空駆ける少女に捕えられた王子5
第二王子に常にエスコートされていた無表情でも美しいメアリーアンヌが姿を消したのは様々な憶測をよんでいた。
メアリーアンヌの不在に嬉々としてシリウスに近づく令嬢達は冷たい空気で無表情の爽やか王子の欠片もない姿に足を止める。「お慰めします」と強引に付き纏う気の強い令嬢に視線を向けず通り過ぎ、腕を掴まれれば振り払う。メアリーアンヌの悪口を聞けば「僕の未来の妃を貶しめるのは死にたいの?裁判は面倒だから斬ろうか?」と呟き剣に手をかける元爽やか王子を見て真っ青な顔で逃げた。
爽やかで優しい王子の豹変にシリウスへの熱を冷ました令嬢も多かった。
時間だけが過ぎ一向に足取りがつかめないメアリーアンヌ。
メアリーアンヌとシリウスの婚約破棄の噂が広がり、絶え間なく届く二人への縁談の釣書は冷静さを奪うには十分だった。
シリウスは精鋭とはいえ騎士団では数が頼りなく、権力を使い演習という名目で軍を動かし捜索させた。それでも足取りが掴めない婚約者を思い浮かべ、地図を見ながら悩んでいると外交から帰国したばかりの第一王子が訪ねてきた。
国王は軍を動かすのに反対していたが、口達者なシリウスに負け王妃は沈黙。
国王は隈を作りやつれていく次男を心配し、帰国したばかりの一番口達者な長男に事情を話し託した。
「シリウス、無駄じゃないか?」
「演習の一貫です。メアリー、どこに、捜索範囲を」
ブツブツと捜索範囲の拡大を呟くシリウスに第一王子は呆れた顔で長いため息を吐く。
髪も乱れ、疲労の色が濃い弟は聡明で容姿端麗で武術に優れる理想の王子様と囁かれていた面影はない。
末弟が国外に短期留学に出掛けていてよかったと思いながら久しぶりに手の掛かる可愛くない弟の頭に拳を落とす。
「時々物凄くバカだよな。軍よりも簡単な方法があるだろう?」
「指名手配ですか?メアリーの美しい顔を世界中にばらまくのは嫌なので断念しましたが、ポポロなら」
「バカ。一人いるだろう?我が国で鳥を使役するのは」
シリウスはようやく地図から顔を上げ勢いよく立ち上がる。数年前に留学に行き、ほとんど帰国しないため失念していた存在を。
使役獣は国に届け出は必要ないため、本人が広めない限りは認知されない。
ポポロに乗り空を駆け回る銀髪の少女は有名でも、第二王子の婚約者と知る者は少ない。そして空の散歩の趣味を持たない主を持つロロの存在を知る者はさらに少ない。
王家がロロの存在を知ったのはシリウスが手入れをしているユリシーズを公爵家で見かけたからである。
「行ってきます」
「呼び戻せ。公務があるだろうが」
シリウスは渋々と兄の言葉に頷き、至急ロロで帰国し参内するようにと最速で伝えるようにと念をおし伝令を出す。
留学先で、王国騎士団一の駿馬を乗りこなす騎士の切羽詰まった伝令と要領の掴めない命令を受けたユリシーズはため息を溢し馬車ではなくロロに乗り帰国する。王宮に参内すると第二王子の執務室まで「失礼します」と腕を捕まれ問答無用で連行されたユリシーズが入った途端にシリウスは口を開く。
「メアリーアンヌが行方不明だから連れ戻してほしい」
「は?」
「ユリシーズ、頼むよ。軍で捜索してるけど捕まらないんだよ」
「うちの妹がなにか?」
「痴話喧嘩?笑えるんだけど」
イライラしているシリウスを気にせず、笑顔で詳細を話す第一王子の説明が終わりユリシーズはため息を溢す。
「そんなくだらないことのために呼び戻されたんですか?」
「くだらない!?」
「これ以上軍を動かすのは他国に戦争準備と誤解を招く。頼むよ」
「かしこまりました」
呆れた顔のユリシーズが渋々頷きながら出て行きシリウスが追いかけるのを第一王子が制止する。「行くなら公務を終わらせろ」と言われ渋々執務室に戻り、公爵邸に訪問するためにシリウスは凄い速さでペンを走らせ執務を片付け飛び出した。
メアリーアンヌと違いユリシーズは公爵邸からしか飛び立たない。ユリシーズのロロはポポロよりも大きく飛び立つ時に激しい風が起こる。砂埃を被りたくないユリシーズは砂利を敷き詰めた乗降場を使用している。ロロが空を飛ぶのは非常時だけであり普段は二人で大きな馬車を使い移動する。ロロで帰国と命令されなければのんびりと馬車で帰国したユリシーズへの命令はある意味的を得ていた。
ユリシーズの帰りをシリウスは公爵邸の庭で待っていた。公爵夫人のお茶の誘いも断り空を眺めていると鳥を見つけ、着地するロロにシリウスは掛け寄る。いくら見渡してもメアリーアンヌの姿はなく顔を真っ青にする。
「メアリーは!?」
「元気でしたよ。引き払うには準備があるため半年後に帰ると」
「は、半年!?どこに!?」
ユリシーズは狼狽える王子に野生児になった妹を思い出し、目を逸らしながらロロの背中から降りる。足と腕を露出している姿は淑女としてマナー違反以前に体に葉を巻いているだけの薄汚い妹は見せられない。色んな意味で。
「お教えできません。それに、ちょっと―」
「言え!!命令だ」
「公爵令嬢として相応しくないので殿下の目には触れさせられません」
「な!?む、迎えに」
「帰国したら参内させます。軍で捜索しても無駄ですよ。試験が近いので帰ります」
動揺しているシリウスは気にせず、ロロに干し肉を食べさせていたユリシーズがローブのフードを被る。ロロの背中に乗ろうとするユリシーズの腕をシリウスは力強く掴んだ。
「居場所を」
「殿下の使役では無理ですよ。海路を使うより待ったほうが早いでしょう。メアリーは空からでないと見つかりませんよ」
腕を掴んだまま放さないシリウスにユリシーズは地図を取り出してペンで丸をつけて渡す。ようやく腕が自由になったのでユリシーズはロロに乗り飛び立つ。王子とはいえ痴話喧嘩に付き合うつもりはなく、敬意も持っていなかった。人の話を聞かずに飛んでいく姿は兄妹そっくりと公爵夫人は冷たい目で眺めていた。
シリウスは王宮に帰り地図を眺めていた。
遠く離れた名前も知らない国に飛んだ婚約者が心配で堪らない。帰れない事情が気になっても兄妹の関係性を良く知っているためユリシーズに聞いても無駄だとわかっていた。元気と聞いても浮かんでくるのは嫌な想像ばかり。
軍の捜索はやめ、自国よりも魔法が盛んな国の友人を頼ることを決める。海路や陸路で進めば半年以上かかる道のりだが、空路なら直線距離のため半月。ポポロとロロは空を飛ぶスピードが速く半日だが二匹は主以外は絶対に背中に乗せない。
シリウスは自国より魔法が盛んな隣国王子のテオドールに会うため、国を飛び出した。
突然訪問したシリウスにテオドールは驚きながらも陽気な笑顔で迎える。
「テオ、魔導士を貸して!!空路を使いたい!!謝礼はいくらでもするから」
「シリウス、顔色が悪いから休んだほうがいい。魔導士なら貸」
「感謝する。時間がないんだ。メアリーが」
「空路で行くなら準備がいる。わかったよ。落ち着けよ。気をつけて行ってこいよ」
婚約者が飛び出したショックと心労で心身共にボロボロで、輝かしい金髪も荒み、痩せ細った姿を見てテオドールは万能のお抱え魔道士を貸し出す。いつも余裕な友人の豹変に驚きながらも旅の道具を持たせ快く送り出す女好きだが面倒見の良い王子だった。
シリウスは魔導士の力を借りて辺境の国にあるいわくつきの森を目指していた。最低限の食事と休息で道を急がせながら。
「殿下、ほんとうに行くんですか?」
「謝礼はいくらでもする。魔法は使えないが武術なら自信がある」
「あの国って」
「悪魔信仰も邪神信仰も聖女信仰も変わらない。何を信じるかは自由だ。もしも怖いなら余計に急いでくれ。大人の君が怖いと思う国に小柄で力のない僕の大事な婚約者がいるんだよ!!」
空から見下ろす目的地の森は黒い靄で覆われている。
悪魔を信仰している夜が長い国に入ってからシリウスの長剣に結ばれた飾り紐が千切れた。公爵夫人に怒られた時の真っ青な顔のメアリーアンヌの顔が浮かび嫌な想像しかできずに休む時間はいらないと言い魔導士にさらに先を急がせた。
魔導士はシリウスに脅され、怪しい辺境の国の森に足を踏み入れる。かつての爽やかな雰囲気の温和な王子が物騒な性格だと知り、大人しく従うしかなかった。地図を頼りに森の大樹を見つけて降下する。
「本当にここに人が住むんですか?」
魔導士は気を抜いたら正気を失いそうな邪気の強い大樹の下にある小屋を怪訝そうに見る。
シリウスは魔力がないので邪気はわからないが食い入るように見ていたユリシーズに教わった場所と同じと頷く。
木の小屋の扉を叩こうとして、手袋の汚れに気付き身だしなみを整えるために先に水場を探すかと思い直す。木々がざわめき、シリウスにとって覚えのある風に期待をこめて空を見上げると白い鳥を見つける。
降下したポポロからポンと飛び降りる少女の姿は逆光で見えない。
「迷い人?最近多いわね。ごきげんよう。旅のお方。どうされました?」
聞き慣れた声よりも明るい声でにっこりと笑うメアリーアンヌにシリウスは体の力が抜ける。メアリーアンヌが正面に立ち、視界に入った緑の葉を体に巻きつけ、腕と足を露出させ体のラインがはっきりとわかる姿に顔を真っ赤にする。もう一人の男の存在に気付き慌ててローブを脱いで、メアリーアンヌの体を包もうと手を伸ばすと腕を掴まれ引き寄せられる。シリウスの視界からメアリーアンヌが消え背中に柔らかいものが触れ、背中から抱きしめていることに気付き、さらに体が熱くなる。両想いだった初恋の少女に抱きしめられ、真っ赤な顔でかける言葉を悩んでいると魔道士の息を飲む音が響いた。
「え?」
「触れないでくださいませ。迷い人でしたらご案内しますが、私達に危害を加えるなら容赦はしません」
メアリーアンヌの初めて聞く冷たい声と首に短剣を当てられていることに気付き、シリウスは茫然とする。密着している柔らかさに体の熱はどんどん上がり、鼓動も激しくなるのに本能が危険を告げ、ようやく冷静さを取り戻しメアリーアンヌの誤解を思い出す。
「危害を加えるつもりはないよ。顔が見たくて、信用できないなら武器を捨てるよ。肌を隠してくれないか。お願いだから」
「失礼いたしました。私の勘違いで申しわけありません。では、失礼します」
体が自由になり、拘束が解かれていることに気付き離れて行くメアリーアンヌをシリウスが慌てて追いかける。
「待って」
空からポツリポツリと雫が落ちる。シリウスの声に振り向かず立ち止まり無表情で空を見上げしばらくするとメアリーアンヌが振り返る。
「雨の森は危険です。雨宿りにどうぞ」
淡々とした口調の無表情の見慣れたメアリーアンヌの誘いに、シリウスは困惑する。
メアリーアンヌはシリウスに会うと視線を合わせて礼をする。誤解を解かなければと誘いに頷き、危険な少女に付いていくことを首を横に振り反対している魔導士には余計なことは言うなと視線を送る。
案内された小屋の中には毛皮と葉や木の枝が置いてあり公爵令嬢が住んでいるようには見えなかった。
「高貴な方申しわけありませんが、こちらに。しばらくすると雨が止みますので」
毛皮に座ってくださいと勧めるメアリーアンヌが高貴な方と呼ぶ存在をシリウスは知っていた。メアリーアンヌは公爵領で名前の知らない所作が綺麗な相手を高貴な方と呼び、礼を尽くす姿をシリウスは隠れて見ていた。シリウスは認識されていない可能性に複雑な想いを抱え、颯爽と離れていくメアリーアンヌに触れようと伸ばした手を降ろす。先ほど、剣を向けられたばかりだった。それに見知らぬ男に触れられるのをメアリーアンヌが許すとは思えず思いたくもなかった。彼女に触れる権利を持つのは婚約者の自分だけと思いたかった。
それでもどうしても聞きたくて離れる背中に声を掛けた。
「君は、帰らないのか?」
「いずれは帰るべき場所に帰りますわ。ですが、やるべきことがありますので」
「こんな、不便な所で」
「お気遣いいただきありがとうございます。新鮮で楽しいですわ。温かい物でもご用意します。お待ちくださいませ」
シリウスは素っ気なく離れていくメアリーアンヌの背中を眺め、毛皮の上に座り込む。心配で堪らなかった婚約者に、怪我がなく元気そうでほっとする。帰る意志のあることにも。色々聞きたくても最優先は着替えである。初夜用の夜着よりも露出が激しい姿に、あらぬ想像をしてしまいそうな服装をどうやって着替えもらおうかと真っ赤になり髪をかき乱しながら悩み、隣の男の存在を思い出し釘を刺す。
「ジロジロ見るなよ」
「アレで間違いないんですか?幼児体形に興味は」
「何を想像した!!」
シリウスは近づいてくる気配に魔導士の胸倉を掴んでいた手を放す。魔道士は幼児体系の少女に興味はなく、ロリコンでもないが興奮する王子から救ってくれた物騒な少女が一瞬女神に見えた。
シリウスは野菜と木の実の入ったスープを笑顔で受け取り、離れていくメアリーアンヌを眺めながら見たことのないスープに口をつける。奇妙な味でもメアリーアンヌが用意したと思えば頬が緩んだ。魔道士は毒味もせずに怪しいスープを口につけた王子が笑うので、口に含み奇妙な味に顔を顰める。
「よく飲めますね。味が」
「いらないなら寄越せ。メアリーに余計なことを言えば」
「言いません。体が温まるのでありがたく、やっぱり不味い。これ本当に大丈夫なんですか?」
シリウスはメアリーアンヌの好意を批難する魔道士を睨んでいると近づく気配に会話をやめ真っ赤な顔で笑みを浮かべる。
「お二方、なんのおもてなしもできませんが、泊まりますか?」
「え?」
「この雨の中の移動は危険ですわ。家の中のものは自由に使ってください。私達は友人の家に行きますので」
「友人!?」
「はい。なくなって困るものはありませんので。出て行くときも挨拶は不要ですわ」
不穏な言葉に笑う余裕のなくなった真顔のシリウスは出て行こうとするメアリーアンヌの腕を掴む。
「出て行くなら僕達が。女性が」
「この辺りに宿はありませんよ。わかりましたわ。お世話致しましょう。慣れない環境では不便はありますものね。早く探し人にお会いできるといいですわね」
シリウスは探していたのは君という言葉を飲み込む。
友達の家に泊まるという不穏な言葉に不安に襲われる。メアリーアンヌは自分をずっと慕っていたと言ってくれた。嫉妬に狂うほど想ってくれていた。悶々とシリウスが悩んでいると気付くとメアリーアンヌが目の前からいなくなっていた。
「高貴な方、寒ければこれを」
メアリーアンヌの細い腕が大きな葉を何枚か抱えているのでシリウスは慌てて取り上げる。
「ありがとう。もう充分だよ。旅に必要な物はあるから。待って、お願いだから」
シリウスは葉を置いて慌てて荷物の中から長袖のシャツを取り出す。
「これ、あげるから着てくれないか。その格好は」
メアリーアンヌが真っ赤な顔のシリウスの額に手を当てるとさらに顔が赤くなる。
「具合、じゃなくて」
言いよどむシリウスの言葉にメアリーアンヌは無表情のまま静かに頷きシャツを受け取り羽織る。
シリウスとしては足の露出もやめてほしいが代用できる物はなく、ズボンは明らかにサイズが合わない。
「畏まりました。何かあれば声を掛けてください」
素っ気なく振り返ることなく離れていく姿をシリウスは眺めしばらくして口を開く。
「雨って止まないようにできるか?」
「は?」
「雨が止んだら追い出されそう」
「わかりました」
魔導士は自分には強気なのにメアリーアンヌの前では弱気な王子に呆れながらも頷く。大事と騒いでいたのに婚約者に認識されていない哀れな王子にかける言葉はわからない。そして小柄以外はシリウスの言葉と全く印象の違う少女が、公爵令嬢には見えなかった。
シリウスは毛皮の上にメアリーアンヌの用意した葉を掛けて目を閉じる。
魔道士はほぼ不眠不休の道のりを思い出し、寝袋に入り目を閉じる。回復魔法の使える自分と違い体力オバケの王子の寝息を初めて聞き意識を手放した。
翌日、目を醒ますとメアリーアンヌはいなかった。シリウスが小屋の中を歩いていると扉が開きずぶ濡れで帰ってきた。メアリーアンヌはシリウス達に視線を向けず手際よく食事の用意をして、床にスープと果物と肉を並べる。
「高貴な方ごきげんよう。お食事はこちらに。私は出かけてきます。家のものは自由に。お昼ご飯やおやつはあちらの果物をどうぞ。では」
「え?」
シリウスの戸惑う声も気にせず、メアリーアンヌはポポロと一緒に飛び出し帰ったのは夕方だった。
メアリーアンヌはシリウス達の食事を用意しても一緒に食べない。
最初は苦労していると思った婚約者はシリウス達がいない場所ではニコニコと笑顔で楽しそうに過ごしている。
いつもずぶ濡れ姿で帰りそのまま動き回るメアリーアンヌにシリウスは勇気を出して手に持つタオルで濡れている頭を拭いた。
「高貴な方?」
「危害は加えない」
静かにしているメアリーアンヌにシリウスはほっとしたのは一瞬だった。
ほんのり赤い頬に、濡れたシャツは体に張り付き身体のラインが露わにする。目を閉じてじっとしているメアリーアンヌにあらぬ想像を慌てて打ち消し、顔を見ないように髪だけに視線を向け拭くことに専念する。冷たい体に触れて抱き寄せ、無防備な体を自分の物にしたい欲望を必死に自制する。
「君は」
「メアと申します。何かあればお呼び下さい。タオルは洗ってお返ししますね」
「メアか。僕は」
「高貴な方はしっかり休んでくださいませ。碌なおもてなしもできずにすみません」
メアリーアンヌはシリウスの指が肌に触れそうになったので一歩離れて礼をする。シリウスはメアリーアンヌに拒絶されないことに安堵しながらも離れていく背中を眺める。
「言わないんですか?」
魔導士の言葉に曖昧に笑いシリウスは明るい声でポポロに話しかけるメアリーアンヌを眺める。
心配で、会いたくてたまらなくて飛び出した。その後の目的を見失っていた。メアリーアンヌが消えてからほぼ休まずに動き回っていたシリウスは心身が休息を欲しているのに気付いていない。そしてメアリーアンヌに気づかれないことに、傷ついていることも。
シリウス達は雨の森は危険なので慣れない旅人は外に出ないほうがいいとメアリーアンヌに忠告されていた。
魔道士もメアリーアンヌの意見に賛成なので帰る気配のない王子が外に出ないように水晶に外の風景を映し出す。
大きな葉っぱを傘にして畑を眺め、葉っぱを置いて蛙と一緒にニコニコと笑顔で踊るメアリーアンヌが映った。
メアリーアンヌが雨でも気にせず、楽しそうに遊ぶ姿をシリウスは顔を緩めて眺めていた。水晶が黒い靄に覆われ真っ黒になり落胆するシリウスに魔導士は頭を掻いた。
「殿下、本当に探し人なんですか?」
「間違いない。メアリーだよ」
扉の開く音にシリウスはタオルを持って出迎える。言いたいことのありそうな魔導士よりも優先すべきはメアリーアンヌだった。
「メア、君は、また」
「高貴な方、雨の日はまた風情がありますのよ」
「風邪を引いたら」
「主様の加護がありますので、ご心配なく。それにここの雨は温かいので」
シリウスはメアリーアンヌの髪を丁寧に拭く。必死に頼みこみ、常に自分のシャツを着せていた。汚れるからと外に出るときに脱ぎたがるメアリーアンヌに、外こそ着てもらいたいシリウスは必死に説得した。
「雨が止みませんね。こんなに雨が続くなんて初めてです」
「そうか。ずっとお世話になって」
「お気になさらず。森では助け合いです。私もたくさん助けていただいてますので」
「お友達にか。一度僕も直接お礼を」
「高貴な方には会わせられませんわ。どうかお許しくださいませ」
「特別?」
「はい。特別です。ではなにかご用があればお呼びください」
シリウスの前ではメアリーアンヌは淡々と無表情で話す。そんなメアリーアンヌがニコニコと明るい声で友達の話をポポロにするのが気になって仕方ない。
「ポポロ、喜んでくれるかな。初めてにしては上手でしょ?うん。こんなの初めて見たね。ポポロが一番だよ。明日は探しに行こうか。パパさん元気かな」
メアリーアンヌの声しか聞こえないのでシリウスは家族でお付き合いをしていることしかわからない。
メアリーアンヌは連日友達に会いに出かけ、お土産に食べ物を持ち帰る。食事も友達と済ませてくることが多い。男と同じ小屋に住む警戒心のなさへの苦言は飲み込む。魔導士に頼んで雨を降らしてもらっているのはメアリーアンヌには絶対に秘密である。雨が止んだら、躊躇いなく追い出されるのが目に見えている。声を掛ければ反応するが、メアリーアンヌが自分達に興味がないのは明らかだった。
シリウスは今までメアリーアンヌに特別扱いされていたことに気付かなかった。視線を向けられ、思考している時も傍で静かに言葉を待ち、どんな話も聞いてくれることが特別だったとは生活を共にするまで知らなかった。ケイルアンやマーガレットの世話を甲斐甲斐しくやいて、マレードには素の顔を見せるのに嫉妬していた。見惚れて黙り込んでしまっても無表情でずっと傍にいてくれた。思い返せばメアリーアンヌはシリウスが誰かに呼び止められない限りは隣にいた。
シリウスは夢中でポポロの隣で黒い紐を編んでいるメアリーアンヌを見つめる。視線に気づいてもメアリーアンヌは反応しない様子にシリウスは自分の鈍さに苦笑し、懐から守り刀を出す。メアリーアンヌが編んだお互いの色を持つ組紐を眺める。どんな願いを込めてくれたかわからない。でもケイルアンの守り刀の紐を結ぶ時よりも真剣に結んでいた姿を思い出し髪を乱暴に掻き上げた。
魔道士はヘタレな王子に何も言わない。メアリーアンヌがシリウスの申し出を全て断り、ショックを受けていてるとわかっても。王子に友達の正体を突き止めてほしいと言われても魔導士ではポポロに追いつけず、不気味な森は出歩きたくないので無理だと断る。水晶が真っ暗になるのは初めてだった。国で屈指の魔導士の男は危機管理は徹底していた。
誰も近づかない悪魔を信仰するの国の魔の森に足を踏み入れることさえ躊躇っていたのに、歩き回るのはごめんである。そして邪気の溢れる森で楽しそうに過ごすメアリーアンヌは異常に映ったが本人からは嫌な気はしなかった。邪気の漂う空気の淀んだ国にある靄のかかったさらに空気の悪いな森なのに、小屋の中の空気が澄んでいるのが不思議で堪らなかった。
メアリーアンヌが毎朝棒を振り回しているのとシリウスの持つ守り刀と魔除けの組紐のおかげとは優秀な魔道士も気付かない。
シリウスはスープを煮込んでいるメアリーアンヌに近づく。
「メア、ずっとここにいたい?」
「はい?いいえ。場所にこだわりはありません」
「帰りたい?」
「約束と役目があります。きっと寂しがっているから約束の日には帰ります」
「ごめん」
「お気になさらず。助け合って生きるものです。特に森は。はやく晴れるといいですね。では、お昼はいつもの場所に。失礼します」
火を消して、テキパキと食事の用意をしてポポロを連れて出て行くメアリーアンヌをシリウスは見送る。魔導士の手元の水晶は真っ黒だった。シリウスは水晶に映るとニコニコしているメアリーアンヌを思い浮かべた。
「僕が手を離したほうが幸せなんだろうか」
「うちの殿下に譲りますか?メア様なら喜んで迎え入れますよ」
「嫌だ」
「殿下の手から逃れられても、誰かの物になるんでしょう?それが貴族の令嬢でしょう。本当に嫌なら逃げるんじゃないですか?メア様なら」
メアリーアンヌの無事な姿にようやく眠れるようになり、味はいまいちでも栄養のある食事を取り、規則正しい生活の中でシリウスはようやく冷静さを取り戻した。そして状況を振り返った。
公爵家はずっと沈黙していた。ユリシーズのようにメアリーアンヌの無事をわかっていたから動かなかった。沈黙を貫いているのはメアリーアンヌをいずれ呼び戻すから。
シリウスが諦めても、違う婚約者が用意されるだけ。メアリーアンヌは帰国する意思はある。シリウスが諦めてもこの生活は送れない。それなら諦める理由はなかった。
水晶が明るくなりメアリーアンヌはニコニコと笑顔で空を飛んでいる姿が映る。
お忍びで見に行くと公爵領ではニコニコと笑顔で領民に手を振り、マーガレットと歩いていた。一目惚れした時と同じ顔だった。
扉の開く音にシリウスは慌ててタオルを持って近づく。そして目の前にいる少女のいない生活など考えたくないことに気付き、濡れる初恋の少女の無防備な姿に欲望に負けないように思考を放棄する。
翌日、ユリシーズが訪問した。
シリウスはユリシーズに帰国する約束をして飛び出したメアリーアンヌの背中を見送る。会話の内容が衝撃的過ぎて飲み込むまで時間が必要だった。
「ユリシーズ、メアリーは僕のこと」
「興味ないんで本人に聞いてください。殿下、きちんと帰国してください。では失礼します」
ユリシーズが飛び立ったので、シリウスは荷物をまとめ、魔導士に帰宅することを伝え一週間ほど生活した小屋をあとにする。
メアリーアンヌに聞きたいことがあっても、縁談がきているなら帰国し対処するほうが優先だった。自分のいない王国に帰ったメアリーアンヌに他の男が近づくのも避けたい。メアリーアンヌに魅了された男の害虫駆除のために一刻も早く帰国しないとならなかった。メアリーアンヌに共に帰国してほしいと頼むことを思いつかないポンコツぶりに魔導士は何も言わない。
「僕はフラれたんだろうか。慕ってたって言ってくれたんだよ」
「帰国して本人に聞いてください」
「メアリーが先に帰国。急がないと」
シリウスは素っ気ない魔導士に王宮の自室まで送ってもらい、謝礼とテオドールへの手紙を渡した。魔導士は物騒なヘタレ王子から一刻も早く離れたいため接待は断り窓から飛び立った。自国の王子も曲者だがシリウスのほうが面倒で、良識あり聡明で優しいと聞いていた王子の評価は横暴王子に変わっていた。
シリウスの帰国を聞き第一王子は部屋を訪ねた。
「おかえり」
「ただいま帰りました。兄上、メアリーは?」
「昨日は参内していたから、今日は」
「ありがとうございます」
メアリーアンヌは二週間前に帰国し参内していた。淡々とした様子で国王夫妻に深く謝罪をしたが、王家は咎めず、どちらかというと責められるのはシリウスという見解だった。醜聞持ちのため婚約者を辞退したいという申し出も聞き入れなかった。
最後まで話を聞かず部屋を出て行くシリウスの腕を第一王子は掴む。
「先に報告だ。会いたいなら呼び出せ。執務をしろ」
「僕、メアリーと一緒に平民暮らしも」
「メアリーには王族からも縁談の申し入れが」
「冗談ですよ。父上に帰国の挨拶に」
兄からの脅迫に笑顔で方針を変えたシリウスに勢いよく扉を開けてケイルアンが駆け寄り腰に抱きついた。
「兄上、お帰り!!メアリーはフラれたの?」
「は?」
「メアリーが言ってたよ。王子を巻き込む王族の婚約者としてあるまじき醜聞を作った自分には資格がないって。僕が結婚してあげようかって言ったら側室ならいいよって」
「駄目だ。メアリーは僕の」
「公爵令嬢に恋心は不要と学んだので同じ失態はしないと謝罪していたな。フラれたのはシリウスのほうだよな?」
「兄上はメアリーが好きなの?欲しいの?」
「そうだよ。フッてない。一度も。どうして」
「じゃあ簡単だね。僕達は王族だよ。この国に望めば手に入らないものはない。兄上がいらないなら僕がもらおうと思ったのに」
シリウスは弟の提案に頭を撫でて、爽やかに笑う。王族は過剰な執務や重責の代償に特権がある。未婚と純潔であれば王族に望まれたら貴族は差し出す義務を持ち、王族の血を残すため尽力するのは王侯貴族の務め。
「そうだよな。僕らは王族なんだよ。賢くなったな」
「マレードを正室にメアリーを側室がいいって言われたけど、人の物は盗ったらいけないからね」
「あの性悪。そうだよな。兄上、僕、先に婚姻します。心は後でもとりあえず今は」
第一王子はブツブツ呟きながら謁見の間に足を進めるシリウスを追いかける。ケイルアンは勉強を抜け出してきたため兄達に元気に手を振り自室に戻っていく。
シリウスが国王夫妻を訪ねると、国王は苦笑し王妃は笑顔で迎える。
シリウスが帰国の挨拶を終えると、母親から苦言が始まった。シリウスは母親に反論すれば長くなるのがわかっているため静かに聞き流しながら今後のことを考える。
王妃は大人しく聞いているフリをしている汚れているが肉付きも顔色も良くなった息子に免じて、外に待たせている人物に中に入るように命じる。
空いた扉から見えた銀髪にシリウスは満面の笑みで掛け寄る。
「メアリー!!」
「ごきげんよう、殿下」
視線が合い、礼をするメアリーアンヌをシリウスは強く抱きしめる。メアリーアンヌの横にいる公爵夫妻は視界に入っていない。
メアリーアンヌに拒絶されず視線が合う関係にシリウスは浮かれ、存在を認識されていることを喜んだ。きちんと肌を隠した上品な服装の見慣れている婚約者の無防備な肩に顔を埋める。
「ただいま。婚姻しよう。すぐに」
「お帰りなさいませ。父の命に従います。離していただけませんか」
「ようやく触れる権利が戻ってきた。いっそこのまま、僕の部屋に」
淡々とした声のメアリーアンヌが愛しくてたまらず離したくなかった。きちんとシリウスの言葉に耳を傾けてくれ、立ち去らないことがいかに尊いことか実感していた。小屋でのメアリーアンヌは気付くと視界から消えていた。
「殿下、具合が悪いのでしょうか?」
ずっと呆れた顔で眺めていた第一王子がメアリーアンヌの肩から顔を上げない弟の頭に拳を落とす。
「いい加減にしろ!!」
シリウスに抱きしめられ困惑を隠して無表情を装う娘に公爵夫人は冷めた視線を向ける。
「うちとしては構いません。1週間も共に過ごしたなら、ねぇ?覚悟は」
「お母様、困っている方を見捨てるなどできません」
「ユリシーズに言われるまで気付かなかったのは流石に」
「お母様、国王陛下の前です。お、お咎めはうちに」
「メアリー、私は孫は何人でもいいわ」
「いえ、そのような間違いはおかしておりません。私は殿方に一切触れさせておりません。ご心配なら調べていただいても、殿下、場所を考えてくださいませ。どうか」
「このままでも話はできるよ。父上、離宮の用意をするまでは僕の部屋に」
「婚儀を終えてからにしなさい」
「わかりました。神官を呼び出し、至急で。あとで書類だけ届けるのでサインをお願いします」
シリウスはメアリーアンヌを腕から離し、手を繋いで飛び出していく。メアリーアンヌは目を丸くして強い力で手を引かれていた。
「え?」
「メアリー、婚約破棄するよ。今すぐ婚姻したいけど同日はできないから一番早いのは」
「殿下、落ち着いてください。お父様や国王陛下に」
「すでに許可は取ってあるよ。幸せにできるように頑張るよ。僕が手続きするからメアリーは隣にいてくれればいいよ。いくつかお願いするけど」
「医務官の手配を。一度戻りましょう。殿下、落ち着いてください」
国王は外から聞こえる浮かれた声に息子の手綱を握ることを放棄した。公爵夫妻は淡々と窘める娘の困惑に気付いても静かに頷いた。シリウスに剣を向け、一週間も同じ部屋で過ごしたメアリーアンヌの嫁ぎ先は一つだけ。なにより王族に望まれたら断れず、受け入れるしかなかった。
シリウスによる王家史上初の最速で婚姻の準備が始まった。




