3 娘の父親
神楽の父親は神楽不動産事務所の外にある所員用喫煙所に行くと、古風な銘柄の煙草に火を付けて煙を楽しんでいた。鋭かった目は一度落ち着いてはいたがまた榊に向ける。
「名前を聞いていなかったが……、」
父親は榊に訊いた。
「榊です、榊守と申します。」
榊が名刺を渡した。
「海原テレビ?テレビ局の記者が娘に何か?」
名刺を渡したことで更に疑ってかかってくる。名刺を渡したのは失敗したかもしれない…。
「いえ、取材目的ではありません。単純に今日、あなたの娘さんに呼ばれましてね。」
「そうでしたね。物の怪の類が見えることを羨ましいと…」
「聴こえることが羨ましいとね」
榊は軽く訂正した。神楽は煙草を深く吸うと、残りを灰皿に捨てた。
榊の訂正を聞いた寛三は納得した顔だった。
「紹介が遅れました。私はミキの父親で神楽寛三と言います」
遅れての紹介だった。訊けばこの父親は神楽不動産の社長だという。
榊は煙草を吸わない。ずっと腕組みをしながら寛三をじっと観察している。
「まぁ、娘がそう言っていたのも無理はないか。」
2本目の煙草を燻らしながら寛三は続けた。
「娘の場合は見えるという能力のみが長けているが、聴くという能力はほぼありません。本来なら両方持っていればに越したことはないんですがね…。こればっかりは」
「あなたが見えているものは何かご存知ですか?」
寛三は榊に訊く。
「いいえ」
神楽は短くなった煙草を消すと榊をじっと見た。
「娘と同じものが見えているのであれば、それは『迷い神』です。」
「迷い神?なんですか?それ」
榊は訊いてきた。
「まぁ、神様です。」
「のっぺらぼうが神様?」
「はい。」
結構幼かったような気がしたが、あれは神様ということか…。
「神は神でも正しくは土地神です」
「土地神ということは地鎮祭で予め断っておく神様の事ですか?」
「間違いではないです。」
神楽は境内にある墓を見まわしながら言った。
「日本には八百万の神様がいるとされてます。本来その土地にいる神、一般的には地主神とも言います。癖で土地神と言ってしまうのですが、土地神はそれぞれの場所にいるはずですが、何らかの事情でそこにいない場合があります。」
「事情というのは?」榊が訊く。
「人間の勝手ともいいますか……、その手の信仰心のない人の手によって土地神が脅かされているものです。」
その言葉には少し気になるものがあった。
「本来の土地を何らかの形で失った土地神が暴れるのです。彼らのことを私たちの間では『迷い神』と呼んでいるのです」
「迷い神ね……。なぜそいつらは人間を襲うんですか?」
寛三は長くなった煙草の灰を落とすと軽く吸って、3本目に替えた。
「先ほどもおっしゃったとおり人間が土地神の怒りを買うようなことをするからです。」
「具体的には?」
「色々な理由があります。」
「で、何でそれを私が見えているのかは問題ですが、」
「わかりません。家族の中で見える人がいますか?」
「今は誰も。」
「今は?」
榊の返しに寛三が食い付いた。
「いえ、誰もいません。」
「そうですか。その能力は遺伝であることがほとんどですが、突然見えだしたというのは不思議な話です。しかし、珍しいですね、自分の能力を否定されるとは。」
榊はため息をついた。
「見たくて見ている物でもありませんから……。」
左手首をさすりながら榊は過去のトラウマを考えることをやめていた。物の怪が見える以上信じるという考え方は生まれなかった。人によく超常現象の類について聞かれると信じたくないというのも、その手のインチキがよく解るからだ。
大概の雑誌やテレビで扱われる超常現象と霊能の類は殆どがインチキに等しい。映像で見る限りではそれらしく見えているが、榊の目で見れば見当外れのところで祈祷をしていれば、祈祷しようとして逆に取り憑かれているオチだったりもする。
ただしそんなことを言っても信じてはもらえないので大人になってからは発言はなるべく控えているし、幼少時代の超常現象ブームはすでに去っているのでそういった話をネタに振ることもない。
「もしかして、あなたミステリーハンターと呼ばれていた方ですか?」
寛三が突然訊いてきた。
「懐かしい呼び名ですな。」
「以前、ある寺の歴史講釈について学者とトークされていましたね?」
「ええ、色々と怒られましたが。」
榊は以前ある寺の由縁や成り立ちについて反論したことがあった。住職には嫌な顔をされて学者からも顔に泥を塗ったと後でねちねちと言われていた。『所詮素人が』と言う扱いでその時は咎められなかったが、その後ロクな撮れ高がなかったため、半分ボツになっていた。
「でもその後で、色々と裏付けがされたようですが。」
「はい。」
数日後には学者達の調査によって榊の反論がほぼ正しかった事がわかり、再度の調査報告の際には反論も検証の一つですからとニヤつかれながら礼を言われていた。
「あそこまでの研究をされているとは……。」
寛三はニコリと笑っていたが、その眼を見ている限りは笑ってはいない。
「解っているんでしょう?」
榊は寛三の表情を察するとため息と共に笑っていた。
「はい?」
「意地が悪いですよ。それが専門家かどうかではなく、何故そのことを知っているのか?と言いたいんですよね?」
「ほぉ。」
寛三も笑った。
「単なる調査だけであそこまで追求できません。」
「教えてもらったんですか?」
「ええ。信頼できる情報源がいますので」
その情報源が何者であるかは追々話す事になるが、榊と神楽はまた事務所に入った。
「ところで娘とはどこで?」
「夜の県境です。のっぺらぼうと相手していましたけど。」
「県境…、ああ、くぬぎ山の坊主ですな。」
「坊主?」
確かに坊主だったな…。
「中心街から山超えてニュータウンに向かうあたりは昔からその坊主が住んでいたので。たまに人のいるところに出ては迷子になるんですよ。特にいじめたりとはしないんですけどね。」
「ニュータウンって、確か湯谷平の事ですか?だとしたらかなりの見当違いですが、くぬぎ山の坊主を私が偶然見つけてしまったんですよね。確かに迷子の雰囲気でしたよ。」
「よく迷うんですよ。」
「なるほどね。」
寛三が時計を見ていた。
「そろそろ娘が帰ってくると思いますよ。」
ふと榊は話題を変えた。
「失礼ですが、あなたは見えるんですか、その、迷い神が。」
「私は見えません。兄弟で唯一そのような存在が見えなかったので私はしがない不動産屋をやっているのです。」
「兄弟?」
「先ほど境内にいた我が弟の俊貴です。もう一人は別の所に。」
「そうですか。うらやましい。」
「そうですか、見えて当たり前の家庭の中でははじかれ物ですよ。」
「……。」
はじかれ物と言う表現に少し引っ掛かった。似たような言葉は榊にも経験はあった。訳のわからないものを見る能力は普通の人にとっては尊敬よりも畏怖の目でしか見られなかった。
だからといって見られることが羨ましいと言った神楽に好意を持つわけではない。
「ただいま…」
プレハブの入り口を見ると制服を着た女子高生の姿があった。
近くの私立の女子校の制服を着た少女は先客をみて一瞬とまどった。