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黒い羊と白い羊  作者: 橋本愛佳
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大人の勝手と私

 平成13年、何があったか覚えているだろうか。

ユニバーサルスタジオジャパンという、日本を代表するテーマパークができ、今では当たり前になっている定期券Suicaが登場した。生きてて1度は耳にするであろうアメリカ同時多発テロ、飛行機が2つ並ぶ高層ビルに突っ込んだのもこの年なのだ。

宮崎駿も日本人、いや世界でも通用する、千と千尋の神隠しが発表されたのも平成13年。

この時、流行ったものといえば

「ヤダねったら、ヤダねっ」氷川きよしの歌う曲中に出てくる歌詞である。

私がこの時代について知れるのはWikipediaで調べてるからである。このWikipediaが発足したのもこの年なのだ。

こんなにもいろんなことがあっても、ちゃんと思い出そうとするまで何があったのか分からないような1年に私はどこにでもいそうな家族の藤田家の三女として生まれた。


 突然だが、生きるためには「人に愛される才能」そして「生きる才能」が必要だと思う。私にはそのどちらもない。何故かと考える必要も無い、私の人生が悪かったのだ。

よく生まれてくる前に、天の上から親を選んでいると言うが、あれは嘘だと考える。

もし今親を選べるとしたら絶対今の親を選ばない。決して親を嫌っている訳では無いが、いや本当は心から嫌いなのかもしれない。それかその逆だ、好きなのかもしれない。

 私の母は驚くほど欲深いと言うのか、恋愛上手と言えばいいのか定かでは無いが、バツがいくつかある。見た目は至って普通なのだ。決して40過ぎても明るい茶髪ロングで露出の多い服を好み、ミニスカートで高いヒールのブーツを履くような女ではない。

ここまでは偏見だが、平成30年に引退した安室奈美恵は別だ。40過ぎてあの美貌は人間ではない。そして、安室奈美恵はいい母をしているのであろう。自分の母を批難している訳でもない。私が言いたいのは、ヤンキー漫画に出てきそうな借金取りに追われるがぱちんこが止められないような誰から見てもダメな人間のことだ。

私の母は借金もしていなければ、露出の多い服を着ている訳でもない。なのに娘は母のことをいい母親だとは思っていないのだ。現に今も「こんな母親にはならないでおこう」と思っている。

 そして父親の方だ。

父も決して悪い人ではなかった。小さいながらも大阪の北新地の繁華街に父の母私からすると叔母との、自社ビルがあり、そのビルの中でお店もやっていた。有名な野球選手や芸能人が来るほど有名でもあった。例を上げれば元阪神の鉄人、金本知憲だったり様々だ。

お金もあり、顔も広く、愛されるような人だ。

元々姉2人と家賃3万円の公団住宅地に住んでいた貧乏な母を、立派な三階建てのマンションに引っ越させるやり手だった。私も生まれた時は団地だったらしいが、物心ついた時にはマンションだったので団地の記憶はない。

 こう見ると幸せな家族生活を過ごしそうに見えるのかもしれない。確かに小さい頃は幸せに過ごしていたのだ。私が小さい頃手踊り人形を父がはめてくれ、父の動かすその人形の動きが大好きで、私は大喜びで遊んでた。

私が幼稚園に行く際、まだ父が寝てる中「行ってきます」と言ってキスもしてた。

海外旅行もいくつか行かせてもらっていた。グアム、シンガポール、インドネシアにあるビンタン島といろんな所に行ったが記憶はあやふやだ。

グアムで買ったディズニーキャラクターのプリンセスがプリントされた私のお気に入りの櫛はボロボロになって捨ててしまったし、シンガポールかビンタン島で買った可愛いワンピースも小さくなって捨ててしまった。

物としては何ひとつ残っていない。記憶でも、一緒にシンガポールに行った男の子が大きいマーライオンの傍にあった作られた池にに囲まれた、小さなマーライオンの池に足を入れてしまった時にその小さいマーライオンの目が赤く光ったり、ビンタン島で象のショーを見た際、象の背中に乗せてもらい、一緒に乗ってた色黒のお兄さんが私の腕を持ち、バンザイ状態にされた事くらいしか覚えていない。 

私立の幼稚園に入れてもらい、欲しいものはある程度買って貰っていた。

幼稚園の出席帳を見ると私は3年間皆勤賞の優秀な子供だった。常識もある程度あり、周りとはすぐに友達になれるアクティブで明るい性格が取り柄だった。父からも「大学までちゃんと行くんだぞ」と将来を少しは期待されていたと思う。

小学校に入学する頃には習い事をいくつか掛け持ちをしていたのだ。塾、新体操、ピアノ、他は思い出せない程だ。小学3年生まで習い事が絶えない生活をしていた。

 その小学3年生から色々変わってしまったのかもしれない。幼稚園の頃は毎日、小学校に入ってからも休みの日には帰ってきてた父が帰って来なくなり、母から「パパ忙しくて帰って来れなくなってけど、奈々未とは土曜日か日曜日一緒に遊びに行ってくれるらしいから行きたいところ決めといてね」とだけ伝えられた。まだ9歳の私は、何も深く考えなかったので、すぐに納得した。

 幼稚園の頃から犬が大好きだった私は、ペットが欲しく毎日のようにお願いしていた。いつも否定していた母が突然欲しいか聞いてきた。

「本当に欲しい?お世話ちゃんとする?」

「欲しい!ちゃんとお世話するから!」と即答した。なんと母の職場の人がボランティアで捨てられてしまった犬を、次の飼い主が見つかるまで保護する、愛護団体の様なものに入っており職場で募集していたらしい。それに目をつけた母が私に聞いてきた様だ。姉達も賛成の様で、早速迎い入れた。名前は『モカ』理由は単純に毛の色がモカ色だったので、母と姉達が決めた。ずっと憧れていた犬が家族になり、私の幸福メーターは最高潮になった。

父と週一の関係が続いたまま4年生になると、引っ越すことになった。今のマンションから歩いて7分程のアパートだ。家賃は6万円程だろうか、ペット可の物件だ。モカも安心して暮らせるが目の前が国道だったので、車やトラックなどがうるさいのだ。それだけが問題だと思っていたが、私の中でもう一つ問題があった。それは引越しの時に知らないおじさんがいたのだ。引越しは、業者に頼まず自分達でしたので男の手を借りるのは分かったが母と妙に馴れ馴れしい。不信感を感じたが、嫌うのもなんだったので、私も仲良くした。

今に家に住み慣れた頃、引越しを手伝ってくれていた男「こーちゃん」もよく家に訪ねてくる様になった。私もこーちゃんへの不信感は無くなり、仲良くなっていた。家にも時々泊りにもきていた。母との関係は聞いていないが何となく友達だろうと思っていた。友達以外に考えられないからだ。私にはちゃんと父がいる、勿論結婚もしているだろうと思っていた。

 5年生になると10歳離れている姉は中学の時から付き合っている彼氏と同棲を始め、家を出た。8歳離れている姉も大学生になり、大阪で一人暮らしを始め、家を出た。母と2人のなり、2人には広すぎる家も6年生の3学期に引っ越し、私の記憶には無い団地暮らしに戻った。

 引っ越してから初めての土曜日、父から電話が来た。

「もう着くけど準備できてるか」

「できてるけどどこ車とめんの?」

「何でや、いつもんとこやろ」

「あれ、聞いてない?引っ越してんけど」

「嘘やん、どこに?」

「昔住んでたって言う団地」

「嘘、聞いてないしはよいってや」

「お母さんから聞いてると思ってた」と半ば笑いながら話していた。 




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