第二話 拾う女 拾われる少女
海の流れ。
潮の動き。
(塩辛い……)
本当に、海の水が塩辛いというのは嘘ではなかったんだと少女は思う。口に入ってしまった塩水の辛さは今まで感じたことのないものだった。
ずっと山の中にある城の中で生活していたから、それは知識でしか知らなかったことだ。
(川とは違うんだ)
波の動きに翻弄され、水分を含んだ着物の重さに邪魔されて上手く泳ぐことも出来ない。
よくよく考えてみれば、着物を着たまま泳いだことはおろか、まともに泳いだ記憶もなかったのだ。
大事に大事に家の奥にしまわれて、そうして生きていた。家がなくなってしまっても、変わらず大事にしまわれる扱いをされたことには呆れというか諦めというか何とも言えない感情がどろどろと渦巻いていた。
(……このまま、死ぬのか?)
何も出来ずに?
父母や姉弟の仇もとれずに?
(そんなのは嫌!)
目を開く。
頭上から、降り注ぐのは陽光。
きらきらと何かが反射しながら降りてくる。
(御神仏のお迎え……?)
遠ざかる意識の中、少女は誰かに抱きとめられる感触を感じていた。
海面に浮上して、ぷはぁ、と澪は息を吐き出した。片手には先ほどの少女を抱えている。
「水たくさん飲んでないかな? だいじょぶかな?」
青冷めた顔を覗き込んで、手をかざして息があることを確認してほっとする。
「泳いだこともまともになさそうなのに無茶するね」
やれやれ、と呟いて、そのまま彼を担いで腰の紐で自分の身体へくくりつけた。
気を失った人間というのは酷く重いけれど、抵抗されないことを思えば海水の浮力の助けもあるし、気がついていて暴れる人間を担いで泳ぐことに比べたら、相当楽なものだ、と澪は思う。そういうものも引き上げたことは何度かあった。頭領が命じれば澪はその通りに動く。何も考えなくていいのは、とても楽だ。ずっとそうしていられたら、本当に楽になれるのに、とそこまで考えて澪は頭をふるりと振ってその思考をどこかへ追いやった。
そして、そのまま皆が待つ方へと泳ぎ出す。
「おはよ、お姫様」
ぼんやりとした視界の中、少女は目を覚ました。
声。
人の声がする。
自分は確か海の中で溺れて……。
そこまで考えて、急に、意識がはっきりとした。
目の前に揺れるのは、黄金色。
「ばっ化け物っ?!」
そう呼ばれた黄金の髪の女は、ひゃはは、と笑った。緩やかな波を描く髪をかき上げると、彼女の髪から散るしずくが陽の光に乱反射してきらきらと輝く。
「しっつれいしちゃーう! 命の恩人に向かってそりゃないでしょ?」
己を指差しながらまた笑う彼女は、何かがおかしい。少女は何がおかしいのかを探るように彼女を見つめる。どうやら海から引きあげてくれたのには間違いはないらしい。自分の下に何か布が敷かれていて、そこに横にしてもらっていたようだと少女は知った。
「それに化け物じゃなくて、あたしは澪って名前があんの」
「みお?」
「そうだよ。お姫様」
もう一度、人懐っこい笑みを澪は浮かべる。
違和感の正体に気付いた少女はもう、何がなんだかわからなくなっていた。金色の髪をした女は、目が笑っていない。鳶色の眼はまっすぐに少女を見ている。ひとまず危害を加えてくる様子のない女の姿にほっとしたのか、水を吸った着物のの重さに耐えられなくなったかのように少女の体はぐらりと傾いだ。慌てて女は手を差し伸べる。
「随分と細っこいお姫様だねぇ。お姫様って生き物はみんなこんなもんなんだろか?」
目を閉じて青ざめた表情の少女の顔を眺めてから、澪はさして体型の変わらない彼女を担ぐと海岸から陸へと上がっていった。重々しい空気とは裏腹に彼女はとても楽しそうに鼻歌を歌っていたのだった。