夜 うるわしの少女 売る鷲の少女 ⅰ
三 売る鷲の少女
ⅰ
月明りと星々が輝き始める頃合いに、私は少女と森の中を歩いている。月の光も星々も、精一杯に輝いてくれるのだが、この森の木々は光が届かぬよう遮ってくる。真っ暗な木、真っ暗な道。その先を見つめると、暗闇に飲み込まれそうになる。ぞわっと、寒気がする。仕方なしに懐中電灯を使って照らす。少女は黙々と歩く。この夜の静寂に呼応するように。
昨日もそう言えばこんなだったか。ただ、少し違うのは、今日は家ではなく滝の方に向かって歩いているということ。昨日、忘れてきた着替えを取りに行くことになったのだ。少女が怖がる夜を選択する必要性はないのだが、そこはまあ必然的にこうなっただけだ。
今日の朝は疲れもあったせいか、だいぶだるだるに起きた。身体がのそのそする一方で、外からたくさんの気配を感じた。何か大きな気配だった。人か、いや、違う。なんせ二階の窓辺からだ。窓を開けると太陽の光の眩い中で数羽の鳥が、北の小屋目がけて飛んでいく。鷲だ。すぐにそう思った。気になってすぐさま小屋に向かう。すると、たくさんの鷲が小屋の中に止まっていた。小屋の中は四方八方に止まり木が張り巡らされており、まるで動物園のアスレチックである。その止まり木にぎっしりと鷲が並んでいた。下を見下ろして、何かを待っているように。調教された軍隊を見ているような気分だ。完璧に圧倒される。大小様々な種類がいるが。よく見ると比較的小さいものから下に留まっている。そんな中、唐突に声が聞こえてきた。
「おはよう」
びくっとして、視線を平行に戻す。自分に話しかけてきたものかとも思ったが、そうではないらしい。少女の声だ。少女が軍隊に朝礼を行っている声だった。
「皆、偉いぞ。ご飯は食べた」
少女はにこにことそう話しかける。しかし、鷲は応えない。
「昨日から、小説家のお兄さんが泊まってるの。皆仲良くしてね」
今度は鷲達が鳴いて応える。キュー、キュー、ワン、ワン、非常に高い音だ。私は鷲なぞの鳴き声は聞いたことがなかったため、感動する。と、共にまた圧倒される、その大合唱に。
「はいはい。落ち着いて落ち着いて」
少女がそう言うと、鷲達は静かになる。なんと教育の届いることか。よく見れば、鳥小屋の割には、糞が落ちている気配がない。いや、そう言えばご飯食べたと聞きながら、ご飯を出した気配もない。
「そういうことだから。宜しくね。じゃあ、今日は解散」
少女がそう言うと、出口に近い方から順番に飛び立っていく。これまた素晴らしい光景だ。
「おはようございます」
私が上をじっと見ていると、少女が話しかけてくる。今度は、私に言っている。
「おはよう。すごいね」
素直に感想を言う。
「皆、友達なの」
少女はそう言って歩き出した。私もそれに付いていく。
家に帰る道中で、私は少女に鷲について色々聞いた。ご飯のことや、掃除のこと、どうやって飼っているのか等を。食事やトイレに関してはほとんど自立しているとのことだ。特別訓練しているわけではないが、言う事を聞くのだという。そして、この教育の行き届いた鷲を売っているというのだが、北の都市に定期的に買い付けてくれるお金持ちがいるそうだ。毎月十羽はそこで売れるとか。そこから電気の話になり、その金持ちが色々手配してくれているのだそうだ。家の脇に貯電タンクがあるのを確認した。
「おはようございます」
私はダイニングテーブルに座り、おばあちゃんに挨拶する。今日は先に話せた。
「どうぞ、お召し上がりください」
目の前には既に朝食が準備されており、その内容には趣を感じる。主食はパン。これは何の変哲もない。いや、自家製だと聞いてびっくりはしたが。副菜に置かれているのは蕨や筍といった山菜を生かしたサラダに、川魚を焼いたもの。パンに塗るものとして、これまた自家製のフルーツジャム。あと、特製スープなるものが出ていた。これがまた少し薬味がかった不思議な味で美味しかったのだが。中身を聞いて、吐きそうになる。ムカデやコオロギ、アリ等の虫と魚の骨、山菜の端切れ、でだしを作って、玉ねぎと人参を具にしているものらしい。なるほど、魔女の食べ物だ。まあ、美味しいのだが。
「おばあちゃん、調子悪そうだね。風邪引いた」
食事の折に、少女がそんなことを言った。昨日今日の私にはおばあちゃんの体調の異変などわからなかったが、少女にはそれが分かるようだった。
「大丈夫だよ」
おばあちゃんは弱弱しく言う。
「ううん、ダメ。風邪引いてる。後で薬買って来るね。今日はゆっくり休んでて」
そんなこんなで、朝食の後に薬を買いに行くことになった。一番近いという、少女の嫌いだと言った、あの村に。いつもは北の都市か東の街に行くことが多いのだそうだ。理由は鷲も一緒に売りに行くからということだ。つまり、人口が多い方が売れる可能性があるということだ。無論、あの村にも行くことはあるらしいが、個人的な感情もあって行くことは少ないらしい。今日は、薬を早く買って来たいという意味もあって、鷲は売りに行かない。朝食を摂り終えると二人で急ぎ足で村に行く。
流石に迷いなく進む少女に、感心しながら私はこの道を覚えきれないな、と思った。どこかで見たような道があり過ぎるのだ。昨日、一日かけて歩いていただけに、かえってその映像が混乱を招いた。帰りに覚えよう等と考える。
「そう言えば、いつからあの家にいるんだい」
とっとっとっ、と歩いていく中で、私は兼ねてよりの質問を切り出す。
「んっ。え~とね。五年くらいかな」
五年か。二人の様子からずっと住んでいるわけではなさそうだとは思っていた。
「どうしておばあちゃんの家に住むことになったの」
親類なのか、どうなのかも確かめたいため、おばちゃんという部分をまるで親類と思っているように聞く。
「おばあちゃんが好きだから」
失敗した。欲しい情報が何一つ得られない。
「わたしね、十歳の時に独りになったの」
と、思っている最中、少女が続けて核心たる情報を言う。
「十歳の時、独りに」
今度は良ければ話してくれないかと、気持ちを込める。
「交通事故でいなくなっちゃったから」
なるほど、両親は交通事故で。しかし、五年前にあの家に住み始めたということは、二年間ブランクがある。
「それで、おばあちゃんに引き取られたんだ」
さきほどの芝居を継続する一方で、二年のブランクが勘違いか、中身のあるものかを問う。
「違うよ」
心なしか少女にしては強い言葉で否定してくる。そして、そこでだんまりとしてしまった。これは、おばあちゃんの方に聞かねばならないようだ。
その後は何故か気まずくなり、ただただ歩を進めていった。だいぶ気に障ったようだ。少女はむすっとしている。一時間半ほど歩いただろうか、ようやく村に辿り着く。私は筋肉痛となっていた足を労わってあげたかった。が、少女はそそくさと薬局に向かっていく。だんだん、だんだん少女との距離が離れていった。ぎりぎり、少女が建物の中に入るのを視認し、少し安堵する。足を引きずりながら近くのバス停のベンチに腰を掛ける。このバス亭はボックス状の建物の中に机と椅子が置いてあるタイプであり、おそらく休憩所としても機能しているのが伺える。そしてそこには村人も座っていた。
「こんにちは」
村人はいかにも畑仕事やっていますという格好をした老婆だった。バスを待っているという感じはしなく、おそらく近くの畑で作業している合間に休んでいるのだろう。
「こんにちは」
私は疲れを言葉に乗せながら挨拶を返す。
「ももちゃんを追ってきたのかい」
心臓が跳びはねた。言い当てられたからではない。いや、それもあるがももちゃんという言葉だ。おそらく少女の事を指すその名称に驚きを隠せない。そういえば、名前は聞いていなかったか。しかしながらこの老婆、事情を知っていそうな口ぶりである。思わぬ収穫がありそうだ。
「はい、あの、ももをご存知で」
気持ちを落ち着かせながら、まるでこちらもある程度の事情は知っているというようにももという言葉を使ってみる。
「ええ、存じてますよ。まあ、あの子も大変よね」
老婆はそう言いながら、お茶を飲んだ。その後を続ける気配がない。さっきの素振りが裏目に出てしまった。仕方がないのでこちらから聞く。
「どう大変なんですか」
「ああ、あんた何も知らないのかい」
「はい」
今度は何も知らない体でいこう。
「あの子はね、両親を小さい頃に亡くしてるんだよ」
それは知っている。さっき聞いた話だ。それでも、情報が聞きたくて芝居をする。
「そうだったんですか」
「実はね、ももちゃんは本当の両親からは虐待されててね。」
「虐待」
新しい情報だ。
「そういうのもあって、まだ小さいから、親類に引き取られたんだが、馬が合わなかったのか。ももちゃんは家出したんだよ」
「家出」
なるほど、二年間は親類の家にいた期間だったのか。
「親類の親は、随分優しくももちゃんのことを可愛がっていたんだが。何が気に食わなかったんだろうね」
「はい、そうですね」
色々な想像はつく。虐待されていたのだから親というものに恐怖心を抱いていた可能性がある。そのため、新しい親というのはそもそも嬉しくないものなのだろう。それに、いきなり知らない人が親になると言っても、そもそも簡単に受け入れられるとは限らない。たとえ、優しかったとしてもだ。
「どうして、色々知っているのですか」
さも当たり前そうに話す老婆に問いかける。もしかしたら、ももは魔女と同じくらい村では有名なのかもしれない。
「そりゃあんた、捜索隊やらなにやらを出したからさ。大掛かりにね。でもてんで帰って来やしない」
「捜索隊」
何やら話が面白くなってきた。引き取り手の親が、少女を探すための捜索隊を出したと言う事だろう。しかし、その捜索隊が戻らない。これこそが魔女の噂の根源たる部分ではなかろうか。
「ももちゃんはね、魔女に誘惑されたのさ。そうじゃなきゃ、あの家から家出するもんじゃないよ」
「魔女に、誘惑」
「そうさ、魔女が邪魔するんだよ。ももちゃんは魔女に洗脳されてて、説得しても耳を貸さないんだ。捜索隊がたくさん森の中に行くんだけども、全然帰って来やしないんだよ」
洗脳の如何はともかく、森が迷いやすいのは身をもってわかる。しかし、行方不明というほどのものなのか。仮にも捜索隊はプロだろう。
「この村に来た時に、無理やり取り押さえればいいじゃないですか」
「あんたな~んにもわかってないね。魔女の魔法はそんな生易しいものじゃないよ」
そう言ったところで、老婆は言葉を止める。
「わたしゃ何も見てない。見てないよ。ああ恐ろしい」
そして、急に独り言のように呟き始めた。
「わたしゃ仕事に戻るよ。あんたも気をつけな。ももちゃんには構わない方がええ。自分の身が可愛いならね。このまま逃げてお行きなさい」
老婆はそう言って畑の方に去って行った。
さて、ここにきて非現実的な魔女の存在がちらほら顔を出してきた。あの様子からするにあの老婆はその未知の力を目の当たりにしたのだろう。果たしていったいそれがどういったものなのかはわからないが、魔法と言わしめるほどの力には違いないだろう。ただ、噂の半分ほどは取るに足らない事実が歪曲したものだ。今までの調査というか、体験からそんな気がする。さて、しかし行方不明。どちらにせよ、この言葉に関連した力なのだろう。
思惑に耽っていると、少女が横を通り過ぎる。それを見て慌てて付いていく。
「薬は貰えた」
ふと、そう言いながらこの村での少女の噂と魔女の噂が連想的に重なる。
「うん」
少女は私には構わずにスタスタ歩く。そしして、少女が幾分か不機嫌になっていたのを思い出す。
「いや、なんかごめんね。気を悪くさせたみたいで」
どうして気を悪くさせたのかが分からないまま謝る。
「うん」
少女は感情無しに頷くだけで、あまり謝罪が効果をなしていないのが分かる。
「おばあちゃんの体調良くなるかな。急がないとね」
そう言って、足早に少女の前に行って自ら先導する。
「道分かるの」
すると、少女が少し歩を緩めながらそう聞いてくる。
私は勢いよく振っている足を、勢いよく止める。そして、勢いよく振り返る。
「いや、全然」
そう言って、笑って見せた。すると少女も歩を止め、笑い出す。
「こっちだよ」
少女は先ほどよりも柔らかい歩で、私の前を先導し始めた。私ははにかみながらそれに付いていく。
少女に構うな、さっさと逃げろ等と言われたが。そうするつもりはなかった。少女も魔女らしきおばあちゃんも悪い人には見えないし、なにより私の追い求める魔女がきっとそこにいるのだから。
家へ戻ると早速おばあちゃんに薬を渡す。おばあちゃんは昨日と同じく、暖炉を見つめていた。風邪ならば部屋で休めばよかろうに。等とも思ったが、きっとあそこがこのおばあちゃんのポジションなのだろう。
「ありがとう。お昼ご飯は今作っているから」
往復で約三時間ちょっと。そこそこおなかも空いてきた。ついでに疲労もある。ここはゆっくり話をしたいが。
「おばあちゃん。動いちゃダメって言ったでしょ。おばあちゃんはここにいて、私が作るから」
なにぶん、ご病気のご老体を目の前にして休んでいるわけにもいかないだろう。
「私も何か手伝おう」
「ありがとう。じゃあ、家の掃除お願いしていい」
「わかった」
家の掃除か、この広い家を掃除するのは骨が折れそうだ。だが、まあ病気を差し引いても二人だけに掃除をさせるには心許ないものでもある。まあ、魔法でも使えればあっという間だろうが。
「とりあえず、鷲小屋の方お願いしていい」
少女はそう言って、キッチンに入って行った。掃除というが、どこまでするべきか。
「床だけ、簡単に掃いてください」
「ああ、はい」
おばあちゃんが自慢の先読みで私にそう言う。私は軽く挨拶して小屋へと向かう。
これは仮説だが、ここを訪れた人間は多いのではないだろうか。ずっと二人暮らし、というほど生活感が薄い感じはしない。魔女探しか、行方不明者探しか、ももを連れ戻すためかはわからないが、何人もの人間がここを訪れているはずだ。きっとこうやって掃除を手伝ったりしているはずだ。あの二人だけでやったなら半日かかってしまうだろう。所々細かいところまで見てみるが、意外と丁寧に掃除されている。そういうのも相まって、この仮説を強く推したい。それに、あの着替えだ。女二人暮らしのはずなのに、男物の着替えがあるのはあまりにも不自然ではないか。
とはいえ行方不明者が置いていったとは考え辛いか。行方不明の真の原因がどこにあるかはわからないが、服だけ置いていくというのはあり得ないだろう。噂にあった動物にでも変えられたら話は別だが。行方不明か。この二人が関与しているとなるといったい何があるというのか。人殺し。いや、まさか人殺しするような性質ではあるまい。二人なら道案内も出来よう、迷っただけというのも如何なものか。では、やはり魔法か。いやいや、そんな摩訶不思議な魔法は存在しないだろう。そもそも、人を消す理由などそうそうあるものでもあるまい。いや、まあ、ももを無理やり連れ戻す輩であれば消したくなるのも分かるが……。
バス停の老婆の震えを思い出す。
いや、まさか。
鷲小屋の中は、朝に見かけた時と同じで非常に綺麗だ。動物が住んでいるという感じがしない。糞が散らかるわけでも、動物の匂いが立ち込めるわけでもなく、餌や水すらない。飼育しているというよりは、ただの集合場所ということなのだろう。おばあちゃんの言う通り、床を掃くだけで良さそうだ。ついでがてら、少々汚れがあるようなところを雑巾で拭こうとする。しかし、壁に数か所あっただけで、それもすぐ終わってしまった。三十分もしなかった。毎日していれば掃除の手間も少なくて済むのか、等と考えながら家へ戻る。
「次は二階の部屋をお願いします」
帰って来るや否や、そう言われて今度は二階へ向かう。二階は五部屋。一番奥が少女の部屋で、手前右が私の借りている部屋。残りは知らない。が、書室はありそうだ、少女はきっと本好きだからだ。とりあえず、自分の部屋から掃除する。例になく、さほど埃っぽくない。使わない部屋は、埃っぽくなるものだが丁寧に毎日掃除されているのだろう。あまり掃除は得意ではなかったが、借りているという手前もあって私にしては綺麗に掃除するように取り組む。だがそれも、十五分程度で済んでしまった。次の部屋、向かいの部屋に入る。部屋の構造は私の部屋と大差ない。埃っぽくもない。ここも、おそらく客室だろう。やはり十五分ほどで終わる。今度は私の隣にある部屋だ。ここが書斎となっていた。棚が三列に並び、また箱型にも並んでいる。九棚ほどあるようだ。そのほとんどの空間に本がびっしりと並んでいる。洋書、和書、歴史物、伝記、ドキュメント、図鑑や地図類、近世書物、現代書物。現代書物は純文学を中心に大衆文学となんとライトノベルまで置いている。それぞれがきちんと色分けされている。ちょっとした図書館だ。そして、やはりどれも埃っぽくはなかった。ゆっくり、眺めながらほこり取りブラシを振る。
私の本はまだこちらに置いていないか。
現代書物の棚を掃除しながらそう思う。まだきっと少女の部屋にあるのだろう。どこまで読んだのか。一応、純文学として書いているので少女には合いそうだ。
「ご飯出来たよ」
ひとしきり埃を落としたところで少女が入って来て声を掛ける。まだ、床を掃除してないが後でも大丈夫だろう。
「たくさん、本があるんだね」
そう言いながら外へ出る。
「うん。本好きだから」
少女は明るくそう応える。
「おばあちゃんも読むの」
あれだけ多彩に大量に本があると、長年の
蓄積を感じる。先ほど、少女は純文学が好きそうだと勝手に当てをつけたが、もしかしたらそれはおばあちゃんかもしれない。何分純文学は齢が高い層にほど人気が高く、低いほど人気が低いのだ。少女はまだ一七である。
「昔はよく読んでたみたい。最近はあんまり読まないかな」
確かに、暖炉の前でボーっとしているイメージがある。まあ、本を読んでいる姿も違和感ないが。
「でも、よく読む物はあるよ」
「よく読む物。愛読書ってことかな。どんなやつ」
「愛する者の讃美歌って作品」
聞いたことのない作品だ。先ほどの書室にもあったかどうか。愛読書なら、自分の部屋にあるか。
と、そうこう話している間にキッチンに着く。昼食はシチューのようだ。おばあちゃんがシチューを盛っている。
「おばあちゃん。動かなくていいってば」
その様子を見て、少女が超能力を使い光速に動く。……いや、何でもない。
具材は割かしまともだ。いや、ムカデとか入っていたらどうしようかと一瞬不安だったが、とりあえずそういう類いのものは見当たらない。
「ジャガイモと人参と、ワラビと白菜、鶏肉だけですよ」
おばあちゃんが私の一抹の不安に回答する。
「隠し味は入れといたけどね」
少女が付け足す。隠し味はママの味。と、母が言っていたのを思い出した。その言葉を聞いていつもうきうきしていたが、何故か今はそんな気にはなれない。ごくりと唾を呑む。ゆっくりとスプーンで白い液を掬い、ゆっくりと口に近付け、口を開け、中に流し込む。
隠し味の味がしないように願いながら、いつも食べているシチューを懸命に想像しながら、それでも怖いもの見たさに咀嚼して。
「おお、上手い」
何が入っているか知らなかったが、美味しかった。濃厚でクリーミーな舌触りに、ジャガイモの溶けかけた細かいものが舌の上に転がり、続いて人参の甘みがほんのりとするかと思ったら、鶏肉の旨みが引き立ってくる。それに隠し味であろうものが後味に広がる。濃厚なクリームをスッと引き締め爽やかなものに変えるこれは……。
「ミント」
「あっ、よくわかったね」
すごい発想だ。シチューにミントなど誰が思いつくだろう。ベースの味の完成度も確かな事ながら、この隠し味によって新しい世界が広がっている。ママの味を思い出した。
私はすぐに一杯目を食べ終わり、二杯目のおかわりをする。美味い美味い。魔女だ。私の知っている魔女だ。そんなことを思いながら、ふと口にする。
「やはり、貴女は魔女ですね」
その瞬間。場が凍り付いた。その空気に気付き、少し後悔する。
「魔女」
少女が凍り付いた空気の中に言葉を落とす。
「貴方も、そう言うの」
少女は急に大人びた低い声で、黒い色の空気を吐き出す。
「いや、その魔女じゃ無くて。その」
取り繕おうにも、一言では説明できない。
「嫌い」
そう言って少女はあっと言う間にいなくなる。言葉を発することが出来ない。少女が階段を上がる音だけが響いた。最後には、遠くに閉まるドアの音。
以前この魔女という言葉を口にしたとき、少女は呆けていた。しかし、村のことやら、行方不明者のことやら、事の顛末を辿ると、知らない訳がない。つまり、呆けていただけなのだ。そこから察せるのは、この言葉がNG ワードであるということ。琴線に触れるであろう不快な言葉に違いないのだ。
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