図書館の管理人
「クフフフフ…」
ここは死後の世界、あの世というものかと考えていた矢先。
ふいに奇妙な笑い声を聞き悠里はそちらへ視線を向けた。
薄暗い本棚と本棚の道というには狭い隙間からその男は姿を現した。
「迷子とは初めてだねぇ…」
薄暗いロウソクの火の灯りでは長い黒い髪に大きな黒の帽子を深く被る男の顔はよく見えなかったが、ニンマリと笑う口から牙の様なギザギザの真っ白なな歯だけはよく見えた。
そして近づいてくる男の動きから悠里はある事に気がついた。
この人腕が…
動く度に男の着ている神父服のような黒い服。その両肩から落ちている長袖の黒地の布が中身が入ってない様に動くのだ。
「クフフ…ええ…昔ある人に切り落とされましてねぇ…」
ここに来て初めて悠里に大きな衝撃が走った。
声は出ていない。声を発する器官すらない意識の集合体のような存在。俗に言う『魂』の彼女から声という音を発せられる訳がないのだ。
「アァ…貴女の声はちゃんと聞こえてますよ?クフフ」
聞こえるって…じゃあ貴方は天使?いやこんな場所に天使なんていないわよね…笑い方キモいし…じゃあ私は地獄行き?
地獄…
この時悠里は自分で発した言葉で初めて怖くなった。
カツンと一つ足音を立てて男は立ち止まった。
まだ少し距離があるせいか未だに男の顔はよく見えなかった。
「ケーッケッケッケッ!君面白いねぇ?ここは地獄でもないしもちろん私は…天使でもない」
ヘラヘラした表情から一変し彼は口を閉じた。
そして男は周りの無数にある本棚を見渡し
「ここは牢獄だよ」
男の声は悲しそうだった。
見つめる本への視線は苦痛の様な気がした。
暫しの沈黙が悠里の口を開かせた
本…好きなんですか?
「…………この本一つ一つに世界があり、命がある。」
男は悠里の問いかけに答えず、周りを見渡し本棚にあった一つの本に視線をやる。
「この本には竜を倒した勇者の事が」
そして次の本へ
「この本には王になった村の少年の事が」
そしてまた次へと…
彼は淡々と悠里に一つ一つ目に付いた本を紹介していった。
どれもこれもありきたりな内容の本であった。
多分人生の中でいくつも読んで聞かされた事のあるモノばかり。
聞いても悠里の気になる物は一切なかったが、一つ一つを紹介する男の寂しそうな声を聞き流す事はなぜかできなかった。
そしていくつか紹介した最後に
彼はこう言った。
「そしてここにある本は全て救われなかった世界」
そして視線を本から悠里へと向け
「そして君がこれから救う世界ですよ」
なに言ってんだこの人
私が世界を救う?バカ野郎こちとら生粋の帰宅部だ!それともなんか特殊能力あげます的な展開か!?
「クフフ。いやいやそんなものあげれませんよ?」
くれないのかよっ!無理じゃんそんなの!まぁくれてもそんな度胸ないけどねっ!
「まぁ君ができないというなら仕方ないですねぇ…君はこのまま転生できずに消えて行くしかない定めですのでそれまで私の話し相手でもなってて下さいね?」
ん?消える?何が?私が?
「えーと?貴女の世界では45日でしたっけ?現世に彷徨う魂の時間って」
あーそんな迷信あった気が…
「魂にも賞味期限があります」
人を腐った卵みたいに言うんじゃねぇよ
「まぁ45日で消えるわけじゃないですがね?個々それぞれで消える前に回収して転生させるのが通常なんだけどねぇ…」
その転生ってお兄さん…できたりします?
男はニンマリと独特な白いギザギザの歯を見せて笑う。
一気に上下関係が出来上がってしまったようだ。
「さて…君は世界から弾き出された歯車。だが世界は君が弾き出されても何も変わらない。世界の動きになんの変化も起こらない。弱く脆く不要な存在。それが君だ」
唐突にケンカ売られたよ。買うぞ?
「ケーッケッケッケッ!そんなゴミのような存在でもこの本…終わった世界の途中に投げ込めばどうなるかな?常に同じ動きしか無い普遍の世界。そのまますり潰されていつも通りの動きに戻るかも知れない…」
なんか怖い事いってるんだけどこの人
「しかしその一瞬の動きの変化でも何かが起きれば変わるかもしれない!彼らを救えるかも知れない!」
おいこいつ私を救うという気はないのか!?
もうやだ!どっちにしろ死ぬ運命なのはかわらないのかよっ!
「クフフ。大丈夫だよ。次もここに迷い込まない限りはちゃんと神さまとやらが転生させてくれるよ」
いや待って!ほんとごめんなさい!一旦気持ちの整理を
言い終わる前に悠里の意識は宙に浮いて一つの本へと向かって行く。
ヤダァァァ!!てめっ!覚えとけよ!てか名前教えろ!絶対許さんからなっ!!
「名前……エル…とかどうかな?」
その名が最後に聞いた男の声だった。
悠里の意識が入った本をエルはずっと見つめ続ける。
「私が救えなかった本を…世界を…命を…貴女に託します…ユーリ」
エルはその場から動かない。
何時間
何日
何年
行く時流れようとも彼はそこからピクリとも動かないであろう。
彼は気が遠くなるほど昔からこの時を待っていたのだから。