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第2章 ―出撃!陸軍空母―

昭和十七年三月―――

 内地に帰港した私は宇品の司令部に出頭を命じられた。

 何事かと思いつつも呉の港から宇品に向かうと転勤の辞令が下っていた。


      辞令


田口嘉雄 陸軍少佐を海上航空師団勤務とし、特殊船「熊野丸」乗組を命ず。


   帝国陸軍船舶総司令部



 「特殊船」とは我が陸軍が世界に先駆けて建造した上陸用舟艇母艦であり、アメリカなんかでは<強襲揚陸艦>と呼ばれていると聞いたことがある。

 「特殊船」は通常、揚陸師団に所属しているのだが、なぜ私が海上航空師団に配属されているのか、その時の私にはまだ分からなかった。


昭和十七年四月上旬―――


 私は故郷、佐賀で一ヶ月弱の休暇を過した後、宇品の第二陸軍桟橋へ向かった。


もうすっかり暖かくなった広島駅を降り立ち、駅から通りがかりの将校車に乗せてもらい、桟橋に着いたのはいいのだが………


「おかしいな、ここは陸軍桟橋の筈だが……」


 見渡す限り、私の目には数隻の航空母艦が見えるだけである。

 すると、困惑する私を呼びとめる者があった。


「田口少佐殿でありますかっ!」


「そうだが」


「わたくしは『熊野丸』操舵員、海津上等兵であります!司令官のご命令で田口少佐をお迎えに参りました!」

 

 彼は海津渓治郎、元々機甲師団の戦車操縦手であり、開戦壁頭の南方作戦での腕を買われて晴れて「熊野丸」の操舵手となったのであった。


「ちょっと聞いてもいいかね?」


 私はたまらず彼に尋ねた


「はっ、なんでありますかっ!」


「我々の船はどこだい?」


「はっ、目の前にあります船が『熊野丸』でありますっ!」


「目の前って…… これは海軍の航空母艦じゃないか」


 すると海津操舵手は胸を張りながら


「いえっ!この空母型特殊船が少佐のお乗りになる『熊野丸』であります!」


 私は一時、彼の言っている意味がわからなかった。


「この艦が我が帝国陸軍の船なのか?」


 すると彼は先程よりも自慢げに


「そうであります!あちらに見えますのが二番船『ときつ丸』であります!!」


 そう、私が赴任した特殊船というのは、輸送船型のものではなく空母の形をした船なのであった。


「田口少佐は『あきつ丸』をご存知ありませんか?」


「あぁ…… 名前だけなら聞いたことがある。」


 彼は「熊野丸」の向かいに接岸している空母を指差した。


「あちらに停泊しているのが『あきつ丸』その横にあるのがその姉妹船『にぎつ丸』であります。この両船の任務は我が『熊野丸』と同様であります。」


 私は奥にも泊まっている空母型船を見つけ彼に聞いた。


「あそこに見えるのも、特殊船かい?」


「いえ、あれは護衛空母『山汐丸』と『千種丸』であります。『熊野丸』とは違い、海軍の護衛空母を借りて運用しているものであります。」


 私は彼の博識ぶりに少々驚きを隠せなかった


「君はずいぶん詳しいのだね」


「はっ!帝国海軍に負けない空母乗組員になれるよう、一生懸命勉強をしたのであります!」


 私は少し頬をくずして


「そうか、それは良い心がけだ。しかし、我々が帝国陸軍軍人たることは忘れてはいかんぞ。では船に案内してくれ。」


「はっ!」


 こうして、私は「熊野丸」上の人間となったのであった。


 我が「熊野丸」について少々説明しよう。

 「熊野丸」は帝国海軍が戦時標準型輸送船を元に新たに開発した「摩周」型空母を、大本営陸軍部第十課(船舶課)・船舶輸送司令部計画課・陸軍省運輸部・海軍艦政本部・帝国科学研究所が協同で試験的に特殊船として設計・建造したものであり、機関や航空艤装、兵装は海軍の物を踏襲しているが、その運用・管理は全て陸軍が行っている。

 従来の「あきつ丸」などの特殊船は全て、運用自体は民間が行っていたのであるが、今回の再編から陸軍船舶を陸軍軍人が運用することも増えて来たのであった。

 ちなみに私が陸軍桟橋で見た「山汐丸」は海軍が空母を陸軍に貸与しているという状態に近い。

 「熊野丸」は陸軍船舶総司令部海上飛行師団飛行母船大隊第二中隊に属している。

 第一中隊は「山汐丸」型二隻、第三中隊は「あきつ丸」型二隻が所属している。

 これらの部隊は基本的には船団護衛の任に付いているが、揚陸師団が作戦を行う時は第二・第三中隊が参加することになっている。

 「熊野丸」は最大で小型機約20機を搭載可能であり、蒸気式射出基(カタパルト)一基による短時間での発艦が可能となっていた。


 また対空兵装として海軍の

・二式長十cm連装高角砲二基

・二式二十八連装対空噴進弾発射機二基

・二十五mm三連装機銃八基

 対潜兵装として陸軍の

・二式改中迫撃砲四基

・二式爆雷投下軌道二基

を装備していた。


 全長は百六十五m、排水量は一万三千t(物資・舟艇満載時一万五千t)、機関は艦政本部式過給器付ジーゼル機関四基二軸の二万四千馬力、最大速力は満載時で時速三十八kmであり、揚陸機能の追加や陸軍仕様への改造により原型の「摩周型」空母より各部の性能が劣っていた。

 また、陸軍船舶として初めて本格的な電波警戒機を備えており、敵の早期発見を可能としていたが、これは陸軍第五技術研究所(通信・電波兵器)が開発したものではなく、海軍の二式電波探信儀・二式射撃管制盤を陸軍仕様に改良した海式二号電波警戒機となっている。

 

 次にもっとも重要な上陸用舟艇母船としての装備を説明しよう。

 この設備自体に関しては他の特殊船とほとんど変わらないが、この「熊野丸」はその全ての機能が改良されていると言って良いだろう。

 熊野丸の全通式舟艇格納庫には大発動艇34隻を搭載することができた。

 これは「神州丸」の大発16隻、「あきつ丸」の大発27隻と比べても、非常なる進歩と言えるだろう。

 これら発動艇は、後部に開けられた扉から鉄製の軌道を伝って次々と発進され、そのまま素早い敵前上陸を行うことができたのである。

 船腹の梯子を上り、「熊野丸」に乗船してまず思ったことは、その快適さであった。

 新造船ということもあったろうが、それまで輸送船に乗っていた私に取って、空母の士官室(軍ではガンルームと呼ぶらしい)や将校私室はなんとも優雅な物に見えた。

 本来軍艦に快適など求めてはいけないことくらい、私にも分かっていたつもりだが、それほど「熊野丸」は居心地が良かったのである。

 熊野丸に乗船するとまず、私は副官室に通された。

 執務室と寝室を兼ね備えた副官室には、洗面台や浴槽、洋式便器が備え付けてあり、これまた輸送船の士官室との差異に唖然としたものであったが、

(これからしばらく、この部屋が私の寝ぐらとなるのか。)

 と考えると、何故だか胸に染み入るものがあった。


 私物を部屋に置いた私は早速、海津操舵手の案内で船橋に向かった。

 やはり輸送船とは比べ物にならない多種多様な機器が並ぶ船橋は、「さすが海軍さんの船だ」とただただ感嘆するしか無かった。

 「熊野丸」の船長であり第二中隊司令官である江藤勇陸軍大佐は未だおいでになられていなかったが、間も無くいらっしゃるというので私はそのまま船橋でお待ちすることにした。

 船長が来られるまでの間、私は船橋で乗組員や「熊野丸」のことを見てみることにした。


 船橋にいる乗組員は、海津操舵手の他に、副操舵手 青木一等兵、作戦参謀 北岡少佐、飛行参謀 高橋少佐、航海参謀 真嶋少佐、揚陸参謀 竹島少佐、砲兵長 今村大尉、普段は艦底にいる機関兵長 森田大尉、伝令兵の菊池上等兵という面々であった。

 彼等は皆、他の師団や教導隊の訓練兵から選び抜かれた精鋭達であり、私はこれから始まる戦いが楽しみでもあった。

 私は司令副官として司令官を補佐し、戦闘時以外で船団の指揮を執るのが任務であった。


 しばらくすると、甲板員が船内電話で船長が到着されたことを知らせてきた。


「江藤船長殿!只今桟橋にご到着!」


 我々参謀一同は、甲板で船長を迎えるため、船橋を出て梯子へと向かった。


 我々が陸軍式の敬礼をしつつ、船長の乗船を待っていると、我々の前に江藤大佐が現れた。

 船長は我々の敬礼に答礼し、我々も腕を下ろした。

 私は参謀を代表して船長に挨拶を行った。


「江藤大佐殿!副官参謀一同、お待ちしておりました!!只今より大佐殿を船橋にご案内致します!!」


 船長は我々以下、全乗組員を飛行甲板に集合させ、訓示を行われた。


「諸君!我々は陸軍でありながら、今空母に乗船している。しかしながら、この『熊野丸』は只の空母ではない。帝国陸海軍が技術を結集させて建造した舟艇母船である!揚陸部隊の生命は我々が握っておるのだから、それを全乗組員が常に意識し、彼等の海の、空の防人となり母親となり、作戦を成功に導かねばならないのである。我々が作戦の要であることを充分に承知し、各々の任務に当たってもらいたい。以上!」


 船長の訓示が終ると、私が号令をかけた。


「船長に向かってー、敬礼っ!」


 乗組員達の一糸乱れぬ敬礼を見届けると、船長は壇上から降りられた。


 次は私からの訓示である。


「私が司令副官の田口だ。本船は明日(みょうにち)、初の訓練に出航する。瀬戸内海において航行訓練、射撃訓練を行い、松山に待機している飛行隊を収容する。これから諸君にとって『熊野丸』は家である。よって船長は家長であり、乗組員は家族である。自由時間には共に武技遊技を行っても構わぬ。許可のある時は身体を休めてもよろしい。しかし、一たび訓練や実戦となれば、身を粉にして、それぞれの任務に当たって欲しい、以上。」


「田口少佐にぃー、敬礼っ!」


 真嶋航海長や今村砲兵長、高橋飛行参謀による訓示や命令と続き、やがて解散となった。


 翌日、ついに航海訓練が始まった。


「出航用意、錨上げ!」


 航海長の号令のもと、乾いた音を響かせ錨が巻き取られてゆく。

 船首には陸軍船舶司令部港湾部隊所属の曳船(タグボート)が待機し、我が船の合図を待っている。

 陸軍は相当前から曳船を保有しており、それぞれ救難艇や放水艇、砲艇などの設備能を備えた数多くの陸軍曳船が各地の港湾で活躍していた。


「曳船に連絡。牽引始め。」


 曳船が動き出し、ロープがぴんと張りつめる。


「右舷前進微速、左舷前進半速。面舵」


「ウゲンゼンシンビソーク、サゲンゼンシンハンソーク。オモーカージ。」


機関がうなりを上げ、船体が離岸してゆく。


「両舷微速前進。舵戻せ。」


「リョーゲンビソクゼンシーン、カジチューオー。」


 「熊野丸」後ろには「ときつ丸」が続き、縦列になって広島湾口に向かって航行していた。

 天気晴朗、波静か。訓練にはもってこいの天候であった。


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