第三話 嵐が、来る
「で、姫さんは目ぇ覚ましたんか?」
「らしいですよ」
島の中心近くにある池の淵で釣り糸を垂らしながらおおよそ緊張感とは無縁の表情で、頭領たる男小飯塚功二郎はあくびをしながら傍らの奥瀬征一郎に話しかけていた。
「んだよ。らしい、っつーのは」
「俺はまだお目にかかれてないんで」
「なんだ。拾い主は相変わらず甲斐甲斐しく世話してやってんのか」
「ついでにそれにくっついてる、うちの自称医者もね」
「なるほど」
ふぅ、と功二郎が溜息をつくのと、釣り糸の先の浮きがくくっと沈むのはほぼ同時だった。
「あ」
「お」
勢いよく引き上げたその釣り糸の先には、何もいない。
「ちっ。スカかよ」
「そろそろ引き上げませんか?」
「もうちっとで連れそうな気がすんだけどなぁ」
「一雨来そうですよ」
征一郎はそう言って空を振り仰ぐ。渋々釣り道具を片付け始めた功二郎が同じように空を見ると、遠くにどんよりとした雲が広がり始めているのが見えた。
(風が重たくなってきた)
黄金の髪を風に揺らされるままにしていた澪は、空を仰ぐ。雲の動きに目を凝らし、右手の指先で輪を作ると、ひゅーいと鳴らした。
ほんのわずかに待つ。
やがて、羽音と共に一羽の鷹が姿を現した。
ごく当たり前のように澪のさらしを巻いた左腕にとまり、彼女の顔をじっと見据える。
「ごめん、薄雲。一仕事頼むよ」
腕に巻いていたそのさらしを巻き取り、鷹の足にくくりつける。ひらひらと吹き流しのようにその白い布がつい先程から出てきた風に揺られた。
「漁に出てる人たちを呼び戻して」
薄雲と呼んだ鷹の頭を撫でながら、澪は真っ直ぐに鷹の瞳を見つめ返す。
「時化になる」
その声を合図に鷹は飛び立った。
飛んで行く姿を見送りながら、澪は詰めていた息を吐き出す。
「嵐に、なるね」
それは誰に言うものでもなく、ただ独り言として風に乗せられ流れていった。
「お身体の加減は如何ですか?」
問われても少女はだんまりで何も答えない。
この島唯一の医者である高城真一朗はそれを大して気に留めた風もなく診察のための道具を片付け始めた。
「まぁ、でも粥は召し上がってるようですし、完全に回復されるのも時間の問題ですかね」
着物の前をしっかりと合わせ、少女は布団の上に正座している。びしょ濡れだった着物はいつの間にか回収されていて、別の小袿が用意されていたのでそれを着たのだ。
「……なぁ」
初めて、ぽつりと少女は真一朗に声をかけた。
「はい?」
「あんた達、何者なんだ?」
それはごく自然な疑問。
少々言葉遣いが粗いのに真一朗はほんの少しだけ眉をひそめたが、彼女に気付かれないように平然としてみせた。
「海賊、と呼ぶ者もいますが」
「あの、黄金の髪の奴も?」
「ええ。澪も、俺もです」
「そうは見えない」
「そうでしょうね。まぁ、俺や澪は直接戦闘は専門外ですから」
木製の道具箱を抱え、真一朗は立ち上がる。
「ああ。もう一つ、ここらの一族の名になぞらえたものもありましたか」
そう言って少女に微笑みかけた。
「村上水軍、とね」