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雪が、舞っていた。

 まるで、花のように。

 従者達にお茶を配っていたフィリシアは、その冷たさに、目を細めた。

 先程よりも、風の勢いが強くなっているような気がする。

「……まずいな」

 お茶を入れていたオリガも、強くなってくる風に目を細めた。

「オリガ様」

「イスファン!」

 オリガは、持っていた銀製のポットをフィリシアに手渡すと、背の高い、浅黒い肌をした男に声をかけた。

「オリガ様」

 声をかけられた男は、カップを雪の上に置き、立ち上がった。

「行き先を変更するぞ。この近くを治めているのは、マズルカ伯爵だったな。そちらの所領に向かう」

「オリガ様っ」

 その言葉に、イスファンと呼ばれた男は、顔色を変えた。

 同様に、御者や護衛の兵達も、はっとなってオリガを見る。

「あの子のいるリースは、この北都でも、一番北の地域じゃ。ここからでは、後一昼夜かかる。だがそれは、今の天候ではできぬ」

「オリガ様、でも! 」

 フィラルシーは、今日明日も知れない身なのだ。

 このまま、会えないで逝かせることになるかもしれないのだ。

「人が死ぬ」

 だが、言葉を続けようとするフィリシアを遮るように、オリガは言った。

「それは、避けなければならぬ」

「オリガ様……」

「急ぐぞ、イスファン。馬車は置いていく。馬だけ連れて行くぞ」

「よろしいのですか? オリガ様」

 問うように、イスファンが言う。

「……死者を出してまでリースに行って、あの子が喜ぶと思うか?」

 その問いに、オリガは静かに答えた。

「……」

 オリガの言葉に、そこにいる全員が黙り込む。

 それは、フィリシアも同じだった。

 フィラルシーの人柄を知る者は皆、オリガの言葉が真実であることが、わかるのだ。

「わかりました、オリガ様」

 イスファンはこくりと頷くと、周りの者達に指示を出していく。

 慌しくなる空気の中、オリガは雪の上に置かれたカップを集め始めた。

 決して、冷たい人ではない。

 むしろ、全てのものに愛情を注ぐ女性(ひと)だ。

 それは、フィリシアもよく知っていた。

 実の子ではない自分にですら、真っ直ぐな愛情を向けてくれたのだ。

 それどころか、実の親以上に、自分が苦しい時に、助けてくれた。

 そう―自分が一番苦しかった時も。支えてくれたのは母ではなく、オリガだった。


 十歳で、フィリシアはフィラルシーと共に皇宮に上がった。

 それはもちろん、自分達が望んだことではなかった。

 周りの大人達の思惑と―そうせざる得ない事実があったからだ。

 それでも、二人にとって皇宮に上がったことは、悪いことではなかった。

 確かに皇宮の大人達は、南都公主家に「恵み」が集中することを嫌ったが、自分達が手に入れたら、満足したらしい。

 決して、悪い扱いはうけなかった。

 フィリシアとフィラルシーの世話をしてくれたのは、昔、オリガに使えていた侍女達だった。

 二人の部屋は隣同士に与えられ、南都公主家の館にいる時よりも、頻繁に互いに行き来することができた。

 またフィリシアとフィラルシーは、それぞれ別々に教師が付き、学び始めた。

 フィリシアは将来の皇妃として、アリシア帝国の歴史や社会の仕組み、礼儀作法や他の国の言葉を学んだ。

 一方フィラルシーは、剣術や馬術、それから「力」の使い方を学び始めた。

 実は、皇宮には「ガレリーナ」と呼ばれる、兵士を養成する機関があったのだ。

 「ガレリーナ」は、一般の兵士とは違い、魔物退治を専門とする。

 そして彼らは、皇帝直属の兵士でもあったのだ。

 戦闘神・アルロの守護を受ける者として、フィラルシーは、この「ガレリーナ」の素質が十分だと考えられたのだ。

 オリガが言っていた、『それが、フィラルシーにとっては、一番いいだろうと思うからです』とは、このことだったのだ。

 実際、フィラルシー程ではなかったが、そこの機関には、「ガレリーナ」候補生として、国中の「力」のある者達が集まってきていた。

 その中に、彼らはいたのだ。

 彼らは、北都公主家の家臣で、北のリースを守る、リース伯爵の双子の息子達だった。

 太陽のような明るい金髪と緑の瞳を持つ、エステファンと。

 月の光のような美しい銀髪と青い瞳を持つ、アスティンと。

 リース伯爵家は、代々北都の中でも一番北の地方を守っていたが、そこは頻繁に魔物達が出現する地域でもあった。

 だから、リース伯爵家の人間は何かしらの「力」を持ち、ガレリーナになるために、「文始めの儀」が終わったら、皇宮に上がっていたのだ。

 最初こそ、フィラルシーは戸惑っていたようだが、やがて訓練や日常の生活を通して、だんだんと、仲間として他のガレリーナ候補生達と馴染んでいった。

 フィリシアの方も、よくフィラルシーに差し入れを作り持って行ったりしていたので、自然と彼らと仲良くなっていった。

「公主家の公女様が、お菓子を作るなんてなあ」

 そんな軽口を叩いていたのは、エステファンだった。

「とてもおいしいです。ありがとうございます、フィリシア様」

 アスティンは、いつもそうやって、お礼を言ってくれた。他の候補生達も、

「ううん。フィラルシーのお姉さんが、こんなに料理が上手な人とは、思わなかった」

「いいな、綺麗で優しいお姉さんがいて」

 そんなことを、言ってくれた。

 でも、彼らは皆、どちらかと言えば、フィリシアの作ったお菓子が、目的だったような気がする。

「私の分がないよ、フィー〜」

 そんななさけなさそうな声で、フィラルシーが言う時もあった。

 楽しかった。

 そう……。母や乳母と静かに暮らし、父が訪れるのを待つ、あの頃の暮らしより、はるかに。

 この頃は、フィラルシーや、ガレリーナ候補生達、優しい侍女達に囲まれて、本当にフィリシアは楽しく毎日を過ごしていた。

 年に一・二度、オリガが幼いシュリを抱いて、皇宮に上がってきて、その時は四人で一緒に過ごした。

 不思議だった。

 血の繋がった父や母と共にいるよりも、楽しく過ごせることが。

 そして、父や母に会うよりも、オリガに会えることの方がうれしかった。

 折に触れ、オリガは父や母のことをフィリシアに知らせてくれたが、

「そうですか」

 と頷き、決して父や母に会いたいとは言わなかった。

 会いたい、とも思わなかったのだ。

 エドアールとの婚約が決まったとたん、さらに距離を持って、自分に接するようになった母と。

 あまり、接する機会がなかった父と。

 どうして、会いたいと思えるだろうか?

 この頃には、実の父母とは言え、フィリシアにとっては、どちらも遠い存在になってしまっていた。

 それだけ、フィラルシーやオリガが、「家族」として、フィリシアのことを、十分に愛してくれたのだ。

 そんな楽しい日々の中でも、唯一、懸念することはあった。

 将来の夫でもある、エドアールだ。

 当時彼は十七歳。

 だが、初めて引き合わされた日から、エドアールの態度は冷たかった。

『あなたが、悪い人だった良かったのに。そうすれば、私はあなたを憎めたのに』

 泣きながら、そう言った(ひと)

 その男の肩を、優しく抱いていた、夫。

 憎むことができたのなら、ずっと、楽だったのかもしれない。

 そう……お互いに。



「フィリシア?」

 オリガに声をかけられ、はっとなった。

「寒いのか?」

 気遣わしげに、オリガは聞いてくる。

 どんなに気遣われても、寒いものは寒い。

 だが、耐えられないものではなかった。

「私はだいじょうぶです、オリガ様。それよりも、オリガ様こそ、ご無理をなさらないでください」

 そう言って、フィリシアはオリガが持っているカップを、受け取った。

「フィリシア?」

「お子がいらっしゃるのでしょう?」

 フィリシアの言葉に、オリガは、はっとなった。

 その表情を見て、フィリシアは自分が感じていたことが、正しかったと思った。

「……オリガ様は、何時気づかれましたか? 父上が、ご自分のことを愛していることを」

「フィリシア……」

「父上は、ずっと以前から、オリガ様のことを愛しておられました」

 五年前に、フィリシアの母・セーレンが亡くなった。

 そしてその翌年、南都公主第三公女・セルバが誕生している。

 フィリシアやフィラルシーとは、二十歳も離れた妹だった。

 そして今、オリガのお腹の中には、新しい命がまた宿っている。

 シュリが生まれた頃。

 オリガは、父が自分のことを愛しているとは、気付いていなかった。

 だが、もしオリガがそのことに気付いていなければ、セルバは生まれてないし、新しい命が宿ることもなかっただろう。

「それを知って、どうする? フィリシア」

 静かな声で、オリガは問うた。

「わかりません……でも、知りたいのです」

 風が吹き、小さい雪がまとまって風に舞う。

「そなたの母が……セーレン殿が、亡くなった時だ」

 その舞う雪を見ながら、オリガは言った。

「その前に離縁を申し出た。それを、強固に反対されてな……」

 フィラルシーが皇宮に上がることになった時の、父の様子を、フィリシアは思い出した。

 あの時と同じようなことを、父はしたのかもしれない。

 父がフィラルシーを皇宮に上げたくなかったのは、何も、「二つの神の色」を持っているからではなかった。

 オリガの―愛する(ひと)との間にできた子、だったからだ。

 だからこそ、手元に置きたかったのだ。

 そして、オリガに次の子を産むように望んだのも、そのせいだった。

 だが、オリガはそのことに気付かず、離縁を申し出た。

 死にゆく、母のために。母の願いを、叶えようとしてくれたのだろう。

「その時、オリガ様はどう思われました?」

「正直、最初はあまりうれしくなかった。自分の努力が、全て否定された気がしての」

「えっ……」

 オリガの言葉に、フィリシアは大きく目を見開いた。

「わたくしの望みは、そなたの父と、別れることだった。

 そのために、自分の役目を必死に果たしてきたのだ。自分の役目が終わるまでは、とな」

 そんなフィリシアに、オリガは微笑みながら言った。

「シュリが『成人の儀』を迎える十五になったならば、自分から申し出るつもりでいた。結局……間に合わなかったが」

 一瞬、病床で、父の手をしっかりと握っている母の姿が浮かんだ。

 最後の最後まで、母は父から離れることを望まなかった。

「オリガ様、準備ができました」

 ちょうどその時、雪を踏み鳴らしながら、セルゲィが近づいてきた。

「行こうか、フィリシア」

「……オリガ様」

「今は、フィラルシーが待っている。供の者達を安全な場所に届けたら、わたくしとそなた、二人で向かおう」

 黒い瞳が、真っ直ぐにフィリシアを見て言った。



「一緒に行こう」

 そう言って、差し出してくれる手があった。

 でも、その手に、自分は首を振った。

 わかっていたからだ。

もう、あの頃のように、お互いが一番ではないことを。

 自分以外の大切な人が、その手の持ち主に、できたてしまったことを。



 フィリシアが十六歳になった時に、アリシア大陸全土を揺るがす、大きな事件が起きた。

 魔物達が、大発生したのだ。

 それまでは、年に何度しか発生していなかったものが、大量に、それも同じ日に発生するようになったのだ。人も、たくさん死んだ。

 「ガレリーナ」候補生だった彼らも、その頃には、正式なガレリーナとなり、毎日のように出兵して行った。

「行ってきます、フィリシア様」

 笑顔でそう言って出兵し、二度と帰ってこない者もいた。

 幾度、フィリシアも、フィラルシーも泣いたかわからない。

 それでも悲しみに負けずに、フィラルシーはガレリーナとして、毎日出兵していた。

 実際、風の精霊達を中心として、火、水、土、全ての精霊を操るフィラルシーの「力」は、魔物に対しても大きな戦力だった。

 また、黒髪・黒い瞳を持つオリガは、魔物達の退治方法を誰よりも知っていた。

 水と平和の神・ユスの守護を受けていたオリガは、常人では考えられないほどの知識を持っていたのだ。

 その母と同じ黒髪・黒い瞳を持つシュリは、何時・何処に魔物が現れることがわかる「力」を持っていて、魔物撲滅のためにやはり大きな役目を果たしてくれた。

 光を操る「力」を持つエステファンと、影を操る「力」を持つアスティンも、そうだった。 仲間を失い、挫けそうになった時もあっただろうに、彼らも決して戦うことを止めはしなかった。

 そんな中で、フィリシアは、自分に力がないことに、正直苛立つ時もあった。

 自分だけが、何もできないような気がして。

 だが、そんな時に、オリガは言ったのだ。

「そなたの、できることをすればよい」と。

 無理をしても、彼らの足手まといになることはわかっていた。

 だから、フィリシアは、オリガの言葉通りに、自分のできることを一生懸命やった。

 ケガ人の手当てや、出兵時の携帯用の食事の準備、留守の間の部屋の掃除など、侍女達と一緒に何でもやった。

 「将来の皇妃がそのようなこと」などと言う人もいたが、「そのようなことは、関係ありません」と、答えた。

 誰もが一生懸命国を守るために働いているのに、自分だけ、のうのうとしておけなかった。 自分のやれることは、全てやりたかった。

 魔物との戦いは、一年間続いた。

 決着は、あっけなく着いたとは、もちろん言えなかった。

 だが、最後に大元になった魔物を倒した時、フイラルシーは泣いたと言う。

 何故そうなったのか、戦いに行っていないフィリシアにはわからない。

 けれど、「ただいま」と言って、帰ってきたフィラルシーを見た時、その姿から深く傷ついているのがわかった。

「おかえり」

 だから、そう言って、傷ついた異母(いも)(うと)を抱きしめた時、これ以上彼女には傷ついて欲しくない、とフィリシアは思った。

 実際、たくさんの者を失い、フィラルシーは傷ついていたのだ。

 そう…心も、体も。

 国中を上げて復興に立ち向かう中、フィリシアとエドアールの婚姻も、慌しく進むようになった。

 家臣達は、二人の婚姻を、復興の象徴にしようと思ったようだった。

 だがこの頃には、フィリシアは知っていた。

 夫となるエドアールには、既に恋人がいることを。

 そして、その恋人とは、アスティンであることを。

「あなたが、悪い人だった良かったのに。そうすれば、私は、あなたを憎めたのに」

 そう言って泣くアスティンに、かける言葉などなかった。

 その泣く彼の肩を、自分の夫となる(ひと)は、愛しげに抱いていた。

 ……夢を、見るつもりはなかった。

 母・セーレンの立場からも、わかることだった。

 公主家や皇家のような家柄では、結婚はまず、家の立場が先に来る。

 当人同士の感情など、ほとんど考慮されることはない。

 だから大抵の当主には、「側室」や「愛妃」と呼ばれる、女性たちが存在する。

 かつてのオリガも、フィリシアと同じ条件で、南都公主家に嫁いで来たのだ。

 ただ、父は、オリガに接するようになってから、どんどん魅かれていき、彼女を愛するようになっていた。

 オリガ自身は、気付いていなかったけれど。

 自分を愛さない人と結婚するという事実が、とてもむなしかった。

 だから。

「一緒に行こう」

 とフィラルシーが言った時、本当はうれしかった。

 戦いが終わった後、フィラルシーはエステファンと婚約していた。

 随分前から、二人は恋仲だったのだ。

 仮にも皇帝の養女がーという意見もあったようだが、それはエドアールが黙らせた。

 また魔物が発生しやすいリースに、フィラルシーを行かせることが、どれだけ国のためになるのか―それも、婚約が許された理由の一つとなった。

 そして、皇宮で婚姻の儀式をした後、二人はリースに向かうことになったのだ。

 そんな準備の最中、フィリシアは、フィラルシーに誘われたのだ。

「一緒に、リースに行こう」と。

 その後どうなるかは考えなくていいから、とも言ってくれた。

 もしかしたら、フィリシアのために、何らかの「力」を使うつもりでいたのかもしれない。だが、フィリシアは首を振った。

 たとえフィラルシーの「力」を使って、皇宮の家臣達やエドアールをやり過ごしても、結局は同じなのだ。

 四つある公主家のどれかが、また娘をエドアールの皇妃として、嫁がせようとするだろう。

 それにより、せっかく収まった国に、また混乱が起きるかもしれない。

 その時、強大な「力」を持つフィラルシーは、また戦い、傷つく羽目になるのだ。

 フィリシアはもうこれ以上、戦って傷つくフィラルシーを見たくはなかった。

 それに、首を振ったもう一つの理由は、もうフィラルシーの傍には、エステファンがいたからだ。もし共にリースに行っても、今度は二人きりではないのだ。

 フィラルシーにとって、一番大切な存在はエステファンであり、自分ではない。

 子どもが生まれれば、もっとフィリシアとの距離はできるだろう。

 もう、二人とも子どもではなかった。

 だけど、一緒に行けないことを、哀しいと思ったことも本当だった。

「幸せになってね」

 そして、そう願ったことも。

 たくさん傷ついたフィラルシ―には、幸せになって欲しかった。

 そう―自分の分まで。








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