐かしいな。あの可愛い笑顔で遊んで!!て言われるとつい許してしまう。それに他人だから御身さえ守れば可愛がり放題!!マーガレットとケイル様を並ばせて座らせるとあまりの可愛さに…。ケイル様はまだ幼く可愛らしく抱っこしてた頃が懐かしい。大きくなったなぁ」
「メアリーはシスコンよね。ユリシーズ様にはドライなのに」
「お兄様は潔癖症の芸術狂いだから。理解あるお嫁さんもらってくれて良かった。公爵家は安泰だといいな」
「ご令嬢の大人気のユリシーズ様を…」
「令嬢の目は曇ってるから」
メアリーアンヌが手を伸ばし空から降る手紙を開きため息をつく。
「義姉様、マレード、私はこれで。公爵邸に行ってきます」
「また喧嘩?」
「わからない。ラパスが助けてって、お兄様の芸術狂いかマーガレットが義姉様と喧嘩しているか。シリウス様に伝えてくれる?」
「わかったわ。行ってらっしゃい」
メアリーアンヌは手を降ってポポロに跳び乗り里帰りする。
「空を駆け、自由を愛するわりにしがらみが多いわね」
「シリウス様が追いかけるのはいくつになっても変わりませんね」
公爵邸ではマーガレットが義姉と喧嘩をして、ユリシーズが芸術探しの旅に出ていた。前公爵夫妻は旅行中。
メアリーアンヌは執事に縋るような視線を向けられ大量に溜まった執務に目を丸くして処理していく。
夜になっても帰宅しないメアリーアンヌをシリウスが息子のリアスと共に迎えに行き、無言で手を進める姿に苦笑して手伝い始める。
マーガレット達の喧嘩を止めたのはリアス。
「メアリー、僕は君によく怒られるけど」
「ごめんなさい」
「いや、メアリーは悪くないよ。末っ子は強いから。本当に」
「父上、母上、もう大丈夫です。帰りましょう。ラパスの玩具も見つかりました。今度はきちんと説明も書くように言い聞かせました」
一番しっかりしているのはリアスである。
玩具が見つからず、メアリーアンヌに助けてと手紙を送った従弟にしっかりお説教した。落ち着きのない両親のおかげでリアスは理想の王子に成長を遂げていた。
***
第一王子は後宮で貴族の顔をやめたメアリーアンヌに驚いていた。子供を3人産んでも常にニコニコ笑っている。全てのことを痛くないならまぁいいやと放置する。子供の暗殺者を動きが甘い!!と捕まえて、保護して従者として育て始めたのを報告しなかったのは大事件だった。息子のリアスが第一王子に報告をあげ、謝罪にきたためリリアンがメアリーアンヌを叱って内密に処理した。斬首と脅すとニコニコと執行人を指名する交渉を始めたメアリーアンヌに温和なリリアンさえも困っていた。
「シリウス、メアリーアンヌのあの無表情はどういう作りだ?」
「不器用ですぐに顔に出るから、覚えさせられたみたいです。公爵夫人の教育が厳しかったようで・・・。僕はこのままでも不便はありません。愛らしい笑みを浮かべてくれるのは僕の前だけなんて」
「ケイルは昔から向けられたが」
「マーガレットと同じ歳なので悔しいですが仕方ありません。未だにケイルは子供に見えるようです。頭撫でるし、子供扱いしてますが」
「成人してもケイルは可愛いから仕方ないか」
「末っこが羨ましい」
「立場が逆ならメアリーアンヌは婚約者候補に選ばれないが?」
「冗談ですよ。僕は今に満足しています。あとは隠居してメアリーと旅に出るのを待つばかりです」
3人の王子達は側室を娶らなかった。
末っ子王子の願い通りの仲の良い王族という家族の和を乱したくなく、後継もたくさん生まれたため必要なかった。
決められた道の中でも各々が願いを叶えて幸せに暮らした。
第一王子の平穏な統治。
第二王子の初恋成就。
第三王子の家族円満
各々が長所を生かし、短所を埋める妃に恵まれ適材適所そのものだった。
番外編が長くなってしまいましたが最後までお付き合いいただいてありがとうございます。
ブクマ、評価も嬉しくいつもありがとうございます。




