1・いざ異世界へ
太田ナツメはどこにでもいる平凡な男子高校生である。
この物語の主人公に抜擢されてしまった。
という点を除けば、本当に見掛けはどこにでもいる平凡な男子高校生である。
そんな彼はある日、車道を横断中にトラックにはねられた。
否。彼はみずから進んでトラックにはねられたのだ。
何故ならば、彼には大いなる野望があったからだ。
異世界転移をして美少女によるハーレムを築き上げる。
という大いなる邪な野望があったからだ。
「異世界バンザァァァァァイ!! 異世界でハーレム王に俺はなる!!」
魂の叫びが車道にこだました次の瞬間――ドンッ!!
という、そんな衝撃音だか効果音だかが重々しく鳴った。
それから一拍をおいて騒然とする周囲の人々。車道には痛ましいブレーキ痕が残る。
そして、トラックにはねられた衝撃で身体と意識が吹き飛び。
――ナツメの世界はにわかに暗転した。
だが、暫くして直ぐに意識が戻る。
ナツメが不意に目を覚ますと、眼前には果たして、不思議な空間が広がっていた。
一言で表せば、そこは宇宙空間のような場所だった。
というか、宇宙空間そのものである。
そして、上下左右の感覚すらない、そんな場所にひとりの少女が佇む。
その少女は当然のように美少女であった。
年の頃で言えば、丁度、花も恥じらう女子高生ぐらいの年齢に見える。
髪の毛は蜂蜜のように甘そうな長い金髪。それを後頭部でひとつに束ねていた。
顔立ちは童顔で愛嬌があり、スタイルの方は顔に似合わず抜群である。
豊満な胸にくびれた腰。健康的な太股は勿論のこと。
加えて、マシュマロのように柔らかそうで、新雪のように白い肌が目に眩しい。
そして、そのスタイルを見せ付けるかのように服装は露出度が激しかった。
上はノースリーブのヘソ出しルック。
下は極端なミニスカートにニーソックスの絶対領域を完備という。
正に一歩間違えなくても痴女のような格好であった。
だが、それでもその少女は紛れもない美少女であった。
ナツメは思わず、口腔内に溜まった生唾をゴクリと嚥下した。
「私の名前はルルイエ。世界の全てを司る存在。つまりは神です」
唐突にそう語った、少女――女神の表情はどこか呆れ混じりであった。
女神は呆れ顔のまま米神を指先で押さえ、ひとつ溜め息を零すと続けてこう語った。
「太田ナツメさん。貴方は不幸にもトラックにはねられて死亡しました。
いえ。貴方は愚かにもみずから進んでトラックにはねられて死亡しました。
従って、トラックにはねられて死亡した者の通例として、
ここで貴方にはみっつの選択肢が与えられます」
「あっ。それじゃあ俺、異世界行きを希望します!」
矢継ぎ早にナツメが片手を挙げてそう宣言すると、
その次の瞬間、ほんの刹那――時に空白が生まれた。
女神は鳩が豆鉄砲を食らったように目をしきりにパチクリとさせ、
口を開いたまま呆けたような顔を浮かべている。
しかしやがて、その目にはじんわりと涙が滲んでいった。
「私はまだ何も言ってません! どうしてそう先走るんですか!?
お陰で私の貴重な台詞がひとつ、削られてしまったではないですか!!」
「すいません。どうせテンプレ的なアレだろうと思って、つい……」
ナツメは気恥ずかしそうに苦笑を浮かべて弁解を述べる。
だが、女神の機嫌は治まらなかった。
女神は怒りもあらわに眉を吊り上げると、腕を組んで豊満な胸をグッと押し上げた。
「まったく! 私の出番なんて、冒頭部分のここしかないんですよ!
だからこそ、台詞のひとつひとつがとても貴重なのに!
貴方、その辺のこと、ちゃんと分かってます!?」
女神の相手を食い殺さんばかりの凄まじい剣幕。まるで飢えた猛獣のようである。
しかし、ナツメがそれに怯むことはまったくなかった。
むしろ、やれやれと肩を竦めて頭を振る、余裕のポーズで女神にこう言い返す。
「だったら、女神様も俺と一緒に異世界へ行けば良いじゃないですか。
そうすれば、出番も台詞も増え放題ですよ。
いやむしろ、俺のヒロイン枠に納まれば、レギュラー出演なんてことも……」
ナツメの提案に女神は目を見開き、ゴクリと喉を鳴らした。
彼女の役目はトラックによって轢死した者を異世界へ導くこと。
そして、その役目を終えれば、もう二度と物語にフレームインすることはない。
故に彼女は誰よりも出番と台詞に飢えていた。基本的に目立ちたがり屋なのである。
そんな女神の耳には、ナツメの提案がまるで天啓のように聞こえた。
「なるほど……。貴方のヒロイン枠に納まるのは、いささか抵抗はありますが、
それは悪くない提案かも知れませんね。
分かりました、その話に乗って上げましょう!」
そう言って、サムズアップを決める女神の鼻息は荒い。
これまでの脇役人生から、遂におさらば出来るとあり、かなり興奮しているようだ。
それにしてもこの女神、ノリノリである。
「いやー女神様同伴で異世界行きとかワクワクしますね。
ところで女神様はもしや、所謂、駄女神様とか、
そういう感じのアレではないですよね?」
「そんなまさか。私のような全てにおいて完璧な女神は他におりませんよ。
故に異世界へ行ったら、主人公を差し置いて大活躍するのは確定です。
主人公空気、女神無双、正にそんな感じになるでしょう。
ナツメさん。私を同行者に選んでしまったこと、精々後悔すると良いですよ」
「ははっ! 女神様はフラグを立てるのがお上手だ!」
淡く青白い光がナツメと女神の身体を包み込む。
いよいよ、ふたりは異世界へと旅立つのだ。
ナツメと女神は互いに顔を合わせ、そして、同時にニコリと微笑んだ。
「ところでこういった場合、普通は女神様から、
なんらかのチート能力とかを貰える展開があると思うんですけど。
その辺の処理はどうなってるんでしょうか?」
「私から与えられる恩恵はひとつだけです。
そして、ナツメさんは既に女神である私の同行という最高の恩恵を選びました。
だから、これ以上、貴方に恩恵を付与することは不可です。
ちなみに……今更、恩恵の変更は出来ませんからね。絶対に!」
余程、これまでの脇役人生から、おさらば出来るのが嬉しかったのか、
女神は念を押すように「絶対に」の部分を強調して言うと、
腰に両手を当てて勝ち誇ったようにフフーンと笑った。
そんな子供っぽい女神の仕種にナツメは思わず苦笑を洩らす。
「ああ、やっぱりそんな感じでしたか。
薄々、そうなんじゃないかとは思ってましたけど」
「チート能力……欲しかったですか?」
「いえまったく。女神様からチート能力を貰えなくても、
俺には既に主人公補正という最強のチート能力が備わっていますから。
それに俺の目的は飽くまでも、異世界で美少女ハーレムを築き上げること。
別に無能力者でも然したる問題はないでしょう」
そう言って、ニッコリと爽やかな笑みを浮かべるナツメ。
その爽やかさとは裏腹に言っていることはかなり欲にまみれて黒かった。
「それでは、これから何卒よろしくお願いします、女神様!」
「異世界へ行ってからも女神様ではアレなので、
私のことは今後、ルルとでも呼んで下さい。
こちらこそ、これからよろしくお願いしますね、ナツメさん!」
淡く青白い光が徐々にその強さを増していく。
やがて、その光は空間全てを覆い尽くすように爆発した。
正に目が眩むほどの一瞬の閃光。
そして、その光が完全に掻き消えた後には、ふたりの姿はもうどこにもなかった。