2 追跡と説得
「目標は屋根の上!!」
携帯電話に叫ぶ。
『方角はどっち?』携帯電話から女の声が聞こえる。
「方向は東。最短ルートをお願い!」
突き当りに差し掛かり、携帯電話を耳から離し、片腕に括り付けた携帯情報端末(PDA)を見ながら左に曲がる。
『亀枝通りに反応があった。』今度は男の声が聞こえてくる
「亀枝通り?今通り過ぎた。もう一つ先?」
繁華街から少し離れた河原沿い。夜になって人気がほとんど無い路地。シャッターで閉鎖された商店街を携帯電話片手に全速力で走る少女がいた。
『合流ポイントを割り出す。残り40秒』
「見えた。屋根から降りて道路を移動している。」
神楽ミキは上ジャージと黒のレギンスにハーフパンツというさながら夜のジョギングランナーのような出で立ちだった。唯一違うのは、およそ必要ではない黒い穴あき手袋と運動に不向きなハーフコートを着ている点だった。
『このまま中心街に追い込め。』携帯からは神楽寛三の声が聞こえてくる。
頭の中で地図を思い出し、中心街へのルートを考えるが、電話の声に集中していたら道が行き止まりになる。
「迷い込んでる、少し難しい!」神楽はPDAの地図画面をみて自分の位置を再確認するが、その動きには焦りがあった。
このあたりは近所ではあるものの、昼と夜で景色は異なる他、地図を頭に叩き込んでも、追いかけている以上、位置感覚がわからなくなる…あたりを言い訳にしておこう。
奴は屋根の上を縦横無尽に飛び回っている。神楽自身は自由に空が飛べる能力があるわけでもないので、この辺りは地上から追いかけるしかない。
さらに独り言のようにブツブツ喋りながら全速力で走る姿は異様である。
神楽ミキは風を受けて重く感じるハーフコートをバタバタとなびかせながら疾走している。
学校でもあまり運動の成績は良くないという話だが、全力でもあり、目標物もそんなに速くはないのだ。
「合流ポイントはまだ?」
『まだだ。目標の動きが変わるかもしれん』寛三からの連絡が悲鳴に変わる。
装備が余計に重くなった感じがする。
今回の状況では軽装備でもよかったとはいえ、ハーフコートと周辺装備で普段よりも10kg以上重くなっているのだ。これらの装備は全て補給係の藤本由美によるものだ。
藤本が用意した装備は、樫の木の繊維を中布に混ぜたハーフコートこと『捕獲キャッチャー』。ショルダーバッグには動きを止める為の特殊な懐中電灯、地図を見る為のPDAや携帯電話、更に何かあった時の為の救急道具などを一まとめして走っているのだ。これに、せめてもの自転車かバイクでもあればと思うが、免許も無ければ捕獲スタイルとしては複数台の車両はやりづらい。
事実を言うのであればこれらの装備には一部不必要さもある。綿密に計画された内容でもなければ一発勝負な感もあり連携をとる為の装備としてはPDAも必要性を感じないが、藤本のカスタムにより、神楽がマーキングした迷い神を藤本や寛三に伝送される利点もある為現状は捨てがたい。機械周りに関しては神楽はそんなに詳しくはないのだ。
「由美姉どこにいるの?」
『ミキちゃん、そのまま待ってて』
携帯から藤本の声が聞こえる。道路の向かいから125ccに乗った藤本が現れた。藤本からヘルメットを渡されるとリアシートに乗り込みタンデムでバイクを発進させた。
「すばしっこくはないみたいだけど、屋根の上ばかり動いてもらっても嫌ね。」ヘルメット越しに藤本が喋る。
「うん…、とりあえずこの先左に」息を切らしながら神楽が喋る。一気に疲れが出てきた。
『合流ポイントは改めて弾き出した。データを送る』
PDAにデータが反映された。
「榊君は今どこなのかな?」
藤本が神楽に聞いてきた。
「確か今日は仕事終わったら直接行くって言ってたけど、あいつ今どこに?」
『榊君なら合流ポイントの近くに既にいてゆっくりしてるそうだ。』
寛三の答えが携帯から流れる。
「サイテー」神楽がぼやく。
「言わないの。別に専業じゃないんだから」
携帯のスイッチを切ると。また着信が入った。
「もしもし」
『サイテー男だが?』
聞かれていたのか?神楽は一瞬ドキッとしたが、すぐにしゃべりだす。
「今どこ?」
『合流ポイントの大化町の川沿いだ。近いか』
「もう少し。位置的に大丈夫?」
『大通りに近いが、狭い路地だ。人目に付かないし何かと追い詰めやすい。』
運転する藤本が指で神楽に合図する。
「わかった。あと三十秒で着く。」
神楽が携帯切ると、藤本はバイクのアクセルを吹かした。
「マスターご馳走さん」
神楽の連絡を受けて榊は飲んでいた水割りを飲み干すと、店を出た。
仕事終わりで気分的に酒を飲む気はさらさら無かったが、後輩記者の井川と居酒屋で食事して別れたあとの時間つぶしだった。
藤本から渡されていたPDAを開いて地図を出す。端末としては新しくはなく、本体から飛び出したGPS受信機が目立つ。最新のスマートフォンとかではなく、昔よく使っていた廃れかけたOSで動いている。
「まもなくか…」
榊がPDAの画面を切ると、急に風が吹き始めた。夏とはいえ夜になると寒いことには変わりない。しかし吹いた風は乾いた風ではなく、何か重さを感じる風だった。
また携帯が鳴った。
「今どこ?」
『そこから南に50メートル、そっちに向かってる。』
「了解。」
言われた方角を見ると、少女が一人走ってきている。神楽ミキは合流ポイント手前でバイクを降りてまた走っていた。榊の目には一人ではなかった。彼女の前にはウサギみたいな飛び跳ねる生き物が神楽から逃げていた。