第6章 ―ミッドウェイ作戦―
昭和十七年五月二十四日―――
本作戦に参加する陸軍船舶兵の将校の全てが司令部船「神州丸」に召集された。
なぜ「招集」ではなく「召集」なのか。
恐れ多くも今上天皇陛下がこの作戦の為に御勅語を下さったと言うのだ。
飛行甲板から周囲を見回すと、既に他の部隊の各船や舟艇の船長・艇長以下将校が次々と「神州丸」へと集まっていた。
私も当直将校を除いた船長の江藤大佐、北岡作戦参謀、高橋飛行参謀、竹島揚陸参謀、八巻飛行長ら幹部と共に伝令艇に乗り込み「神州丸」へと向かった。
私が「神州丸」に着いた時には、かつて飛行機格納甲板であった司令部大会議室は将校たちで埋め尽されていた。
ふと私の肩を叩く者がいるので、振り向くとそこには一人の海軍士官が立っていた。
「君が、田口少佐かな。」
「はぁ、そうですが………」
海軍士官はにやりと笑って。
「ワシは連合艦隊司令部の黒島じゃ。弾井君を助けてくれたお礼を言いたくてのぉ。陛下のお言葉を奏する事のついでに、君に会いに来たんじゃ。」
「そうでしたか!あの件につきましては、海軍の皆様にはご迷惑を………」
「まあまあ、そう堅くならんでも良い。あの犯人の統制派も、軍法会議で相当絞られたようだし、それに安心しきっていた弾井君にも責任はあるじゃろうに、君がそんなに謝ることでは無いじゃろうて。
弾井君も君には本当に感謝しておってな、弾井君に陛下勅使の任がなければ一緒に来ていただろうに。」
「えっ、弾井少佐は陛下の勅使をされているのですか……」
弾井少佐が勅使とはどういうことであろうか、私にはさっぱり考えがつかなかった。
「まあまあ、そんなことは気にせんでええ。弾井君は海軍に、いや帝国にとって失ってはならん者じゃ。陸軍は海軍にまた借りを作ったが、海軍は君に一つ借りを作ってしまった。
いつか機会があれば借りを返さして頂くよ。じゃあわしは陛下の御言葉を奏さなきゃならんから、これで失礼するよ。」
私の陸軍式敬礼を、海軍式敬礼と苦笑いで返すと黒島大佐は司令部のお偉方の並ぶ方へと去っていった。
しんと静まり返ったかつての飛行格納甲板で、司令官による訓示が始まった。
司令部参謀の号令で、我々が一糸乱れぬ直立不動の姿勢になると、揚陸部隊総司令官の伊藤忍少将が壇上へと登られた。
「諸君、この度の大決戦に鑑み、恐れ多くも天皇陛下より御言葉を頂いた。今から連合艦隊司令部先任参謀、黒島大佐に奏じて頂くから、諸君は謹んで拝聴する様に。」
続いて黒島大佐の紹介がなされ、先程の海軍士官が壇上へと登られた。
黒島大佐は一つ咳払いをすると、持参した書簡を広げ、大きな声で読み上げられた。
「天佑を保有し、萬世一系の大日本帝国天皇は昭に忠誠勇武なる全将兵に示す。
帝国の安定を確保し、以て今北太平洋の戰に望みて、朕が陸海将兵は全力を奮いて交戦に従事し、朕が百僚有司は励精職務を奉公し、総力を挙げて征戦の目的を達成するに遺算なからむことを期せよ・・・・・・」
私を含めた将校は皆、溢れんばかりの感激で、身体震わし、また目に涙を浮かべていた。
黒島大佐は御言葉を奏し終わると、再び書簡丁寧に折りたたみ、神妙な面持ちで伊藤司令官へと手渡された。
私はふと船窓から外を見た。
視界一面に広がる陸海軍の艦船は、今こそ出航の時を迎えようとしていた――――――
―――昭和十七年六月六日
午前八時
広島の空高く海軍軍楽隊の演奏する「軍艦行進曲が」鳴り響いた。
第一艦隊旗艦「大和」のマストに一旈の信号がスルスルと揚がった。
「旗信!全艦、予定順序に出航せよ!」
柱島錨地に錨泊する戦艦「大和」を中心とした第一艦隊、空母「赤城」を中心とした第一機動艦隊の艦艇が一斉に錨を揚げた。
「出航!」
軍楽隊の演奏に合わせて、橋本少将率いる第一艦隊第三水雷戦隊旗艦「川内」がゆっくりと動き始めた。
「川内」後方には第十一駆逐隊の「吹雪」「白雪」が続き、クダコ水道への先頭を切った。
第三水雷戦隊の第十一・第十九・第二十駆逐隊十二隻には五藤少将の第六戦隊「青葉」「衣笠」「加古」「古鷹」が続き、第九戦隊「北上」「大井」が続く。
そうして遂に私と同郷佐賀軍人である大川内中将の第一戦隊「大和」「長門」「陸奥」の三艦が巨体を揺らしつつ動き始めた。
演奏は既に「軍艦行進曲」から「連合艦隊行進曲」に移っていた。
「大和」を中心とした第一艦隊が縦列に柱島を離れると、第一機動艦隊の第十一水雷戦隊「秋月」型八隻、「追風」を旗艦とする第六水雷戦隊の第二十九及び第三十駆逐隊八隻が出航。
続いて栗田中将の第七戦隊「最上」「三熊」「鈴谷」「熊野」、阿部少将の第八戦隊「利根」「筑摩」、近藤中将の第三戦隊「金剛」「榛名」「比叡」「霧島」が堂々の進軍を始めた。
軍楽隊が「敷島艦行進曲」を演奏し始める頃、
第一航空戦隊の「赤城」「加賀」のボイラーが唸りを上げた。
小沢中将の指揮する第一航空戦隊「赤城」「加賀」、第二航空戦隊「蒼龍」「飛龍」、第五航空戦隊「翔鶴」「瑞鶴」が単縦陣で進んでゆく。
私は陸軍軍人である。
しかしまた、船乗りでもある私には、これら鋼鉄艦の雄壮な堂々たる行進に、感激以外のものを覚えることは不可能であった。
軽巡「川内」を先頭に、十四ノットで進む戦艦・空母・巡洋艦……
私は飛行甲板から振り切れんばかりに帽子を振りながら。
「この作戦、我に天佑あり!」
そう確信した。
―――昭和十七年六月七日
「出航!微速前進!」
角田中将座乗、第二機動艦隊旗艦「龍驤」の墻楼に出航旗が揚がる。
「全艦出航用意!錨揚げ!」
続いて三川中将率いる第二艦隊旗艦「高雄」のマストにも信号旗がなびいた。
「熊野丸」の揚錨機が轟音を立てて回り始める。
ゴトンゴトンと錨鎖が巻き揚げられ、海中から次第に錨が見えて来た。
「旗信!全船出航せよ!」
司令部船「神州丸」のマストに旗りゅう;が揚がる。
第二機動艦隊が出航を開始した。
大森少将の第一水雷戦隊旗艦「阿武隈」に続き第二十一駆逐隊「若葉」以下、第二十四・二十七・二十九駆逐隊十六隻が進む。
続いて戦闘機のみを搭載した異色の空母部隊である角田少将率いる第三航空戦隊「祥鳳」「瑞鳳」、第四航空戦隊「龍驤」「隼鷹」が出航。
続くは遂に待ちに待った我々殿軍は第二艦隊の出航である。
田中少将率いる第二水雷戦隊の旗艦「神通」、第十五・十六・十八駆逐隊の「早潮」「雪風」ら十二隻、西村少将第四水雷戦隊「由良」率いる第二・第九駆逐隊八隻が出航。
その巨大な艦橋建築物がなんとも頼もしく、また雄壮で、しかしながら美しく洗練されている第四戦隊の「高雄」「愛宕」「摩耶」「鳥海」、高木中将揮下率第五戦隊「妙高」「那智」「足柄」「羽黒」が出航。
我々、陸軍船舶部隊の出航も間近、船橋は張りつめた空気に支配されていた。
第二艦隊の主力が出航すると、宮本大佐率いる第十六掃海隊「第二玉丸」他三隻、哨戒艇・監視艇・魚雷艇などに護衛された藤田少将揮下第十一航空戦隊の水上機母艦「千歳」「千代田」「神川丸」「君川丸」が出航した。
司令船「神州丸」が轟音の如く汽笛を大鳴せしめた
「両弦半速前進!神州丸に続け!」
船長が叫ぶ
「リョーゲン、ゼンシンハンソーク」
海津操舵員が復唱する。
伝声管からも森田機関兵長の復唱が聞こえた。
汽笛が鳴る
機関が唸りを上げる
ゆっくりと「熊野丸」は動き出した。
我が船に続いて「ときつ丸」や「あきつ丸」も出航し、ここに陸軍船舶部隊は勇壮な海の行進を開始したのである。
攻略部隊の神州丸以下、山汐丸・千種丸・あきつ丸・にぎつ丸・熊野丸・ときつ丸・摩耶山丸・吉備津丸・日向丸・摂津丸・日進丸・千代田丸・佐賀丸・東海丸の後方には、給油船の鳴戸・佐多・鶴見・東栄丸・東亜丸・東邦丸・極東丸・神国丸・日本丸・国洋丸・玄洋丸・健洋丸・日栄丸、給兵船の日朗丸・第二共栄丸・豊光丸が続いた。
最後に工作艦「明石」と病院船「ぶゑのすあいれす丸」が出航を終えると、柱島の泊地はもぬけの空となった。
嗚呼、堂々の輸送船団は、クダコ水道を抜けると速度を増し、海軍に護衛されつつ、一路中部太平洋へ向かった。