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第4章 ―弾井海軍少佐―


―――昭和十七年六月一日


 いつになく呉の街が活気づく様に思えたこの日、「熊野丸」は宇品港ではなく柱島泊地に錨を下ろして物資の搭載作業に追われていた。


 熊野丸の周囲には姉妹船「ときつ丸」の他に、第一中隊の「あきつ丸」「にぎつ丸」、第三中隊の「山汐丸」「千種丸」、そしてしばらく仏印方面に従事していた陸軍空母の元祖「神州丸」も浮かび、ここに事実上全ての陸軍空母が集結していた。


 また、揚陸師団の甲型特殊船「摩耶山丸」「吉備津丸」、M甲型特殊船「摂津丸」、乙型特殊船「高津丸」などをはじめとした陸軍船舶が停泊し、戦争初頭の南方作戦以降初めてと言える集結であった。


この二週間ほど前――――


 訓練を終え、任務についた我々は、「ときつ丸」と共にしばらくの間マリアナ・ニューギニア方面の輸送に奔走し、その輸送能力を活かしてトラック基地やラバウル基地に航空機や銃砲を届ける日々が続いていた。


そんな中、


「どうやらミッドウェイというアメさんの基地を陸海軍共同で攻撃するらしい。」


という噂が陸軍船舶隊内でささやかれていた。


 まぁ我々は関係ないであろうと考えていた矢先、宇品の船舶司令部から全海上航空師団に対し集結命令が発令され、我々は急遽ニューギニアのウエワク基地を引き上げ、内地へと向かった。


―――昭和十七年五月十八日


 熊野丸は宇品陸軍桟橋で病傷兵や民間人を下船させた後、総司令部からの命令で呉軍港柱島泊地に錨を降ろした。


 私は海軍の軍艦を横目に総司令部所属の伝令艇(内火艇)で宇品の船舶総司令部へ向かった。


 私が司令部に到着すると、揚陸師団や海上飛行師団の幹部をはじめ、国防府や海軍の連合艦隊からもお偉いさん方が来ていたため、第一会議室はいつに無く物々しい空気が流れていた。


 私はこの面々を見た時、すぐに

(これは、例のミッドウェイに関するものではないか?)

 と感じたものであった。


 すると、船舶総司令官鈴木宗作中将が入室され、続いて初見の海軍少佐が入って来た。


 船舶司令部がまだ船舶輸送司令部という名前であった頃は、長く佐伯文郎中将が司令官を務めていらしたが、今回の陸軍再編で佐伯中将は国防府陸軍部第十課長に任命せられ、船舶総司令部の司令官には鈴木宗作中将が就任なされたのであった。


 ざわついていた室内がしんと静まり返ると、中将は皆を見回し、ゆっくりと口を開いた。


「今回、貴官達に集まってもらったのは他でも無い、次の作戦についての説明を行うためである。この作戦は、帝国の命運をかけて陸海軍が共同で行う重要な物である。詳しくは、海軍の弾井少佐から説明してもらう。諸君は心して聞いてもらいたい。では弾井少佐、説明を。」


 すると、若い海軍少佐は中将と我々に一礼してから口を開いた。


「私は帝国科学技術研究所の弾井と申します。我が帝国陸海軍は連合軍と雌雄を決すべく、近日中に北太平洋に於いて一大攻勢作戦を行う事を決定し、陸軍部隊として貴方がたの参加が下令されました。

 詳細はこれからお配り致します資料に記してありますが目標はサンド島、イースタン島から構成される米領ミッドウェー島であり、敵守備兵力は航空機百三十機、陸兵三千名程と思われます。

 これら敵戦力は我々海軍が事前に徹底的に叩き、無力化致しますので陸軍は残敵を掃討しつつ上陸作戦を行って頂きます。

 各隊の割り当て等は、お手元の資料をご覧ください。また質問は各隊ごとにまとめて、後ほど提出願います。以上です。」


 やはり、予想していた様に我々はミッドウェイ攻略のために、ここに招集を受けたのである。

 会議室は一瞬ざわついたが、意気込む者、目をつむる者と、それぞれが意を決した様であった。

 続いて鈴木司令が訓辞を述べられ、会議室を後にされると、会議室には再び元のざわめきが戻っていた。

 いつの間に退出したのか、例の海軍少佐はすでに我々の前から姿を消していた。


 同期の司令部員から、広島市内で美味い料亭が有る、と食事に誘われたが、私は熊野丸が錨泊してすぐにこちらに来たため、船に多くの仕事を残していることから、彼等の誘いを断って、一人ぶらぶらと桟橋へ向かうことにした。


 そして私が司令部庁舎の入口に差し掛かった時………



パァーン!



 一発の銃声があたりに鳴り響いた。


 目の前をあの海軍将校がのけぞりながらゆっくりと倒れていった。


 一瞬、時が止まった様な空気を感じた。


 そして弾井少佐を襲った襲撃者はとどめを刺すため、ゆっくりと拳銃を彼の頭部に向けた………


(これはいかん!)


「貴様ーッ!何をやっとるかーッ!」


 私は叫びながら従兵、衛兵と共に襲撃者を取り押さえにかかり、私は軍刀の柄で彼の後ろ首を一撃、彼は気を失ってバタリと倒れた。


 私は衛兵に応援を呼ぶ様に指示し、私は弾井少佐の容態を確認した。


 何故だかわからないが、彼は胸に銃弾を受けたのにも関わらず、出血もせず、気を失っているだけであった。



 庁舎から軍医官や兵が駆けてきて、弾井少佐は担架で医務室へ、少佐を襲った兵隊は憲兵本部に連行されて行った。


――医務室――


 なんて強運な男なのだろう。



 彼はかすり傷一つと負っていなかった。


 彼の胸には高級なシガーケースがあり、銃弾はそのど真ん中に突き刺さっていたのだ。


 気を失っている彼の枕元にあるへこんだシガーケースを眺めながら私は考えていた。


「うっ……」


 弾井少佐が気付いた様だ。


「ここは……?」


 彼は自分に何があったのかわからない様であった。



「気分はどうですか」


「貴方は………」


「私は船舶飛行師団『熊野丸』司令部副長の田口です。私が司令部から出た時に、目の前で貴方が撃たれたのですよ。」


「そうでしたか……ウッ……」


「余り無理をなさいますな。横になっていて構いませんよ。発砲した者は貴方にとどめを刺そうとしたところを私が取り押さえました。現在広島の憲兵本部で取り調べ中ですが、どうやら統制派の連中が臭いますな。」


「それは……ありがとうございました。」


「いやいや、こちらこそ帝国陸軍が同じ陛下の皇軍である海軍さんを襲うとは、まことに申し訳ない。」

 

 私が頭を下げると、弾井少佐は一瞬私から目をそらし、何か考え、再び私の方を向いた。


「私は……以前も襲われたことがあります。その時はこんな形ではありませんでしたが、あの時も陸軍でした。」


 私は弾井少佐に対して何も言えず、ただこうべを垂れているしか無かった。


 しばらくの沈黙が流れ、耐えきれなくなった私は弾井少佐に尋ねた。


「なぜ……狙われていらっしゃるのですか?よろしかったら教えてください。弾井少佐。」


 彼は、自分は帝国の将来を案じていること、人命軽視や精神主義の問題性、そしてこの戦争の行く末を私に語った。


 確かに、我が帝国陸軍は昔から過激な考えが多かった。


 相沢中佐事件や二・二六など、数えたらきりがない。


 またそれらの事件が、日本を大東亜戦に導いた原因の一旦であるとも、私は密かに思っていた。


 そして何より、我が帝国陸軍は何にしても極端で、非合理的である。


 私は幼年学校に入学してから、士官学校を出るまで、軍人精神を叩き込まれて育ったが、士官学校で学ぶうちに陸軍の戦法や精神に些かの疑問を持っていた。


  敵は幾万ありとても

  全て烏合の勢なるぞ


 と言われ続け、勿体無いから銃弾を使うな、突撃すれば敵は怯む、作戦なんぞ弱者のやるものだと教えられた。


 支那事変、否、日清戦争ならばそうであったかもしれない。


 しかし、今我々が戦っているのは巨大な英米である。


 工兵部隊から船舶隊に来て、船員や海軍の合理主義や先進性にじかに触れ、その疑問は日に日に確実な物になっていた。

 そして今年に入り、陛下直々の政変や人員整理、そして陸海軍部署の統廃合が行われて、帝国は変わった。いや私がそう感じただけなのかもしれない。


 しかしこの弾井という男を見て、私はこの男は帝国を変える人間なのではないかと、理由も無く感じたのである。

 この男の持つ不思議な雰囲気を感じているうちに、いつの間にか私は自分の疑問を彼に語っていたのであった。

 私が先の疑問や本音を語るうち、弾井少佐の表情は明らかに変わって行った。


 彼は、堰を切った様に語り始めると、たまっていたものを吐き出すが如く陸軍への文句や体質の問題を述べた。


 私はただ黙ってじっと彼の言葉を噛み締めていた。


 彼は一通り話し尽すと、はっと我に返った様に


「あっ………申し訳ありません……。陸軍の田口少佐を前にしてあんななことばかり……。」


 私は首を横に振り


「いやいや、構わないのです。弾井少佐のおっしゃる事は全てもっともな事でしょう。それに、海軍さんには貴方の様な素晴らしい考えの持ち主がいて羨ましい限りです。」


 はその軍人らしからぬ端正な顔を赤らめて


「そんな……めっそうもありません……。田口少佐、今は何時でしょうか。」


 私が左腕の時計を見つつ「午後五時丁度です」と伝え、身体の具合は如何かと尋ねると、弾井少佐は寝台から身を起こして


「ずいぶんお邪魔してしまいました……。お陰様で身体の方はもうすっかり良くなりました。皆が心配しているだろうし、そろそろ司令部に戻らないと………」


 私も椅子から腰を上げ


「実は私も、今から柱島の船に戻らねばならんので、こちらの車で呉までお送りしましょう。」


 何故だかわからない、しかし私は彼とまだしばらく語り合いたかったのだ。

 

 彼は少し躊躇してはいたが、思い直した様に


「これ以上田口少佐にご迷惑をかけるのは本当に申し訳ない気持ちでいっぱいですが、お言葉に甘えさせて頂きます……。」


 私は従兵に車を用意する様に伝え、数分後我々は船舶総司令部の用意したカーキ色の豊田AA型乗用車上の人となっていた。


 車内においても話しは尽きず、私と弾井少佐はいつの間にか意気投合しているのであった。


 車が呉軍港の桟橋に到着し、我々は車を降りた。


 弾井少佐は私に右手を差し出した。


「私は今まで陸軍を誤解していました。理不尽で横暴な方ばかりと思っていた先入観は今日で変わりました。

 田口少佐の様な理性的で責任感があり、そして何より人命を大切にする将校もいるのだと知り、帝国陸軍にも希望があると、私はそう感じました。

 私は連合艦隊司令部で、田口少佐は熊野丸、別々の場所ではありますが目指す所は同じ。共に帝国の未来のために任務を尽しましょう。」


 私は彼の手を握り返し


「こちらこそ、貴方の様な素晴らしい軍人に出会えてよかった。私の考えは間違っていなかったのだと、確信することができました。

 私は陸軍でまだ肩身の狭い日々が続きますが、弾井少佐は海軍にいらっしゃる。ぜひ陸上からその信念で我々を勝利に導いて頂きたい。

 弾井少佐のご武運を祈り申し上げさせて頂きます。」


 彼は胸に自信と信念を秘めて


「いえいえ、私も田口少佐の武運長久を祈っております。では。」



 そうして我々はそれぞれの目的地へと足を進めた――――――



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